みんな、ひとりぼっち / reddish liquid alternate その2
キャジュと名乗った奇妙な機械は俺達が手に持っているものに興味があるらしく、好奇の眼差しを向けていた。
「……アノ、ソレ」
「どうしたの? これは別に危ないものではないわよ」
「……ワタシモ、ソレ、ノミタイ」
「ええ!? これ飲みたいの? だってあなた、どうやって飲むのよ。私みたいに穴なんか空いてないじゃない」
「アノ、コレ、トッテモ、イイカ?」
機械は自分の顔を指差した。
「ちょっと聞いてないわよ。なんで言わなかったの? 取りたいならさっさと取ってしまえばよかったのに」
「ダッテ、ワタシハ、アナタ、タチニ、トッテ、テキ、ダカラ」
「勝手なことはできないというわけ? そんなこと気にしなくてもいいのよ。レシュアも言っていたけれど、私達はあなたとお話しをしたいの。だから思ったことがあったならなんでも言って頂戴」
「ワカッタ。レイン、アリガトウ」
「じゃあ、もう一つ湯飲みが欲しいわね。準備してくるわ。メイル、ちょっと頼んだ」
「おい、本当に大丈夫なのかよ。爆発とかするんじゃないのか?」
「なーに言ってんのよ。それでもあなた、男でしょー」
女らしき機械は起き上がろうとしたのだが一人でうまくできないみたいなので背中を支えてやった。
ごつごつした外見のわりにずいぶんと軽い。まるで病に倒れた少女を起こしているみたいだった。
アリガトウと6呟く声には猜疑心を抱く俺の心を痛ませるだけの信頼が滲んでいた。
こいつに裏切られて殺されることが不幸だと思った自分が情けなかった。仮に俺を殺したとしても次は自分が壊されることくらい計算できているはず。大人しくしていてもいつか壊されるかもしれないのだ。
この機械はとうに覚悟を決めている。そう思った。
明確な理由があったわけではないにしろ、レシュアに差していた陰影と同じものをこの機械からも感じたのは事実だった。
敵であったはずのこいつを連れて帰ろうとした真意は分からない。しかしレシュアが必死に探し当てた糸口は俺からしても光明に違いなかった。
まだよく知らない相手を信じる。
慣れないことだがやってみる価値は十分にあった。
冷静に考えればどうということはない。レシュアやレインのように『彼女』を人として考えればよいのだ。たとえ機械の身体であろうとも、気持ちが伝わる限りそれは心そのものなのだから。
「メイル、イマカラ、カオヲ、ハズスカラ、ササエテイテ、クレナイカ?」
「ああ、分かった、……って……おい!? あんた!?」
さっきの決意はなんだったのか。『機械の顔』の中にあったのは、紛れもない人間の顔だった。
耳が見えるくらいの黒い短髪にふっくらとした頬、それとなくついた小ぶりの鼻に負けず劣らずの口、そして最も女らしさを強調しているおっとりとした目つき。
それらが集まった彼女の顔はレシュアとはまた違った優美さを放っていた。
見えなかった相手の心が一気に飛び込んできたような気がして変な感情が湧いた。それは機械であったものが突然人間にすり替わった反動で起こった俺の動物的な活動と言い換えてもよかった。
この女機械に対する感情は、どちらかと言えば同情に近い感覚だった。
そこに関しても、レシュアとは少し違っていた。
「……そんなに見られると気味が悪いのだが。私の顔になにかついているのか?」
「おい! 普通に話せるのかよ!? さっきまでのはなんだったんだ!?」
「ああ、これか? 見ても分からないかもしれないがこの顔の口のところに復号機がついている。カウザの言葉で話すとそれを地球の言葉に変えて出してくれるんだ。どうだ、便利だろ?」
「それなしでも十分話せているじゃないか」
「これの唯一の欠点は私の『ニホンゴ』を変換できないことだ。どうやら複雑な文法には対応していないらしい」
機械の顔を着けていた時よりも女性的な甘ったるい声を発していた。その声にはやや強引な力みが含まれていて、無理をしているようにも感じた。
ずっと素顔を見せなかった理由については当人なりの筋が通っていたのだろう。だがそこを考慮してもなんとなく裏切られた気分だった。
気持ちをありのまま伝えようと思って彼女の顔を見ると、あどけない表情がこっちを真っ直ぐに見つめていた。俺の不満はその表情一つであっさり消し飛んでしまった。
機械の顔を手に持ってにっこりと微笑むその顔がなんともいじらしく見えた。
この光景は地球の人間が最も大切にしなければならないものだった。
知らない星にもあることを知って、嬉しくならないわけがなかった。
「あら、キャジュったら、普通の女の子じゃない!? 驚いたわ。地球の人間とそっくり! カウザにはあなた達みたいな人がたくさんいるの?」
「たくさんではないと思う。あ、ありがとう」
キャジュはレインが持ってきた容器を両手で受け取って、中の液体を恐る恐る口に運んだ。熱かったのか目を閉じてすぐに容器を離した。
「苦い。でも、おいしい」
「そうでしょ。これで仲間が一人増えたわ。ね、メイル?」
なんとも割り切れない気持ちが腹の底にあった。
とりあえず、決着は後回しにしようと思った。
「……あの」
「どうしたの。やっぱりそれ、好きじゃない?」
「そうじゃない。今のうちにどうしても言っておきたいことがあるのだが」
「なに? なんでも言って。協力するわ」
「その前に、この機械を全部降ろしてしまいたい。手伝ってくれるか?」
「お安い御用よ。で、どうしたらいいの?」
「メイル」
「なんだ。俺がやるのか?」
「あなたには、見て欲しくないのだが」
どうやら彼女にとって全身の機械は服みたいなものらしかった。
要するに、脱いだ後を見られたくないのだそうだ。
「あら、あなた男として見られているわよ」
「う、うるせえよ!」
「心配しないで。あの子には黙っていてあげるから」
「い、いいから早くしろ。ほら、困ってるだろ」
「はいはい」
男には見られたくないということなので、俺はシンクライダーが眠っている寝台を仕切る幕の中に入った。
穏やかな寝顔だった。爺さんの施術のおかげか痛みはほとんど感じていないみたいだった。
指でそっと触れると早くも骨がくっつきはじめている。この調子なら後二、三日で歩けるくらいに回復するだろう。
「……はい、よいしょっと」
仕切りの外で空気が押し出されたような奇妙な音が鳴った。
「ねえメイルー」
「どうした」
「シンクの白衣の場所、どこだっけ?」
「なんで俺が知ってるんだよ!」
「うそ、知らないの? どうしましょう。絶対にあるはずなんだけどなあ。さあて、どこだったかなあ。うーん。ここじゃないし、あっちでもないし。あ、そうだ! きっとあそこだ。もうちょっと待ってて、必ず見つかるから。……えーと、この中に、あった! あったわ。メイルー、あったわよー」
「いちいち報告するな。とっととそれを着せろ!」
「あら、キャジュに着せることよく分かったわね。もしかして、覗いてる?」
「そんなん説明されんでも分かるわ。いいから早く着せてやれ! それと俺を使って遊ぶな!」
「……どう、しっかり隠せる?」
「……このくらいなら十分だ」
「メイルー、こっち来てもいいわよー」
床に黒光りした機械の部品が散乱していた。
大きすぎる白衣を纏ったキャジュは寝台に座りながら黒いやつを飲んでいた。袖が長すぎたのだろう、腕の部分はその長さに合わせて捲ってあった。
ただでさえ小さい身体がさらに縮小したように見えた。レシュアを一回り小さくしたくらいだろうか。
年齢は、顔だけで判断すればかなり若いと思われる。
「レイン、メイル、まずはこれを見て欲しい」
胸元を隠しながら開いたそのすぐ下に四角くて底の浅い箱のような機械があった。箱の側面からは幾つもの線が伸びていて、それらはどこかに繋がっているように見えた。
「これは今の私を動かしているものだ。中には身体を動かすための燃料のようなものが詰まっている。その燃料のようなものを私達は『ナーバルエービー』と呼んでいる。ナーバルエービーはカウザの機械を動かすために絶対必要なもので、全ての機械の中にはそれが詰まっている。ところがこのナーバルエービーは私の力では作ることができない。そして今、私の中のナーバルエービーは空っぽに近い」
「全部なくなるとどうなってしまうんだ?」
「機能が停止する。ただしそれは機械化された私が停止するだけで本来の身体機能が失われるわけではない」
「それだったら別に気にすることでもないんじゃないのか? むしろ機械としての機能が止まれば人間として生活できるんだろ?」
「生活はできない。なぜならこの身体は、ナーバルエービーによって生かされているからだ」
「つまりあなたはどうして欲しいわけ? もしかして助からないの? そのナーバルなんとかを持ってきて欲しいとか?」
「厳密に言うと機械としての機能停止後一日で私の心臓は止まってしまう。だからといって今さらナーバルエービーを回収する気はない。そこでお願いがあるんだ。私の身体からこの機械を取り除いてくれ。全て取り除ければおそらく人間としての機能が蘇るはずだ。頼む。私を助けてくれ」
「自分では外せないようになっているのね。それはもしかしてそう命令されているからかしら?」
「そのとおりだ。事故を装っても全てを外すことはできない構造になっている。レインは見ただろう? 全身の『杭』を」
「おあずけ食らったあなたに説明するとね、この子の手足にはそれぞれ一本づつ棒のようなものが刺さっていて、そこを通して筋肉を動かしているみたいなの。それと頭にも二箇所、あるわよね?」
キャジュが前髪を掻き上げるとおでこの両端に線が張っていた。側頭部から首の後ろを流れて肩、胸の中間を通って四角い箱に繋がっている、らしい。
「質問、いいか?」
「言ってくれ」
「それはあんた以外の人間なら誰でもできることなのか? それともシンクのように医療の専門知識を持った人間がいないと駄目なのか?」
「自分の身体で試したことがないので断言できないが、聞いた話によるとナーバルエービーが詰まっているこの部分は、外すことによって大量の血が流れてしまうそうだ。たぶんそれを止められる人間であれば取り除けると思う」
レインは腕を組んで小さく唸っていた。どうやら考え事をしているらしかった。
気がつくと、俺も同じ動作をしていた。
「簡単に言ってくれるわね。血を止めるだけならシャット系でできるでしょうけれど、もしものために本職を置いておきたいわよね」
「シンクが目を覚ますのを待つしかないか。あの人の意見も聞いた上で作業を開始したほうが俺としても気が楽だし」
「あら、あなたがやるの?」
「人間が相手だろうと取り除くのは機械だ。詳しいやつが関わったほうがいいに決まってるだろ」
「それじゃあ、ここにいる私達だけでやってしまいましょう。ところでキャジュ、燃料はいつごろ切れそうなの?」
「……」
俺達のほうを見ながら少し苦しそうな顔をして停止していた。
レインはそれを直に触れて確かめ、優しく寝かせてあげた。
キャジュの胸は、ゆっくりと上下していた。
まだ息はしているみたいだった。
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