みんな、ひとりぼっち / reddish liquid alternate その3
「今から二十四時間以内に外さないといけないわけね。メイル、今何時?」
「午後四時だ。なにもかも手探りの作業になりそうだから下手をすると徹夜になりそうだな」
「あなた、一度家に戻ったほうがいいわ。あの子にはうまく伝えてここに来させないようにして頂戴」
「アイテルが使えなくなるからな。あんたはどうするんだ?」
「あなたがここに戻ってきた後、急いで洗浄してくるわ。あの子には申し訳ないけれど、一緒に行くの断っといてもらえる?」
「長旅の直後だものな。なんなら少し寝てきてもいいんだぞ。その間にシンクが起きてくれれば俺としてもやりやすいし」
「いいのよ。私は平気だから。それよりも、早く顔を見せてあげて」
家に戻ると寝台の上で丸くなったレシュアが鼻水を啜っていた。彼女には本当に悪いと思ったが腰を据えて話を聞く余裕はなかった。
名前を呼ぶと何事もなかったように起き上がって俺のほうを向いた。
キャジュの身体のことを掻い摘んで説明した。分からないことだらけなので時間がかかってしまった場合は家に帰らないこと。アイテル治療が必要不可欠なので心配になっても絶対に来ないで欲しいこと。それと施術はレインにも協力してもらうので洗浄場には一緒に行けなくなったことを話した。
応答を待ったがすぐには返ってこなかった。彼女の気持ちの断片が見えているだけに心苦しかった。
キャジュを見捨ててでも今夜は側にいて欲しいと言われたら、たぶん俺は従ってしまうと思った。それほどに今のレシュアは弱っていた。
優しい言葉をかけてしまったら、俺はきっとここを出られなくなる。
「いいよ。行ってきなよ。私のことは大丈夫だから。そんなことよりも、キャジュのことを、守ってあげて……」
彼女の口から吐き出されたのは、悲しみしか連想できない酷く重たい声だった。
俺はレシュアの言葉をそのまま飲み込むことしかできなかった。奥に潜めているものがなんであろうともそれが彼女の本心だと判断したからだった。
キャジュを本当に必要としているのは俺ではなく彼女自身なのだ。心を繋ぎとめているものの優先順位を考えれば当然の選択をしたに過ぎない。
「じゃ、さくっと済ませてくるわ。またな」
交信機を食卓に置いた。直接手で渡すことは怖くてできなかった。
この人が引き出してくれた笑顔をいつものように届けることが、今の俺にできる精一杯の配慮だった。
家を出る前にもう一度彼女を見たが、こちらに笑顔を向けることはなかった。
入れ替わったレインが普段着で戻ってきたのはキャジュが『停止』してから一時間が過ぎた頃だった。
ダクトスーツを着てくると予想していたので意外だった。
「あれは戦闘用の服だからね。威力だけ上げてもしょうがないでしょ。長丁場になるかもしれないんだから楽な服装のほうがいいと思ったのよ」
シンクはまだ寝ていた。試しに顔をひっぱたいてみたが無反応だった。なんて使えない男なんだと思った。
レインに一応断りを入れてからキャジュの白衣を開いた。顔と同じ色をした白く艶やかな肌があった。もちろん大事な部分はしっかりと隠してもらった。
話に聞いていたとおり、胸の下についている箱からは黒い線が腕と足と頭に向かって伸びていた。
例の棒は手首と足首の内側に刺さっていた。
「よく見るとこれ、身体にくっついているのね」
黒い線はキャジュの皮膚にしっかりと貼りついていた。指で引っ張っても取れそうにない。皮膚の中に食い込んでいるのだろうか。それともこの棒のようになにかで固定されているのだろうか。
「物は試しよ。思い切って外してみましょう」
「簡単に言うなよ」
「この細い線くらいだったら平気よ。傷だってすぐに塞がるでしょうし」
半ば強要された俺は、キャジュの身体にくっついている黒い線を力任せに引っ張ってみた。
やはり皮膚組織にめり込んでいたようで剥がせはしたものの、少しばかり血が滲んだ。赤い血だった。
止血をレインに任せて全身の線をキャジュから離す。そのあとはいつもの消毒と薬で処理をした。
次は棒だった。引っ張ってもびくともしない。
これは力任せとはいかないようだった。
「中を見てみないとどういう仕組みで固定されているか分からないわね。切開しましょう」
「本気かよ!?」
「本気よ。心配しないで。ちゃんと血は止めておいてあげるから」
「刃物はどうするんだ。ここにあるのか?」
「ええと、薬品置き場の近くにあったはずよ」
探してみたら確かにそれはあった。手の平に収まる小さな刃物だった。
俺は意を決してキャジュの手首についている棒の上に刃物を当てた。
手前に優しく引いただけで、皮膚は左右に開かれた。
「案外普通の棒みたいね。どう、抜けそう?」
肌に露出していたものよりも二周りくらい太い棒がめり込んでいるだけだった。
少し力を入れるだけで引き抜くことができた。
「神経に直接命令しているわけじゃないみたい。こんな棒一つで腕一本操れるなんて、すごい技術だわ!」
「そう言われればそうだな。……おい、次行くぞ」
「あなた~、のってきたわね~」
「うるせえ。こっちは余裕ないんだよ!」
「私がついているじゃないのよ。気楽にいきなさいな」
腕と足の処理をしていく。同じことの繰り返しなのでさほど苦でもなかった。なによりもレインの止血は完璧で、見た目からでは刃物を入れたようには見えないくらい綺麗に塞がっていた。
問題は額の二箇所だった。この中にどのくらいの太さの棒が入っているのか。それを確かめるためには頭蓋骨の内側を確かめなければならなかった。
「これは私の勘だけれど、後回しにしない? ひとまず箱のほうを取ってしまいましょう」
「俺もそう思う。なんだか嫌な予感がする」
「あら珍しい。意見が合うなんて」
「その前にこの線、切ってしまわないか?」
「そうね。なんだか邪魔だものね。いいわよ。切ってしまいなさい」
小さな刃物を見つけたところに布の裁断用のそれによく似たものがあったので、それで切った。簡単に切れてしまった。
「この断面の光っているものはなんだ?」
「やだ。これ、『金』じゃないの!?」
「金っていうと、あの昔の機械とかに使われていたやつか?」
「キャジュが言っていたナーバルエービーとかいうものがこの金を通して流れるのだとしたら、それは興味深い事実よ」
「どういう意味だ」
「この金という物質は電気という昔の動力源を通す上で非常に効率が高い材料なのよ。特に安定性が優れていてね、旧文明の後期ではやたらと金を使うようになったって話を聞いたことがあるわ」
「電気っていうと、前の俺の家にあった受像機を見るのに必要だった力だな。爺さんもそんなことを言っていた」
「あれもそうだったわね。平面映像で笑っちゃったけれど。まあそれはいいとして、本当にこの技術はすごいわ。重さをまるで感じない。特殊な合金かしら?」
「どうでもいいけど、続けようぜ」
「はいはい、そうしましょう」
四角い箱。キャジュが最も気にしていた部分だ。
問題はどの程度まで身体に干渉しているかだ。見た感じでは肋骨の上あたりに位置しているので内臓のところまで根づいていない限り難しくはないだろうと思った。
実際に開いて見てみると予想通りだった。皮膚組織にやや深めにめり込んでいるだけで、丁寧に切り取れば傷跡もほとんど作らずに外すことができた。
問題はやはり頭の棒だった。
時間を確認すると作業をはじめてから四時間が経過していた。
「少し休みましょうか。例のやつ淹れてくるけれど、飲む?」
「ああ、頼む」
流し台に立ちながらアイテルでキャジュの傷を塞ぎ続けている。なんて器用な女なんだと思った。
それから五分ほどしてレインは戻ってきた。
……。
この状況は絶好の機会だと思った。
……そろそろ、あの話を『仕掛けて』みようか。
「はい、どうぞ」
「すまない。……ああそうだ。ところでレイン」
「なに?」
「あんた、城にいるやつと繋がっているんだってな。なんで黙っていたんだ?」
「え? 誰が言ったの?」
「シンクだ。あんたらのダクトスーツのことを聞いたら吐いた」
「……そう。まさかあなたが最初に辿り着くなんてね。見かけによらず行動的な男子ですこと。それで? なにが知りたいの?」
「カウザとの戦争のことだ。そのことがずっと引っかかっていた。レシュアを城から出したのはあんたらなんだろ?」
「どうして?」
「戦争が起こることを事前に知っていたからだ。レシュアは戦力になる。城に置きっぱなしではもったいないからな」
「素晴らしい推理ね。ずっと地上で暮らしていたわりになかなか鋭いこと言ってくれるじゃないの。……だけど、全然違うわ。この件にはもっと複雑な事情が絡み合っている。そもそも私がレシュアを道具みたいに扱うわけないでしょ」
「複雑な事情とは、俺のことか?」
「あなたのこと? あなたの身体のことかしら?」
「やっぱりな。あんた、知っていたんだな」
「シンクはどこまで喋ったの? ちょっと怖いんだけれど、まあいいわ。あなたの『超人的な身体』については以前から知っていた。認めるわよ。あなたが正体不明の人であることもね」
「どおりでな。だが正体不明かそうでないかについてはどうでもいい。この話とは関係ないからな。ともかくだ、俺とレシュアは今の環境にあまりにも合致しすぎている。不自然すぎるんだ。もしそれを仕向けたのがあんただとしたら今までの辻褄が合う。どうなんだ? あんたが俺に近づけとけしかけたんだろ?」
「そうだと言ったらどうなるの? まさかあなた、まだあの子のこと疑っているわけ? 自分がただ利用されているだけの存在だとまだ思っているわけ?」
「事実だけを照らし合わせればそう考えるのが普通だ。見ろよ、この俺だぞ。こんな見苦しい男のどこに魅力を感じるんだよ。なんであんなやつがこの顔に惚れるんだよ。おかし過ぎるだろうが」
「……そんなこと、私に聞かれたって、困るわ。あの子の気持ちはあの子にしか分からないんだから。気になるんだったら本人に確かめてみればいいじゃないの。それとね、あなたの身体のことはまだあの子は知らないはずよ。あなたが言っていない限りね。固く誓うわ」
「その言葉を信じろと? 城と繋がっているあんたの言葉を? 笑わせるな。ここまでの材料が出ているというのにどうやって信じられるんだよ。納得がいかねえよ」
「あのね、私が繋がっているのは城で暮らしている『ある人物』であって、城そのものではないの。あなたはたぶん元老院を想像したのかもしれないけれどそれは誤解よ。彼らの考えに異を唱える人物の力になっているの。もう少し時間が経ったらそのことについても話すわ。だから、全部でなくてもいいから今は信じていて欲しいの。このこともあの子はまだ知らない。せめて、あの子のことだけは全部信じてあげて……」
「この際だから正直に言わせてもらうけど、俺はあんたらが必死にこの都市を守ろうとしている姿勢を正しいことだと思っていたし尊敬もしていた。あんたらのことを信じて進もうと思っていたんだ。……それなのに、俺達を見捨てたあの城の奴等と裏で通じ合っていたなんて、馬鹿にするにもほどがある。だから納得がいかないんだよ。仮にあんたらが秘密裏に正しいことをしてくれているなら、俺とレシュアには話しておくべきだったんじゃないのか?」
「ごめんなさい。これからはできるだけ伝えるようにするわ……」
「約束だぞ。もしそれを守れなかったり今の話に嘘があった場合、俺はこの都市を出るからな。いいな? それでいいなら今回のことは信じてやる。せっかく信じようと思いはじめたこの気持ちをここで台無しにしたくはないからな」
「……ありがとう。あなたのことも、本当に頼りにしてる。私達にとって『絶対』に必要な人だから」
「分かった。じゃあ念のためにもう一度聞く。あんたは本当に信じるに値する人間なんだな?」
「……信じて、欲しいわ」
「だったら、その仮面を外してくれ。固く誓うと言ったさっきの言葉を、素顔を見せることで証明してくれ。あんたが俺を信用しているのだったら、もう隠す必要はないだろ」
俺はこの女の素顔こそが全てを繋げる鍵だと思っていた。
たった一つの嘘を証明させる事実が、その顔に隠されていると読んでいた。
「……あなたには負けました。そこまで言われたらさすがの私も断れない。……いいわ。見せてあげる。でも見たくなくなったらすぐに言ってね。じろじろ見られるの、あんまり得意じゃないから」
レインは気恥ずかしそうな素振りをしてこちらを焦らした。
突然切り替わった彼女の態度は、いつもの愚行に移行する前兆と酷似していた。
……まさか、見てはいけない顔なのだろうか。
そう思うと妙な胸騒ぎがして、俺の背筋に強烈な悪寒が走った。
レインが仮面にそっと手を当てると、その内側で微かに空気の抜ける音がした。
掴み取った白い蓋が、レインの顔から外される。
「……あの子には、レシュアには黙っていて。これ以上、悩み事を増やして欲しくないの……」
なにが起こったのか、一瞬分からなかった。
……あれは、なんだ?
それにしても酷い。見たことを後悔する顔。
一体どうしたというんだ。なぜそうなった。
……なにをしたら、こんなに『ぐちゃぐちゃ』になるんだ。
……足といい顔といい、まるで良いところがないじゃないか。
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