その無限小、煌めいて舞え / a beautiful defect その1
大切な人が側にいなくなった日から俺は訓練に取りかかった。
感傷に浸っている暇はなかった。そんなことに時間をかけるくらいなら腕の骨を二、三本折っていたほうが遥かに有意義だった。
俺はまずゲンマル爺さんからアイテルを教えてもらうことにした。レインには門前払いを食らっていたので、基本的な能力の習得を自称達人に手伝ってもらおうと思ったのだ。
さて、実際に訓練をはじめてみると、爺さんは武器を扱いたいこちらの意思を知ってか知らずか、やたらと体術を勧めようとした。しかも、ライジュウにとどめを刺した爺さんの最終奥義、倍々拳の習得に至るまでの武勇伝や、その頃に出会った麗しの美女との思い出話などを延々としてくるので、なかなか思うような上達には結びつかなかった。
結局、爺さんのもとでの訓練はアイテルの基礎を学ぶことくらいしかできなかった。まあ、想像通りの結果だった。
手ほどきを受けている最中に前から気になっていた先代女王との関係について触れようかと思ったが、長年の間柄がどうにも邪魔をして切り出せないまま訓練は終了した。
俺はマーマロッテがいなくなってから再び眠ることをやめた。一人でも眠れるようになったことは事実なのだが、自分に納得のいく強さを手にするまではそうするべきではないと考えた。無駄に時間を過ごす羽目になっても、強くなるための模索だけは続けていたかったのだ。
だが夜になるとスクネが寂しがって俺の家に来ることがあった。その時ばかりは彼女のために時間を割かねばならなかった。
「メイにい、ちょっぴりこわくなった」
「そうか? 別に怒ってなんかいないぞ」
「スクネとは、あそんでくれないの?」
「今は少し忙しくてな、そのうちたくさん相手してやるよ」
「ほんと?」
「ああ。ほんとだ」
「じゃあ、まってる。でも、またねんね、してくれるよね?」
「寂しくなった時だけな」
「うん。わかった。メイにいもさみしくなったら、スクネにいってね」
「ありがとう。その時はよろしく頼むよ」
最近誕生日を過ぎたばかりのすっきりとした少女の顔立ちには、早くも女の色気が出始めていた。その笑顔には俺の心に空いた穴をすっかり埋めるだけの愛情が込められていた。
「……あのね」
「おう。どうした」
「……マーマがいなくなって、かなしい?」
「……正直に言うと、とても辛いよ」
「スクネも、マーマにあいたい」
「お前がもっといい子にしていれば、きっとすぐに帰ってくるぞ」
「スクネ、もっといい子になる」
「夜更かしする子はいい子じゃないから、そろそろ寝ようか」
「うん。じゃあ、だっこして」
「ちょっとだけだぞ。一晩中は勘弁だからな」
「マーマ、おこっちゃうもんね」
「困ったやつだよ、お前ってやつは」
「……メイにいはおとうさんだから、だっこするんだよ」
「……ああ、そうだったな」
それから一ヶ月が経過してある程度の成長を自覚した俺は、そろそろ頃合だろうとレインのところに行った。彼女は俺のアイテル放出を見て少しだけなら手合わせをしてもいいと言ってきた。
地下都市を出て草原に行くとレインはいつでもどうぞと言ってきたので、俺は全力のアイテルを彼女にぶつけた。結果は惨敗だった。
レインは今回の手合わせに実力の一割も出していないと語った。寝ずに鍛錬したものが全く活かせなかったことに落胆した俺は、もう一度出直すと吐き捨ててその場を去ろうとした。
「あなたにしては上出来だと思うわ。それに、私から見ても結構素質あるわよ。そうね。耐えられるかどうかの保障はしないけれど、鍛えてあげようかしら」
その日から地獄のような日々がはじまった。
まず彼女は、俺にアイテルの理解をより深めてもらおうと精神修行を課した。その内容は、自分がこの星の一部であることを一日中片時も忘れずに思い続けるというものだった。これがまた、簡単そうでいて実に難儀だった。人間の思考というものは無意識のうちにいろいろなことをよく考えるのだった。
レインが求めているところまで到達できない俺は、不本意ではあったが天才ロルのご指導を賜ることにした。
マーマロッテがいなくなったことで天才にさらなる拍車がかかっていたロルは、俺の悩みに対して目を閉じて生活するといいと言ってきた。そうすることで意識を星だけに集中できるため上達が早まるのだそうだ。
俺はこれ以上彼に関わると天才が伝染すると思い、感謝の意を表して早々にその場を去った。
最初はほとんど疑っていたのだが、いざ実践してみると絶大な効果があることを全身で感じた。この星の一部というよりも、この星と同化していると考えたほうが自分にはやりやすかった。
要領を得てからは真っ暗な視界での生活が無性に楽しくなった。見えないものが見えているような、おかしな感覚だった。
このことを目を瞑ったままレインに報告すると、そんなに俺の顔がおかしかったのか上擦った声でご苦労様と発した。
「それがアイテルの流れというものだから、憶えておきなさいね」
次にレインは戦闘術を教えるというので、数日ぶりに目を開けて草原に行った。
すると彼女は突然、こちら側のアイテル使用を禁じると言い出した。相手のアイテル攻撃を素早く感じ取ってそれを受け流せというのだ。
困難な要求である以前になぜそんなことをさせるのか理解に苦しんだ。当然のように俺は大怪我をした。
みんなが寝静まった後も一人で訓練を続けた。自分で作り出したアイテル攻撃を自分に仕掛けてそれを避けるという方法を編み出してからは、ひたすら自分を痛め続ける日々を送った。
切り傷などは毎度のことで、酷い時には全身の骨をばらばらに折ることもあった。その時ばかりは死ぬかと思った。
凄まじい激痛を味わった。頭が破裂するほどの痛みだった。
……だが俺は、その苦痛を何度も何度も経験して頭に叩き込んだ。
誰のために強くなるのかを思えば、痛みなんてものはただの現象にすぎなかった。その先にある希望に近づけば近づくほど、苦しみはこのちっぽけな精神から取り払われていって、最終的に自我を星へ預けることさえした。
これまでの自分がどれほど弱い存在だったのか。そして今の俺がどれほど情けない存在なのか。極限まで追い込んで自分を高めていったとしても、新たな弱さがどこからともなく現れてきて、落胆を繰り返す日々ばかりが過ぎていく……。
それでも絶望だけはしたくなかった。彼女は今も必死で生きているのだから、俺がこんなところで挫折なんかしていたらこの先もきっと守ってやれないと思った。
……限界の遥か先を、超えてみせる。
たとえこの身体が燃え尽きたとしても、歩みを止めることはできない。
この人生の全ては、マーマロッテのために捧げるものなのだから。
……。
それからも諦めずに鍛錬を続けた。そして、この身体に宿る異常な回復力から生み出された特訓は、俺のアイテル能力と精神を飛躍的に進化させていった。
しかしなにかが抜け落ちているようでもあった。絶対的なアイテル能力はレインを凌駕するまでに成長した。それなのに、彼女の攻撃をかわすことは夢のまた夢という有様だった。
なにが違うのだろうか。本人に直接聞いてみても、自分で感じ取れと言うだけで教えてはくれなかった。
技術の差なのか、それともまだ知らないアイテル能力があるのだろうか。
いくら考えてみても糸口になるようなものさえ出てこない。
ここにきて俺は、最大の難所でに出くわしたのだった。
訓練を開始してから二ヵ月半が過ぎたある夜のことだった。またスクネが寂しいと言いだして俺の家に転がり込んできたのだ。
仕方なしに一緒に横になってやると、彼女は唐突に将来のことを話しはじめた。
「スクネね、これからもっとおおきくなったら、まえのおとうさんとおかあさんがいなくなったところにね、いろんないろのはなをそだててね、たのしいところにしたいんだ」
「立派な目標だな。スクネはそこで暮らすのか?」
「うん。ここのみんなもいっぱいきてくれるって」
「そうなのか。だったら楽しくなるだろうな」
「メイにいも、きてくれる?」
「もちろんだ。マーマも絶対来てくれるぞ」
「うれしい。スクネ、がんばるからね」
「もうお前は、一人じゃないからな」
「うん」
「ここにいる人達が、大好きか?」
「うん。みんなだいすき。あたらしいおとうさんは、いちばんすき」
「俺もだよ。スクネ」
「ちがうよ。メイにいのいちばんはマーマでしょ?」
「ああ、そうだったな。じゃあ、お前は二番目かな」
少しだけ嫉妬した彼女の顔がなんとも愛くるしくて、その奥に潜んでいるだろう孤独感に胸が締めつけられる思いがした。
この子も一人にしてはいけない。マーマロッテを守ってもこの子が不幸になってしまったら、俺達の目指した未来が見せかけだけの虚しい世界になってしまう。
……お前のことも、この命で守ってみせる。
……だから、いつまでも笑顔でいてくれよな。
「……あのね、スクネね」
「どうした」
「メイにいのこと、おとうさんって、よんで、いい?」
「なんだか、恥ずかしいな」
「だめ?」
「いや、いいよ。だって、実際そうなんだから」
「うん。じゃあ、……おとうさん」
「……スクネ」
目に涙を浮かべた少女を優しく抱きしめてやった。
溜め込んでいたものが一気に放出したのか、嗚咽を交えながら俺のことをお父さんと呼び続けた。
「なあ、スクネ」
「なに」
「俺はお前に、なにをしてあげられるだろうか?」
「……ずっと、いっしょに、いてほしい」
「それだけで、いいのか?」
「……スクネがおよめさんになるまで、……そばに、いて」
「分かった。約束しよう」
「ぜったい、ぜったいだよ。どこにもいっちゃ、だめだよ!」
「……ああ。ずっと、側にいてやるよ」
その夜、俺はスクネを抱いて眠りながら本当の強さとはなにかを知った。それは悪を打ち砕く力などではなく、愛するものを守るという揺るがない意思だった。
マーマロッテを守りたいという気持ちは確かに持っていた。しかしそういった思いと今やっている訓練が大きく乖離していたことまでは気がつかなかった。
訓練をはじめる前までの俺は無意識にそれができていたのだと思った。強くなるための力を欲するあまり、最も大切な思いを置き忘れてしまっていたのだ。
翌日から俺は激しい訓練をやめた。続けていればさらなる能力上昇を期待できただろうが、今の自分に必要な強さは身体ではなく心のほうだったので、迷いも後悔もなかった。
レインとの格闘以外は星との同調に時間を使った。はじめのうちは集中するために自宅にこもっていたのだが、それすらも邪念を誘う要因と感じてからは以前のように農地区域の作業を手伝ったりした。医療室にも頻繁に足を運ぶようになり、つまらない会話で一日を過ごすこともあった。
それから二週間ほど経過したある日のレインとの訓練で、とうとう彼女の動きを完全に見極められるようになった。
俺は相当悔しがる彼女に心を込めて、深く頭を下げた。
「やだあ。泣かせないでよ。ちょっと感動しちゃうじゃないの」
「あんたのおかげでここまで来れた。本当に、感謝している」
「まさかこの私を超えてしまうなんてね。あの子もきっと、びっくりするわよ」
「それなんだが」
「どうしたのよ、神妙な顔しちゃって。もう教えることなんてないわよ」
「俺さ、武器使いたいんだよね。もしかして、忘れてる?」
「あら、すっかり忘れてたわ。そうね、どうしましょうか?」
「シンクが作ったやつの中にそれっぽいものはないのか?」
「あるとすればキャジュが知っているかもしれないわね。後で聞いてみなさいな」
「そっちのほうも、稽古をつけてくれよな。頼むよ」
「はいはい。任せておきなさいって」
すぐにキャジュのいるところへ行って聞いてみた。すると医療室のどこかに転がっているはずだとの答えが返ってきたので早速探しに行くことにした。
めぼしいものは確かにあった。だが実際手に取ってみてもなんだかしっくりこないものばかりだった。キャジュにそのことを話すと、彼女も残念そうな顔をして、近いうちに新しいやつ作ってやるから今は素手で我慢してくれと言われた。
その日は結局、武器を使った訓練を諦めた。
次の日の朝、俺は防衛部隊の集会に来るよう言われたので顔を出した。するとそこでタデマルは、俺を防衛メンバーとして正式に加入させることを発表した。事前の報告もなしに言われたので驚いてしまったのだが、断る理由はなかったので引き受けることにした。
参加者が解散した後、タデマルに呼ばれた。
用件を聞くと、彼がかつて愛用していた武器を俺に譲りたいと言ってきたのだ。
「昨日も彼女とちょっとした喧嘩をしたよ。使わないものを大事に取っておいても意味なんかないだろ、てね」
『一線ホツマ』と名のついた細長い武器は刀とも呼ばれる鋭利なもので、アイテル武器としても当然使えるが、アイテルなしでも相当な威力を備えているものらしい。
今は鞘と呼ばれる保護具に収められている。見た目も重さも申し分ないものだった。
「でも、これはあんたの大事なものなんだろ? いくらキャジュに説得されたからって、そんなもの簡単には受け取れないよ」
数秒間の沈黙があった。
そしてタデマルは視線をやや落として、重そうに口を開いた。
どうやら、前髪は弄らないみたいだった。
「……以前僕は、君のことを農民上がりの下衆と言ったことがあるだろう。それだけではない。君の誇りを傷つけてしまうような発言もたくさんしてしまった。レシュア君に対してもそうだ。君達には、本当に酷いことをしてしまったと反省している」
「これは、その罪滅ぼしというわけか」
「それでもまだ、足りないと思っているくらいだ……」
「……ふっ」
「どうしたのだ。気に入らなかったのか?」
「あんたも随分丸くなってしまったと思ってな。キャジュの偉大さを噛み締めていたんだよ」
「彼女は僕をまるっきり変えてしまったよ。本当に素晴らしい人だ」
「最近はどうなんだ。うまくいっているのか?」
「髪をもっと短くしろと言ってうるさいね。それならそっちも、もっと髪を長くしてくれと頼んだら、なぜか怒られてしまったよ」
「つまり、全てが順調、というわけだな」
「そういうことに、なるだろうね」
俺は彼の気持ちを受け取ることにした。
ありがとうと言い頭を下げてきた彼に手を差し出すと、俺達の手の平は一つの大きな拳になった。
「この戦争を終わらせよう。そして君も、幸せを掴んでくれ」
「あんたの思いはこの刀にしっかりと込められた。任せておけ。必ず、終わらせてみせる」
タデマルから譲り受けた武器を使って早速訓練を再開しようとした。レインは快く引き受けてくれたのだが、その刀の切れ味が鋭すぎることを理由に訓練での使用をやめて欲しいと言われた。いきなりの肩透かしを食らった俺は、代替になりそうな武器、というか頑丈な長い棒を準備して立ち回りを教わることになった。
レインから伝授されたのは基本的な武器の振り方やその際の体重移動などが主だった。無駄に振り回さなければあとは自己流でも構わないらしいので、訓練そのものは二日間で終了した。
それからはまた睡眠を省略して研究に明け暮れる日々を送った。
ある程度の形が完成した後はそれを人間に向けないための訓練をした。一線ホツマはレインの大鎌のようにヴォイドアイテルで具現化させる武器ではないので、誤って仲間を切らないようにじっくりと時間をかけて習得していった。
俺の剣術は実戦で何度か使っているうちに完璧なものとなった。当初思い描いていた目標にようやっと到達したのだ。
ところが、そんな俺の成長を嘲笑うかのように機械兵は突如として地上に現れなくなった。
タデマルはこの奇妙な変化を各都市に伝えると、他の都市でも同様の現象が起こっているとの報告が入り、その事実を知った住民の誰もが、戦争は終わったと歓喜の声を上げた。
俺は、本当の戦争がはじまったのだと思った。
不意にマーマロッテのことが気にかかった。ジュカを守ると言って出て行った彼女が、目的を失って余計なことを考えてはいないだろうかと思ったのだ。
実力だけで見れば彼女を迎えに行くには十分なものを備えている。だが、まだなにかが不足しているように感じた俺は、この時点でのジュカ行きを控えた。
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