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道程こそが行く末の鍵 / possession of allegiance その1



「おはよう。メイル」

「おはよう。マーマロッテ」


 睡眠を覚えてから一週間が経った。目を覚ますといつも彼女がいて最高に幸せな気分だった。

 あれから何度か不安に怯えながら夜を過ごすことがあったが、今ではすっかり安心して朝を迎えられている。長い間不可能だったことが七回も連続で起きているのだ。おそらくこの先も眠れることだろう。

 彼女が側にいてくれて、本当にありがたいと思っている。


「寝起きの顔も最高に格好いいよ、メイル」

「昨日も寝顔を見ていたのか?」

「うん。だって、すぐ眠っちゃうんだもん」


 マーマロッテが言うには、俺は目を閉じてしまうとあっという間に眠ってしまうらしい。ただ彼女が横で寝ているだけなのに、世界の法則が動き出したみたいに俺は簡単に落ちてしまうのだ。

 原因を知りたいとは思わなかったが、すぐに眠ってしまうことで不満を漏らす人がいるので、もう少し制御の利く身体であって欲しいとは思った。

 もちろん、過ぎた要求であることは重々承知している。あとはマーマロッテの気分次第といったところだろう。


「ん、どうした? まだ起きないのか?」

「もう少し、こうしていようよ」

「見合っているだけで、いいのか?」

「ううん。背中を、抱いて欲しいな」


 最近の彼女はよく甘えた。様々な言葉を巧みに操り、時には激しく誘惑したりもした。本来の人格とは明らかに異なるものもごく稀に出現するのだが、たとえそれが手探りによって産み出されたものであったとしても、新たな彼女の一面として受け入れることができた。


「……メイルの心臓の音、聞こえるよ」

「やっぱり、気になるか?」

「……ちょっとね。……嫉妬深い女だって、思ってる?」

「なにもかも俺が悪いんだ。お前が本気でそう思っているんだったら、取るよ」

「……急がなくても、いいよ。でも、いつかは取って欲しいかな」


 心臓移植の際に埋め込まれた機械の循環器は施術後の翌日には外れていた。どうも身体のほうが勝手に再生をはじめたらしく、新しい心臓はまだ小さいながらも単独で動き出していた。

 役目を失った機械のほうはどうなっているかというと、心臓の近くでなにをすることもなく留まり続けていた。シンクライダーに相談したところ、取り出さなくても身体に影響はないとのことだったので、今もそのままにしていたのだ。



 循環器を取り出していない理由はもう一つあった。それは施術中にキャジュの気持ちを傷つけてしまったことに対する罪の意識があったからだ。酷い言葉を浴びせかけたうえに、もう必要はなくなったからと取り出してしまうことが道理にかなっているとは思えなかったのだ。

 事実として不要のものとなったこの機械を入れ続けることは、傷つけてしまったキャジュに向けての感謝と戒めが込められていた。

 予定では近いうちに取り出そうと思っている。だがしかし、マーマロッテの要望に応えるのにはもう少し時間がかかりそうだった。


「……ねえ」

「なんだ」

「あのこと、考えてくれてる?」

「まだ拘っていたのか」

「そうじゃないよ。私はメイルと、純粋にしたいんだよ」

「もう、我慢できないか?」

「うん。ちょっぴり辛くなってきたかも」


 彼女はそう言うと器用に身体を反転させて、いつものやつをしてきた。

 今回のやつは、今までとはやや質の異なるものに感じた。

 これはいよいよ重症なのかもしれなかった。


「……どうしても、なんだな?」

「うん。もう壊れちゃいそう」

「……じゃあ、今晩、試してみるか?」

「ほんとに? いいの?」

「……だってよ、優しくしないとお前、壊れちゃうんだろ?」

「そうそう。たぶん今日までだよ。明日はきっと、壊れちゃうね」

「分かった、分かったからこれ以上俺を苛めないでくれ。な? ……よし、やろう。今日やろう。それで決定だ」

「やったね。……じゃあ、愛しのマーマロッテちゃんが君に約束のチューをしてあげるのだ。心して受け止めるのだぞ」

「……さ、させるか!」


 あまりに上機嫌な彼女を見て少し高揚してしまった。調子に乗ってふざけてみせると、一瞬だけ彼女の動きが止まってさらに気合の入ったやつが迫ってきた。

 はじめは抵抗していたのだが、段々とじゃれ合いそのものを彼女が楽しみだしたので、久しぶりに自分からいった。



 完全に動きが止まった。なるほどそういうことかと思った。



「今日から俺、復帰なんだよな。こんなんで大丈夫なのか?」

「……我慢できなくなったら、どうしよう。抜け出しちゃう?」

「お前が言うと冗談に聞こえない」

「だね。でも心配ないよ。こう見えて意外にしっかり者なんだから。たぶん惚れ直しちゃうと思うよ。うん。たぶん惚れ直すと思う」

「自信の出所が全く掴めないのだが。まあ、宣言通りにできたら惚れ直すどころでは収まらないだろうな」

「え? そうなの? それなら私頑張る。すごく頑張るよ!」


 これ以上の会話はもう必要ないと判断した俺は、彼女の口を優しく塞いだ。

 抱きしめ合った俺達の身体は、のどかな朝の光に包まれた部屋の空気によって少しだけ火照っていた。




 特殊医療室に入ると懐かしい面々が揃っていた。俺は笑顔で迎えてくれた全員に挨拶をして、現在の境遇についての説明を簡単にした。

 キャジュの隣には場違いな人間が一人いた。スクネだった。目が合ったので抱きつかれるかと思ったが、キャジュの手を握ったままこちらに手を振るだけだったので、きっとなにかを言われたのだろうと思った。



 こういった場所に子供を連れてくることを最も嫌うであろうレインは、一人静かに黒い液体を啜っていた。

 どこもかしこも不自然な光景だった。キャジュとスクネはマーマロッテと小声でなにかを話している。ますます意味が分からなかった。



 監視室のほうに目をやると、ロルをさらにこじらせたような背の高い男がいた。やつが例の女狂いだと認めると、俺はそいつの前に立った。


「どうも」

「君があの、メイル君だね」

「今日からまた世話になることになった。よろしく頼む」

「へえ、地上人にしてはやけに礼儀正しいんだね。王族の彼女にそうしろとでも言われたのかな?」

「話はそれだけだ。みんなが待っている。さっさとはじめてくれ」

「開始予定まであと六分ある。そう焦らずに君も座っていてくれたまえ」


 想像通りだった。俺とは真逆の外見の自信に満ち溢れた、というかむしろ外見の自信のみで精神を維持しているかのような、そんな危うい雰囲気を漂わせる男だった。

 きっと自分の思うように物事を運ばないと気が済まない性格なのだろう。今のやりとりだけではっきり伝わってきた。マーマロッテが混乱するのも無理はない。こんなやつとまともにやり合おうとしたら、俺だって頭がおかしくなる。

 触れないべきか、飛び込んでいくべきか、そこが悩みどころだ。


「おーいメイル、お前の飲み物もあるから早くこっちにこいよ」


 キャジュに声をかけられて戻ると、どういうわけかマーマロッテの膝の上にスクネが乗っていた。


「なんなんだ、それ」

「へへへ。スクネちゃん独り占めしちゃった」


 キャジュの話によると、タデマルという男は大の子供嫌いらしく、スクネをマーマロッテの側に置くことで魔除けがわりにしようと連れてきたのだそうだ。

 レインには事情を話して承諾をもらっているらしい。


「メイにいちゃん。スクネのこと、うらやましいの?」

「その質問は難しいな。なんとも言えない」

「じゃあ、『マーマ』が、うらやましいの?」

「どちらかと言えば、そうなるな」


 スクネは俺がマーマロッテと呼ぶのを真似してマーマと言うようになった。周囲には『お母さん』が変化したものだと説明しているので、本人には自由に言わせている。


「ねえねえマーマ、メイにいちゃんもスクネにのってほしいんだって」

「スクネちゃんは、メイお兄ちゃんのほうに行きたい?」

「ううん。今日はマーマのほうがいい」

「そうなんだ。ありがとうね、スクネちゃん」

「うん。マーマはスクネのおかあさんだよ」


 この子は地下都市リムスロットに来てからも暗い表情を見せることがあった。もしそれが亡き母への思いによるものだとしたら、彼女が発するマーマという言葉をなおさら大切にしておきたかった。

 俺はそんなスクネの気持ちを壊さないように、これからもそっと見守っていきたいと思っている。

 ……そして、俺達がうらやむほどの幸せを、いつか掴んで欲しいと思った。


「わーいわーい。マーマのおひざ、ふかふかできもちいい」


 マーマロッテのほうに視線を移すと、膝の上で足をばたばたさせている少女を支えているせいか、表情に少し余裕がないように見えた。


「結構重いだろ。辛くなったら交代してもいいんだからな」

「うん。その時はお願いするね」


 予定の時間になったのか、タデマルがいよいよ登場した。重苦しさとは違う独特な空気が漂う中、男は高圧的ともとれる態度で俺達の前に立った。


「昨日も説明したと思うが、今日から正式に君達を指揮させてもらう。具体的な方針に触れる前に、まずは昨日の防衛を見た感想を述べよう。はっきり言って期待外れだった。まるで連携が取れていない。個人技の寄せ集めを見ているようだった。あれで最強の防衛部隊を気取っているのだから、なおさらたちが悪いと感じた」


 思わず噴き出しそうになった。一言一句に胡散臭さが充満していてなんの説得力も感じられない。これはロルどころの騒ぎではないと思った。


「僕が問題視していた点が見事に的中してしまった。なんだか分かるかね? そうだな……、レシュア君、答えてみてくれたまえ」


 早速来た。この抜け目のなさがマーマロッテを追い込んだのだ。

 もちろん、その正解はさらに彼女を苦しめるものなのだろう。

 隣に座る彼女の視線を感じた。目で合図したかったがそれもやつの計算のうちに入っているのだろうと思い、あえて無視することにした。


「……四人の戦士の中に、女性が二人もいること、でしょうか」


 なかなかの対応だと思った。マーマロッテの発言の直後に見せた男前の微妙な眉の動作から察するに、これは予想外の返答だったと思われる。


「そ、そのとおりだよ。今日の君は冴えてるね。昨日の僕の手ほどきがよかったのかな? まあいい、続けよう。とにかくだ、男と女が戦場に混ざるとろくなことにならないという良い例が君達だ。男勝りな女戦士もスウンエアにいることはいる。しかしね、ここの戦士はそうではない。見たまえ、この三人の女性達を。色白で女臭くて筋肉もなければ威勢も感じられない。特にレイン・リリー、君の顔の白さは異常だよ」


 時間が止まったかと思った。

 やつはおそらく仮面の色のことを指摘したのだろう。

 一瞬だけ殺気を覚えたのは、気のせいだと思いたい。


「……今のところ、笑うべきなんだろうか」

「……ちょっと、無理があるよね」

「……スクネは分かるか?」

「……ぜんぜんおもしろくなかった」


 反応が全くこなかったのが悔しかったのか、小さく咳払いをすると何事もなかったかのようにやつは続けた。


「そこで君達に今後の戦い方を指示する。内容はきわめて単純だ。まず、これから僕が言う機械の部位と担当者の名前を覚えてくれ。両腕、レイン・リリー。両足、レシュア君。胴体、ロル君。そして頭をリーダーに担当してもらいたい。つまりどういうことかというと、各自が担当部位に専念することによってより早く、より安全に処理できるということなのだが、君達にそれが理解できるかな?」


 そろそろなにか言ってやったほうがいいと思ったので、挙手をした。

 やつは獲物を発見したかのような目つきで俺に発言を許した。


「柔軟性に欠ける点について、どのように考えているのだろうか。聞かせてくれ」

「柔軟性? 君は僕の話を本当に聞いていたのか? これはね、効率の話なのだよ。決められた部分を決められた方法で処理する。それさえできていれば無駄な作業をしなくて済むし柔軟な対応なんてものはいらないのだよ。分かるかい?」

「ある日突然機械兵が物凄く強化されてしまったらどうするんだ? 担当者が負傷したら、誰がかわりに処理するんだよ」

「そんなこと、僕には知ったことではない。現場で判断すればいい」

「おいおい、それがあんたの仕事だろうが! そもそもな、地下都市スウンエアがまずい状況になっているのはあんたが指揮していたからなんじゃないのか?」


 自分でも言いすぎたと思った。右腕に触れるマーマロッテの指の感触がなければやつの襟元を掴み上げているところだった。

 やつは不敵な笑みを浮かべていた。俺は不覚にもこのどうしようもない男の術中にまんまと陥っていたのだ。心底悔しかった。


「君がなにを言ってこようが痛くも痒くもないね。戦場で負けたのは戦士だ。僕じゃない。結果だけで物事を勝手に決めつけてもらっては困るよ。ともかくだね、僕はここに責務を果たしに来たのだ。医師として、指揮者としてね。レイン・リリーのような実績のある戦士に不満を言われるならまだしも、君みたいな『農民上がりの下衆』にとやかく言われる筋合いはないね。さあ、君の出番はこれでおしまいだ。もう喋らなくていいからね」


 いきなりスクネが乗っかってきた。

 隣を見ると怒り狂った女戦士が今にも吠え出しそうになっていた。

 俺は人類最強の反撃を阻止するために、スクネを左手で抱えながら右手で戦士の太腿に触れた。

 効果については、それはもう絶大なものであった。


「おいレイン、あんたはこの話、どう思っているんだ?」


 レインは足を組んだ膝の上に肘を乗せたまま、その手の平に顎を乗せた格好で静かに座っていた。

 考え事でもしていたのか、自分の世界に没頭しているようだった。


「ああ、私? 作戦のことなら別に構わないけれど? タデマルの方針に理不尽なところもなさそうだし、あとは実践してみて不具合が出たら報告するわ。それでいいでしょ? タデマル」

「実に素晴らしい回答だ。君のような常識人がいてくれて、非常に助かるよ」

「まあ、ほとんど私とレシュアだけで処理しちゃうでしょうけれどね。あ、でも問題はないわ。最後はあなたにも見えるように終わらせるから」


 やつはレインが最後に放った突然の独りよがりの発言に困惑している様子だった。

 レインはそんな男のことを無視してこちらのほうを見た。


「ねえねえレシュア、私達さ、久々に本気出しちゃおっか?」

「え? でも、シンクさんが……」

「いいのいいの。どうせ新しい医師が来たわけなんだし、骨の四、五本折れたところで、どうってことないわよ」


 ロルが座る椅子の後ろで穏やかに佇んでいたシンクライダーは、レインの冗談含みの発言を真に受けたのか、わなわなと唇を震わすと悲しみの笑窪を作って流し台のほうへと消えていった……。


「あの人、立ち直れるだろうか……」

「たぶん、相当引きずると思うよ……」




 それからタデマルの意味不明な話が数分間続いた。

 監視室から緊急警報が鳴り響いたのは、やつの話がさらに滑稽な方向になりかけていた時だった。


「いつもより全然早いじゃないの。もう、仕方ないわね。みんな行くわよ。ああそうだった。……メイル、あなたは監視のほうをお願いね。あと、小出しなんかしたりせずに、しっかり言うのよ」

「は?」


 レインとロルはタデマルの指揮を待たずに医療室を飛び出していった。


「じゃあ、ちょっと、行ってくるね」

「ああ、気をつけてな。無理だけはするなよ」


 俺は流し台の隅でうずくまっているシンクライダーをなんとか説得して戦場に行かせた。

 やれやれと思って一息ついていると、今度はスクネの手を引いたキャジュがこっちにやってきた。


「これからちょっとした用事があるんだ。悪いが先に帰らせてもらうよ。じゃあ、あとは頑張ってくれ」

「メイにいちゃん。ばいばいね」

「あ、ああ。またな」


 かくして俺とタデマルは、二人きりになってしまった。



 ……あの仮面の女、なにもかも知っていたのかよ。

 ……ったく、仕方ねえな。とりあえず、やれるだけやってみるか。




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