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つつましき慈愛 / a confession booth その1



 レシュアの手は真っ白く爛れていて皺だらけだった。まだ十九年しか生きていないにもかかわらず、彼女の手はその人生を閉じようとするかのように枯れ果て、くたびれていた。

 傷が癒えないうちに新しい傷を作る。それを繰り返した結果だろう。

 無残な状態だったが、とても勇敢な手だった。



 どんなに強く握っても反応はない。シンクライダーが投与した睡眠剤がよく効いているからだろう。

 寝息もそれなりに安定している。とりあえず最悪の事態は回避したようだ。



 レシュアを蝕んでいたのは心臓だった。先天性の機能不全が原因だろうとシンクライダーは語っていた。

 普通の人間であればとっくに死んでいてもおかしくない状態で、悪化の進行度から推測して、もって二、三日、運が悪ければ明日にも完全に機能しなくなるとのことだった。

 俺の血の力をもってしても好転は望めない状態であるとも言っていた。シンクライダーにはキャジュの輸血の際にこの身体のことを打ち明けていた。



 食事を終えたシンクライダーはキャジュと共に医療室に戻り、施術の準備をはじめていた。彼女の延命のために人工臓器を取りつけるらしかった。

 キャジュのほうでもなにかの作業をしていた。レイン達が毎日回収し持ち込んできた機械の残骸を一つ一つ手にとって確かめているみたいだった。

 レシュアの落ち着いた寝顔を念入りに見定めてから、俺はシンクライダーを呼び出した。


「どうしました。急変しましたか!」

「いや、レシュアは大丈夫だ。それよりも、ちょっと表で話さないか?」


 キャジュは一瞬怪訝そうな顔を見せたが構わず部屋を出た。シンクライダーが続いて出てくる。俺はすぐに扉を閉めた。


「大切な、話みたいですね。目を見れば分かりますよ」


 俺はシンクライダーにある提案をした。

 そこに至るまでの経緯を説明する時間はなかったので、単純にレシュアに対する思いを伝えた。


「本当に、あなたはそれでよいのですね?」

「ああ。で、何時からはじめる予定なんだ?」

「可能であれば三時間後の午後八時に決行したいと思います。問題はありませんか?」

「あんたこそそれでいいのか? 一から考え直さなくちゃならないんだぞ」

「あなたに比べたら長すぎるくらいです。もっとも、そうしないように準備はするつもりですが」

「迷惑かけたな。もっと早くに言っておくべきだった」


 シンクライダーは俺の肩に軽く手を置いて寂しそうな笑窪を作った。

 不器用に首を横に振る仕草がなんとも彼らしい慰みに思えて、俺の心は真っ直ぐに響いた。


「メシアスさん」

「なんだ?」

「僕、おそらくキャジュに話してしまうと思います。一応、先に言っておきます」

「気を遣わせて、すまない」

「まあ、一度くらいは大喧嘩してみるのもよいかもしれませんよ」

「ああ、そうだな」


 医療室の入り口の前でそのまま別れた俺は、ひとまず製造区域に足を運んだ。前にレシュアと服を作った時に置いてあった『ある物』をもらいにいくためだった。

 それはなによりも先に手にしておきたいものだった。

 久しぶりの訪問で緊張したが、皆は笑顔で迎えてくれた。


「いきなりで申し訳ない。型紙と筆記具をもらえないだろうか」


 予想どおりに変な顔をされたので使用目的を簡単に説明した。すると一人の年長の女の人が快くそれに応じてくれた。

 どうやらその人も若い頃に同じ経験をしたことがあるらしい。たくさんあったほうがいいからと服一着分に使う量の型紙をもらった。

 感謝の言葉を伝えると、頑張りなさいよと声が返ってきた。



 倉庫に帰るまでのついでに各区域を回って知っている人に軽く挨拶をした。長話はできないので早々に済ませておいた。まだ知り合って間もない人達ばかりだったが、皆が自分を家族のように思い慕ってくれた。

 助け合って生活することがいかに大切であるかを教えてくれたのは彼らだった。もちろん爺さんからもたくさんのことを教わった。しかしそれ以上のなにかをここに来て教わったような気がする。

 もっと教わりたいことはあった。でも今はやり遂げなくてはならないことがあった。それは明日の自分を放棄してでも『やる』価値のあることだった。

 俺はこれまで支えてくれた恩人達に深く頭を下げてその場をあとにした。



 倉庫に戻ると球形の蛍光器が光を放っていた。

 不思議に思って部屋の中を凝視すると目の前に人影があった。キャジュだった。


「おい、驚かすなよ」


 ここには普通の家のような天井照明は備えつけられていなかった。日中は窓から差し込む光で事足りても夜は真っ暗になってしまう。スクネが駄々をこねたので医療室から蛍光器を一台借りてきたのだった。



 暗がりだからなのか、それともシンクライダーから話を聞いたからなのかキャジュの顔は酷く険しかった。おそらくレシュアの施術にキャジュも立ち会うことが予め決まっていたのだろう。どのみちこうなってしまうのなら医療室で全部話しておけばよかった。


「メイル。お前、本気なのか?」

「こんな状況で嘘をついてどうするんだ。そんなことより、ここにいていいのかよ。シンクを手伝っているんだろ?」

「そんなことじゃない。……私は、絶対に、嫌だ!」

「もう決めたことなんだ。分かって欲しい」

「だってお前、死ぬかもしれないんだぞ! いくらなんでも、それは無茶だ!」


 小柄な身体についた細い両腕が俺の肩を激しく揺さぶった。

 抵抗する気力は湧き起こらなかった。

 間近で睨みつけてくる彼女の視線もまともに見ることはできなかった。


「キャジュ、聞いてくれ。俺の身体のことはあんたも知っているだろ? もし施術が成功すればレシュアは助かるんだ。こんな機会はもう二度と来ないかもしれない。それを俺はよく知っている。キャジュが思っているような安易な決心でもない。……そしてこれは必然の選択だとも思っている。だから、理解して欲しい」

「……私の、なにを知っているんだよ……」


 悲痛な心の叫びが低い声色となって搾り出された。

 なにも言い返せない状況を埋めるようにキャジュの名前を呟いたが、無意味な言葉として流れていった。


「私にとってレシュアは大事な存在だけど、お前のことだって同じくらい大事に思っているんだ。機械化した私を救ってくれたからとかそういうことではない。私は、純粋にお前のことが好きなんだ。失いたくないんだよ。お前とレシュアがいなくなってしまったら、私は誰を糧に生きていけばいいんだ。誰が私を抱きしめてくれるんだ。……もう、一人ぼっちは、嫌なんだ……」


 力なく身体を寄せてくるキャジュを、そのまま受け止めてやった。

 冷たい身体が少しずつ熱を帯びてきてこっちにも伝わってくる。

 そして、背中に回る相手の腕が気持ちの高ぶりに合わせて強くなっていく。

 絶対に離さないように、逃げてしまわないように、渾身の力が込められていた。



 俺は、立っていることしかできなかった。



「……キャジュ。ごめん」

「……なあ、メイル」

「……なんだ」

「……レシュアのこと、好きか?」

「……ああ」

「……私よりも、か」

「……ああ」

「……だから、決心したんだな?」

「……ごめんな。今まで黙ってて」

「……あっさり振られてしまったな。でも、ありがとうな。本当のこと、言ってくれて」


 キャジュは俺から離れた。震える口元をきつく結びながら見つめるその目には、蛍光器の淡い光を映した涙が零れていた。

 こんな顔を見るのは今日で最後になるかもしれない。自分はもう抱きしめてあげられないかもしれないが、レシュアの中に生き続けるものがあることをいつまでも忘れないでいて欲しいと思った。



 俺にとっては、贅沢すぎる未来だ。



「いつから好きだったんだ」

「十一年前からだ」

「長いな。敵わないはずだ」

「一方通行だけどな。笑えるだろ?」

「そんなことはない。きっとレシュアにも届いてる」

「でも、好きじゃないって一度言われているからな。別にいいんだ。届いていなくても」

「私を信じろ。レシュアは絶対、メイルのことを思っている」

「ありがとう、キャジュ。その言葉だけでも嬉しいよ。いい思い出になる」

「思い出とか、言うな。辛気臭くなるじゃないか。また泣いてしまうぞ」

「すまない」

「……メイルのことは、必ず救ってみせるから。だから、簡単に死のうだなんて考えないでくれ」

「ああ。約束する」

「それとだな……」





















 ……キャジュの顔が急に大きくなったのかと思った。

 彼女の生気に満ちた呼吸が耳元に響く。

 時折離される部分から喘ぎが漏れて、艶かしく部屋を包んだ。

 それは、彼女なりの精一杯の同情と反抗であったと思いたい。

 ……。





















「じゃ、またあとでな」

「……おい。キャジュ」

「心配するな。もうこれっきりのことだ。後悔するなら生き残ってからにしろ。謝りたくなったら一緒に行ってやる。だから、最後まで、諦めるなよ!」

「ああ、分かったよ」

「……それとな」

「なんだ」

「……目ぐらい、閉じような」



 倉庫の扉が閉まった後も、キャジュの甘い香りがそこらじゅうを漂っていた。




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