恋人たちのきらきら / floating black tears その1
私達が戻ってくるとそこは血に染まっていた。恐れていたことがとうとう起きてしまったのである。
スクネを最後まで庇い続けたタデマルは大量の血を流しながらぐったりしており、キャジュはそんな彼を抱きしめて声を張り上げていた。
彼女の瞳から流れる涙は、目を閉じたタデマル達へと零れ落ちていた。
「……口だけ偉そうなこと言いやがって! そんなんじゃお前、本当に格好良くなってしまうじゃないかよ! どうしてくれるんだ! 返事しろよ! 私のこの気持ちに、責任をとってくれよ!」
シンクライダーは疲れきった身体など関係ないと言わんばかりに駆け込むと、すぐにタデマルとスクネの止血をはじめた。レインは大の字に倒れ込んだライジュウの様子を見て問題ないと判断したのか、負傷者を医療室に運ぶよう指示した。
「私はこれからメイルを連れて彼らの治療をはじめるわ。あなた達には悪いんだけれど、念のためにもう少しここを見張っていて頂戴。いいわね?」
そう言うとレインは農地区域のほうに飛んで行った。
私とロルは赤く染まった部屋の床に張りついた得体の知れないもののために、ここから離れられなくなってしまった……。
なぜこうなってしまったのか。私は動かないだろう人の形をした塊を監視しながら、その経緯を思い出していた。
事のはじまりは、今朝の出来事がきっかけとなって起こった……。
交信機の呼び出し音で目を覚ました私は、急いで彼の目を覚ましてあげた。
息苦しそうな顔をして目を開けるのをいつもどおりに楽しんでから朝の挨拶をする。今日は特に男らしい顔をしていたので、追加でもう一回してあげた。
「どうした。誰かに呼ばれたか?」
「うん。ちょっと、あの人に」
「タデマルか。だったら丁度いいな。ついでだから、今日はそっちに行けないことを伝えておいてくれないか?」
「なんか、忙しくさせちゃって、ごめんね」
「いいんだ。それよりも用心しろよな。なにかあったらすぐに来い。俺がぶっ飛ばしてやるからよ」
「うんっ」
農地区域の作業が非常に重要な時期に差しかかっているのだそうで、地下都市代表直々のご指名が入ったのだった。
「それじゃあ、昼の一時に、食堂でな」
「おいしいもの作って待ってるからね」
医療室に入ると、シンクライダーとタデマルが楽しそうに会話をしていた。生活着のままで来たのが不満だったのか、タデマルはつまらなそうな目つきでこちらを見ていた。
私は二人の会話の邪魔をしないように控えめな挨拶をしていつもの場所に腰掛ける。するとなぜかシンクライダーは気まずそうな顔をして監視室の中に入ってしまった。
「やあ、よく来てくれた。ま、そのへんに掛けたまえ」
「用件はなんでしょうか」
「そう固くなるな。悪い知らせではない。例の所在不明の男についてだ」
昨夜も共に過ごしたキャジュからライジュウを拘束するように強く言われたみたいで、やむなく対応することにしたのだそうだ。ただし完全に拘束するのではなく、軟禁に留めるということでお互いの要望を譲歩し合ったらしい。
「たった今、レイン・リリーとロル君がライジュウを運びに出て行ったところだよ」
「場所の確保はできたのですか?」
「当然だ。リムスロット代表から許可をもらい、空き倉庫を確保したよ」
「もしかして、キャジュの自宅の近くの、ですか?」
「他に入れておく建物がなかったからね。僕としても苦渋の決断だった」
なにかがあってからでは遅い、と言いかけた。だがタデマルなりにキャジュのことを思って行動した結果でもあったので、そこまでの言及は不要だと考えた。
……意外にいいところもあるんだ。
……ちょっとだけ見直したかも。
私はタデマルの常識的な行動のみに対して心から礼を述べた。
思いがけない言葉をかけられて余程嬉しかったのか、傷んで千切れてしまうのではないかと思うくらいに前髪を弄って、もはや自慢で散らかりまくったその美顔をこちらに見せびらかしてきた。
「ご報告ありがとうございました。それでは、私はこれで」
「おいおい、ちょっと待ちたまえ」
「なんでしょう。急いでいるのですが」
「……昨晩の彼とのこと、聞かせてくれないのかい?」
……やっぱり、こうなるんだよね。
「はい、お話しすることはなにもありません」
「冷たいねえ。そんな顔をしているといつしかレイン・リリーのような顔になってしまうよ」
「人は、見た目ではありませんから」
「君が言うとどうも胡散臭く感じるのだよね。どれどれ、観察してみよう。……ふうん。ほほう。さては君達、昨日もしなかったのだな。はて、メイル君は本当に君のことが好きなのかねえ。僕は不思議でたまらないよ。どうして君のような人をこうも放って置くのか。いやはや、理解に苦しむばかりだ」
「キャジュが聞いていたら、本気で怒られますよ」
ほんのわずかであったが整っただけの顔が歪んだように見えた。
キャジュから聞いた彼女への評価よりも、タデマルの思う実際のそれはもっと高いのではないかと思った。
「……せっかく二人きりなのだから、違う女の話はよそうぜ」
「タデマルさん」
「お、初めて名前で呼んでくれたね」
「積極的なのは結構ですが、私と本当に向き合いたい意思があるのでしたら、もっと私のことを知ろうとしてください。あなたは表面的なものに拘りすぎて肝心なものが全く見えていません。あなたが真剣になって私と向き合わないのであれば、私もあなたに対してそういう態度で接します。もう二度は言いません。……いいですか? 今度変なことを口にしたら、次はあなたの存在を私の中で消します。あの、急ぎますのでこれで失礼します」
背中を向けて出入り口の方向に進んだ。自分のことやメイルのことを思うとこの対応は致し方なかった。
人との関係を捨てることは、誰であろうとも愉快な感じはしなかった。
「……あ、ああ。分かった」
効果があったのだろうか。とにかく言いたいことは言えたので自分としては満足だった。あとはタデマルが最後に発した返事が内なる感情から出てきたものであれば言うことはなかった。
医療室を出たその足でライジュウの倉庫に行った。するとそこには探そうと思っていたレインがいた。扉の開閉に関係するなにかの作業をしているみたいだった。
「あら、レシュアじゃない。こんな朝早くから一人なんて珍しいわね」
「ライジュウのことを聞いて来ました。ここに、いるんですね?」
「ええ、今さっき閉じ込めたところよ。ところで、愛しの彼氏はどうしたの?」
「……あ、言うの忘れちゃった。ま、いいか」
「変な子ね。でも、その顔を見る限りタデマルとの件はなんとかなったみたいね。あれから順調? ちゃんと潤ってる?」
「あ、はい。おかげさまで」
「彼もやる時は結構やるのよね。最近やけに男らしく見えるし。あなたの愛の賜物ってやつかしら?」
「なんか、恥ずかしいです」
「いやー、初々しくて、よろしいですなー。このー、幸せ者めー、ちょっと分けなさいよー」
どうやらライジュウの移動と拘束は無事終わったらしい。
私はメイルとの今後についてやライジュウの件について深く話がしたかったのでレインを食堂に誘った。すると彼女は短時間であれば構わないという条件つきで付き合ってくれた。
メイルとはとてもうまくいっているが、この調子でずっとやっていけるかどうかが不安だった。そのことをレインに話すと、二人の関係を結びつけているものを忘れさえしなければどんなことでも乗り越えていけると助言してくれた。とても重みのある言葉だった。
「それとね、たまには喧嘩も必要よ。変化とも言うわね。似たような生活を繰り返していると相手に対する感情が麻痺してしまうことがあるの。だから常に新鮮な気持ちで接することを忘れないようにしなさい」
一緒に暮らしはじめてから喧嘩らしいことは一度もしていなかった。彼は私のわがままを嫌な顔一つせずに聞いてくれるし、おそらく私も彼に対してそうしていると思う。
今の関係に至るまでが大きな喧嘩みたいなものだったので、その反動が起きた結果なのだと考えれば、喧嘩が起こらないことは今の私達にとって必然的な状況だった。
感情に浮き沈みがあるように私達の関係にもそれがあるのだとすれば、よい傾向として自然に起こるものなのだろうと今は理解するしかなかった。
「ライジュウのこと、キャジュから聞いていますよね?」
「カウザの兵器かもしれないことよね。正直言って確信が持てない部分はあるわ。なにかそれらしい行動でも見せれば気持ちが傾くのだけれど」
「私も同じ意見です。それともう、同じ失敗はしたくないですから」
「はっきり言わせてもらうと、今回の一件にあなたは関わらないほうがいいわ。たとえキャジュに危険が及ぼうともね」
「そう、ですね」
「なーに、いざとなったらゲンマルのお爺ちゃんがなんとかしてくれるわよ」
「え? お爺様のこと、聞いていたんですか?」
「キャジュの監視でしょ。知ってるわよ。さっき本人と会ったわ。なんだかやる気満々といったご様子だったから、きっと戦いたくてうずうずしているはずよ」
レインは面白おかしく語っていたけれど、私には笑える話ではなかった。
もし誰かがライジュウの犠牲になってしまったら、たとえこれから関わらない人物であったとしてもきっと後悔してしまうだろう。
「レイン! レシュア! 大変だ!」
血相を変えて駆け込んできたのはキャジュだった。
それは直感的にライジュウと関係のあることだと思った。
「どうしたのよ。彼ならさっき閉じ込めたわよ」
「そうじゃない! スクネが、スクネがどこにもいないんだ!」
「しっかり探したの? お爺ちゃんの家は?」
「心当たりの場所は全部確認した。ああ、すまない。油断した私が悪いんだ」
「ちょっと、経緯を話してみなさい」
早朝にタデマルからライジュウ拘束の話を聞いたキャジュは、身の安全が得られたことに安堵しスクネのもとを訪ねた。スクネは朝から元気がよく、かくれんぼをしたいと言い出したのでキャジュは彼女に付き合ったのだそうだ。
レインはキャジュにスクネを見失った時間を聞いた。
キャジュは曖昧な記憶をなんとか振り絞っておおよその時間を言った。
すると少し間を置いて、レインは口を開いた。
「きっと、私とロルがライジュウを倉庫に入れる前の時間だわ」
「なんだって!? あの倉庫はもともと閉じているんじゃなかったのか?」
「代表に今朝、開けてもらっていたのよ……」
「それじゃあ、スクネは……」
私達三人は食堂を飛び出した。レインはアイテルの高速走行を使っていたのでキャジュと私はすぐに離されてしまう。
私はレインに追いつくためにキャジュの身体を抱いてアイテルを放出した。
空き倉庫に着くと扉は既に開いていて、入り口を入ったすぐのところでレインが戦闘態勢のまま静止していた。
「ス、スクネ!」
「スクネちゃん!」
狂気に満ちた顔をしたライジュウがこちらを見ていた。その太い腕にはスクネちゃんの首が絡まっている。まだ意識があるようだったが、苦しそうな表情をしていた。
「レシュア、これを。タデマルに連絡、急いで!」
「は、はい」
交信機を受け取った。メイルから教わったとおりに操作してタデマルに繋ぐ。事情を説明すると、すぐに行くという声が返ってきた。
「それとキャジュ、あなたは少し離れていて。犠牲は最小限に抑えたいから」
「……おい、それって、スクネを犠牲にするっていうことなのか? まさか、冗談だろ?」
「本気よ。ここで感情に走って住民にまで被害を広げたくないもの」
「待ってくれよレイン! スクネはまだ子供なんだぞ! それに、やつの標的は私のはずだ! 犠牲になるなら私のほうだ!」
ばちん、という音がしてキャジュは右の頬に手を当てた。
叩いたのは、レインの左手だった。
「あなたこそ冷静になりなさい。スクネの命を犠牲にするなんてまだ一言も言っていないわよ。それにね、やつの目的はきっとあなたを殺すことではないわ」
「どういう、意味だ?」
「こいつはきっと、私達の情報を握っているあなたを回収するためにここへ来たのよ」
タデマルがシンクライダーを連れて飛んできた。
到着するやタデマルはシンクライダーに耳打ちをし、話の内容に頷いた元医師はその場をすぐに離れてしまった。
「レイン・リリー、防衛の時間だ。ロル君には先に出てもらっている。レシュア君もすぐに向かってくれ」
「え? でも」
「ここは僕が引き受ける。さあ、急いでくれたまえ」
どうしたらいいのか分からなかったので、咄嗟にレインの名前を呼んだ。
彼女の視線はライジュウに向けられたままだった。
「……行くわよ、レシュア」
「だって、スクネちゃんが」
「ロルとシンクでは対処しきれないわ。機械兵が都市の中に入ってきたら、あなた、責任取れる?」
「……あの、私だけ、ここに残っていちゃ、駄目ですか?」
「一時の感情でやつを倒せるなら、もうしているはずでしょう?」
レインは見通していた。私の運動能力をもってすればスクネに傷一つつけさせずにライジュウを倒すことができる。ただしそれは、一瞬にしてライジュウの身体を人の形ではないものにすることと等しかった。
私にはできない。分かりきっていることだった。
「レシュア君、これは命令だ。事態は一刻を争う。さあ、行くのだ!」
レインに手首を掴まれた。
嫌な予感がするのは、絶対に気のせいなんかではなかった。
「レシュア、二分で片付けるわよ。それとタデマル、私達が戻るまで下手な手出しはしないように。あなた、ここの住民以下の実力なんだから」
「僕を誰だと思っている。君達の指揮者だぞ。あれ程度のもので簡単にやられはしないさ」
「キャジュも、分かってるわね?」
「……あ、ああ」
私とレインは高速で飛び出した。狭い避難通路の壁を破壊する勢いで突入し外へと繋がる扉を抜け、閉じる動作を目視確認すると、地面に穴が空くほどのアイテルを放出し、戦場へと突入した。
レインは二分と言っていたが、体感では一分もかからなかったと思う。
全ての処理を終えた私達はもと来た道を全速力で駆け抜けた。
……そして、私達が戻ってくると、そこはもう血に染まっていた。恐れていたことがとうとう起きてしまったのだ。
「……なんでお前が、自分のことしか頭にないようなやつが、どうしてここまで命を張れるんだよ!」
「……せ、正義の、ためだ。ぼ、僕にしかできない、けじめのつけかたが、あるんでね……」
私達がいなくなった直後にライジュウがスクネの首を絞めはじめたので、タデマルが飛び込んでいったのだそうだ。
なんとか少女を奪い返したタデマルは、小さな身体をしっかりと抱きながら人ならざるものと格闘し倒せはしたものの、自らも重傷を負ってしまったのだという。
「……口だけ偉そうなこと言いやがって! そんなんじゃお前、本当に格好良くなってしまうじゃないかよ! どうしてくれるんだ! 返事しろよ! 私のこの気持ちに、責任をとってくれよ!」
キャジュの心の叫びは、その一途な思いとともに空き倉庫を黒く塗り潰した。
「シンク! 急いで止血を! あとのことは任せたわ!」
「了解!……さあ、キャジュ、彼を医療室に運ぼう。手伝って、くれるね?」
タデマルを背負ったシンクライダーとスクネを抱いたキャジュがいなくなると、大の字になって倒れる得体の知れないものが倉庫の中に残った。
レインはその物体が再度動き出さないことを念入りに確認する。
私とロルは、その様子を見ていることしかできなかった。
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