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はじまりの丘の上で / against the fold of better その2



 帰宅した俺達は寝台に並んで座った。

 点灯したばかりの照明が部屋を眩しく光らせる。見るもの全てがぼんやりとした輪郭を作り、隣にいるはずの存在まで不鮮明にしていた。



 マーマロッテはこちらが向ける視線に目を合わせようとはしなかった。無理に覗き込もうとするとあえて逸らすような態度をとって、身体ではなく言葉を求めているのだと表情で訴えてきた。

 なにかを言わなければならないことは分かっていた。でも、下手な言葉で彼女の大切な信念を傷つけたくはなかった。

 俺は結局、彼女の言葉を辛抱強く待つことしかできなかった。


「……ねえ」

「……ん?」

「……私、ジュカに行こうと思う」

「ここを出るのか?」

「……うん」

「さっきから悩んでいたのは、そのことなんだな?」

「……それでね、メイル」


 次の言葉は想像していた。俺は彼女の口からその言葉が出てくることを恐れていたのだった。

 そうであって欲しくないという気持ちが彼女以上に強かったからこそ、保守的な態度をとってしまった自分が卑怯に思えてならなかった。


「……私と一緒に、来て欲しいの」


 ずっと合わせていなかった目がこちらに向けられる。選択の余地がないことを知っていて、それでも合意を得ようと必死な眼差しで俺の目を見ていた。

 彼女が落ち込んでいたのはこちらの自由を奪ってでも手に入れたい正義を見つけてしまったからだと、この瞬間にはっきりと分かった。

 結果が見えてしまっている俺には、辛すぎる返答だった。


「……ごめん。俺は、ジュカには行けない」

「え?」


 予想していなかったと思う。彼女の顔は驚きと裏切りが入り交じったような表情を浮かべていた。積み重ねてきた思いの強さが反発して、信じていた者に対する悲しみと寂しさを全身から滲ませていた。

 俺もまた、そうだった。


「前にアイテルが使えるようになった話をしただろ? あれからいろいろ考えて、本格的に鍛えることにしたんだ。爺さんとレインが協力してくれることになっている」

「……ごめん。なんでだろう、うまく理解できない」

「俺さ、ずっと憧れていたんだ。いつか自分もお前らのように強くなりたいって」

「……どうして、ここなの? あっちでは、無理なの?」

「できないことはないと思う。ただ、それでは不完全なんだ」


 実戦に耐えうる能力を欲していること、それとレインが持つ大鎌のような武器の扱いを覚えたいことを丁寧に説明した。

 そう望むようになった経緯については省略した。きっと彼女には理解できないことだと思ったからだ。


「……メイルは、私がジュカに行くことを諦めると思ってるのかな……」

「いや、絶対に諦めないと、思うよ」

「……私よりも、自分のことを選ぶんだ」

「馬鹿なこと言うな。そんなわけないだろ」

「だったら! なんで一緒に行ってくれないの! 離れちゃうんだよ! それで平気なの? 私は無理だよ! 耐えられないよ!」

「……将来の、ためなんだ」

「……なによそれ、分かんないよ。意味が分かんないよ。どうして将来なの? どうして今じゃないの? メイルには今の私を見て欲しいよ! ねえ、どうして? 未来のことなんてどうだっていいじゃない! あなたと今日を生きていられれば、私はなにもいらないんだよ!」

「そんなに俺といたいんだったら、他のもの全部捨てちまえよ! 俺だけを見て俺だけのために生きたいんだったらできるだろ! 辛いのはお前だけじゃないんだ! 俺だって死ぬほど苦しいんだよ! お前がいない生活なんて考えられないんだ! ……だから、俺の側にいてくれ。でなきゃ、幸せが、逃げてしまうよ……」


 本音を言った。そんなことができるわけないことを知っていて、怒鳴ってしまった。

 彼女は大声で泣き出した。分かっていた。だから苦しかった。


「どっちも、捨てられないよぉ……」

「俺だって、そうだ」

「私達、どうなっちゃうのぉ……」

「どうもならない。それともお前は、どうかなるとでも思っているのか?」

「そんなの、分かんないよぉ……」

「俺と離れることで気持ちも離れるということか?」

「違う」

「じゃあ、なんだ」

「怖いんだよ。そのまま一人になってしまったらどうしようって思うと、不安で仕方がないんだよ……」


 マーマロッテはやるせない気持ちをその拳に込めて俺の胸に何度もぶつけてきた。弱々しく叩き込まれる彼女の悲痛が胸に届いたのか、俺の目からも涙が零れていた。


「……!!」


 力任せに身体を引き寄せた。

 感情とか理屈とかを全部投げ捨てて、彼女を抱きしめた。

 こうすることでもっと苦しめてしまうかもしれないが、それでもいいと思った。



 ……どんなに嫌がられようが関係ない。

 ……俺は必ず、明日を取り戻してみせる。



「……なあ、マーマロッテ」

「……うん」

「戦争が終わったら、地上で暮らさないか?」

「……え」

「小さな農場を作ってさ、そこでいろんなものを育てるんだ」

「……」

「子供は最低でも二人は欲しいな。俺達の子供だからさ、きっと寂しがりやだと思うんだ」

「……」

「自然を心から愛せる、強くて優しい子にしよう」

「……」

「それでさ、俺達が愛した子供達が幸せに生きていける世界を、これから二人で作っていこう」

「……」

「だからさ、今を心配することなんてきっとないはずだよ。俺が信じ続ける限り、お前も信じていてくれるだろ?」

「……」

「俺達はさ、前を向いて歩き出したんだ。離れるんじゃない。同じ道を並んで行くんだよ」

「……」

「必ず、迎えに行く。ちょっとだけ寂しくなるけど、少しの間だけ、我慢してみないか?」


 胸の中で彼女の頭が小さく動いた。優しく撫でてやるとまた声を出して泣いた。

 ありがとうメイル、と言い続ける大切な人の体温を感じながら、俺は本当の強さを身につけた人間になって再会することを心に誓った。

 今は悲しい別れになるかもしれないが、いつの日かそれを忘れさせるほどの笑顔を、彼女と未来の子供達に贈ろうと思った。



 ……あの頃交わした約束を、最後まで貫き通すために。



「私のこと、忘れないでね」

「お前のほうこそ、忘れるんじゃないぞ」

「キャジュと浮気したら、承知しないからね」

「タデマルと一緒にするな」

「へへへ」

「それに彼女はもう、やつのものだしな。ありえないよ」

「私のほうは? やっぱり心配?」

「お前を信じてる。というか確信している。俺以外の男にはなびかないよ」

「すごい自信だ」

「まあな。でも俺をこんな男にしたのは、お前なんだからな。責任取れよ」

「うんうん。取る取る」

「それと、言っておきたいことがあるんだが」

「なあに?」

「俺、一人でも眠れるようになったんだ」

「うそ!? ほんと?」

「ああ。なんとなくだがコツを掴んだ。だから、気にしなくていいからな」

「なんかメイルって、どんどん進化してるね。格好いいよ」

「今が育ち盛りらしい。身長も伸びたりするかもな」

「じゃあ、次に会った時が楽しみだね」

「逆に縮んでたら勘弁な」

「スクネちゃんくらいになってたら、抱っこしてあげるね」

「その時は思いっきり甘えてやるからな。覚悟しろよ」

「望むところだあ! なんてね。へへへ」


 俺達はその日のうちにシンクライダーの家を訪ねてマーマロッテ一人のジュカ行きを伝えた。かなり驚かれてしまったが、前向きな決断であることを理解してもらってからは本調子の笑窪を見せてくれた。

 続いてレインの家にも行った。彼女は終始元気がないといった様子で、別れる際にも素っ気ない挨拶を返すだけだった。マーマロッテはこの都市の戦力が不足してしまうことに責任を感じていたみたいだったが、俺はレインがそんなことで腹を立てていたとは思えなかった。



 なぜレインはマーマロッテに話さないのだろうか。そのことがずっと頭に引っかかっていた。双方が分かり合えば今日のような衝突も起こらなかったかもしれないと思うと、レインが単なる頑固者に見えて少々頭に血が上った。

 俺の口から言ってしまおうかと考えたが、それはそれでマーマロッテに失礼になるだろうと思い踏み留まった。



 俺達は残りわずかな時間を無駄にしないよう慎重に扱った。言い換えればそれは、思い出作りみたいなものだった。二人で地下都市の各所を回り、彼女がしたいことをできる限りやらせた。

 途中で悲しくなって泣き出すかと予想していたが、意外にも笑顔のままだった。そんな気丈な彼女を見ていると、自分のほうが泣きそうになった。



 出発前夜はお互いなかなか寝付けなかった。一度はそう決めた意思が大きく揺らいでしまうのではないかと疑うほどに心が乱れていたからだった。

 どうせなら彼女の顔をこの目にしっかりと焼きつけておこうと思った。だが寝台に横たわる美しい表情をじっと見つめてもなかなか頭に入ってこない。強く見ようとすればするほどその顔が知らないものに認識されて、とうとう俺は耐えられなくなってしまった。

 彼女は優しい指先で何度も拭ってくれたが、どんなに歯を食いしばっても流れるものを止めることはできなかった。



 こんな美しいものがすぐ近くにあったなんて今まで気づかなかった自分が本当に愚かだった。もっと早く知っておけばと思うと、後悔の念が怒涛のごとく押し寄せてきて、俺を悲しみのどん底に突き落とした。

 きっとかけがえのないものを幾度となく泣かせた罰が下ったのだと思う。もはや償う時間さえ消失して嘆くことしかできない非力な自分が本当に情けなかった。



 もう二度と会えないかもしれないと不安が頭をよぎるのは、間違いなく俺自身の怠慢のせいだった。

 この人にふさわしい男になるための努力をする時間は十分にあった。それなのになにもしてこなかったのは、マーマロッテ達の好意に依存しすぎたからだ。



 ……彼女だってアイテルを使えなかったのにずっと守ってくれたんだ。

 ……だから今度は、俺が彼女の未来を守ってやらないといけない。

 ……戦場に立つのは、男の役目なのだから。

 ……。




 夜は俺達を眠りにいざなうと容赦なく朝に変えた。出発は早朝とのことで俺も早く起き、彼女の身支度を手伝う。衣服は特に荷物がかさばるので着ているものを除いて二着選ぶことになった。

 そのうちの一着は初めて作ったやつだった。かなり着古した状態だったが彼女は未だに好んでよく着ていた。俺にとっても思い入れのある服だったので、それを選んでくれた時はとても嬉しかった。



 シンクライダーに呼ばれて医療室に行くと、仲間が全員顔を揃えていた。マーマロッテは一人一人に礼を言い女性達とは抱擁を交わしていた。

 レインとなにかを話しているみたいだったが俺には聞こえなかった。マーマロッテは顔を赤くして広げた手を忙しなく横に振っていた。

 医療室の面々と別れを告げたマーマロッテとシンクライダーはその足で外に出た。俺は途中まで見送るために彼らについていった。


「君の以前の自宅というと、確か二百キロはあったと思いますが、大丈夫ですか?」

「空は飛べるようになったから大した距離ではないよ。それに、今取りに行かないと意味がないから」


 彼らには地上で暮らしていた頃の家に取りに行きたいものがあると言って同行した。二人は揃って首を傾げたが、俺はどうしてもそこに行きたかったので変な顔をされても全く苦にはならなかった。

 この不自然な見送りは、ジュカへの経路に影響がないことをきっかけに実行を決意したのだった。


「すまないが、そこの丘で待っていてくれないか。すぐに戻ってくる」


 目的の場所に着くと目の前には懐かしい風景が広がっていた。多少緑の量が増えていたが、そこは間違いなく俺の家だった。

 破壊された家屋の床の蓋を開けて中に入る。そこはさらに懐かしいもので溢れていた。しばらく見て回りたかったけれど今はそんなことをするために来たのではない。俺は記憶を頼りに『あれ』を探した。

 ……。

 あった。長いこと使用していなかったので埃を被っていたが、本質的な部分は時間の経過を感じさせない輝きを維持していた。



 彼らが待っている丘に駆け足で戻ると、説明もなしに待たされたのが気に入らなかったのか、マーマロッテは少しすねていた。

 シンクライダーはというと、彼女の少し後ろに立ち、やろうとしていることはおおよそ見当がついていると言いたげな笑窪を作っていた。


「マーマロッテ」

「なに」

「これ、憶えているか?」

「……ん? なんだろう。……あれ? これって」


 それは、小さな青い石がついた首飾りだった。


「お前が欲しかったやつだよ。忘れたか?」

「……ううん。はっきり憶えているよ。私がちょうだいって言ったらあなたはなんでだよ、て怒っちゃってさ、これは俺の宝物だぞって言うからますます欲しくなっちゃったんだよね」

「……これ、持っていけよ」

「え? だってそれ、メイルの大事なお守りでしょ?」

「俺にはもう、必要のないものだ」


 彼女の胸元に差し出した。

 しばらくして、小さな両手が遠慮がちにそれを受け取った。


「……ありがとう。大切にするね」

「なくした時は正直に言うんだぞ。また作ってやるから」

「うん。でもこれって、メイルのおうち、ずっと守ってくれていたんだよね。なんだかちょっと、悪い気がするかも」

「俺にとって必要なところに置いておきたいだけだ。深く考えるな」

「……メイル」


 潤んだ瞳がこちらを見ていた。なにをして欲しいのかが手に取るように分かる表情だった。

 俺はシンクライダーを見た。彼はこちらの心理を見抜いているかのような呆れ顔をして俺達に話しかけてきた。


「お二人さん。これでお別れなんですよ。僕がいるからどうしたというんですか。遠慮なんかしてはいけません。思うがままにすればいいのです」


 俺は返事をしないかわりに苦笑いをしてみせた。彼は目を閉じてこくりと頷いた。

 マーマロッテを見ると赤面していた。たぶん俺も同じように見られているのだろう。

 どちらが先に行くのかは、もう決まっていた。


「なんだか、変な感じだな」

「だね。はじめてした時みたいに、どきどきしてる」

「じゃ、行くぞ」

「うん」


 彼女の身体が壊れてしまわないように、そっと抱き寄せた。

 相手の両腕がゆっくりと俺の背中に回る。

 互いが完全に預けられた瞬間、彼女との記憶が脳内に高速で映し出された。



 ……これで最後にはしない。物語は、なにがなんでも続けてみせる。

 ……絶対に。



「……ここの丘って、私達が再会したところだよね」

「ああ。そうだったな」

「懐かしいね」

「本当だな」

「今度はここで、お別れだね」

「またすぐに会えるさ」

「いつ来てくれるの?」

「できるだけ、早く」

「うん。待ってる」

「それじゃあ、約束を交わそうか」

「そうだね。交わしちゃおう。約束」


 俺は彼女の頬を流れるものを指で拭ってから、ゆっくりと唇を重ねた。

 その瞬間、彼女の本心を感じたような気がした。

 受け取れなかった思いが、俺の心に言葉となって伝わってきた。



 ……ずっと、変わらないから。きっと、変えられるから。

 ……だから、早く迎えに来て。




 空を舞う彼らの姿が見えなくなると、俺は一人になった。

 燦々と注がれる日差しを浴びたこの身体は、強い決意で熱せられると同時に、温もりの中心にある悲しみの冷気で打ちひしがれていた。



 本当に、いなくなってしまった。

 このどうしようもない男に、全てを捧げてくれた人。

 マーマロッテ……

 ……。



 ……この世界を結びつけているものが、一気に剥がれ落ちた。

 ……丘の上に立ち、風に揺れてまた、時は静かにはじまりを告げる。

 ……あの頃とは違う、希望という名の情愛を残して。




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