明日を重ねる唄 / for your trace, my dear その3
真相を確かめるために医療室へ駆け込むと防衛を終えた戦士達が集まっていた。
シンクライダーはぐったりした様子で寝台に腰掛けていて、ロルはシンクライダーのかわりに流し台に立っていた。
誰よりも私の異変に気づいたのはレインだった。
「レイン、さん。話が、あります」
「レシュア、あなた声出せるようになったのね! よかったじゃない」
「メイルの、ことで、聞きたい、ことが、あります」
胸の中にある心臓の前の持ち主のこと、そしてその持ち主がどうして倉庫に閉じこもっているのかを自分なりに考えた予想を交えて話してみた。するとレインは概ね合っていることをやっと告白してくれた。
「どうして、黙って、いたん、ですか?」
「あなたの気持ちが落ち着いたらいつか話そうと思っていたわ。まさかこんなに早く気づいてしまうなんて。……キャジュが喋ったの?」
「キャジュ、からは、なにも、聞いて、いません。この胸が、教えて、くれました。……あの人が、ここに、いるんです」
レインは私を医療室の外に出した。気落ちしているような神経質になっているような微妙な佇まいだった。
無言で待っていると、私の家に行こうと言われたので素直に従った。
部屋へ入るなり椅子に座るよう促されたので、私は水を二杯注いでそれを食卓の上に置いた。レイン専用の管がないことに気づいてどうしようかと迷っていたら、アイテルで飲めるからと言われたのでそのまま席に着いた。
「……あなたが倒れた日の夜、メイルはあなたを助けるためにある提案を出した。彼の意思は固くてなにを言っても聞き入れてはくれなかった。当初あなたには人工の心臓を埋め込む予定だったけれど、彼の身体をもってすれば二人とも助かるのではないかと思って、私達は決行することにしたの……」
彼の身体について聞いた。異常な回復力、異常な耐性、異常な適応力。そのどれもが耳を疑うような内容だった。
「彼自身も今回は死ぬかもしれないと言っていた。超人的な肉体を持っていたとしても、心臓を抜かれたらどうなるかなんて想像つかないものね。相当の覚悟があっての決心だったと思う。もちろん、彼も全力で助けるつもりで挑んだわ。……でも、結果は私達の望むものにはならなかった」
レインは容器に入った水を仮面の奥の口元へ器用に流し込んだ。私は固唾を呑んで次の言葉を待った。
「彼の命は無事だった。でも、彼の『心』は、そこにはなかった」
右手が咄嗟に左の胸を抑えた。いなくなった心の在処を示しているみたいだった。
それは、私の意志によるものではなかった。
「彼の身体に残ったものは一心不乱に生を貪る怪物の魂だった。どうすることもできなかった私達は彼を倉庫の中に隔離したの。彼の施術を担当していたキャジュはこうなってしまった責任は自分にあると言って彼の身の回りの世話をはじめた。そして、今も本当の彼が戻ってくることを、ずっと待ち続けている……」
キャジュの虚ろな表情が目に浮かんだ。
あの顔は彼と私の両方に対する思いが込められていたのかもしれない。
そう思うと、自然に溜息が出てきた。
「……本当は渡すつもりではなかったのだけれど、彼が目を覚まさないのであればそれも致し方ないわね」
レインの手には綺麗に折りたたまれた紙のようなものが握られていた。
深呼吸をしてからその紙について尋ねると、彼が書いた手紙だという言葉が返ってきた。
「自分が目を覚まさなかった時はこれをあなたに渡してくれと頼まれたわ。ねえレシュア、これだけは言わせて。……私、これをまだ読んでいないの。あなたに宛てたものだから見るべきではないって思ったのよ。……正直に言うとね、とても怖いの。これを読んだあなたがどうなってしまうのか、危険なことをしてしまうのではないかって考えてしまうのよ。……だから、もし見たくないのであれば今ここで燃やすわ」
「読みます! 私、読みます!」
揺るがない気持ちを目で訴えると、うつむき加減に目を逸らされた。
レインの気持ちは痛いほど分かる。でも、読まなければきっと今よりよくはならないだろうし、場合によってはもっと酷くなるかもしれない。
私は全身の力を込めてめいっぱいに手を突き出した。
無表情で睨み続けると、力ないレインの細い指がゆっくりと持ち上がって、紙は私の手の平に落ちた。
見たことのある紙だった。これはたぶん、製造区域で使われていたものだ。
すぐに開きたかった。でもここではまだそうしないほうがいいと思った。
「レインさん、もう、いいです。今日は、ゆっくり、休んで、ください」
「……信用しても、いいの? あなたのことを、信じても、いいの?」
「断言は、できません。でも、死のうなんて、ことは、考えないと、思います」
「……ほんとに?」
「彼がくれた、命ですから。死ねるわけが、ありません」
「……分かったわ。あなたの言うとおりにする。相談したいことがあったらいつでも来て。協力するから」
「ありがとう、ございます」
「……じゃあ、行くわね」
玄関の扉が閉まった。既に泣きそうになっていた。
彼が死を覚悟して残してくれた言葉。それがこの中に書かれていると思うだけで感情が暴走しそうになった。
涙が枯れてしまわないように水を一気に飲み干した。
身体はまだ吸収していないはずなのに、目からは既に数滴が落ちていた。
服の袖で視界をはっきりさせてから、震える手で四つ折の紙を、開いた。
『マーマロッテへ
これを読んでいるということは俺はもうこの世にはいないだろうから、そのつもりで書く。真面目に書いたから最後まで読んで欲しい。
まず、俺の身体のことだが黙っていて悪かった。もしかしたら今回のようなことが起こるかもしれないと思っていたから、余計な感情を持って欲しくなくて言わないでいた。本当にすまないと思っている。
今回の件は俺が頼んだ。他の奴等はいい顔をしなかったがなんとか説得して手伝ってもらった。だから彼らのことは責めないでやってくれ。
身体の調子はどうだろうか。元気にしていているだろうか。自分の目で確かめられないことが少し気がかりだ。困ったことがあったらすぐにシンクやレインに相談してくれ。彼らならきっとうまくやってくれるはずだ。くれぐれも一人で抱え込まないように。みんながついている、そのことを忘れないでくれ。
こういう結果になったことはとても残念だが、どうか気にしないで欲しい。俺が勝手にしたことだ。今はとにかく自分の身体をいたわってくれ。そしてできることなら俺のことは忘れてくれ。いつまでも健康でいてくれることを切に願っている。
十一年前の記憶が正しければ今日で二十歳になったんだよな。おめでとう。これからたくさんの幸せが訪れるといいな。いろいろと大変なこともあるだろうが素敵な大人になってくれ。
それじゃ、元気でな。みんなにもよろしくと伝えておいてくれ。
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メイル・メシアス』
残酷なことをしてしまった。本当に生きなければならない人の未来を自分のせいで壊してしまった。あんなに純粋で誰からも愛されていた人を私一人のせいで滅茶苦茶にしてしまった。彼には本当に酷いことをしてしまった。
こんな文章を彼に書かせたのはあの時ついた嘘のせいだった。どちらとも知れないこちらの気持ちに、しっかりと伝わるよう細心の注意を払って書いているのがよく分かった。
かなりの気を遣わせたのだと思う。一生懸命に考えてくれただろうその内容には彼の押し殺した気持ちだけが表現されているようにしか感じなかった。
私が知りたかったのは心臓移植を決心した理由だった。どうしてそうしようと思ったのか。なぜ私のために命を懸けようと思ったのか。それは、言い換えれば彼の私に対する想いだった。
はっきり書いて欲しかった。大切に思われていたことは彼の行動と文面で知ることはできた。でもそういうことではなかった。
忘れろと言われてもできるわけがない。特別な存在として思ってくれていたのなら、そう書いてくれたほうがずっと幸せになれた。
何度読み返してもそれらしい気持ちはどこにも書かれていなかった。
マーマロッテと書いてくれたことはとても嬉しかった。でもそれ以上の想像を膨らましてみても虚しいだけだった。
最後の文章の下に塗り潰したような痕跡はあった。もともと文章が書かれていたのだろうけれど、しっかり塗られているせいでそれを見ることはできなかった。
もう、彼の気持ちは閉ざされたままなのだろうか……。
ふと思った。塗り潰した箇所があまりに綺麗過ぎたのだ。
文字を書いている筆と塗り潰している筆は違うものを使ったのではないだろうか。ひょっとしたら筆圧の違いで塗り潰した文字が読めるかもしれないと思った。
食い入るように見た。いろんな角度から見た。
……。
……!!。
……予想は当たった。
手紙を強い光の下で透かしてみると、おぼろげに文字が浮かんできたのだ。
一文字一文字を慎重に読んだ。……そしてそれは一つの文章になった。
家を飛び出した。無我夢中だった。胸を打つものが私の身体を全力で向かわせていた。
倉庫の扉の前に立つと、前回来た時にあった手の震えは起こらなかった。
呼び鈴を押すと、出てきたのはやはりキャジュだった。
「こんにちは。また、来ちゃった」
「……レシュア。声、戻ったんだな」
「うん。あのね、キャジュ」
「……入るか?」
入ってもよかった。でも今はそうするべきではないと思った。
「彼は今、寝てる?」
「……ああ」
「じゃあさ、ちょっと二人だけで、話さない?」
「……あ、ああ、私は構わないが」
キャジュには倉庫の外に出てもらった。場所はどこでもよかったので昼の陽気が差し込むところを適当に見つけて、そこの地面に並んで座った。
怪訝そうな表情を見せるキャジュと目を合わせないように意識した。なんとなくそのほうが話しやすいと思ったのだ。
「いろいろと、迷惑かけちゃって、ごめんね」
「レシュアが元気になってさえくれれば、大したことではない」
「ありがとう。みんなのおかげで、ちょっとずつだけど、よくなってるよ」
「そうか。で、話っていうのはなんだ? メイルのことか?」
「うん。それもあるけど、今はそうじゃない」
「大事な話なのか?」
「たぶん」
「……どうした。言ってみてくれ。私とレシュアの仲じゃないか。遠慮するな」
「うん」
話を真剣に聞いて欲しかったので少しの間黙っていることにした。
早く倉庫に戻りたいのか、キャジュは腕組みをしながら胡坐をかいて私の言葉を待っていた。とてもそわそわしていた。
私は息を大きく吸って、吐いた。
胸の痛みがなくなってから深呼吸をすることに恐怖を感じなくなっていた。こうやって一つずつわだかまりが消えていくことは、かつての自分であれば夢の中でしか体験できない喜びだった。それが現実に起こっている今は、まさに夢のような世界だった。
キャジュにはその気持ちを知って欲しかった。今あるもので十分に幸せを感じられていることを納得して欲しかったのだ。
根気強く待機してくれているキャジュに報いようと必死に深呼吸を繰り返した。
呼吸が落ち着き、気持ちの整理がついたところで話す決心がやっとついた。
「……ねえ、キャジュ」
「なんだ?」
「……メイルのこと、どのくらい、好き?」
「……なにを言い出すかと思えばそんなことか。ああ。確かに好きだが、どのくらいと言われると少し困るな」
「彼と、ずっと一緒に、いたい?」
「……それはまあ、いてくれたことに越したことはない。でもな、お前はどうなんだ。それでいいのか?」
「それがさ、よく分からないん、だよね。へへへ」
「……はっきりしないなあ。言いたいことがあるんだろ。隠さずに言ってくれよ」
「……あのね」
「ああ」
「……私、キャジュだったら、諦めてもいいと、思ってる」
「レシュア?」
「私、ずっとね、メイルのことを、想っていたんだけど、キャジュからは、奪えないんだ。……私は、キャジュのことも、大切に思っているからさ。ごめんね。変なこと言っちゃって」
「……メイルのこと、いつから好きだったんだ?」
「……十一年、前からだよ」
「そのことをあいつは知っているのか?」
「ううん。知らない」
「……ほんと、お前らは変なやつらだよ」
「だね」
「……負けたよ。認めるよ。しかしいつから知っていたんだ? 私がメイルを本気で好きだったってこと」
「あなたと彼が出会って、すぐにだよ。だってキャジュって、顔に出やすいんだもん」
「やめてくれよ。恥ずかしいだろ。これじゃまるで道化じゃないか」
「……ねえ、キャジュ」
「なんだよ。まだあるのか」
「もし彼が、戻ってきてくれたら、決めてもらおう。恨みっこなしでさ」
「……レシュア、お前」
「こういうことを、内緒で決めるのは、彼に悪い気もするけど、そのほうがお互い、気持ちいいじゃない」
「もしそれであいつが私を選んだら、お前はどうするつもりなんだ?」
「どうもしないよ。私の大切な人達が、幸せになるんだもん。心から祝福するよ。それで、キャジュはどう?」
「……私は、どうだろう。少し嫉妬してしまうかもな。でもきっと、レシュアと同じ気持ちになると思う。レシュアもメイルも、大好きだからな」
「……ありがとう、キャジュ」
「当たり前のことを言っただけだ。それとも、嫉妬されたのが嬉しかったのか?」
「そうじゃないよ」
「じゃあ、なんだよ」
「……メイルを好きになってくれて、ありがとうね」
「……恨んでいないのか? この私を」
「全然。だって、私達がここにいるのは、あなたのおかげなんだよ」
「……レシュア、ごめんな。私がずるいばっかりに、一人で苦しませてしまって」
「そういうのは、なしだよキャジュ。だって私達、友達でしょ?」
「……ああ、そうだったな」
キャジュの背中に手を回すと、華奢な肩がそっと私に寄り添った。
彼女の歩んだ軌跡を慰めるように優しく背中をさする。ほどなくして愛くるしい嗚咽が胸に響いた。
彼女の溜め込んでいた感情を一滴も残さず抱きしめてやろうと思った。この世界に戻ってきた意味はそこにあるのだと、もう一つの心が教えてくれたからだった。
……私、生きる意味をやっと見つけたよ。
……だから、もう心配しなくても大丈夫だよ。
「……なあ、レシュア」
「なに?」
「……メイルと、話してみるか?」
「え?」
「……実はな、もう、とっくに戻っていたんだ」
「え!?」
「……いろいろと事情があってな。あいつには黙っているように言われていたんだ」
「そう、なんだ」
「……どうする? 行くか?」
「……うん」
立ち上がった時のキャジュの顔は、あの時に見た虚ろな表情に戻っていた。
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