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ずっと、晴れるといいな / the ultimate moment of reversal その1



 最近の朝はやたらと気だるかった。身体を動かさなくなったことが影響しているのか、目を開けてもなかなか布団から出られなくて、起き上がっても水を飲む以外のことをするのがとても億劫だった。



 彼は毎日朝早くに目を覚ましてすぐに家を出ていた。同じ時間に起きられない私を気遣って出て行く彼に不信感を抱くことはないにしても、一人きりの朝になんとも言えない侘しさをいつも感じていた。



 遮るものがなにもないとはいえ、平凡な生活に慣れていない自分にとってはこれも乗り越えるべき壁のように思われた。彼のようになにかに打ち込められれば解決する問題なのだろうが、朝に襲ってくる倦怠感が終日まで尾を引いて私のやる気をいたずらに阻んでいくのだった。



 ここに戻ってきてから早くも一ヶ月が過ぎ、季節の変わり目がいよいよ訪れようとしていた。外の景色を見渡すと地下都市リムスロット周辺の大地は本格的に紅い色彩へと染められていて、幸せに満たされたこの心を理由もなく物悲しい気分にさせた。

 おそらく幸福だからこそ感じる贅沢なのだろう。胸が切なさで締めつけられる度に、私は彼の温もりを求めては安堵する日々を送った。



 ゾルトランスの攻撃を受けたことにより巨大な空中拠点を失ったカウザは、あれ以来地上に姿を現さなくなった。私達地下都市の住民にとって脅威である謎の新兵器『オント』も全然来なくなった。

 それでも地下都市リムスロットは依然として警戒を怠らなかった。タデマルとメイル、そしてロルの三人が交代で周辺一帯を二十四時間監視し続け、住民全員に許可のない外出を禁じた。私とメイルが見たカウザ空中基地墜落時の出来事が彼らを駆り立てていたのだった。



 私は少しやり過ぎていると感じた。住民の安全に関わる問題なのは十分理解している。だからといって、来るかどうかも分からないもののために自分達の生活を犠牲にしてまでする必要はないと思った。

 メイルに不満を漏らしたこともあった。それなら一緒に監視すれば済む話だとあっさり言われてしまったが、私にとってはそんな単純なことではなかった。

 決して戦争に直接関わることが嫌になったわけではない。ここを守るためだったら命を懸けてもいいと今でも思っている。タデマルにオントと戦ってこいと言われれば喜んで行くつもりだ。



 私はただ、彼と戦争の話をしたくなかった。たとえ彼が不機嫌になったとしても、そんな話で関係を深めることになんの喜びも感じなかったのだ。

 彼はそんなこちらの態度を察してくれているようで、戦争に触れる話題を自ら進んですることはなかった。私もまた、そんな彼の邪魔になるようなことだけはしたくなかったので、監視中はできるだけ一人で集中してもらおうと家の中でじっとしていた。



 ここに戻ってきてからの唯一の楽しみは彼との食事の時間だった。昼には必ず食堂に来てくれて、いつも決まった時刻に二人で食べる。日の差す間に彼の笑顔が見られる貴重な時間でもあり、これがまた格別のひとときだった。

 私の作った料理をうまいと言いながら無邪気に頬張る様子を見ていると、そのなんとも可愛らしい顔がこの体全体を無条件の幸福で包み込んだ。この瞬間以上に彼から必要とされていることを実感できるものはないとさえ思うほどだった。


「ついさっき、レインから通信が来たんだけど、聞くか?」

「うん。聞きたいな」

「地下都市アレフの片付けが完了して、昨日から全区域の稼動を開始したそうだ」

「あれからもう一ヶ月だもんね。なんか、自分のことのように嬉しいよ」


 レインは私達がジュカから帰ってきた直後にヴェインの支援をすると言って単身アレフに移り住んだ。スウンエアから避難してきた頃の都市の中は見るも無残な光景だったらしく、とても生活できるような環境ではなかったみたいだったが、レインの協力もあって無事に再興できたようだった。


「まだ喜ぶのは早いだろうな。食料の問題がある」

「そっか。これから作っても今食べるものがないと辛いもんね」

「そのことなんだけどな、お前に相談したいことがあるんだ」

「なになに? おすそ分けでもするの? それなら喜んで手伝うよ」

「おう。それもする予定なんだが、実はな、ここの栽培を続けようと思っているんだ」

「え? だって、今年の分は終わったんだよね?」

「そうなんだが、あっちに食料をあげたらこっちの分が不足してしまうだろ? それに、アレフの供給が安定するまではあっちもなにかと不自由すると思うんだ。だから、それまでの間はこっちのほうも支援できる量を確保しておきたいんだ」

「……じゃあ、また忙しくなるんだね」

「今回のことは俺が発起人だったというだけで、育てるだけなら他の人間がやってもいいんだ。……お前さ、最近身体の調子よくないだろ? 俺としてはできるだけ側にいてやりたいから、無理に参加しようとは思っていないんだ。どうだ? やっぱり嫌か?」

「……うん。ちょっとだけ本音を言わせてもらうと、側にいて、欲しいかな」


 彼の表情は決して暗くはなかった。気にかけてくれる優しい眼差しがそこにはあった。

 ただ、瞳の奥にはほんのわずかな迷いも見えたような気がした。


「その言葉が聞けて安心したよ。正直なことを言うとな、少し混乱しているんだ。俺はいつだってマーマロッテのことを一番に考えている。でもこんな状況だろ? 一体俺はなにからお前を守ろうとしているんだろうってさ。時々分からなくなるんだ。それに、お前も言ってたよな、今を見て欲しいって。なんていうかさ、それも大事なことなんじゃないかって最近思うんだ」

「……なんか、私っていつもわがままばっかり言ってるね」

「俺は別に嫌じゃないけどな。どちらかというと、わがままをもっと言ってくれたほうがお前らしくていいと思うよ」

「へへへ。それ、かなり嬉しいかも」

「あとな、あんまり深く考えるな。俺だって好きで監視しているわけじゃないんだ」

「え? なんのこと?」

「カウザとのことだよ。本当はもう、関わりたくないんだろ?」

「……そんなこと、ないよ」

「仮にそうだとしても、俺達の関係と戦争は切り離しておきたいと思っているはずだ」

「……ごめん、なさい」


 見抜かれていた。苦しめないように表に出さなかった気持ちが却って彼を悩ませていたのだと分かると、自分の浅はかな考えが浮き彫りになって恥ずかしくなった。



『……相手を苦しめたくなければ、言いたいことをはっきり言ってしまえばいい』



 ここに来て間もない頃にそう教えてくれたヴェインの言葉が、今になって私の心に強く響いてきた。そしてそれは、相手の本当の苦しみを知るための勇気が足りないことを私に気づかせたのだった。


「謝るのはこっちのほうだ。お前を黙らせたのはこの都市を守ることに意識を向けすぎた俺にある」

「メイルは、間違っていないよ」

「間違ってなくても、お前を苦しめていたら意味がないじゃないか」

「……私だって、そうだよ」

「……なあ、マーマロッテ」

「なに?」

「今日の監視、断ってくるわ」

「そんなことして、大丈夫なの?」

「ロルに土下座でもすれば、なんとかなるだろ」

「ちょっとだけ、気の毒かな」

「そうだな。でもちょっとだけだから、大したことないよ。きっと」

「うん。そうだね。大丈夫だね」

「よし。そうと決まれば早いとこ家に帰ろう。なにかしたいことがあるか?」

「……くっついていたい。それだけでいい」

「なんだよそれ。毎晩しているだろ?」

「全然違うよ。昼と夜とは全然違うんだから」

「そうなのか。まあ、お前がそうしたんだったら俺も遠慮はしないからな。気合入れとけよ」

「なんか意味深だ。でもなんか、楽しみだ」

「鼻の下伸びまくっているけど、俺、いきなり襲われるとか、ないよな?」

「フフフ。さて、どうかな?」

「お手柔らかに頼むよ」


 メイルはゲンマルお爺様がいなくなってから、また少し雰囲気が変わった気がした。私以外の誰かと接する時の仕草や歩き方まで、以前には見られなかった哀愁を漂わせるようになったのだ。

 過酷なアイテル訓練が彼を変えたのかもしれなかったが、私にはそれだけとは思えなかった。普段から見せる控えめな笑顔の中に滲ませる彼の憂いの眼差しは、どこか私の知らない遠景を見ているようで、なにかしてやれることはないかといつも考えた。



 彼の人生を支えたお爺様のことを思うと私も胸が苦しかった。全ての感情を共有することはできなくても、近づけるところまでは近づいて支えになってあげたかった。私の薄っぺらな言葉なんかで励ますよりも、そのほうが彼のためになるのではと思い、落ち込んでいる時は黙って側にいるようにした。



 彼は時々話の合間に幼少時の出来事を語ることがあった。

 お爺様と分かち合った様々な思い出を懐かしそうに話し、私もその表情から読み取って彼と同じように懐かしむ。とても幸せな気分になれた。私は、彼の心の中で生き続けるお爺様を純粋に羨ましいと感じていた。

 その正直な気持ちを彼に伝えると、縁起でもないことを言うなと本気で怒られてしまった。確かにそのとおりなのだが、遠い記憶の中の色褪せないお爺様を思うと、私にはむしろ幸せなことのように感じたのだ。



 人はこの世に生まれ、そしていつかは死んでこの世を去る。私にとっては長く生きることよりも、どのくらい愛されていたかのほうが重要だった……。



 彼とは未来を誓い合ったけれども、そうしたところでお互いの気持ちがこれからも変わらないとは限らない。絶対にありえないと確信している今の私でも、この先がどうなるかなんてはっきり答えることはできないのだ。

 それならばいっそのこと、彼に思われているうちに終わってしまったほうが救いがあるように思われた。たとえ彼を悲しませることになっても、お爺様のようになれるなら、それはそれで幸せな最後だと思ったのだ。



 監視を断って一日中付き合ってくれた彼の温かい胸の中でも、私はそのことをずっと考えていた。

 今を噛み締めれば噛み締めるほど、その思いが強くなっていって、全身を駆け巡る不安と情念が彼の全てに注がれた。

 彼も、私の思いを全部受け止めようと必死に溶け込んできた。



 ……この日の私達は、世界を二人だけのものにしようとした。

 今までのことやこれからのことを全部忘れて……時間をも止めて……。



 願いが通じたのか、彼との一瞬は確実に止まった。

 世界が完全に消えてなくなり、私達は物言わぬ一個の塊になったのだ。

 あの瞬間は間違いなく、彼の心にも強く刻まれていたことだろう……。



 その日の夜は、朝の気だるさを忘れてしまうほど深い眠りに落ちた。



 ……そして、まるで時間を飛んできたかのような速さで次の朝を迎えると、静止していたはずの世界は、再びゆっくりと動き出していたのだった。




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