廃墟にそよぐ花 / close the dark immortal その2
リムスロットに着くのに三日もかかってしまった。負けず嫌いな性格のスクネはあの後も食物摂取を頑なに拒み続けたので適当な木の実を無理やり食べさせた。最後まで文句一つ言わずについてきてくれたスクネは本当に強い子だと思った。
あと少しで目的地に着くことを告げると自分も歩くと言い出した。衰弱しているであろう身体に負担をかけたくはなかったが、どうやらスクネは手を繋ぎたいみたいだった。こういうわがままにはどうにも抵抗できなかった。
都市の正門は自然の風景に偽装されていて閉じられていた。それはこの中にある地下の平和が維持されているという証でもあった。俺は正門の反対側に位置している緊急避難口の前にスクネを導いた。
岩山の影に隠れる岩の形をした扉が緊急避難口だった。扉の右横に小さな映像出力機器があって、そこに指定された文字をその端末に命令することで扉が開くようになっていた。
シンクライダーから強引に聞き出した開錠文字を打ち込む。すると大きな岩が音を立てて動き出し、大人が出入りできるほどの穴が出来上がった。
開錠文字の設定は変更されていなかった。文字列は定期的に変えていると聞いていたのであの時から手をつけていないということになる。シンクライダーの変な思いやりみたいなものを感じて妙にむず痒くなった。
避難通路を抜けて居住区域に入ると、そこは以前の景色と全く変わっていなかった。地上に降り注ぐ光に連動して照らされる不自然な照明、草木が一本も生い茂っていない地面、まばらに横切っていく住民。それらは懐かしく思うほどあの時のままだった。
スクネは知らない人に見られるのが怖いのか、顔を俺の身体にくっつけてきた。
「メイにいちゃん、だっこ」
仕方なくそうしてやる。スクネは嬉しそうな声を出して俺の胸に顔をうずめた。
気恥ずかしい思いはとうに捨てていた。一度逃げ出した人間を歓迎する者などいないのだから今さら飾る必要はない。スクネにまともな生活をさせることができれば、俺はゴミのような扱いを受けても奴等にしがみつくつもりだった。
最初に目があったのはシンクライダーだった。現時点で入室可能な個人住居は特殊医療室しかなかったので却って手間が省けたと思った。
声をかけられるかと身構えていたが、あの人は俺の姿を確認するなり医療室に逃げ込んでしまった。あの怯えた挙動からは疑う余地のない後ろめたさが放たれていた。
レイン、ヴェイン、キャジュ、ロル、シンクライダー、レシュアが俺達の前に集合したのはそれからすぐ後のことだった。
彼らの中にすっかり馴染んでいるキャジュの姿がなんとも微笑ましかった。袖の短い黒の上着に下は裾の広い灰色のズボンという身なりで立っていた。
彼女は俺と目を合わせるなり嬉しそうな表情をしてみせた。元気そうでなによりだった。
このままスクネを抱きかかえていると余計な質問をされるかもしれないので、仕方なく隣で立ってもらうことにした。抱いている時から地面に降ろすまで繋いだ手を離さないところは、さすがスクネだと思った。
前方に群がる彼らは語りかけようともせずこちらを凝視していた。まるで不審者を見ているような眼差しだった。見られているほうにも緊張感が伝わってくる。過剰な気構えの原因はおそらくスクネだろう。
この子のどこをどう見れば機械兵と疑えるのだろうか。話し合う以前の問題であるように感じるのは気のせいだと思いたい。まるで異星人にでもなった気分だった。
いかにしてスクネを信じてもらえるか。そこがこの子の未来の分岐点になるだろう。とにかく俺は奴等の理解を得るために食い下がらなければならない。
彼らと対面してから数分が過ぎても沈黙は保たれたままだった。言葉を交わすかわりに突き刺すような視線が俺達のほうに向けられていた。
このままじっとしていても埒が明かない。どうやらこっちが先に話さなければ納得がいかないご様子のようである。
意を決した俺はスクネの手から伝わる震えを力に変えて、彼らと向き合うことにした。
「この子供は地下都市アレフの生き残りだ。保護してやって欲しい」
「……それが、最初に言うことなのかしら……」
口を開いたのはやはりレインだった。腕組みをしていることから相当腹を立てていることが窺える。今さら弁解をしようなんて気はない。傷つけたければ好きなだけ傷つければいい。
「しばらく留守にして申し訳なかった。カウザの襲撃を受けたアレフの惨状を目にしてここに戻ろうという気になった。迷惑をかけてしまったのなら謝る。このとおり、本当にすまなかった」
「……まあ、戻ってきたことに関してはそれなりに評価するわ。でもね、はっきり言ってあなたには失望した。自分の立場を理解していたわよね? それなのに、どうしてそんな行動がとれたわけ? あまりにも身勝手すぎるんじゃないの?」
「そのとおりだ。反省してる。今回の件については全部俺が悪い。返す言葉もない」
「……あなたがいなくなっている間に取り返しのつかないことが起きていたら、一生後悔していたでしょうね。でも安心しなさい。なにも起こらなかったから。それで、これからあなたはどうしたいの? ここにいたいの?」
「できることなら、この子の面倒を見てあげたい」
「……その子はなに? 本当に地球人なの? 証拠はあるの?」
そんなことだろうと思った。張り詰めた空気の正体はやはりあの女の勘違いだったようだ。
レインの言葉の意味を理解しているのか、スクネの手の震えが一段と強くなった。俺はその怯えた手を固く握り返してやった。
「スクネが地球人だと証明できるものはないが、俺はそうだと確信している。それに、あんた達の敵なんかでは決してない。命を賭けてもいい」
「どうするシンク、一度調べてみる?」
「……調べることは簡単ですよ。ですけど、僕個人としてはメシアス君の言葉を信じてみたい気もします。もちろん、その上で検査は行いますけど。それに彼が言ったアレフ襲撃の件についても気になりますしね。確かに、都市アレフとは数日前から音信不通だったんですよ。もしカウザによるものだとしたら、こちら側としてもなんらかの対策を講じなくてはなりませんしね」
「だそうよ。よかったわね、あなた、まだ信じてもらえているみたいよ」
「シンク、ありがとう。恩に着るよ」
シンクライダーは寂しげな笑窪を作って医療室へと駆け込んでいった。おそらく他の生き残っている都市とアレフについて情報を共有するためだろう。
「じゃあ、今度は私からあなたに言うことがあるわ」
「覚悟はできている。なんだ」
「あなたを、拘束します」
「こう、そく?」
「ロル、彼を例の倉庫に連れて行って」
怪我が治ったらしいロルが軽快な足取りで嫌味たっぷりに近づいてきた。今度はどんな言葉で毒突いてくれるのだろうか。非常に楽しみだった。
「メシアスさん。勘弁ですからね」
「久しぶりだな、ロル。足治ってよかったな」
「ここの住民からは一応天才と呼ばれていますからね。足の骨なんてすぐに繋がってしまうんですよ」
「ああそうか。で、この子も連れて行っていいよな?」
「レインさんの機嫌次第じゃ、ないですかね。……それにしても、あのメシアスさんがまさかこんな若い女性にも興味があるなんて……」
「レイン! この子は、スクネはどうするんだ!」
「そんなこと、あなたには関係ないでしょ。その子は私のほうで引き取って問題がなければ居住先を手配するわ。大丈夫よ、殺したりなんかしないから」
「……あのメシアスさん? 俺は無視ですか?」
ここに来てからずっと離さなかったスクネの手が離れた。なにが起きたのかと思ってその小さな身体を目で追うと、両手を広げて俺の前に立っていた。
「メイにいちゃんを、いじめないで!」
自分が守られる立場になるとは想像もつかなかった。後姿から感じる少女の想いは、その指先の震えから手に取るように分かった。
今のスクネを動かしているもののことを思うと胸が締めつけられそうになった。人間の本当の強さを教えられている気分だった。
スクネの急な行動に一番驚いていたのはロルだった。小さい子供から発せられる迷いのない気迫にたじろいでるみたいだった。
対処に困ってしまったのか、ロルはレインの様子を確認した。
「あなた、もう鞍替えしたの? 素朴な顔しているわりにやることはやるのね。大したものだわ」
「……あんた、喧嘩売ってんのかよ」
「見たままの感想を言っただけよ。だってそうなんでしょ? その子の顔、完全に女になってるわよ。ああ、汚らわしいったらないわ」
意図的に挑発しているのが分かった。だがその真意を掴むまでの猶予は与えてくれないみたいだった。
彼らの後ろで静かに眺めていたレシュアが無表情のままどこかにいなくなってしまった……。
レインは顎で早くしろとロルに命令する。
「あのね、お嬢ちゃん。そこのお兄さん悪いことしちゃったから連れて行かなくちゃいけないの。分かるかな?」
「やだ。わかんない。メイにいちゃんわるくないもん!」
「どうして分かってくれないかなあ。メシアスさん、お願いですよ。このままだと俺までお仕置き食らってしまうんですよ」
スクネと一緒では駄目なのかを再度確認した。駄目とのことだった。
この子のことを考えれば大人しく捕まっていたほうが最小限の被害で済むかもしれない。身勝手な行動さえしなければレインもそのうちこちらの要求に耳を傾けてくれるだろう。
不本意だったが彼らの良心を信じて素直に拘束されることにした。
俺はしゃがみ込んでスクネと顔を向き合わせた。
見つめ合うだけでは足りないと思ったので、小さな両手を握ってそっと持ち上げてみた。スクネは少し恥ずかしそうな笑顔を返してくれた。
「しばらく離れることになる。ちょっとだけ辛抱していてくれ。すぐにまた会えるだろうから。ちょっとだけ、行ってきてもいいか?」
「スクネ、いいこにしてれば、あえる?」
「いい子にできるか?」
「うん。できる」
両手を前に差し出すと、スクネがすぐに飛び込んできた。
困った時はこれが最も効果的だった。なによりも俺が安心した。きっとスクネもこの安心を求めているのだろう。
「いいか、泣くなよ」
「なかない。スクネ、いいこだから」
「お前の後ろにいっぱい人がいるだろ? あのお面をつけた怖そうなおばさんの左に立っている髪の短いお姉さん、分かるな? あの人のところに行け。あの人はとても優しいお姉さんだから、きっとお前も気に入ると思う。なにか困ったことがあったらあの人だ、いいな?」
「うん。あのこわいおばさんの、となりだね。うん、わかった」
スクネの手を引いてレインの前に立たせた。
レインはスクネの手を握ろうとする。スクネはそれを嫌がってキャジュの太腿にしがみついた。
「おばさん、こわい」
「お、お、お、おばさんですって!? ちょっとあなたこの子になに吹き込んだのよ!」
「なにも言ってねえよ。見たままの感想なんだろ。子供は素直だからな」
「言ってくれるじゃないのよ。相当しごかれたいみたいね」
「それより、面会はさせてくれるのか?」
「させて欲しいのなら、考えてやってもいいわ」
「させてくれ。頼む」
「即答なのね。まあいいわ。あとは私の気分次第ってことで。この子については検査してからあらためて考える」
「で、どこなんだ? その倉庫っていうのは」
「もともとキャジュが住む予定だった場所よ。ね?」
キャジュはスクネにくっつかれて目を丸くしていた。拒絶はしていないみたいだった。むしろその表情からは歓迎の気持ちが滲み出ていた。
「メイル、おかえり」
「ただいま。戻って早々悪いことをしてしまったな。俺のせいでせっかくの棲家をおあずけにさせてしまったみたいで」
「気にするな。そんなことよりも無事でいてくれて本当によかった。それとあの倉庫だが、風通しはいいしライダーの部屋のような不潔さもないからきっと快適に暮らせると思うぞ。お互い、ほんの少しの辛抱だ。あとで顔を出すよ」
「ああ、待ってる。それとキャジュ、この子のことだけど」
「スクネっていうんだろ。全部聞いていたさ。かなり信頼されているみたいだな」
「耳がいいんだな。それだったら話が早い。スクネのこと、頼んでもいいか?」
「私なんかでいいのか? ならば光栄だ。責任を持って預からせてもらうよ」
会話を見ていたスクネがキャジュに微笑みかけていた。それに気づいた彼女も満面の笑みを返していた。
この二人ならきっと大丈夫だと思った。
レインから拘束される場所を聞くと、そこは以前夜を明かした落ち着ける場所の近くだと分かった。
俺は一人で行けることを告げて、彼らと別れた。
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