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雲となり、雨となり / lying above その2



「……メイル」

「……とにかく、もう一度座ってくれないか。真面目に聞いて欲しいんだ」


 興奮したせいか自然と言葉が出た。キャジュとはうまく話せなかったのに、どういうわけかこの人とはうまく話せてしまう。なんだか不思議な気分だった。



 うなだれた彼女が寝台の向かいに置かれた椅子に座るのを待ってから、俺も寝台に腰掛けた。まだ身体が適応できていないためか倒れこむような体勢になってしまった。

 少し戸惑った様子でこちらを見つめている。

 帰ろうとした際に見せた彼女の潔い表情は既に消えていた。


「俺の身体のことは、聞いているな?」

「……うん」

「じゃあ、俺が眠れないことも、聞いていたか?」

「……眠れ、ない?」

「そうだ。この身体は万能の機能を備えすぎているために傷を癒すどころか睡眠まで取り除いてしまうんだ。この意味が分かるか?」

「……どういう、こと?」

「時間だよ。普通の人間が眠っている間も俺は起き続けなければならない。つまり、他人よりも長く生きているということなんだ。ここまでなら理解できるだろ?」

「……う、うん。でも、それが……」

「最後まで聞け。いいか。眠るということはな、精神と世界を同期させることなんだ。普段から眠れているやつには分からないかもしれないが、人間はそういうふうにできている。眠り続けないとどうなるか知っているか? 簡単に言うと死んでしまうんだ。……でもこのとおり、俺はそうもいかない。肉体は常に死を回避する行動をとる。それに対して俺の精神は世界との同期を果たせずにどんどん朽ち果てていく。俺は二十二年間ずっとそれに耐えてきた。そしてついに、限界が来てしまったんだよ……」


 頭の中が混乱しているのだろう。もしくは言葉を慎重に選んでいるのかもしれない。どちらにせよ、解決方法は一つしかなかった。


「疲れ果ててしまった。もう終わりにしたいんだ。眠りたいんだよ! だからさ、殺して欲しいんだ。マーマロッテの手で。それが、俺の求めている幸せなんだ。なあ、分かってくれるだろ?」

「……分かるわけ、ないでしょ……」

「なんでだよ。俺は苦しいんだよ! こうしていることが辛すぎるんだよ!」

「……どうして、私なのよ。そんなに死にたいなら、他の人に頼めばいいでしょ! なんで、なんで私でなきゃ駄目なのよ!」

「それは……」

「なによ! はっきり言いなさいよ!」


 正面の視線には強烈な怒気が帯びていた。

 俺の顔には大量の唾がかかっている。

 彼女も、捨て身なのだと分かった。


「……それは、お前のものだからだよ」

「え? ……どういう、こと?」

「俺の全てはもう、お前のものなんだって言ってんだよ!」


 黙ってしまった。こっちも黙っているとあっちの目からまたあれが流れてきた。

 呼吸の乱れを直そうと必死に耐えているみたいだったが、このままではおそらく無理だろう。

 俺は、続けることにした。


「お前が死ぬかもしれないと思った時にそうしようと決めたんだ。心臓だけじゃない。あの日の夜に他のものも全部渡したんだ。身体も、心も、全部だ! だから、お前が願うとおりの幸せを……俺の幸せを叶えて欲しいんだよ!」

「……そんなこと言われたって、殺せるわけないじゃん。今だって見たでしょ? 私には、絶対に無理なんだよ」

「それじゃあ俺がこのまま死ねないで苦しむのを、お前はただ見ているのか? 何度も言わせるなよ! もう限界なんだよ!」

「……他の、解決手段を、探そうよ。ねえ、そうしようよ」

「さんざん探したさ。でも見つからなかったんだよ。どんなに考えても眠る方法なんて、ないんだよ……」

「……!!」



 彼女の顔色が急に変わった。

 それは、劇的ともいうべき変化だった。

 ……。



「……あれ? なんか、変だよ」

「は?」

「……ねえ、ちょっと、聞いてもいい?」

「なんだよ? 決心がついたのか」

「……あのさ、メイルって、本当に眠れてないんだよね。ずっと」


 彼女の表情がまた変わった。うつむき加減のそれは憂いというより疑念に近い面持ちだった。

 俺はその間に興奮していた神経を落ち着かせようと思った。

 数回の溜息を吐くと、いつもの自分が戻ってきた。


「ああ。基本的にはな。あるとしてもせいぜい二分あるかないかだ。しかも意識ははっきりしている。それがどうしたんだ?」

「……そっか。じゃあさ、十一年前に私が泊まった夜も、メイルはずっと起きていたの?」

「はっきりとは覚えていないが、たぶんそうだったと思うぞ」

「……そう、かなあ」

「は?」

「……だってね、あの日の夜、私隣にいたんだよ。それも覚えていないの?」

「お前が? 隣に?」

「……そうだよ。こっそり行ったんだよ。メイルの布団の中に」

「そ、それが本当だったら忘れるわけがないだろ。う、嘘をつくな!」

「ついてないよ。だって私、あの夜眠れなかったからはっきり覚えてるもん」

「……じゃあ、なんで、俺は忘れているんだ……」

「そんなの簡単だよ。眠っていたからだよ。まだ子供なのにいびきなんかかいちゃってさ、私が隣で笑ってても全然気づかないものだから、いたずらしちゃった」

「……まるで、覚えていない。どうしてなんだ?」

「はじめてだった、からじゃない? 今までもそれっぽい経験はなかったの?」

「分からない。いや、ないと思う。でも、それが本当なら……」


 そんなことがあっていいのだろうか。

 そんな単純なことで、俺の一生の苦しみを取り除けるのだろうか。



 ……いや、あるはずがない。それではまるで、おとぎ話みたいじゃないか。



「……ねえ、試してみようよ」

「試すって、今からか?」

「だって、もう限界なんでしょ?」


 彼女は部屋のどこかにある布団を探しはじめた。相当乗り気のようだ。

 気乗りしないこちらを無視するように独り言を呟きながら部屋を見て回っている。ほどなくして見つけ出した布団を両手に抱えて戻ってきた。


「もう一度聞くが、本当にやるんだな?」

「どうして? やっぱり私とじゃ、嫌なの?」

「そういう意味で言ったんじゃない」

「じゃあ、なに?」

「いや、その、恥ずかしいだろ」

「今になってそれはないよ。ちょっとずるい。もしかしたら眠れるかもしれないんだよ。だったら、やってみなくちゃ」

「あ、ああ」


 一人で横になるのも窮屈な寝台に彼女が乗っかってきた。言われるがままにしていると、俺達は一枚の布団の中に納まった。

 壁のほうを向いた俺の背中に彼女の手が触れる。頭がおかしくなりそうだった。


「……ねえ、こっち向いてよ」

「なんでだよ。それも必要なことなのか?」

「……うん。やるならしっかり再現しないと」


 なかなか決心のつかない俺の背中をしつこくつついてくるので、不本意ではあったが反対側を向いた。案の定、彼女の顔が目の前にあった。

 あまりの緊張で死ねるかもと思った。


「本当に、これで眠れるのか?」

「大丈夫。きっと眠れるから」

「お前が眠ると分からなくなるんだから、しっかり見てろよ」

「ちゃんと、見てるよ。安心して」

「ところでよ」

「なに」

「目、閉じてればいいのか?」

「そうだよ」

「このまま眠ってしまったら、どうする?」

「まだ夜じゃないから、起こすよ」

「起こせるのか?」

「頑張ってみる」

「すまないな。ゆすっても起きない時は叩くなり叫ぶなり好きにしてくれていい。とにかく、よろしく頼む」

「……うん。任せといて」



 ゆっくり目を閉じると、彼女の呼吸と体温が直に伝わってきた。

 首筋の辺りから流れてくる甘い香りが、脳の血の巡りを穏やかにしていく。



 全てが許された世界を全身で感じながら、黒い視界が静かに揺れた。

 呼吸を重ねるたびに時間が途切れていく。そこにあったものが身体からじわじわと落ちていき、彼女の温もりが、遠ざかっていった……。



「……おやすみ。メイル」



 ……。

 ……。

 ……。






















 ……それは、苦しいという感覚だった。

 息ができないわけではないが、なにかに塞がれている感触が顔面にあった。

 ……燃えるように熱い唇が、俺の唇を支配していたのだ。

 声にならない呻きを発すると、それに気づいた唇が咄嗟に離れた。






















「……起きるの、早いよ」

「……俺、眠っていたのか?」

「うん。とっても気持ちよさそうだった」

「……無防備なやつに、なにしてんだよ」

「だって、好きにしてくれって、言ったじゃん」

「あのなあ」

「……それと、忠実に再現しなくちゃと思って」

「……お前、まさか」

「へへへ。これがはじめてじゃ、ないもんね」

「……この、馬鹿野郎……」



 完全に、弾けた。

 眠れるとか眠れないとか、もう関係なくなっていた。



 溜め込んでいたものの全てがどうでもいいように飛び散って、頭の中が目の前のものでいっぱいになった。

 マーマロッテの瞳が俺の目を見続けている。嬉しいような悲しいようなどちらとも表現できない微笑みを浮かべていた。



 そっと、顔を近づけると、彼女の瞼が閉じられた。

 言葉にならない感情を爆発させるように唇を重ねると、彼女の腕が俺の背中に触れてきた。


「……ねえ、抱きしめてよ」


 返事をするかわりにそうしてやった。はじめてのことだったので彼女の腕を下に通すか上に通すかで迷った。結局、下に通した。

 背中に回した右腕で彼女を引き寄せると、息苦しくなるほど強く抱きしめられた。身体の中に入っている自分が吸い寄せられていくみたいだった。


「……メイル、汗臭い」

「今さらかよ。嫌ならやめるか?」

「ううん。これがいい」

「この、変態が」

「あとで洗ってあげる。いいでしょ?」

「勝手にしろ。そのかわり、服は着ろよな」

「え? 駄目なの?」

「当たり前だろ。他にも人がいるだろうが」

「あ、そうだったね。忘れてた」


 二つに分かれていた気持ちが一つに戻ったことで、時間がもとの場所に戻っていくような気がした。

 心に負った傷が互いの唇に触れることで消えていく。

 どこまで消えるのかを確かめたくて、俺達は何度もした。


「ところでよ」

「なに」

「お前、でかすぎなんだよな」

「でかい? なにが?」

「……胸だよ」

「ああ、そうだね。確かに、でかいね。へへへ」

「なんか、つっかえる」

「だよね。なんとなく私もそう思った。メイルは、嫌い?」

「よく、分からない」

「小さくしたほうがいいの? だったら今度そうしてくるけど」

「で、できるのかよ!」

「どうだろうね。今度レインさんに相談してみる」

「い、いや、いいよ、や、やめとけよ。これで十分だよ」

「そう? じゃあそうする。あとでやっぱり、とかは反則だからね」


 寝ながらですると疲れることに気づいたので、起き上がって続けることにした。

 不慣れな両腕があちこち行くのが気に入らなかったのか、彼女の手が俺の腕を腰に固定させた。

 恥ずかしい気持ちはあったが、触れられた手の感触の喜びのほうが大きかった。


「ねえ」

「どうした」

「よかったね」

「なにが」

「願い、叶ったね」

「だから、なんだよ」

「抱きしめられたじゃん」 

「……お前、手紙、読んだのか?」

「うん」

「よりによってそこかよ」

「へへへ」

「……知ってたのかよ。ほんと、お前ってやつは……」

「……誕生日のこと、覚えてくれてたんだね」

「……ああ。あの時、祝ってあげればよかったな」

「たくさん泣いたんだけどね。別れるのがとっても辛かったよ」

「俺もそうだった。大事なものがなくなった気分だった」

「……それじゃあ、あなたにあげる」

「え?」

「……あなたの全てをもらったお礼に、私の全てをあなたにあげる」

「一度受け取ったらもう手放す気はないけど、いいんだな?」

「うん。だって、私も返すつもりなんかないもん。それに、こんな宝物、もう二度と手放せないよ」

「お互い様、というわけだな」

「そうだね」

「……ありがとう。大切にするよ」

「ちょっとだけ壊れやすいかもしれないから、優しく扱ってね」

「ああ。そうするよ」

「……あのさ、メイル」

「ん?」

「私達、今日から生まれ変わろう」

「……マーマロッテ」

「だからもう、なにがあっても、離さないでね」

「……ああ、約束する」


 その後もずっと一緒にいた。風呂はさすがに断ったがそれ以外の時間は片時も離れなかった。



 夜になってからレイン達に会い頭を下げにいって、全員で夕飯を食べた。キャジュへの弁明にかなり戸惑ったが、正直に告白することでなんとか理解してもらった。

 マーマロッテとは明日から同じ家に住むことになった。レインの提案だった。今日までいた倉庫は当初の予定通りキャジュの住処となり、いずれはそこにスクネも住ませるのだという。本人達の要望なのだそうだ。

 これでスクネとは会いづらくなってしまったと思ったが、キャジュは都合が悪い時は俺のほうに預けると言ってくれた。


「……夜は、断ろうね」

「駄目なのか?」

「だって、でしょ? もう、意地悪なんだから」

「分かった。そう言っておく」


 久しぶりに彼女の膨れた顔を見た。これをする時は決まって控えめな八重歯を見せることになっていたのを思い出した。

 俺達が人前で馬鹿みたいに笑ったのは、いつぶりだろうか。


「あらやだ。あなた達って笑った時の顔、そっくりじゃないの」


 レインがそれとなく放った言葉に二人で不思議がっていると、そこにいるみんなが同意の笑顔を見せた。首を傾げるマーマロッテを見つめていたらどうにも感情が抑えられなくなってとうとう俺も笑ってしまった。マーマロッテは最後まで似てないと言い張った。



 彼女の家に戻ってからは生活用具の整理などを済ませて、空いた時間を二人だけのことに使った。触れ合ったり話したりと倉庫でしていたことと同じことをした。

 いくら続けてもまだ物足りなかった。その先を求めているのではなく、単純にそうしていることに飽きを感じなかったのだ。


「俺が書いた手紙、まだ持っているか?」

「うん。見たい?」

「ああ。ぜひ見たいね」


 彼女から手渡されたものは、間違いなく塗り潰されていたものだった。

 聞こうか聞くまいか悩んだが、やっぱり聞いてみようと思った。


「ここだけどさ、どうやって読んだんだ?」

「へへへ。内緒だよ」

「なるほどそうきたか。さて、どうしてやれば教えてくれるんだい? ほらほら」

「なにそれ、面白い。ちょっとこないでよ変態」

「おい、変態はないだろうが。せめて変なお兄さんくらいにしてくれよ」

「ちょっと、やだあ。くすぐったいってば」

「おい、吐けよ。吐いちまえよ」

「ははは。だから、ははは。内緒だって、ははは」



 つまらないことで笑い合える幸福。

 これが俺達の求めていたものだった。



 初めて出会ったあの日から、長い長い苦しみを経てようやっと掴んだもの。

 彼女だったから乗り越えられたもの。そして、これから乗り越えていくもの。

 一人では乗り越えられなかった困難も、二人だったらきっと越えられる。



 苦しかった過去を愛おしく思える日が来るのを信じて、俺はこのかけがえのない笑顔を守り続けてみせる。

 その最後の瞬間まで……この身体が朽ち果てても、ずっと……。



 ……ありがとう、マーマロッテ。

 ……お前と出会えて、生きる意味がやっと見つかったよ。

 ……だからもう、一人になんかさせない。

 ……ずっと側にいるから、辛いことがあっても一緒に乗り越えていこう。



「……おやすみ、マーマロッテ」

「……おやすみ、メイル」


 そして俺達は、この日から新しい人生を歩きはじめた。




『マーマロッテへ


 それじゃ、元気でな。みんなにもよろしくと伝えておいてくれ。

 生まれ変わったら、今度こそお前を抱きしめられる男になるよ。


                           メイル・メシアス』




――――――――――――――――――――――――――――――――――――

物語はまだまだ続きます。

引き続きお付き合いいただければ幸いです。

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