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蠢く獣性 / reflect core その1



 彼との日々はとても穏やかで刺激に満ちていた。

 生活そのものは以前と変わりなく平凡なものだったけれど、その全てが新鮮に思えてなにをしても幸せしか感じなかった。



 彼が最も情熱を注いでいる農地区域での作業の手伝いも楽しくて仕方がなかった。顔中土まみれになる彼をうっとり鑑賞していたかと思えば、知らぬ間に自分も同じ顔になってしまうくらいにとにかく夢中だった。指を差してからかう彼の笑顔もとても愛おしく感じられて、私の胸はその度に高鳴った。



 あれから何着か新しい服を作ってもらった。どれもが私の要望に沿った可愛らしいものばかりだった。

 実際に着用して出来栄えを見てもらう時の彼の照れくさい表情は、全身に流れる母性を激しくくすぐった。こういう時ほど抱きしめて欲しいのだが、大概の彼はそれを恥ずかしがってしなかった。

 結局抱きしめるのは、いつも私のほうからなのである。


「おいおい、急にどうしたんだよ」

「ありがとうね。感謝のだっこだよ」

「おお、そうか。だったら、まあ、致し方ないな」

「そうそう、致し方ない。致し方ないのだよ」

「この、甘えん坊が」

「そうなのだ。私はとっても甘えん坊なのだ」

「ったく。幸せすぎて零れるだろ。もったいないからこのくらいにしとけ」

「うん。でも、本当に嬉しいんだからね」

「分かってる。俺も嬉しいよ」


 彼は普段着だけではなく近々戦線に復帰する私のためを思って専用のダクトスーツも作ってくれた。

 基本的な形はレインのものを参考にして自由な動きを可能にするための簡素化、軽量化を施したのだという。色は白を基調としているがところどころに薄緑や黒を配している。全身が真っ白だと汚れが目立ってしまうからという彼の配慮だった。

 専用の管はカウザ第三要塞襲撃に参加してくれたルウスおじさまからいただいたものらしかった。完成した時は嬉しくて涙が止まらなかった。



 それから二日が経った今日、復帰することが決まった私はダクトスーツの最終調整のためにシンクライダーのもとを訪ねたのだった。


「おぅ! ビューティーエクセレント! なんてことだ! 美しすぎますよレシュアさん。これは朝から刺激が強すぎます!」

「おはようございます。お約束の件、よろしくお願いします」


 おそらく強調された身体の線のことを言ったのだと思う。レインの様式美に溢れた外套などの装飾が全くついていないので、密着型の着衣が全身の輪郭をほぼ忠実に写し出していたのだ。

 ちなみにこの姿のことは製作途中の試着で気づいていたのだが、機能重視を訴えるメイルがあまりにも真剣だったので下手な注文を出すことができなかった。

 彼曰く、はじめは少し目立って見えるかもしれないが、人の目はそのうち慣れるものだから気にせず堂々としていればいい、だそうだ。なんとも彼らしい無垢な説明だと思った。



 調整はすぐに終わった。シンクライダーが両手に持った機械の前で三系統のアイテルを放出する。ただそれだけだった。

 メイルの縫製に狂いがなかった分、管を流れるアイテルに歪みが生じなかったというのが調整不要の理由だった。こういうところでも私を魅了させるのが彼のすごいところだと毎度感心させられる。


「あれ? もしかして、髪型変わりました?」

「あ、はい。昨日切ってもらいました」

「おお、なんて素晴らしいんだ! 切ったのはもちろん、彼なのですね?」

「はい。どう、ですか? おかしいですか?」

「いいえいいえ、とってもよく似合っていますよ。素敵です」

「ありがとうございます」


 この都市に住みはじめてからずっと手入れをしていなかったので思い切って短くしようと彼に頼んだのだった。

 胸元まであった髪を下顎のところまで切り、もともと多かった髪の量を少なくしてもらい、前髪も違和感がない程度に切り揃えてもらった。結果は言うまでもなく、完璧な出来栄えだった。

 やや丸めの顔が目立つかもと不安だったが、彼は大満足の様子だったので今ではとても気に入っている。



 せっかくなので彼の髪も切ってあげた。するとそこで少しばかり問題が生じてしまった。ますます男らしくなってしまったのである。当人はすっきりしたと喜んでいたみたいだが、私のほうは胸の高鳴りが増すばかりでなんだかもやもやしてしまった。



 悩みがあるとすれば、それは彼に対する想いがどうにも止まらなくなってしまっていることだった。この暴走ともとれる想いは、いつか私をある意味で壊してしまうのではないかと我ながら心配してしまうほどだった。


「あ、そうでした。これをレシュアさんにも差し上げましょう」


 それは近接戦闘に特化した手を保護するための防具だった。

 指先から肘にかけて装着するこの黒い防具には、なにやら左手の手の甲の部分に特殊な文字が彫り込まれていた。これがどういう文字なのかを理解することはできたし読むこともできたが、どんな意味の言葉なのかまでは分からなかった。

 古代文明に造詣の深いシンクライダーならではの防具だと思った。


「……これ、前にロルさんにあげたものですよね?」

「そのとおりです。ですが、これは激しい戦闘をされるレシュアさんのために改良を施したものなので、遠慮なく振り回してもらっても壊れないと思いますよ。まさにレシュアさん専用武具といったところです」

「ありがとうございます。大事に使わせてもらいます」

「不具合があったらいつでも言ってくださいね。……ああ、そうだ。せっかく朝早くに来ていただいたのですから、お茶でも召し上がっていきませんか? すぐに淹れてきますので」

「はあ、それでは、お言葉に甘えて……」


 シンクライダーが流し台にこもっている時間が退屈だったので、彼が掻き集めてきたらしい太古の遺物と称される機械の数々を眺めた。

 自慢の収集品と言うだけあって、そのどれもが現代を感じさせない意匠を放っている。これらを使用していた当時の人達の気持ちを想像すると、シンクライダーが心を動かされた理由もなんとなく分かる気がした。



 流し台の人影がなかなか出てこないのでそろそろ見飽きた機械の用途などを漠然と考えながら時間を消化していると、呼び鈴もなしに突然医療室の扉が開いた。

 視線を扉のほうへ移したその場所には、知らない人物の顔があった。


「あれ? リーダー、いないの?」


 かなり背の高い、おそらくヴェインくらいの身長の痩せた男性だった。

 艶のある茶色の前髪を真ん中で分けた長めの髪と、病的なまでに色白ですっきりとしたその顔立ちは個人的に全く好みではなかったが、一般的には美男子と呼べる水準のものを持っていると思った。

 この人物を見て最も印象的だったのは、シンクライダーと同じ白衣を纏っていることだった。


「おう、タデマル君。随分遅かったじゃないですか」

「引継ぎがうまくまとまらなくててこずった。これでも急いで来たのだから、ねぎらいの一つでももらいたいものだね。リーダー」

「いやあ、長旅、ご苦労様でした。そのへんに掛けていてください。君の分も今から準備しますんで」


 タデマル。それがこの男性の名前らしい。話している時の仕種や態度が自信に満ち溢れているといった感じで、レインとは微妙に異なる嫌味を醸し出している。

 生理的に目を合わせたくなかった。しかしシンクライダーが一向に姿を現してくれないので、強制的に二人だけの空間ができてしまった。

 とても、嫌な予感がした。


「やあ。君がかの有名な女王の妹さんだね。ヴェインから聞いていたよ。僕は今日からここで医師を担当することになったタデマルだ。君の名前は、レシュアで合っているよね。よろしく」


 手を差し出された。初対面で断るのはさすがに失礼だろうと思ったので機械的に握手をした。もちろんすぐに離すつもりだった。

 ところが、どんなに指を開いても相手の握る力が強くなるばかりで、こちらの意思には応じてくれなかった。


「あの、離してくれませんか?」

「どうして?」

「離して欲しいからです」

「僕はそうじゃないけれど」

「あなたの気持ちは関係ありません。早く離してください」

「嫌だと言ったら?」

「力ずくで離します」

「へえ。それなら、やってみれば?」

「怪我しますよ。運が悪ければその腕、使えなくなるかも」

「面白い。是非ともやってみてくれたまえ。やれるものならね」

「あとで後悔しても知りませんからね」


 流し台から出て来る音がする。

 タデマルは端正な笑顔を作ってゆっくりと手を離した。

 握られた手には気持ちの悪い汗がべっとりと付着していた。すぐにでも手を洗いたい気分だった。

 いつものように液体の入った容器を抱えたシンクライダーは、今のやりとりに全く気づいていない様子の笑窪を作っていた。


「早速ご挨拶とは珍しいですね。お二人とも、紹介は済みましたか?」

「噂に聞いていたとおりの人だ。僕の冗談にも真剣に対応してくれる器の広さを持っている。ここに来る前はかなり不安だったから少し胸を撫で下ろしたね」

「それはよかったです。君が来てくれて僕も一安心ですよ。兼業はさすがに厳しいものがありましたからね」

「ところでリーダー、メンバーはこれだけ? 他にもいたよね?」

「はい。いるにはいますけど、今からですか? 朝から全員が集まるかどうか分かりませんよ」

「そこを集めるのがリーダーの役目なのでは? せっかく時間に合わせて来たんだから、駒にはしっかり揃ってもらわないと」

「はあ、それもそうかもしれませんね。では、端末で呼びかけてみましょう」

「早くしてくれよ。こちとら寝不足なんでね」

「了解です。……ああ、どうせですからキャジュ君にも来ていただきましょう。ちょっと呼びに行ってきますんで、それを飲みながら少々お待ちください。では」

「……あ」


 行ってしまった。最悪の展開だ。

 悪気がないことは当然分かっている。でもこの瞬間に限ってはシンクライダーを心底恨めしいと思った。



 ……これって、口説いてくるやつだよね?




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