感嘆は混沌の渦を巻いて / lead me from nothing その2
ゾルトランス城から二人の人物がレシュアの様子を見に来ることになっていた。昔からの顔なじみなので特別着飾る必要はなかったが、シンクの顔を立てるという意味ではそれなりの配慮があったほうがよいだろうと思い、とりあえず気持ちを切り替えることにした。
シンクの言葉通り、彼らはすぐにやってきた。
「いいか。入るぞ。て、おいおい、暗いじゃないか。おお、いたのかよ。つうことは、レシュア姫は?」
「すやすや寝てるわ。ところでヴェイン、彼らは?」
「入り口の前に来てるぜ。通してもいいか?」
「いいわよ。それじゃあ、よろしくね」
シンクは大雑把な敬礼をして見せて流し台の奥へと消えていった。
ヴェインが医療室の扉を開けると彼らは静かに入ってきた。
「久しぶりね。ルウス、アザミ」
「お久しぶりです……レイン様」
「……あの、どうも」
レシュア専属の教育係のルウス軍師と同じく専属の使用人、アザミだった。
ヴェインを通じてレシュアのことを知った彼らが心配になって駆けつけてくれたのだった。
がっしりとした体格のルウスは相変わらずの堅物といった感じで、もう一人のアザミは見た目とは正反対の控えめな性格が相変わらずだった。
「……レシュア様は、どちらに?」
「そこよ。今は寝ているから静かに頼むわね」
「……あの、容態のほうは、いかがなのでしょうか?」
「見てのとおり、回復に向かっているわ。シンクの睡眠剤がまだ効いているみたいだから、たぶん明日になっても目を覚まさないと思う」
アザミは背中を丸めながら遠慮がちにレシュアの顔を見て、ほんの少しだけほころんだ目をした。
二人だけにさせてあげようとアザミから離れると、じっと見つめる彼女の小さな後姿が、愛する者への心配を色濃く投影していた。
ルウスはレシュアのもとには行かずに私とヴェインのほうに視線を向けていた。ここで細かい事情は話したくなかったので事前に報告をするようヴェインに頼んでおいたのだけれど、果たしてなにを聞いてくるのだろうか。
分厚い胸が威嚇するようにその隙を窺っている。私は早くもこの場を離れたくなった。
「やはり『00』が負担をかけてしまったのでしょうか」
「どうかしら。00自体に人体を蝕む要素はないと思うけれど」
「それですと、内なるアイテルですか」
「否定はできないわ。なんたって前例がないのだから。まあ、無理して答えを出してもしょうがないわよ」
「私達は、正しいことをしたのでしょうか……」
「……それ、私に対して言っているわけ?」
顎ひげを撫でていたルウスの表情が一気に硬くなった。
その様子を間近で見ていたヴェインも硬くなる。
私は真顔でルウスを睨みつけた。
次に口を開いたのはヴェインだった。
「あのねえ、ここは取調室じゃないの。ほら、困ってんじゃねえかよ。とにかく姫は無事だった。それでいいんじゃねえのか?」
「……ゼロツウ、おぬしは黙っていろ。俺は、レイン様と話しているのだ」
「その名前で呼ぶのはやめろ。それともなにか? あんたも昔の名前で呼んで欲しいのか、ええ、テメロムさんよ」
「ちょっと、二人ともやめなさい。ここをどこだと思っているのよ。他人の家で喧嘩するなんてみっともないわ」
「ほーら、怒られちまったじゃねえか。まったく、育ちのよろしくない人と関わるとろくなことにならねえ。危うく大怪我するところだったぜ」
「そういうおぬしはどうなんだ。おかしな言葉遣いをしおって。『生みの親』が悲しむぞ」
「心外だなあ。『私』が本当はこんなんじゃねえことくらい知ってるだろうがよ。そもそもこの口調にするように指示したのはこの人なんだぜ。火に油注いでどうすんだよ。あんた、城に帰れなくなっちまうぞ」
こうなるともう収拾がつかない。あれだけ挑発には乗るなと釘を刺しておいたのに、男という奴等はどうしてこうも一直線を走ろうとするのか。頻繁に喧嘩をしていれば心を通わせられるとでも思っているのだろうか。
付き合いきれない二人を無視して流し台のほうへ行くと、腕組みしているシンクが狭い空間の壁に背中を預けて立っていた。苦笑いをして逃げてきたことを告げると、あなたはここに来るべき立場の人間ではないと一蹴されて、すぐに追い出されてしまった。
仕方なく戻ってみると男の喧嘩は納まっていた。
「レイン、そろそろ時間だ。やつを迎えに行ってくる。しばらく姫とは会えないだろうから、よろしく伝えといてくれ」
「了解。じゃあ、あっちでも頑張ってね」
「おうよ。『私』はどっかの誰かさんと違って頼り甲斐があるそうだからな。しっかり守ってみせるぜ。そんじゃあまたな。そこの剛腕胸板もレインの足引っ張るんじゃねえぞ」
「要らぬ心配だ。おぬしのほうこそ調子に乗らないように気をつけるんだな。あそこはここと違って環境が厳しい。逃げ帰る場所などないのだからな」
「ご忠告あんがとさん。久々に会えて燃えたぜ。今度は拳で語り合おう。じゃあな」
以前カウザの要塞襲撃の際に立ち寄った地下都市スウンエアから人員を一人借りたいという申し出があった。機械兵強化に伴い戦況が悪化したためだった。
こちらの戦力も十分とは言えない状況だったが、シンクがその穴を埋めてくれるというので、医師として常駐してくれるあちらの人間とヴェインを交換するという条件で受け入れることにした。複数の医師が常駐していたスウンエア側はこちらの交換条件を快く受け入れ、双方の要求は成立したのだった。
ヴェインは眉一つ動かさずにこの話を引き受けてくれた。レシュアに対する心情を身近で感じていたがゆえに心苦しさを禁じえなかったが、彼の私情を掘り起こすことだけはしたくなかったので事務的な対応をとった。
ヴェインの去り行く後姿は、私だけが知っている底なしの孤独で塗り固められていた……。
ルウスは私に話しかけるのが怖くなったらしくアザミの横に立っていた。その視線はいずれもレシュアの気持ちよさそうな寝顔に向けられている。
アザミがルウスに微笑みかけると、ルウスも穏やかな吐息を漏らした。
「……レシュア様、お強い顔立ちになられましたね」
「そうだな。きっと多くの辛い経験を超えられたのだろう。なにはともあれ、無事でよかったな」
「……はい。レイン様達が近くにおられて、本当によかったです」
「私達の意味がまだ残っていることは、実に感慨深いものがある」
「……はい」
二人の会話を遠くから眺めていると、アザミが私を呼んだ。
レシュアの顔を見て欲しいと言うので一緒に覗き込んでみた。
いつもの可愛いレシュアだった。
「……この子、きっと恋をしていますね」
「分かるの?」
「……ええ。だって、全然違いますもの」
「へえ。私にはその変化分からないわ。アザミって、結構乙女なのね」
「……あの、すみません。出過ぎたことを言ってしまって」
「気にしないで。それに、あなたの予想、たぶん当たってるし」
「……え、そうなのですか? お相手の方は今どちらに?」
「一応この都市の中にいることはいるんだけれど、その、なんていうかね、ちょっと体調崩しちゃってね。ははは」
「……そう、なんですか。一目拝見したかったのですが、今回はやめておいたほうがよさそうですね。すみません」
次回はないかもしれない。その経緯を伝えられないことがもどかしかった。
シンクにも注意されたように、レシュアのことを考えると現時点では黙っていたほうがよさそうだとあらためて思った。
アザミの興味は未だレシュアの恋に留まっていたみたいなので、話の方向を少し変えることにした。
「ちなみに、レシュアが想いを寄せている人ってどんな感じの人だと思う? アザミの想像でいいから聞かせてくれない?」
アザミはもう一度レシュアの寝顔を覗き込んで首を傾げたりした。難儀しているのだろうか。適当に答えてくれればそれとなく肯定して終わるだけの会話なのに、アザミは真剣に考えているみたいだった。
「……レシュア様と、似た感じの方です。自分のことは二の次でいつも他人のことのためだけに生きているような、そんな感じの方に見えます。どうでしょうか? 間違っていますでしょうか? ……レイン様? どうかされましたか?」
また泣きそうになった。今日は泣きっぱなしだったのでちょっとしたことでも涙腺が反応してしまう。
決して悲しいわけではない……。自分にはそう言い聞かせることにした。でなければいつか理性が吹っ飛んでしまいそうだった。
「あなたすごいわね。そうそう、そんな感じの人よ。優しすぎるところがまた不器用でね、時々みんなを困らせちゃうのよ。でもね、みんな最後は笑顔なの。そういうことができる人よ、彼は」
「……はい。私にもそう見えました。とても素晴らしい方です。レシュア様はそんな彼を控えめに見つめていらっしゃったのでしょうね。自分にはもったいない人だと感じて、でもその方を物陰から支えようと頑張っていらっしゃったのだと思います」
「彼もレシュアに対して同じ思いを抱いていたわ。だから離れられないのよ、この子達は……」
「……レイン様」
「なに?」
「……きっとこの子は、そんな彼を見捨てたりはしないはずです。だから、静かに見守りましょう。きっと、よくなりますから」
「そうね……」
施術がはじまる前に彼から受け取ったもののことを思い出した。その中身はレシュアに宛てた手紙だった。
彼が死を覚悟して託した言葉がきっとその手紙の中に記されているはず。どんな言葉が書かれているのか気にはなったけれど、込められた思いが薄れてしまうといけないからと今も懐に仕舞っている。
アザミの言葉には勇気づけられるものがあった。
この子だったらきっと彼を救い出してくれる。
この子なのだから、彼も絶対救われる。
……世界のどこを探し回っても、メイルの本当の理解者はレシュアしかいないのだから……。
アザミが満足した面持ちで私にお辞儀をすると、ルウスは城に戻ると言った。
このまま彼らを見送っても全く支障はなかった。しかしなにか足跡を残したほうが面白いのではと閃き、流し台に隠れていたシンクを強引に引っ張り出して彼らに紹介した。するとルウスは彼に深々と会釈した。
「あなたが『反政府組織の代表』ですね。私はゾルトランスで軍を任されているルウスという者です。うちの『主』がお世話になっています」
「あ、ああ、どうも。これは参りましたね。こちらこそ、いつもお騒がせしております。はい」
「レイン様のことを、よろしくお願いします」
「は、はい。責任を持って、お預かりいたします。はい」
シンクの慌てふためいた姿を十分堪能できたので流し台に戻してあげた。
一芝居を終えたあとで彼らを見遣ると、ルウスの後ろでアザミが腹と口を手で押さえて笑っていた。
そのなにげないやりとりに少しだけ懐かしかった日々のことを思い出した。
「ごめんルウス、聞き忘れていたわ」
「なんですか」
「あの子達、変わりない?」
「マレイザ様とステファナ様のことですか。彼女達でしたら異常はありません」
「ステファナは、相変わらず?」
「はい。まだまだ『ああしていたい』そうです。前に面会した時は怒られてしまいました。勝手なことをするなと」
「あらら、あなた嫌われちゃったわね。お気の毒さま。まあいいんじゃない。あの子にはあの子の考えがあるのでしょうし、そっとしておいてあげなさいよ」
「承知しました」
「マレイザは?」
「グランエンとそこそこ上手くやっているようですが、敵の本艦の居場所特定には至っていません」
「あの子は賢い子だから、そのうち見つけ出すでしょう」
「はい。もうしばらく様子を見てみます」
「またなにかあったら知らせて」
「分かりました。次に会うのは、要塞襲撃の時ですね」
「頼りにしてるわ。あ、そのことなんだけれど、三人目はシンクになったから、よろしくね」
「それは心強いです」
「あんまり期待しないほうがいいわよ。がっかりするかも」
「彼からはなかなかのアイテルを感じましたが、そう記憶しておきます」
「それじゃ、またね。アザミも元気でね」
「……レイン様もご無理をなさらずに。今日はありがとうございました。失礼いたします」
「それでは」
長い一日だった。いろいろなことが凝縮された時間だった。
人の苦しみや喜び、愛する者の強さを体感し自分の未熟さを思い知らされる、そんな一日だった。
流し台の照明だけが点いた薄暗い医療室の床の上でくつろいでいると、シンクが黒い液体を淹れ直して持ってきてくれた。
透明な容器からは、淹れたての湯気が立ち上っていた。
「やっと終わったって感じね」
「そうですね」
「あなた、今晩はどうするの?」
「当然、起きていますけど」
「そう。じゃあ、私は寝てもいいかしら?」
「当たり前です。ここは僕の仕事場なんですから。レインさんは早く帰って休んでください」
「あのさあ」
「はい?」
「じゃあ、なんでこれ持ってきたわけ? これ飲んじゃったら、眠れなくなっちゃうじゃないの」
「え!? 知りませんでした。そうなんですか?」
「ほんとにー、知らなかったのー? さっきの仕返しじゃなくてー?」
「そういう目で見ないでくださいよ。本当ですよ。僕はそれ嫌いですから知らないんですよ」
「はいはい。じゃあ、そういうことにしておきますか」
「本当ですって。信じてくださいよ」
なんだか夢を見ているようだった。彼女達の生きている世界を俯瞰して眺めているような、そんな光景が目の前にあるようだった……。
「……ねえ、シ、ンク……」
「あれ、レインさん? どうしました? ちょっと!? レインさん? 大丈夫ですか! しっかりしてください! 死んでは駄目ですよ! 目を開けてください! みんなにはまだあなたが必要なんです! だから! 駄目ですよ!!」
「……あの、さあ」
「は、い?」
「……眠いんだから、大きな声、出さないでよ」
「はあ、すみません、でした」
「……おやすみ、シンク。朝になったら、起こしてね……」
「ふう。あなたって人は、まったく」
とてもよく晴れた日に、遠い未来に繋がれた彼らの子供達が元気よく草原を駆け回る姿を思い浮かべながら、私はその夜、泥のように眠った。
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今回でレイン視点の場面は終了です。
次回はレシュアの視点に変わります。