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彼岸に散る夢 / the everlastingness その3



 シンクライダーは沈鬱な表情で箱の小窓を見つめていた。

 私はその様子を静かに見ていることしかできなかった。

 小さな溜息が一つ吐かれると、彼の口は再び動き出した。


「……『カリスの血』と古代人が名づけたその液体は、体内に摂り入れることで人間の血液の構成をより星の意思に近づける効果がありました。人体を流れる血液そのものが違う液体に変化すると思えば想像しやすいでしょう。実際にシナスティシアは自身のアイテル能力が無限に増大したと語り、僕の目の前でそれを証明してみせました。なんと彼女は空高く舞い上がり遥か彼方の宇宙空間まで行ってのけたのです。……それは一見すると、人間の能力限界を超えた神と類似する存在に感じました。でも、本当は全く違うものでした。彼女はカリスの血を飲み込んだ六日後に意識を失ってしまったのです。これはのちの研究で分かったことなのですが、その液体を飲んだことで起こる現象はアイテル能力の飛躍的な上昇だけではありませんでした。対象者の人体の細胞組織を著しく損傷させていたのです。この事実を知った時は愕然としました。なぜなら、彼女が飲み込んだのは進化の薬などではなく、単なる毒薬だったのですから。この事実を知っていたらきっと彼女はこのようにはなっていなかったでしょう。悔やんでも悔やみきれません……」


 飛躍的なアイテル能力の上昇が身体を蝕む。

 シナスティシアが味わった苦しみと、かつてアンチアイテル能力で苦しんだ自分が重なってあの頃の痛みが蘇ってきた。

 今は穏やかな表情を浮かべているこの女性も、当時は相当辛かったに違いない。


「……すみません。話を戻します。……それで、異常に気づいた僕はすぐに先代女王のもとへ行き、こうなってしまった経緯を説明しました。シナスティシアを助けたいという願いを聞き入れてくれた女王は、この長期睡眠用の装置を貸してくれたのです。……それからの僕は彼女を救うために医師としての生活を続けながらカリスの血の研究をはじめました。古代の遺物について勉強したり実際に探しに行ったり、機械弄りもたくさんしました。……そして彼女が眠りはじめて五年の月日が過ぎた頃、ようやく足掛かりを見つけることができました。あなたが現在慕っている男性、メシアス君です。彼の血ならシナスティシアの身体をもとに戻せるかもしれない。そう思った瞬間、彼女との未来に一筋の光が差したと思いました。メシアス君なら必ず救える。そう信じてやまなかったのです……」


 以前メイルが私に話してくれた言葉を思い出した。あれはレイン達がゾルトランス城と裏で通じていた事実について教えてくれた時のことだったと記憶している。



 ……お前は操られていると感じたことはないか?

 ……違和感を覚えたことはないか?



 メイルはたぶん、あの時点からなにかが怪しいと感じていたのだろう。

 心細かった彼の気持ちを察してやれなかった自分が本当に情けないと思った。


「……早速僕はメシアス君と接触を図るべく準備に取りかかります。最も手っ取り早い方法は直接会って事情を説明することでしたが、警戒されることだけはどうしても避けたかったので、とりあえず彼の身辺を細かく調べてみました。そして興味深い事実が分かりました。どうやらゾルトランス王軍に大変な憎悪を抱いていたみたいなのです。そこで僕は、反政府組織を立ち上げて彼を迎え入れようと思い立ちました。あなた達が揃ってリムスロットに来ることまでは計画に入っていませんでしたが、結果的に彼の血を採取することに成功しました……」


 メイルは誰かが負傷したときのために自分の血を予め医療室に保管していると言っていた。

 おそらくそうするように求めたのはシンクライダーなのだろう。



 大切な人の命を救うために、どうしても必要なものだったから……



「……僕の心は浮き立ちました。ようやく彼女を目覚めさせることができる。共に人生の続きを歩める。これからは苦しみだけでなく、幸せも分かち合っていける。そう思いました。……ところが、結果はご覧のとおりです。彼女は目覚めませんでした。メシアス君の血をもってしても治すことはできなかったのです。では一体、なにが不足していたのだろうか。僕は諦めずに研究を続けました。……そして、とうとうあるものを見つけ出してしまったのです」


 シンクライダーは懐に忍ばせていた小さな棒状のなにかを取り出して、その先端から流れる赤いなにかを口の中に入れた。


「……それは、なんですか?」

「これは彼の血を用いて作った『不死の薬』ですよ。まあ、実験ってやつですね」


 耳を疑った。ただでさえ難解な話であるうえに、本当かどうかも分からないものを不死の薬と言ってのけるシンクライダーを簡単に信じられなかった。


「ちょっと、頭が混乱しています……」

「その気持ち、痛いほど分かりますよ。僕だってかつてはそうだったんですから」

「……でも、この箱を長期睡眠用のものと言うからには、たぶん本当の話なんでしょうね」

「まあ、信じてもらいたくて話したわけではありませんから」

「……彼女のこと、諦めないのですね」

「アネイジアには、そろそろ楽にしてやれと言われています」


 シンクライダーはシナスティシアの幸せとはなにかをここに来てからずっと考えていたのかもしれない。

 眠らせたまま生かすべきか、叶わない救いを断念して新しい希望を見つける旅に出てもらうか。答えの見つからない日々を彷徨いながら、きっと自分を追い込んでいたのだと思う。

 彼が海を眺めていたのは、水平線をこの世の果てに見立てていたからだろう。


「どう、するのですか……」

「実はもう彼女にも、さっきの薬を飲ませているんです。三ヶ月前に」

「え? それって」

「どうやら今回も、失敗に終わりそうです」

「……じゃあ、どうして? あなたも」

「飲んだのかって? なんででしょうね。僕にもよく分かりませんよ」

「……シンクさん」

「はい」

「……私は、あなたにも、近くにいて欲しいんです」

「おっと。これは衝撃の告白ですね」

「冗談なんかじゃありません。人って、いろんな気持ちで繋がっていると思うんです。確かに私はメイルのことを一番に考えています。でもシンクさんだって私の大事な支えなんです。だから、いなくなってしまうのは困るんです!」

「あなたはそうでも、僕はそうではないんです。気づいてしまったんですよ。本当に大切なものは、一つだけしかないのだってことに」



 ……違う。

 ……それは、絶対に違う!



「……私が、彼女のかわりじゃ、駄目ですか……」


 本心だった。それほどに、失うことが怖くて仕方がなかった。

 だから私は、シンクライダーの顔を全身で見つめ続けた。

 ……。

 すると彼の切ない目つきは、次第に鋭いものへと変化していった。


「……そういう危険なことを簡単に言うものではないよ。これは、僕の人生だ! 他人の人生がどうなろうとも、自分が救われなければ生きている価値なんてない。今は理解できないかもしれないけど、あなたにもいつかそのことに気づく日がきっと来る。僕はそう思っている!」

「……こんな終わり方、認めたくありません!」

「……レシュアさん!」

「……はい」

「話はこれで終わりだから、帰ってもらえるかな」

「シンクさん……」

「頼むから出て行ってくれ! 僕はもう、一人になりたいんだよ……」




 泣きながら家路を歩いた。

 シンクライダーからもらったたくさんの思い出を振り返ると、それらの一つ一つがひび割れていき、涙となって崩れ落ちていった。

 本当に大切な人だった。いつも朗らかでみんなのことをよく思ってくれて、悲しんでいる人には必ず声をかけたり、時にはおどけて見せたり、誰かに指摘された自分の欠点を恥ずかしがって周囲を笑顔にさせたり、本当は強くないのに戦場の仲間についていこうと必死になったり、とにかく素敵な笑顔を絶やさないそんな彼を、失ってしまうのは本当に辛かった。



 私は自分の人生だから生きたいのではなく、他人の人生だから生きたかった。生きている価値があるのは共に歩んでくれる人がいるからであって、一人で歩いて得られるようなものではない。たとえ相手がかけがえのない存在であろうとなかろうと支え合う人に変わりはないのだから、私は彼を失うわけにはいかなかったのだ。



 でも彼は行ってしまった。

 いつも静かに眺めていた水平線の遥か先を目指して、行ってしまったのだ。



 彼は自分の肉体が死ぬことによってシナスティシアの記憶が消えることを恐れていたのではないだろうか。だから不死の薬を飲んだ。

 あれはたぶん本物だと思う。彼は永遠に生き、永遠に『死に続ける』ことで彼女の記憶という存在を生かし続けようとしたのだ。

 それに気づいた瞬間、私が知っているシンクライダーは、この世界からいなくなったのだと思った。




 次の朝を迎えた時、地下都市ジュカから彼の姿は本当に消えてなくなっていた。

 あちこちを駆け回って探したけれど、結局見つかることはなかった。

 しかし彼の自宅には置き手紙があった。それは私宛に書かれたものだった。




『カウザとの戦争が悪化することがあればあなたは間違いなくカリスの血を求めるだろう。最後の希望が潰えないように遺跡の場所だけは最後に書き記しておこうと思う。しかし可能な限り行かないことを望む。


 しつこいようだが彼の血でもあれは防げない。遺跡の入り方についてはあえて記さないでおく。ただしあなたにはもう渡してあるとだけ伝えておこう。


 卑怯な男だと思うなら勝手に思ってくれて構わない。こんなことは人のすることではないことを重々承知している。それでも生きたいと願うのはこちらにも守るべきものがあるからだということを理解して欲しい』




 私と都市代表が到着した時にはアネイジアの悲鳴が狭い地下室から響き渡っていた。彼の自宅の地下室に置かれた箱の中は、既に事切れていたのだ。

 昨日と変わらない姿で保管されていた彼女の身体は、愛する人の失踪を知る由もなく安らかな寝顔を見せていた。そしてアネイジアの意向によりシナスティシアは永い睡眠を経て、とうとう箱から取り出されたのだった。



 アネイジア達にあとを任せて都市を抜け出した私は、誰もいない浜辺で背中を丸めて静かに揺れる海原を見ていた。

 果てしなく続いている彼方のどこかで消えてしまったあの人も同じ海を眺めていることを祈り、その旅立ちを見送った。

 どれだけ心が死んでいようとも、生き続けていればいつか必ず光が差し込む。

 シンクライダーにもそういう人生が来ればいいと思った。



 私はこの海の果てに広がる世界になにを見るのだろうか。

 人を愛することの喜びだろうか。

 それとも、死が大切な人を奪っていく悲しみだろうか。



 私の心を流れる時間がシンクライダーの人生を通して少しずつ変化していた。それは、メイルとどれほど深く愛し合っても終わりが必ずやってくるという逃げ場のない暗示だった。



 彼との本当の別れを覚悟しながら生きていくことが、自分にできるのか。

 限られた時の中で心から楽しもうと割り切れる神経を、自分は持っているのか。



 そんなことを考えていると、愛と不安で満ちているこの世界を容易に受け入れることが怖くて、どうして自分は人という存在なのだろうと何度も考えた。



 目の前に映る青い水面は焦燥に駆られる私を嘲笑うかのように、ゆっくり流れる時間に合わせて小さな波を作っていた。

 この都市でするべきことの大半を見失った私は、過去を支えてくれた人との未来の再会を信じて、今日という日をこの浜辺で過ごした。




 地下都市ジュカに一人取り残されてから四ヶ月が経とうとした頃、沈黙を続けていたカウザがついに動き出した。やはり戦争は終わっていなかったのだ。



 アネイジアから連絡をもらった私は久しぶりに着るダクトスーツに違和感を覚えながら戦場に向かった。するとそこで目にしたのはたった一つの黒い人影だった。

 小柄な男の形をしたそれは、私達が着用する防護服とよく似たものをその身に纏い、両手を広げて宙に浮いていた。



 全身を黒で染めた色白の男は、私の存在を認めるとゆっくり降下してきた。アイテルを全く感じなかったことから、それは人間ではないと判断できた。



 男は地上に降り立つと、落ち着いた足取りでこちらに近づいてきた。

 その身のこなしは人間そのもののようであった。

 気持ちを落ち着かせるために両手を相手のほうへと向ける。

 今の動作に反応したのか、黒い人の形は立ち止まった。



 話しかけてきた。滑らかな地球の言葉だった。

 男は私に、ここの近辺に隠されているだろう地球人の居住地のことを聞いてきた。私はなにも知らないとだけ答えた。そして私は男の形をした相手の正体について問いかけた。すると男は、自分は『カウザの支配者』だと言った。さらにここを訪れた理由を聞くと今度は、私に会いに来たと答えた。


「……会うだけで、帰るつもりじゃ、ないよね?」

「無論。スウンエアという都市同様、ここもそなたを倒し、破滅させる」

「……一つ聞いても、いいかな?」

「好きにするがよい」

「……あなたって、人間じゃないよね? 死んでも、痛くならない?」

「人間であるかについての定義を知らないので明言はできかねる。が、地球人ではない。死ぬという概念を持ち合わせていない故、答えようがないが、痛覚はもとより備わっていない」

「……そうなんだ。じゃあ、本気出しちゃうから、恨みっこなしだよ」

「全力で、来るがよい」


 一瞬で終わらせようと思った。形だけの存在なら無駄な感情を持ってしまう前に葬ってしまったほうがいい。これが本当にカウザの支配者なら、ここで全てが終わる。そう思ったのだ……。



 まさか、指一本触れられないほどの実力の差があるとは想像もできなかった。

 男が語ったスウンエアの破滅も真実に思えてくるほどの力の差を感じる。

 アイテルも00もまるで通用しない。

 それどころか、私の攻撃の隙を突いて重たい拳を何度も打ち込んできた。

 かろうじて防御はできているものの、戦闘が長引けば敗北は時間の問題だった。


「これが最強か。どうやら準備をしすぎたようだな。残念な結果だ」


 殺されると思った。今日まで積み重ねていったものがこの瞬間で終わると思うと無性に悔しくなった。

 どうせ死ぬならここではない場所で死にたい。戦士として命を落とす心積もりはできていたが、誰の胸の中でも死ねないことがこんなに辛いことだとは思わなかった。



 人の運命は、案外あっけなく閉じてしまうものだと思った。

 そして、儚い夢と消えるこの人生の最後に映る景色は、なんとも物足りない気がした。


「……ありがとう。みんな」

「次で終わりにしてしまおう」


 来た。

 手立てを失った身体はもう、動くことをやめていた。

 私は、突進してくる異形の存在を最後の記憶にさせないように、きつく目を閉じて待った。



 物語が、終わる。

 さようなら。

 愛しい人。



 ……この胸の全てを、星の未来のために。























「!!」


 物凄い風圧が髪を揺さぶった。

 固いもの同士が衝突したような鈍い音がして、恐る恐る、目を開く。



 黒い男の攻撃が、同じく黒いダクトスーツを着た人物によって遮られていた。

 その全身からは、強力な白いアイテルの光が放出されていた。


「……遅くなって、すまなかったな」


 銀色に輝く細長い武器を持ったその人物がこちらに振り向くと、冷たくも燃えたぎるような眼差しと、出会った頃から変わらない八重歯を見せていた。

 様変わりした彼の勇ましい姿に見惚れた私は、固い信念で守り続けた脆い心を一瞬にしてとろけさせてしまった。



 ……彼と一緒に死ねるなら、他の贅沢はもういらない。



「防御に徹する時は全開のアイテルだったろ。もう忘れたのか?」

「あ、うん。ごめん」

「とりあえずお前にはこれ、無理だから、そこで防御してろよな」

「あ、あの」

「なんだ」

「……大丈夫、なの?」

「心配するな。速攻で始末してくる」


 メイルは黒い男になんらかの衝撃を与えて私との距離を作った。

 私は遠くから見える戦闘を眺めながら、彼の過ごした四ヶ月がどれほど過酷であったかを想像した。

 きっと苦しみの連続だっただろう。危険を顧みずに対峙する彼の姿は、まさに生きることを諦めない人間の究極だった。

 そしてそんな彼は、今の私が出来上がるまでに味わった痛みの全てを抱え込んで、共に戦ってくれていた。



 波打つことをやめようとした私の未来に、彼という希望の大波が押し寄せた。

 こんなに温かい波を浴びるとは、夢にも思わなかった。

 私が信じた人。私を信じてくれた人。その人が今、目に映る場所にいる。



 ……心に広がる人生の水平線は、まだ私に光を放ち続けているようだった。




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