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蠢く獣性 / reflect core その2



 なるべく口を塞ごうと緑茶が注がれた容器に集中した。

 中途半端な態度を見せるとタデマルが調子に乗ってしまう。それだけは回避させたかったので、私はさらに目を閉じてその存在を消そうと試みた。



 気休めにもならなかった。それどころか不安を掻き立てる材料にしかならず、しかもこちらの反応に気づいた相手が、面白いものを見つけたとばかりに荒い鼻息を出してきた。



 ……おいおい、なにやってんだよ。私のばか!

 ……これじゃまるで誘ってくれと言っているようなものじゃないか。

 ……もっとしっかり対応しないと駄目だ。

 ……私はもう、自分だけのものじゃないんだから。



「さて、行ってしまったね。どうしようか?」

「……」

「しかしそのダクトスーツは実に大胆だ。男心を大いにそそるね。もしかして、そこを狙って作ったのかい?」

「……」

「ヴェインが誇らしげに語っていたが、君はアイテルなしでも相当に強いらしいね。あのレイン・リリーよりも上だとか。その実力がどんなものなのか今から楽しみでしょうがない。そいつを着ているってことは、今日は出るんだろ?」

「……」

「ふうん。守りの堅さも天下一品ってわけか。ますます燃えてくるね。よし、それなら話題を変えよう」

「……」

「聞いた話によると、君には専門の護衛がついているそうだね。確か、メイル、とか言っていたかな。なんでも、アイテルすら使えないゴミのような人間だっていうじゃないか。実に不可思議なことだ。世の中は神秘に満ちているよ。どういう思考を持てばそのような無意味な行動が取れるのかな? 僕には非効率な雇用としか感じられないね。……さて、その件についてなのだけれど、よかったら聞かせてもらえないか?」

「……あなたには、関係のないことです」


 挑発なのは分かっていた。

 でも、彼のことだけは無視できなかった。


「やっと開いてくれたか。ふうん、そういうことね。だけどそのメイルってやつも大した男だ。君のような超がつく美人を手中に収めているんだからね。どれ、僕にもその顔、よく見せてごらんよ」


 高い身長に見合った細い指が私の顎を掴んで持ち上げた。あえて抵抗はしなかった。露骨な挑発行為と受け取ったからには冷静な精神で対処したほうが賢いと思ったのだ。

 どうせこの人にはなにもできない。今日の防衛を見れば自分のしたことがいかに愚かで恐ろしい行動だったのかを痛感するはず。そしてきっと、明日には大人しくなってくれるだろう。今はそのための我慢に徹するべきだと判断した。


「見たところ、あれだね。君はまだ少女のあどけなさが残っているね。ということはだ、まだ彼氏とは最後までいっていないとみた。……へえ、そうなんだ。なるほどね。どれ、もっと間近で見てあげるよ」

「……お断りします」

「ふん。そういうところだよね。君の瞳は実に分かりやすい。そしてどんな女性よりも綺麗だ。美しいよ」

「……口説こうと思っても無駄ですよ。あなたのような人が私を抱え込めるはずがないのですから」

「ほう、口だけは大人のようだ。どれ、確かめさせてくれよ。僕が評価してあげるから」

「嫌です! 離れてください!」


 これは抵抗するしかなかった。ただし男のほうもやめる気はないようで、どんなに押さえつけようとしても強引に迫ってきた。


「これ、ずっと続ける気力、ある?」

「当然です。そんなことをする気は、ないですから」

「本当はもう、感じちゃってるんだろ?」

「な、なんて、ことを!」

「しらばっくれるなよ。身体はいつだって正直なんだ。……そう、例の彼氏とのことだって、そうなんだろ?」

「……あなたに、彼のなにが分かるというんですか!」

「彼のことではない。君のことだよ。この際だから言ってしまうけれど、君さ、もうしたくてたまらないんだろ? 顔に出すぎているんだよ。今の彼氏との状況が不安でしょうがなくて、すぐにでもやってしまいたいんだ。そうだよね? 認めちゃいなよ」

「……いい加減、離れてくれませんか! 我慢にも限界があります!」

「その我慢、僕に発散してくれても、いいんだよ」

「もう、離れてよ!」

「そうそう、その調子だよ」

「離れて! 離れてよ!」



 ……ああ。やっぱりこうなっちゃうんだ……。

 ……なんだか、彼に申し訳ないな……。



「……おいそこのお前! レシュアになにしているんだ!」


 キャジュだった。揉み合っていたせいで扉の開く音が全く聞こえなかった。

 こちらのほうに早足で寄ってきたので、私は咄嗟に男の腕をすり抜けてキャジュの懐に飛び込んだ。


「……キャジュ」

「おい、大丈夫だったか! なにかされたか?」

「ううん、でも危なかった。ありがとう」

「お前なあ、そういう時は力ずくて抵抗するものなんだぞ!」

「……ごめん。気をつける」


 力が全然入らなかったとは言えなかった。メイルといる時に感じた脱力は心を許しているからだと認めることができたが、まさか初めて会った男性に対しても同じ症状が出るとは思ってもみなかった。

 それにしても、現段階でそのことに気づけたことは良くも悪くも幸運だった。

 キャジュが来てくれて、本当に助かった。


「みんなー、おっはよー。あれ? あなたレシュアよね? まあ、思い切ったことをしてくれたじゃない。しかも可愛いときてる。ふう。ほんと若いって怖いわー。あ、タデマル、おひさ」

「よう、レイン・リリー。相変わらずのようだね」

「あなたもそのキザな佇まいが平常運行しているようで安心したわ」

「第三要塞の制圧と破壊、見事だったと報告を受けている。確か、ゾルトランスから一人応援が来たそうではないか」

「連中も情報収集に手こずっているみたいだったからお互い都合がよかったのよ。それなりの成果を持ち帰られたみたいだし、なによりこちらとしても余計な摩擦を起こしたくないでしょ? まあ、接待みたいなものだったわ」

「仮初めの友好関係か。この戦争で僕達がどのくらい貢献できるかで今後の交渉条件が変わってくるからね。レイン・リリー、これからも橋渡し役を頑張ってくれ」


 その後に入ってきたロルも私を見て似たような反応を示した。さっきのタデマルとのやりとりがあったおかげか、ロルの口から吐き出されるいつもの煩わしさが純粋な褒め言葉に聞こえて妙な気分になった。



 シンクライダーが最後に入室して各々が腰を下ろすと、一堂はタデマルに注目した。キャジュはさっき起こったことについて発言することはなく、ただしっかりと私の手を握ってくれていた。



 キャジュとはメイルとの一件以来疎遠になっていた。恨みっこなしとか自分で言っておきながら、なんとなく後ろめたさみたいなものを感じて積極的に会うことを避けていたのだ。

 そんなこちらの思いとは裏腹に、彼女が握る手の温もりと寄せてくる肩の感触は、あの時の優しさに溢れたキャジュとなにも変わってはいなかった。



 ……あなたもきっと涙を流したんだよね。

 ……それなのに、この私ときたら……。



「ところでレシュア、あなたヴェインとは連絡とっているの?」


 急に声をかけられて顔を上げると、目の前にはレインが立っていた。


「あ、はい。昨日もシンクさんの機械を使って話をしました」

「どうだった? いじけてなかった?」

「とても元気そうでしたよ。それに、私を独り占めできるのが嬉しいみたいです」

「あいつらしいわね。まあ、元気にやっているなら言うことはないわ」

「レインさんは話さないんですか? 長い付き合いなんですよね?」

「いいのいいの。どうせ私なんかが出てきたってろくな話しないんだから」

「なんか、寂しいですね」

「ほどよい距離感とでも思ってくれればいいわ。実際そうなのだし」

「はい。以心伝心ってやつですよね」


 タデマルが大袈裟に咳払いをした。どうやらこの集会は私語厳禁らしかった。

 仕方ないので無言で待っていると、注目を浴びたことに満足したのか、もう一度大きく咳払いをしてさらさらの前髪を優雅に撫で上げた。


「さて、朝早くから集まってもらって申し訳ない。ある程度話には聞いていると思うのでそのつもりで話す。今日からシンクライダー医師の担当を引き継ぐことになった、タデマルだ。当初の予定では別の人間が来ることになっていたが、この都市の防衛メンバーの統率が乱れていると聞いて急遽僕が来ることになった」


 それは違う、と直感が反応した。


「知らない人間もいるだろうから説明しよう。僕は地下都市スウンエアの防衛の指揮を任されていた。あちらのほうはここの皆も周知のとおり、芳しくない状況だ。しかしこちらの状況を無視できなかった僕は、ヴェインと協議を重ねた結果ここに来ることが望ましいと判断した。応援として参加したヴェインは個人戦を最も得意とする人間だったので、指揮の代役を立てれば防衛に支障はないだろうということだった。今日この場に立っているのはそういった経緯のもとにあることを、まずは知って欲しいと思い話した。よいだろうか」


 話の半分以上は耳に入ってこなかった。今の説明は自分の都合のためにヴェインを説き伏せた事実をそれらしく語っているにすぎない。そうとしか思えなかった。


「以上が前置きとなるが、間延びさせるのは僕としても不本意なので掻い摘んで説明する。明日からここの防衛は僕が指揮をとる。今日はそのための情報収集として防衛の様子を観察させてもらうので、そのつもりで行動して欲しい。……それと、これは僕個人の話になるが、今日の住民登録と住居手配に時間がかかることを想定して、どなたかの部屋を貸して欲しい。可能であればそちらにいる女性達のいずれかを所望する。構わないという者は挙手をしてくれ」


 憤りを通り越して呆れてしまった。既に二人が手を挙げないことを知りながら、それでも誰かの手が挙がるだろうという自信ありげなこの態度は、一体どこから生まれてくるのだろうか。

 容姿もさることながら価値観も全く食い違っている。同じ人間であるはずなのにそれをどうしても認めたくない感情が私の胸の中で彷徨っていた。


「レイン・リリー、君の都合は? 願わくば聞かせてくれたまえ」

「私? 女に含めてくれていたの? ……悪いけれどお断りするわ。簡潔に言わせてもらうと、あなたに全然興味がないの。ごめんなさいね」

「では、そこの黒髪の君、どうかね?」


 キャジュを指差した。

 きょとんとした表情で考え込んでいる様子を隣で眺めていると、私の手を握る力が心なしかきつくなった。


「ああ、私か? そうだな、別に泊めてやってもいいぞ。ただし先に言っておくが、私は地球人ではないからな。お前の望みは叶えてやれないかもしれない。それでもいいなら来い。相手してやる」

「……ちょっと、キャジュ」


 思いっきり強く手を握られた。キャジュはこちらの問いかけに応答することはなく、タデマルのほうをじっと見つめたままだった。

 私は握っている手のほうに彼女の意思があることを信じて、それ以上の言葉を発しないことにした。


「はい、決定と。それではこれで解散とする。各自今日の準備を進めておいてくれたまえ。あ、キャジュ君とやら、君はここに残るように。いいね?」




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