想誤離壊 / bad receiver その2
食卓の上に置かれたレインの交信機は誰かの交信機と繋がっていた。
あちら側の音を拾っているようで、耳を澄ますとそれは生活音に聞こえた。
『……流石だな。踏み込みのキレが増している。レインの鬼教育が着実に姫の強化に結びついているぜ。どうよ、成長している感覚はあるのか?』
『……さあ、さっぱりです。結局レインさんの動きの秘密は分からず仕舞いですし。ヴェインさんはそのこと、なにか聞いていました?』
『いや、なんも。そもそもレインとはあまり話をしねえからなあ』
『ええ!? それは意外です。いつも一緒にいるからてっきり夫婦さんかと思っていました』
『夫婦か。確かに長いことつるんでるな。ま、あれだ。以心伝心ってやつだ。もう言葉を使ってやりとりするのが面倒臭えってのもあるけどな』
『へえ、なんかいいですね。そういうの憧れます』
『姫だっていつかそういう相手ができるぜ。なんつったって、あれだからな』
『あれ?』
『おおよ。べっぴんさんってやつだ。そういえば前にレインが姫を見て嘆いていたっけな。私にもあんな時代があったのよー、ってな』
『……レインさん、仮面してるから分からないですもんね』
『そのことだけどよ、気をつけるんだぜ。ああ見えて繊細な性格してやがるから、あることないことにいちいち反応して暴れ出すかもしれねえぜ』
『うわ、それは怖い。ありがとうございます。気をつけようと思います』
『うむ』
「うむ、じゃないわよ! あることないこと喋っているのはあなたのほうでしょうが!」
「ヴェインの見立ては正しいな。確かに、繊細だ」
「しっ。黙って聞きなさいよ」
『……ところでよ』
『はい』
『メイルとは、その、いい感じなのか?』
『はい。と言っても、普通にいい感じ、みたいです』
『どうしてだ。あれから頑張ってみたんじゃないのか?』
『頑張ってはいるんですけど、なかなか思うようにいかなくって……』
『だよな。こんな美人に言い寄られたりしたら誰だって怯えちまうさ。特にあいつはちっとばかし自分を悪く見積もる癖があるからな。なおさらやり辛えだろう』
『そんなこと、ないと思うのに……』
『それは姫の目線だからな。あいつにはそうは見えちゃいねえのさ。なにかよくないことがあると全部自分のせいにしちまうんだ。俺がこんなんじゃなかったら、てな。そんで結局、自分一人が傷つけばなにもかも解決すると思い込んで口を閉ざしちまう。誰も望んじゃいねえのにな』
「あなた、そうなの?」
「全否定は、しない」
『……私にも、似たような考えがあるかもしれません』
『だろうな。あん時はマジで肝を冷やしたぜ』
『あの時、ですか……』
『ああ。おたくさん、完全に目がいってたぜ。死を覚悟している目だってすぐに分かったな』
『その節は、ご迷惑をおかけしました』
『いいんだ。気にするな。前にレインも言ってたが、あそこはどのみち落とされていた。姫がいたことでむしろ被害を抑えられたと思ってもいい。要は考え方次第だってことよ』
『みんな、優しいんですね。メイルにも前に注意されちゃいました。自分の能力を否定するなって』
『こりゃあ傑作だ! てめえが悲観しているくせにな。きっとあれだ、あいつは姫を鏡だと思って見ているんだろうぜ。本当は好きになりたいんだが、好きになるのが怖いんだ』
『……自分のことが、好きじゃないから』
『やっぱりおたくら似た者同士なんだな。まあ、そのうちどうにかなるだろ。今は平行線のままでも、小せえなにかが少しずつでも積み重なっていくはずだぜ』
『すごく、不安になることがあるんです。特に寝る前とか』
『そんなの、隣で抱きしめてもらえばいいじゃねえか』
『断られました。私とは同じ家の中では寝られないって。お爺様のところに行っているんです』
『……そんな話、聞いてねえな』
『え?』
『そもそもよ、他人の家に入るためには都市の代表の許可がねえと駄目なんだ。あいつは姫の客みたいな待遇で登録しているはずだから申請しても通らねえはずだぜ』
『じゃあ、どうしているんでしょうか?』
『野宿、しかねえだろうなあ。シンクんとこは閉鎖してるだろうし』
「あなたって、かなりのお馬鹿さんなのね」
「生まれつきなんでね。直しようがない」
「あの子がどんどん好きになっていくわけだ。これじゃあ、一溜まりもない」
「俺は、残酷なことをしているのか……」
「ええ。そりゃもう、えぐいくらいにね。放っておくといつか襲われるわよ」
「そいつは、困ったな……」
『……私、なんで気づけなかったんだろう』
『大切に思われている、からだろうな』
『どうしたらいいんだろう。もう、彼を苦しめたくない』
『簡単だ。はっきり言っちまえばいいんだ』
『やめてって、ですか?』
『そうじゃねえ。一緒に寝てくれなきゃ嫌だって駄々をこねるんだよ。なんだってそうだ。抱きしめて欲しかったらそう言えばいい。優しくして欲しかったらそのとおりに言っちまえばいいんだ。男っつうのはな、融通の利かない生き物なんだぜ。雰囲気で察してくれるほど賢くもねえ。重要なことだから覚えときな』
『ヴェインさんは口が悪いけど、大人なんですね』
『頼りになるだろ。メイルに飽きたら乗り換えてくれたっていいんだぜ』
『それは、ないと思うんで大丈夫です』
『お、おおよ。いい感じじゃねえか。その調子であいつとやっていけばきっとうまくいくだろうぜ』
『はい! ありがとうございます』
『さ、話は終わりだ。そろそろ帰してやらねえとな』
『え?』
交信機の声がぷつりと音を立てて切れた。
「じゃ、私帰るから。あ、それと、今日は予定通りだから。あの子が無事に帰ってくることを祈って待ってなさい。くれぐれも羽目を外さないように。馬鹿なことしてたら私がぶん殴ってあげるから、そのつもりで」
「お、おい、ちょっと待て!」
「なによ」
「あの、とりあえず、心配はするな。あいつのことはよく考えておく。だから、あまり無理をさせないでくれ。頼む」
「……なーに言ってんのよ。当ったり前じゃないの。私を誰だと思ってんのよ。言われなくてもあの子は無事に帰すわ。安心しなさい。……じゃあね」
どうして、涙声だったんだ?
……なにか、嫌な予感がする。
レシュアが長距離移動に向いていないことを知りながら襲撃に連れて行く意味。
リムスロットを手薄にしてまで行かなければならない理由。
そして、急遽部隊に引き入れた男の存在。
……やはり、不自然なことだらけだ。
このまま見過ごしてしまってよいのだろうか。
俺は今の自分ができることを考えてみた。
……。
結局、残念な現実が浮き彫りになるだけだった。
俺はただ、みんなが無事に帰ってくることを祈るしかなかった。
……だが、胸の奥底にはどこか引っかかるものを感じていた。
レインがいなくなったことで解放された俺は農地区域で種おろし作業の手伝いをしに行った。
出発の直前に顔を見せに来たレシュアは、ただでさえ白い顔をさらに白くして微笑んでいた。
落ち着かない様子がその体全体から伝わってきた。
「メイルも一緒に考えてくれたからさ、評価してもらおうと思って。どう? 変じゃない?」
「すごく似合ってる。てかよ、まさかそれ着て行くつもりなのか?」
「そうだけど。駄目?」
昨日作ったばかりの服だった。女の子が着る可愛らしいものにしたいという要望に従って、生地の色と上着の形を考えた。
スカート部分は自分で作りたいというので裁縫の仕方を教えた。飲み込みが早くて手先も器用だった。雑なところはこっそり修正しておいた。
空色の爽やかな夏服だった。ここから遥か北にあるスウンエアでは残念ながら着られないだろう。
「うん。分かってる。だからこの下に長袖を着ようかなって考えてる。それなら大丈夫でしょ?」
「上下ともか?」
「密着式の防寒素材のやつをレインさんが貸してくれたから。色も白だったし、違和感あんまりなかったよ」
違和感があると思った。だからあえてここでは着てこなかったのだ。
つっこんでやろうかと思ったが、気の毒な顔は見たくなかったのでいつもどおりの笑顔を返した。
「それじゃ、行ってくるね」
「またな」
「……あ、そうだ」
「どうした?」
「……あの、帰ってきたらなんだけど、その、つまり、ですね。ええと……」
交信機から発せられたヴェインの助言が真っ先に思い浮かんだ。
「ごめん。お前とヴェインの会話、さっき聞いてたんだ。レイン達の悪知恵にまんまと引っかかってな」
「……ごめん。私も聞こえてた。……メイルってほんと、嘘つくの嫌いなんだね」
「今回は機会を窺っていただけだ。はじめから話すつもりだったよ」
「じゃあ、考えて、くれるの?」
「考えるもなにも、ばれてしまったんだから一緒に寝るしかないだろ」
「え? 一緒に寝てくれるの?」
「当然だろ。俺が床で寝るなんて言い出したらお前、不愉快になるだろうが」
「へへへ。そうだね」
幾分か顔色を戻したレシュアは気持ちを切り替えたらしく、最後は凛々しい表情をして行ってしまった。
後姿がとても愛くるしく見えて、自然と胸が苦しくなった。
こんな彼女とはもう会えないかもしれない。
俺の胸の中に潜んでいる、ある確信めいた衝動が彼女を引き止めたがっていた。
まだ間に合うかもしれない。そんな言葉が頭の中を駆け巡った。
農作業を終えて自宅に戻ると、シンクライダーから食事の誘いがあった。
この男との二人きりはなかなか落ち着かなかった。とにかくよく喋る。気まずい空気にこそならなかったが、程度を知らないためか話の逸れかたが尋常ではなかった。
古代産業技術の革命はいかにして起こったのかという話だと思って聞いていたら、急に現代の排泄事情の問題にすり替わったりしている。しかも食事中にだ。
ヴェインの発言のとおりだった。この男の話は息が詰まる。しかも面白くない。
俺が空腹にならないよう配慮してくれている気持ちはありがたかったが、それをまるっきり打ち消すほどのうざったさが目の前の飯を最高に不味くしていた。
この不愉快な気持ちを切り替えることはまず不可能だった。
でも、この状況は俺にとって最高の好機でもあった。
「シンク。俺さ、今服作りに熱中しているんだ」
「なんと! それは素晴らしいですね。どんな用途で着用する服なのですか?」
「レシュア専用の戦闘服を作ろうと思っている」
「おお、ジュテーム! それが愛の形になるんですね。いいじゃないですか。もちろん、レシュアさんには内緒で作るんですよね。ね?」
「それがさ、少し困ってしまって」
「なんでも聞いてください。知っている限り、お答えいたしますよ」
来た。この自然な流れ。しかも他に邪魔をする人間はいない。
質問するなら今しかないと思った。
「レインやヴェインが着ているあの管のついたやつなんだけどさ、レシュアにも同じような感じのを作ってやりたいんだ」
「でも、彼女はアイテルを使えませんよ。ちなみにあれはダクトスーツという名前の防護服です。あの管の部分はアイテルの流れを均一に保つ役割があります。よって彼女には不要のものですよ?」
「なんていうかさ、気持ちっていうのかな。彼らと同じものを着せてあげることでレシュアの精神的不安を取り除いてやりたいんだ。あいつ、ああ見えて神経質なところがあるから」
「なるほど! それなら納得です。メシアス君の気持ち、きっと彼女に届きますよ」
「いや、そういうことじゃなくてさ。昨日製造区域の人にその、なんとかスーツの管について聞いてみたんだ。そしたらあれはここには置いてないって言うんだよ。あんたはあれがどこにあるか知っているか?」
「ああそれはですね、『王城ゾルトランス』にしかありませんよ。あれはもともと軍兵専用の服に採用されたものですから」
……食いついた。
「……つまり、レインとヴェインは城の奴等となにかしらの関係を持っているってことなんだな。前にレシュアが奴等の服のことを軍兵の服よりもずっと複雑な形をしていると言っていた。もしあんたが言っていることが正しいとするなら、あいつらは少なくとも軍兵より格上の関係者と繋がっていたことになる。どうだ?」
「さすがですね。僕は前から睨んでいたのですよ。君は他の一般人とは違うとね。……やはりダクトスーツでしたか。彼らはこのくらいなら問題ないと思っていたんです。君が服作りに興味を持っているなんて考えもしなかったはずですからね」
「レインとヴェインのこと、詳しく聞かせてくれるか?」
「知られちゃいましたからね。いいでしょう、僕が知っていることをお教えしますよ……」
これでまた、『彼女』に一歩近づける。
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