ずっと、晴れるといいな / the ultimate moment of reversal その3
地上二階に上がったところで私の使用人をしてくれたアザミさんと再会した。
メイルに紹介すると、彼はどういうわけか顔を真っ赤にして遠慮がちに言葉を交わしていた。私はこの珍しい光景をもう少し楽しんでもらおうと思い、アザミさんから許可をもらってマレイザお姉様とステファナの様子を一人で見に行くことにした。
今は亡きお母様の柔らかい匂いのする地下二階『女王の間』を抜けて、その先にある隠し階段を下りると地下三階『箱の間』があった。入るためには施錠された扉を開放しなければならないのだが、私は女王と同一の生体情報を持っているので扉の前に立つだけで自動的に鍵は開く。
十一年ぶりの再開。
そして、アイテル習得を長い間待たせてしまった愛する姉妹達への報告。
私は高鳴る胸を手で押さえながら、箱の間の中に入った……。
……。
……お久しぶりですお姉様。お元気そうでなによりです。
……ステファナも、相変わらず元気してたんだね。嬉しいよ。
……。
私と同じ身体を持つ、かけがえのない家族。
クローンとして生まれた意味を唯一分かち合える存在。
彼女達は『手を伸ばせば』届く距離にいた。
……。
……今はまだ無理だけど、あとでゆっくりお話しましょう。
……それじゃあ、この星に平和が訪れた時に、……また来ます。
……。
地上三階の扉の前には気まずそうな様子のメイルと楽しそうな表情をしたアザミさんが立っていた。どうやら彼女は私が戻ってくるのを待ってくれていたみたいで、物静かな一礼をすると地上二階に下りていった。
自室の中はあの時と全く変わっていなかった。私がいない間もアザミさんがこまめに掃除していてくれたみたいで、気になる埃もなくとても綺麗な状態だった。
「こんなところで生活していたのか。しかし広いな。都市の家の五倍はあるんじゃないか?」
「だね。これは誰が見たって広すぎるよ。私だって昔からそう思っていたもん」
「それを聞いて少し安心した。危うくお前を妬ましい目で見るところだったよ」
「へへへ。どうだ、すごいだろー」
「やめてくれよ。農民の血が騒ぐじゃないか」
彼をこの部屋に入れたことであの頃に抱いた悲しみが浄化されるようだった。
孤独を耐え抜いた日々が今なら笑って話せそうな気がして、彼の存在の偉大さをしみじみと噛み締めた。
「ところでさ」
「なんだ?」
「アザミさんと対面した時、どうしてもじもじしていたの?」
「なんでだろうな。よく分からないんだ」
「だって、すごく恥ずかしそうに見えたよ」
「なんていうかさ、初めて会ったような気がしなかったんだ」
「アザミさん、メイルのお母さんだったりして」
「まさか、それは飛躍させすぎだろ」
「あとで聞いてみる?」
「いや、いいよ。もしそれが本当ならとっくに話しているはずだから。たぶん、俺がどうかしていただけなんだと思うよ」
「今日はなんか、驚きの連続だね」
「ああ。良くも悪くも刺激的な日だ」
その日の夜は二人で使っても持て余すくらい大きな寝台に寄り添って眠った。
彼は有事の際に素早く行動が取れるようダクトスーツを着たまま目を閉じた。
私は懐かしい寝間着を袖に通し、勇ましい彼の身体を抱いて夢を見た。
オントが要求した金の準備が完了したのは翌日の夕方のことだった。ルウス軍師と私達で拘束を解いて正門前に用意した巨大な金塊を差し出すと、オントはそれを未知の力で宙に浮かせ、そのまま黙って飛び去っていった。
「うまくいくといいんだが」
「ところでメイル殿、リムスロットのほうで監視できているか確認は取れましたか?」
「ああ。問題はないそうだ」
彼らは金塊の中に位置情報を調べるための機械を密かに仕込んでいたらしい。オントがその本体を乗せている空中船をここまで持ってこないと考えた彼らの予想が見事に的中したのだった。
「襲撃の準備はどれくらいかかるんだ?」
「小型の宇宙船なら今すぐにでも出られますが、大型のものになると最低でも一ヶ月はかかります」
「それでは間に合わないかもな」
「ですが、小型のほうで行ってもおそらく撃墜されてしまうでしょう。あなたとて、宇宙空間では耐えられないのですから」
オント本人がいるところに直接乗り込んで宇宙船ごと破壊する計画を立てたのだそうだ。ただし、それはオントが反撃を開始した時のみの対応であって、メイル自身は円卓の間で言ったとおり、相手を信じ続けることをやめなかった。
私は彼の思いが成就することを心から願った。
……でも、現実は彼の期待を容易く裏切った。
「た、大変です! ルウス様、元老院が!」
鬼気迫る表情をして駆け込んできたのはアザミさんだった。
「どうしたのだ。なにがあったのだ」
「……げ、元老院が、全員、し、死んでいるんです!」
私達は大急ぎで地下一階の居住部屋を一つずつ見て回った。
確かに、元老院議員は一人残らず絶命していた。
「私はやつに一時も目を離さなかったのだ! それなのに、なぜだ!」
「……たぶん、別の身体を持ってきたんだよ」
「メイル殿、そうれはどういうことなのですか!? まさか、複数体の遠隔操作ができるようになったのか……」
「一ヶ月前ならそれもありうるだろうな。でもそうじゃないと思うよ。これは俺の想像なんだが、きっと切り替えたんだと思うよ」
「切り替えた? では、私が夜を明かして見ていたものは……」
「ただの抜け殻だったっていうことさ」
オントの身体をもう一体作り、ゾルトランス城の身体の通信を新しいほうに切り替えたというのがメイルの考えだった。拘束されているオントに注意を向けている私達を退いて凶行に及んだというのだ。
私はその行動に大事なものを奪われたオントの執念が込められているように感じた。奪ったものは奪い返すという独善的で不合理な意思が、私達に警鐘を鳴らしているようでいてなんとも気味が悪かった。
「我々は最初から嵌められていた、というわけですか」
「残念ながら、そのようだな」
「どうされますか? こちらから打って出ますか?」
「いや、まずはやつを捕捉して様子を見てみよう。発信機に気づかれて移動されるかもしれないが反撃してくるまではまだ信じていたいから。どちらにせよ、今日は解散だな」
「私はここに残って城を守ります」
「ああ、そうしてくれ。俺達は一旦都市に戻って防衛を続けることにするよ」
「決心がついたら、いらしてください」
「分かった。じゃあ、またあとでな」
私は夕暮れの空から照らされる赤い光を浴びながら物思いに耽っていた。
彼と繋いだ手が妙に汗ばんできて、悟られていないかと怯えながら帰りの空を飛んだ。
『……なんと彼女は空高く舞い上がり遥か彼方の宇宙空間まで行ってのけたのです。それは一見すると、人間の能力限界を超えた神に類似する存在に感じました』
反撃が来なければいい。それだけで丸く収まる問題だった。
ただ、私の中で一つの抑えがたい衝動が芽生えはじめていることも事実だった。
全ての問題を解決する唯一の方法が自分の意思によってもたらされると思うと、それは次第に焦りへと変化していった。
リムスロットに戻るなり医療室へ駆け込んでいく彼を見送って、私は自宅に飛び込んだ。
部屋のどこにしまっていたかを考えながらそれらしき場所を血眼になって探してみる。
……確かここに入れていたはずだけど……。
……あ、あった。これだ。
シンクライダーが私に残した手紙だった。読み返してみると、今の胸中をなにもかも先読みされているようなことばかりが書いてあった。
しかもそこには『彼の血でもあれは防げない』とまでしっかり記載されている。
私は、遺跡の場所だけを暗記して手紙をもとの場所に隠した……。
行くか行かないか、作るか作らないか、飲むか飲まないか。そう考えるとたくさんの選択肢があるような気になって少しだけ気が楽になった。最終的に飲まなければいいのだから、彼やルウス軍師がそうするように私も準備をしていたほうが賢いのではないかと思ったのだ。
あとは決行する時間をどうやって作るかだった。たった今帰ってきたばかりなので忘れ物をしたからと言えば信用は得られるかもしれないが、彼が心配だからと言ってついてくる可能性が非常に高い。
ならば彼が寝ている間に抜け出して行くというのはどうだろうか。
二十四時間の監視が続けられることを思うと、それも危険なような気がする。
他にもいろいろ考えてみたが、最も現実的な方法は結局一つしか思い浮かばなかった。でもそれは、私を追い詰めるきっかけにもなりうる冷酷な事実を目の当たりにしないといけない『好機』でもあった。
私は二日後に訪れる最初の機会の到来まで、そのことばかりを考えていた。
『カリスの血』を作るという選択。
それはいつしか私の中で使命という言葉に成り変わっていた。
オントが再来したことを告げる発信機が鳴った時、私はとうとう来たのだと思った。彼が慌てて着替えている前で不安に満ちた表情を見せると、いつもの優しい笑顔を返してくれたので私の良心が少しだけ痛んだ。
玄関で彼を送り届けてから私は遺跡に入るために必要なものを手に取った。
そして、落とさないように腕に嵌めてそのままの格好で家を出た。
彼は避難通路に直行していったので今頃はもう外に出ているはずだった。私はその後を追って外に繋がる扉を開け、出てから手早くそれを閉じる。
映像撮影の中に入らないように迂回して遺跡に向かった。心臓が止まりそうだった。帰宅時に見つかることは目に見えていたが、この時点で追跡されることだけは避けたかった。あとでなにを聞かれても真実を話すつもりはなかったし、どんなに怒られてもいいと思った。
手紙に書かれていた場所はリムスロットから十キロほどのところにあった。小さな洞窟がそこの入り口らしく中に入っていくと、さらに二キロほど向かった先に遺跡へと繋がる扉が見つかった。
暗くてよく見えなかったが、どことなく空間が歪んでいるような不思議な扉だった。私は自分の身体からアイテルの光を発して、それを頼りに扉の開錠に関係するものを探した。それらしきものは見当たらなかった。
人の声に反応して開く扉なのかもしれない。試しに声を出してみた。
「あ」
なんの反応もなかった。次に私はシンクライダーからもらった腕につける防具の手の甲に刻まれている『アルファベット』を一文字ずつ読み上げてみた。
全部で三十文字のそれを読み上げると、歪んで見えていた扉がゆっくりと広がっていくように開いた。
『彼女はとある遺物の中に奇妙な暗号を見つけたのだそうです。それは僕達の時代ではほとんど使われていないアルファベットという文字で書かれた文章でした』
私は幼い頃にアルファベットのことを学習していた。この『防具』に刻まれたものが遺跡に入るために必要なものだと分かった直後は、おそらくそれを読めないだろうと見越して話したのだと思ったが、よくよく考えるとそれは見当違いであることに気づいた。シンクライダーはきっと私をここに入れることをあらかじめ計算していて、そのために防具を準備したり遺跡のことを話したりしたのだ。
複雑な気持ちだった。そして今ここにいる自分がなにを求めているかを思うと、もっと複雑な気持ちになった。
シンクライダーのいいように操られていることになにも感じないことはなかったが、私は結局彼に感謝するしかなかった。結末がどうであれ、この星に希望の道を示してくれたことは正しい行動だと思ったからだ。
意を決して遺跡の中に入る。そこは奥行きのはっきりしない壁が黄色く光って波打つ奇妙な空間になっていた。
『そして彼女は遺跡内であるものを発見するのです。それは特殊な液体を精製するための装置でした』
入り口を抜けた正面に機械の塊があった。高まる緊張を呼吸で整えながら慎重に近づいてみる。操作方法は全く分からないので適当なところを指で触れてみた。反応はないようだった。
『彼女は早速遺跡の秘密を解き明かそうと探りはじめたのですが、そこで聞き覚えのない声を耳にします』
待ってみようと思った。急いで帰りたいという気持ちはあったが、どうせ怒られるので早くても遅くても結果はたぶん変わらない。せっかく中に入れたのだからカリスの血というものを作ってから帰ることにした。
……やっぱり、いろいろと聞いてくるよね。
……なんて答えようか。できれば彼に嘘はつきたくないな。
……。
帰宅した時の言い訳をあれこれ考えながら待っていると、なんの前触れもなしに装置のどこかから異音が鳴って、そのすぐ後に声が出てきた。
「……来訪者を確認。使用方法、不明と判断。説明を開始する」
人間の男の声だった。言葉も理解できそうだった。
これは機械から出ている音なのだろうか。もしかしたら中に人が入っているのかもしれないと思い、いろいろ覗いてみたがそれらしきものを見つけることはできなかった。
「……ここは人類最後の希望となる地、カリスだ。今、あなたがこの言葉を聞いているということは、選ばれし者となる覚悟を決めて来ているのだと受け取らせてもらうが、いかがだろうか。もし、違うというのであれば、早々に立ち去るべきだろう」
そうです、と言葉を発してみたが返事は来なかった。
壊れているのかもしれないと思って腕を組んでしばらく待っていると、男はまた声を出してきた。
「……それでは、説明を続ける。ここではまず、あなたの血を採取することになる。ごく少量を必要としているので、そこは安心して欲しい。さあ、正面に見える円筒状の穴に拳を作って肘まで入れてくれ。左右どちらでも構わない」
穴を探した。正面がどこからを指しているのかが分からなかったが、おそらく入り口から見た正面だと思って、その辺りを見る。
発見した。たぶんこれだと思う。
「……よろしい。少し傷むかもしれないが、すぐに終わるのでその状態を維持してもらいたい。……終了だ。抜いてもらって構わない。あとは目の前にある装置があなた専用の血を精製してくれる。しばらく時間を要してしまうが、それまでの間は私の話を聞いてもらおう。はじめは、この装置を作ることになった経緯からだ」
とても長い話だった。もともとこれは『外宇宙』に行くための人体保護を目的として設計されたことや、完成はしたものの副作用が強すぎることが原因となって実用には至らなかったことや、自分は『アレフ』という名前の人間で実在していた人物であることなどなど、そのほとんどが理解できない内容だった。
真剣に話す男性に一応最後まで付き合うと、私の血を使って作られたという液体の入った小さな棒が、腕を差し込んだ穴から出てきた。これがカリスの血で間違いないのかを確かめてみたが、男性の声はいつまで経っても聞こえてこなかった。
カリスの血が入った小さな棒を持って遺跡を出た。
外へと続く扉を抜けて後ろを振り返る。すると、さっきまで開いていた穴が勝手に閉じてしまった。
そこで私はふと、地下都市に戻る前に遺跡の扉を壊してしまったほうがよいのではないかと思った。特に理由があったわけではないが、ここを残しておくことになんとなく抵抗を感じたのだ。
全身にアイテルを放出させて渾身の一撃を叩き込む。
……。
まるで感触がなかった。
歪んだ空間に溶け込んだ遺跡の扉は弾力を持った物体のように波打って、収まると同時にもとの状態へと戻ってしまった。
その後も何度か叩いてみたが結果は変わらなかった。
遺跡の破壊を諦めた私は、そのかわりに文字の刻まれた防具を粉々に砕いた。
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その4に続きます。




