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崖の後ろにあるはずのもの / pupil's rejection その1



 人が人を殺すことは明日の己を殺すことに等しい。

 育ての親からこんな言葉をもらった記憶がある。いつの頃だっただろうか。もう憶えてはいない。

 生物はいかなる場合でも対等に支え合わなければ種を存続することはできない。遥か昔の人間が犯し続けた末に見につけた知恵なのだそうだ。くだらないと思った。



 平穏が心を狂わせる。それを自由という名の快楽で埋めようとする。結果、人間は個を確立するために人間を殺す。自然との同調の解釈を誤っただけの差だ。昔の人間は間違ったのではなく、気づけなかっただけなのだ。

 初代女王が現時代を立ち上げる前に生き延びた人間にはアイテルの保護があった。その生物の平等を裏づける画期的進化は今も平和思想の礎になっている。アイテルの理解があるからこそ成り立っている世界が現代だった。

 本質的には先祖と同じなのだろう。現代人も心の奥底では平穏に辟易し、快楽を求めたがっているに違いない。

 アイテルは星の意思に同調してはじめて触れることができた。この時代にとってアイテルを捨てることは死ぬことと等しい。今の人間にとって快楽と命は比較対象になっているだけで、枷が外れさえすれば人なんて簡単に殺してしまうのではないのか。そんな気がするのだ。



 俺はアイテルが使えなかった。当然理解はしている。それでも無理だった。

 案の定、俺は地下都市の入居条件に引っかかった。育ての親のゲンマル爺さんはアイテルの達人だったが、こんな俺のためにわざわざ地上の住居を建てて一緒に住んでくれた。

 素直に嬉しかった。アイテルを習得する上で最も重要な心を疑うのではなく、俺の身体のほうを疑ってくれたことがなによりも嬉しかった。

 実際幸せな日々だった。爺さんは少し抜けているところがあったが、それを笑顔に変換できるだけの穏やかな日常は確かにそこにあった。



 二十一年という時間を共にしてきた俺のたった一つの家が今朝、滅茶苦茶に壊された。畑も意図的に荒らされていて、地下に逃げ込んだ俺と爺さんは怯えながらいなくなるのを待つしかなかった。

 王軍の奴等に違いなかった。時折監視に来るやつがいた。アイテルを使えない人間を危険視していたのだろう。いつか来るかもとは思っていた。



 静かになるのを慎重に確かめて外に出てみると、そこに自分という存在を否定する以外のものは置かれていなかった。爺さんは眉をひそめて微笑んでいた。

 家と畑を奪われたのではない。未来を没収されたのだ。平和と平等を謳った利己主義に無欲な非人民が殺されたのだ。

 この経験で得たものは、現代に人を殺す者の存在を明確にした事実だった。

 もう誰でもいいと思った。星が欲しがっているものを体現させて、偽善を世界に証明させてやってもいいと思った。



 畑を抜けた丘の上に三人の男女が立っていた。そのうちの二人は王軍専用の管がついた保護具にそっくりなものを着ていた。

 俺は爺さんを地下に押し込んでそいつらのいるほうへ走った。

 鍬を持った右手が激しく震える。

 頭が凍りついたみたいに冷たい汗が出て、首の筋に垂れた。

 姿がはっきりしてくると、三人の真ん中に立っている『小柄な女』が一番若く弱そうに見えた。



 振り上げた鍬の刃先をその女に向ける。

 その高貴な物腰が、振り下ろす右腕に勢いをつけさせた。


「このクソ野郎どもがよおおおおお」

「どうする?」

「一応、様子を見てみましょうか」

「え?」


 綺麗に当たった感触がした。だがその直後に右手を柔らかい手で掴まれて、視界が一周すると、地面が背中と後頭部を直撃した。

 目に飛び込んだ空がぼやけると、俺はそのまま眠るように意識を飛ばした。




(……そうなのよ。死んでいるのかと思って周りを確かめたらこの家の残骸が見つかって……。本当に良かったわ。いいのよ礼なんて。偶然通りかかっただけだから。え? 女王様? あの子が? お爺ちゃんさすがね。でもほら、女王様亡くなったでしょ? 違うわよ、彼女は王女様。三姉妹の真ん中のレシュア様よ。え? 知らないの? 挨拶したい? そんなのさっきしたじゃないの。それにほら、あの子達なんかいろいろ訳ありみたいな雰囲気じゃない。そっとしておいてあげましょうよ。……ああそれでね、話は変わるんだけれど、今日ここに泊めてくれない? なんでかって? ゼメロム知っているでしょ。あそこ壊れちゃった。それで私達次はリムスロットに行こうと思ってるの。結構遠いでしょあそこ。え? リムスロット知らないの? 地下都市リムスロットよ。そうそう、山の近くにある、うん、そこそこ。というわけなの。え? ちょっと待って。どうしようかな。お爺ちゃんまともに歩ける? ふふふ、馬鹿になんてしてないわよ。……あらまあ、お爺ちゃんがそうしたくてもあそこの彼がなんて言うかまだ分からないんだから、目を覚ますまでその話は保留にしましょ。ねえ、それよりさ、これってもしかして受像機? ヴェインもちょっと見てよ。確か大昔の人がテレビって呼んでたやつよねこれ。お爺ちゃんこれ映るの? ほんとに? 動力は? ちょっとすごいじゃない! ヴォイド経由で電気を作ってって、抵抗はどうしてるの? え? お爺ちゃんが考えたんじゃないの? ……へえ、彼がね。ちょっと、映るかどうか見せてよ。ほら、今日城からの放送がある日でしょ? 大丈夫よ。映らなかった時はこっちで見るから。ほら、点けてみてよ……)


「ぅる、せえなぁ……」

「あ、起きた」


 声のするほうに目をやると綺麗な若い女が目を細くしてこっちを見ていた。

 穢れを感じない大きく澄んだ目に小さく整った鼻、女らしいふっくらとした口にまだあどけなさの残る丸めの顎。

 見る者の心を優しく包んでくれるその表情は、本当に美しいと思った。

 どうやら、寝床の傍らに座して俺が目を開けるのを待っていたようだった。


「あんた達が、ここまで運んだのか?」

「うん。ヴェインさんがね。後ろにいるでしょ? あの男の人。……でも、さっきのことはお爺様には内緒にしておこうってレインさんが……、えっと、あの仮面つけた人」

「いきなり襲って、悪かったな」

「いいの。こっちこそごめん。……なんとなく気持ち分かるから。それに、事情はさっき聞いたし……」

「怪我はしていないか?」

「私は大丈夫」

「そうか」


 肩まで下がった銀色の髪がこくりと頷いた時に波打って揺れた。

 部屋の照明が不自然に乱れた毛髪を鮮明に映し出している。


「……久しぶりだね。メイル」

「……どこかで、会ったか?」

「憶えていないの? 私、マーマロッテだよ」


 心臓が止まるかと思った。さっき仮面の女が喋っていた話によれば、彼女はゾルトランス城の王女ということになる。

 いまひとつ状況が飲み込めない。起き上がったほうがいいだろうか。

 それとも『あの頃の少女』として普通に接するべきなのか。

 ……やはり、前者だろう。



 上半身を無理やり起こそうとして首に力を入れると、後頭部に激痛が走った。

 その様子を間近で見ていた対象の人物は、困った顔をして起き上がらせないように肩を押しつけてきた。

 どうやら後者が正解だったようだ。



 ……マーマロッテ。

 忘れもしない。俺のために涙を流してくれた、たった一人の他人だ。

 あんなことをされて、忘れるやつなんているわけがない……。



「……ちょっと、動かないじゃないの。お爺ちゃん、もしかして緊張してる?」

「あれ、おかしいのう……」



「……変圧器の設定を五十に変更! それで駄目なら電力不足だ!」



「あら、彼氏起きてるじゃない。もうレシュアったら、それならそうと早く教えなさいよ。危うく悪口言うところだったわ」


 仮面女はよく喋るだけに存在が矛盾しているように思えた。

 そこまで会話を楽しみたいのなら、まずはその面を外せと言いたかった。

 しかも足音がやたらうるさくて不快だ。


「あいつらは、その……、マーマロッテとは、どういう付き合いなんだ?」

「それがさ、うまく説明できないんだよね。私も今日知り合ったばっかりなんだ」

「なんだそれ。あいつらは王軍の奴等じゃないのか?」

「うん。ちょっといろいろあってね。へへへ」


 申し訳なさそうに微笑む彼女は俺のもとを離れなかった。他の三人は向こうの座敷でまだ言い合っている。

 もう一度彼女を見た。言葉を待っているようだった。

 間違いではない。彼女は俺のほうを見て話している。心を寄せてこようとしている。



 信じられなかった。自分が情けない存在だという事実を反芻すればするほど、裏に潜むどす黒い現実が実体化していくように感じられた。

 そもそもこの女が十一年前に出会った少女だという証拠はどこにもない。

 冷静に対応しないと、こいつらに自尊心を食い尽くされてしまう。


「あ、映像出たみたいだよ。メイルも見たい?」

「いや、音が聞ければそれでいい」




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