蠢く獣性 / reflect core その3
タデマルが監視室の中に消えると早々にロルが退室した。続いてレインが退室しようとしたので咄嗟に引き止めた。少しそこで待ってもらうようにお願いしてから、私はキャジュと向き合った。
「……あの、もしかしたらだけど、ごめんね」
「なんのことだ? ああ、さっきのことなら誰にも言わないから心配しなくていいぞ。でもな、一応メイルには相談しろ。後々おかしくなったら面倒なことになるからな」
「うん。ありがとう。帰ったらすぐにそうするよ。でも、キャジュのほうは大丈夫?」
キャジュは腕組みをして私の顔をじろじろと見た。なにかを考えているみたいだった。
レインは医療室の壁にもたれて静かに立っている。もたもたしている私に苛立っている感じでもなさそうだったので、キャジュの返答をゆっくり待つことにした。
答えが見つかったのだろうか、キャジュのおっとり顔がいたずらっぽい可憐な笑顔になった。
「あのなあ、レシュア。私が過去のことをいつまでも引きずる女に見えるか? あの時に約束しただろ、あいつの気持ちを聞こうって。もう答えは出たんだ。変な遠慮なんかするなよ。こっちのほうが気を遣ってしまうじゃないか」
「……ほんとに? 無理しなくてもいいんだよ。私、キャジュのためだったらなんでも協力するから」
「だったら、タデマルとのことを大人しく見ていてくれ。これでもいろいろ考えているんだ。言うまでもないが、やつの好きなようにはさせない。いざとなったら『これ』で返り討ちにしてやる」
彼女の腰にはヴェインが愛用していた武器、砲筒ダイダラによく似たものがぶら下がっていた。
「キャジュって、アイテル使えたの?」
「これはな、ライダーと考えて作った非アイテル専用武器だ。威力は本物に到底及ばないだろうが、あいつ程度が相手なら気絶させることくらいはできる代物だ」
「やっぱり無理だよ、キャジュ。今からでも断ろうよ。私も一緒に行くから」
「どこまでお人好しなんだ。いいかレシュア、よく聞いてくれ。……私はな、あのタデマルってやつが結構好みなんだ。お前だってなかなかの男前に見えただろ? だからな、あとは察してくれ」
キャジュは立ち上がって私の頭に手の平を軽く置いた。
すぐになにかを言おうと思ったが、彼女は別れの言葉をあっさり告げてそのままタデマルのいる監視室に入ってしまった。
嫌な予感が的中しないことを祈りつつ、今の会話を聞いていたであろうレインのもとに駆け寄った。
「あの、すみません。お待たせしました」
「あの子がああ言っているんだから、信じてあげましょう。ね?」
「……はい」
ひとまず医療室を出た。人がいないところならどこでもよかったので、今は封鎖されている都市正門のほうに少し歩いたところで立ち止まった。
「それで? どうしたの? 彼とまた喧嘩でもしたの?」
「いいえ、そっちのほうは順調です。自分でも怖いくらいにうまくいっています」
「あらやだ、お惚気ちゃんだわ。このー、幸せ者めー」
最近のレインは少し感じが変わったような印象を受けた。親近感というか、どこか懐かしいものに触れているような不思議な感覚があった。信用するとかしないとかではなく、存在そのものが必然的な信頼の塊であるかのように思えたのだ。
……なんでだろう。とても心が安らぐ。
……まるで、お母様と話しているみたいだ。
「……あの、タデマルっていう人のことで、聞いて欲しいことがあるんです」
「タデマルって、あのキザで女たらしで薄気味悪い血色した嫌なやつのことよね」
「知ってたんですね。あの人のこと」
「当然でしょ。結構付き合い長いし。そりゃもう、あんなことやそんなことまで嫌というほど見させられたわよ。ああ、分かった。あなた、たちまち誘惑されたのね?」
「……はい」
「あいつ、相手が誰なのか分かっていて仕掛けてきたな! まったくもう、今度会ったら叩き直してあげないとこっちの立場に傷がつくわ。ああ、なんて面倒なことをしてくれたんでしょう。あのバカは……」
「……私、あの人、嫌いです」
「でしょうね。私だってそうだもの。と、いういことは、つまりあれなのよね?」
「はい。あの人とは関わりたくありません」
「やっぱり」
「どうにかなりませんか?」
「あいつを帰すことはできないこともないけれど、ヴェインにも顔ってものがあるでしょうからね。私としては賛成しないわ。うーん。だったら、こういうのはどう? あなたにはもう少しお休みしてもらって、あいつが帰ってから正式復帰っていうのは? それなら文句ないんじゃない?」
名案だと思った。でも自分が本当に求めているものが休むことで手に入れられるかと言えば、おそらくそうではなかった。
私はやはり戦場に立ち続けることでメイルへの恩返しがしたかった。
「……あの、彼も、メイルも、現場復帰させてもらえませんか? 近くにいてくれるだけで、あの人の行動を抑えられるんじゃないかと思うんです」
「うーん。あなたの不安を和らげるという意味では効果がありそうね。でもメイルって今、農地のほうで引く手あまたらしいじゃないの。本人が納得してくれるかしら?」
「これから、話し合ってみます」
「……分かったわ。事情を話せば彼も黙ってはいられないでしょうし、私としても見過ごせる問題じゃないから。まあ、あとでシンクと農地のほうで話し合ってもらって、いけそうならあなたの要望どおりに手配するわ」
「ありがとうございます。いつも迷惑かけっぱなしで、ごめんなさい」
「いいのよそんなこと。だってあなた、今回はただの被害者なんだから。堂々としていなさい」
「……はい。頑張ってみます」
「じゃあ、今日の防衛はどうする? やめとく?」
「いいえ、行きます」
「そうこなくっちゃ。今日はアイテル少女レシュアの初陣でみんなわくわくしてるんだから。思いっきり暴れてやりましょう!」
なんとなく一人で都市を歩くのが怖かったので、家までレインに付き添ってもらった。こちらの不安な気持ちを察してくれたのか、レインは私の腰に手を回して並んで歩いてくれた。
玄関口まで送ってくれた彼女と一旦別れると、私は一人になった。
タデマルと二人きりの時に言われた言葉が頭の中を駆け巡る。受け入れがたい事実をどうにかして消化させたいと思う自分が惨めでならなかった。勝ち負けの問題でないことは分かっていても、あの男に負けたと一瞬でも思ってしまったことがどうにも許せなかったのだ。
何事も起こらなかったからよかったなどという単純な出来事ではない。必死に包み隠していたはずの『心の内側』が初対面の男によって簡単に暴かれてしまったのだ。これは深刻な事態としか言いようがなかった。
自信なんてものはとっくに壊されていた。残っているものはメイルへの気持ちと私の胸にわだかまる偽りのない感情だけだった。
開けた玄関の扉を抜けて閉めると、私はすぐにダクトスーツの腰に空いた小さな穴へ微量のシャットアイテルを放出した。そうすることで中に空気を送り込むことができ、膨らんだ反動で一気に脱げるのである。
……アイテルを照射してから、約十秒でそれは作動する。
「おう、おかえり。意外に時間がかかったな。調整はどうだった? そういえば……」
ダクトスーツは、勢いよく私から剥がれ落ちた。
もちろん下着はつけている。肌の露出が極めて少ないやつだ。彼は何度かこの姿を見たことがあるので、急に発作を起こすことはないだろう。
でも、すごく驚いた顔をしている。
無言で近寄る私を見て、さすがに異常を察知したみたいだった。
「……ねえ、しようよ」
「ん? 塩か? 塩なら食堂に行けばあると思うが、なにに使うんだ?」
「塩じゃ、ないよ。ねえ、……メイルぅ」
彼の首の後ろに手を回した。不思議そうな表情でこちらを見つめてきたが抵抗する気はないようだった。
私は密着したままの彼を寝台の上に押し倒した。
「……メイルと、したいの。ねえ、いいでしょ?」
「……したいって、なにをするんだよ。キスだったらさっきしただろ」
恥ずかしくて言えなかった。それに、はっきり言ってしまうとなんだか儀式めいた行為を求めるような気がしたので、そうすることは避けたかった。
私は言葉で説明するかわりに……。
「お、おい、そういうことか。ちょっ、ちょっと待て!」
……あれ? まだなにもしてないのに気づかれちゃった。
……そっか、あなたも意識してくれてたんだね。
「……なんで? 駄目なの?」
「駄目というかなんというか、いろいろとおかしいだろ。とにかくだ、冷静に話し合おう。それからでも遅くはない。な?」
彼の言い分は実際正しかった。追い詰められた感情だけを処理したところで二人の関係が安定するわけではない。私を動かしたものについてをしっかり理解してもらわなければ、最低の初体験が待っているだけだった。
私はメイルを押し倒した状態のまま、ことの一部始終を話した。彼は黙って話を聞きながら、私の短くなった髪を触ったり背中をさすったりしてくれた。
タデマルが発した言葉の内容は全て話したが、なにもかも言い当てられたことについてはあえて説明しなかった。
ところが彼は、そんな私の小細工は通用しないとばかりにあっさりと見抜いてしまうのであった。
「それってつまりさ、タデマルってやつの挑発が悔しくてやけになっているってことなんだろ? まず、動機が不純だ。俺達はそいつを負かすためにくっついているわけじゃない。それに、別によくないか? したとかしないとかで人間の価値が決まるわけじゃないんだから。そんなやつなんか真に受けないで冗談の一つでも返してやればいいんだよ。……あとな、俺はお前が子供っぽいから嫌いになるなんてことはないからな。この先どう変化していこうが、お前に対する気持ちはずっと変わらないよ」
痺れた。どうにかなりそうだったもどかしい気持ちがこんなに早く解消されるとは思わなかった。
私はなんて人を選んでしまったのか。タデマルとはまるで比較にならない。今のやりとりだけで動機ができてしまうと思うくらいに全身が熱くなった。
本当に、私にはもったいない人だ。
「でもね、私はね……」
「おい、それ以上は言うな。お前がよくても俺は駄目だ。なあ、頼むよ」
「どうして? ちょっとだけでも、駄目なの?」
「ちょっととかそういう問題じゃない。いろいろと準備だってしたいし、なにより今はまだ朝だぞ。とにかく、少し落ち着いてからもう一度考えてみよう。な?」
「……うん。……分かった」
確かに彼の言うとおりだった。それにこの問題は、私達が前向きに判断したことによって起こった状態なのであって、他人に口出しされたからといって急ぐようなことでもない。よって、今回の一件は私が先走ったことで発生した事故のようなものだと考えることにした。
「……だが、そのタデマルってやつのことは見過ごすわけにはいかないな」
「うん。そのことなんだけどね、さっきレインさんにお願いしてきたんだ」
「俺を、戻すのか?」
「もしかして、駄目?」
「いや、全然構わないぞ」
「でも、忙しくないの? あっちのほうに影響とかない?」
「こっちのほうに影響出ちゃってるんだから、無視できるかよ」
「……メイルぅ」
「その甘えた感じ、嫌いじゃないけどあんまり使いすぎると癖になるぞ」
「大丈夫だよぅ。ちゃんと使い分けるからぁ……」
「あのなあ、わざとやってるだろ」
「……ばれた?」
「全部お見通しだ」
「へへへ」
「ああ、それと、言い忘れていたが今日はスクネを預かることになっている。もうじき来るだろうから、そろそろなにか着てくれないか?」
「ちぇ、つまんないの」
「わがまま言うな。夜中は断れって言ったのマーマロッテだろ。それに俺はスクネの保護者なんだ。親が自分の子供ほったらかして彼女といちゃいちゃなんてしてたら、子供もそういう大人に育ってしまうだろ」
「……私、クローンだから、そういうのよく分からないな」
「その話は前にもした。生まれた条件は関係ない。子供の成長を近くで見守るのが親だ。何度も言わせるな」
「……はい。知ってます。ちょっとした出来心でした。さっきの件が一旦納まってほっとしたのか、すごく甘えたくなったのです……」
「とにかくな、お前もスクネからいろいろ教われ。親っていうのも子供からたくさんのことを学んで成長していくものなんだ」
「うん。私、頑張る」
「まあ、お前の気持ちも十分理解している。だからスクネに取られたとか無意味な嫉妬はしないでくれ。……あの、なんつうか、いつだってお前が一番なんだから」
「うわ、強烈な一言だ。嬉しすぎる」
「……俺は? 誰のものなんだっけ?」
「私ぃ」
「それ、絶対気に入ってるだろ」
「へへへ。またばれちゃったか」
こんな感じで朝の混乱をなんとか切り抜けた。
最終的に服を着させられた私は、医療室で散々言われたダクトスーツの大胆な見た目のことを話した。すると彼は非戦闘時にだけ上から羽織る専用の服があることを告白した。
それを原因とした一悶着がまた起こったのだが、実際袖を通してみると驚くほど可愛らしい出来栄えだったので、問題は瞬時に解消されたのだった。
今日は新しい人物がもう一人、地下都市リムスロットへやってきた。
それは防衛が終了した直後だった。シンクライダーが遠くに見える丘の上から歩く人影を見つけたのだ。
ふらついた足取りでこちらに向かってくるなにかをはじめに警戒したのはレインだった。彼女の忠告に耳を傾けた私達は、その人影らしきものの様子をしばらく観察することにした。すると私達が見ている前でその影が倒れこむような動きを見せて視界から消えてしまった。
監視室にいたタデマルはその人影のの回収を指示し、私達は大柄の男性を救出することになった。
その男性は自分のことを『ライジュウ』と名乗った。そしてスクネちゃんの時と同様に彼もシンクライダーの精密検査が行われたのだが、そこで厄介な問題が生じてしまった。登録情報に該当しない人物だったのである。
当人は生まれてからずっと地上で一人暮らしをしていたとのことで、地下都市には一度も入ったことがないから登録はされていないはずだと主張した。
所在の分からない人物を入居させることに懐疑的な態度を示したのは、やはりレインだった。
タデマルは当初無関係な素振りを見せていたが、ライジュウの農民出身という発言をきっかけに目の色を変えた。最終的に自身の権力を行使したタデマルは、周囲の反対を押し切ってライジュウを都市に迎え入れてしまったのだった。
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