想誤離壊 / bad receiver その1
朝になり居住区域が眩しい光に照らされる。寝覚めは悪くない。これが普通だと身体に言い聞かせればそれなりに快適でもある。
家の外で寝ていた。地下都市でもあまり人が通らない居住区域の片隅に手頃な場所を見つけたので、俺はそこを寝床にしていた。
レシュアにはゲンマル爺さんの家に世話になっていると伝えている。嘘をつくのは嫌いだったが、彼女のことを考えればそれもやむを得なかった。
ちなみにうちの爺さんは知らない家族の世話になっている。そこの家の人は自ら進んで爺さんを受け入れたのだそうだ。彼らには本当に感謝している。爺さんも新生活を楽しんでいるみたいだった。今の俺の立場について説明でもされたのだろうか、わしのことは大丈夫じゃからとしつこく言われた。
願わくば便乗したかった。でも彼らの生活に入り込む余地なんてまるでなかった。
起床してから自分の家に入る時には、必ずレシュアの許可をもらわなければならなかった。いきなり入ってこられると怖いからだそうだ。
当初彼女は別々の就寝には反対だった。なんとか説得してようやっと理解を得たと思ったら今度はこの有様というわけだ。
女の思考は謎に満ちている。たまになにを考えているのか分からなくなる時がある。そしてその傾向はレシュアに強く表れた。
大抵は深入りせずに同意したり適当に受け流したりして対処していた。振り回されているという自覚はない。どちらかというとそれすらも楽しいと思いはじめている。
最近彼女といる時だけは笑顔を作れるようになった。自分でも信じられなかった。
笑おうと決意したきっかけはもう憶えていない。ただし後悔はした。レシュアはこの笑顔を見ても一緒に笑うだけでなにも言ってこなかった。
どうしても気になったのでその翌日、自分の顔のことを正直に告白した。そしたら彼女は、控えめの八重歯が可愛いとこの顔の感想を述べた。本当に抵抗がないのかと確認したらなぜか怒られてしまった。もっと笑ってよ、と注文する彼女は真顔だった。これがまた理解に苦しむ原因を生んだ。
俺はこの先どんな未来が待ちうけようともレシュアを特別な存在として見ないと決めていた。当然彼女の気持ちは知っている。というか分からないやつは馬鹿だ。
心の底から守ってやりたいとも思っている。でもなにかが違う。
誰かを好きになる資格なんてない、ということでもない。
……どちらかというと、好きだ。
だからこそ、特別な存在にはしたくなかった。
これ以上想いを膨らましてしまうと、破裂した時の反動で彼女はきっと立ち直れなくなる。
……俺は、彼女が近くにいてくれるだけで十分救われていた。
「おはよう」
「よく眠れたか」
「うん」
今日は機械兵によって建造されている要塞を調査と銘打って奇襲する予定の日だった。出発は彼らの日課を済ませた直後になるらしい。
過去の機械兵出現時間から算出した予想時間は正午から午後二時までの間となっていた。地下都市スウンエアまでの距離は約七百キロメートル。レイン達が全力で飛んで二時間と少々。レシュアも参加するので移動にはもっと時間がかかる。かなりの重労働になるだろうとシンクライダーは言っていた。
今日のレシュアへの対応はいつも以上に注意を払わなければならない。精神的な負担を抱えたままスウンエアに行って怪我でもされたら、ただでさえ見栄えの悪いこの面目が修復不可能なほどに潰されてしまう。
今日という日は自分にとっても油断のできない一日になりそうだった。
「ねえ、メイル」
「なんだ」
「さっきね、ヴェインさんから稽古頼まれちゃった。行ってきてもいい?」
「ああ、こっちのことは気にするな。でも無理はするなよ」
「うん。ありがとう」
家の呼び鈴が鳴る。この音は何度聞いても慣れない。
俺はレシュアが立とうとするのを制止して玄関に向かった。
「やっほー、レインだよ。目覚めはどうかね若者達よ。さあ、朝がはじまったぞ。一日のはじまりだー!」
「は、はあ。これはどうも」
「なんだなんだ。元気ねえじゃねえか。どうした、昨日は断られたのか?」
「なんのことだよ!」
「あ、ヴェインさん、おはようございます」
「お、二人とも仲良くやっているみたいね。関心関心と」
レインとヴェインだった。いつもは部屋着でいるはずの彼らが両者とも戦闘服を身に纏っている。今日の奇襲に向けての意気込みが伝わってくるようだった。
気分が高揚しているのはおそらく緊張を紛らわすためだろう。表情がどことなく固い。
レシュアは身支度を済ませると手を振りながらヴェインと家を出て行った。
「で。あんたはなんでここにいるんだ?」
「はい?」
レインは勝手に上がりこんで部屋の中を舐め回すように見ていた。レシュアの下着の場所が悪いなどとぼやいている。全くもって余計なお世話だ。
「たまにはいいじゃないの。ちょっと話しましょうよ」
許可もしていないのに寝台に座りこんで髪型を直したりしている。この人が回りくどいことをしだす時はいつも言いづらいことを言う時だった。追い出してしまおうとも考えたが、話の内容によっては後悔に変わる可能性もある。とりあえず聞くだけ聞いてみようと観念することにした。
返事をしようと思ったらなんの前触れもなしに話しはじめた。
本当に図々しいやつだ。この仮面女は。
「ところで、あれからどんな感じ?」
「あれからって、どれからのことだよ」
「なによ。分かってるくせに。レシュアとのことよ」
「そりゃあ、まあ、普通だと思うが」
「普通、ってなによ。もっと具体的に話しなさいよ」
「具体的もなにも、そのままの意味だ。特に問題はない」
「あのね、そういうことじゃなくてね。あの子とはどこまでいってるのって聞いてるの。もう、こんなこと言わせないでよ。恥ずかしいじゃないの」
「どこまで? なにを期待しているんだ?」
「キスはもうしたんでしょ? まさかまだしてないとか言わないわよね?」
「していないが」
「嘘でしょ!? 信じられないわ。……ああそうだ、分かったわ。あなた達、我慢比べしているんでしょ? それなら納得だわ。うん。確かにそれは燃えるわね」
「おい、勝手に決めつけるな! 俺達は別にそういうことをするために組まされたわけではないだろうが!」
「ねえねえ、もしかしてさ。あ、これ聞くの怖いなあ」
「なんだよ。しれっと人の話を無視するな」
「もしかしてハグとかも、我慢してるの?」
「ハグってなんだよ」
「やだ。知らないの? こうやって、ぎゅうって抱きしめてあげることよ。まさか、それも?」
「だからどうした」
「これは大変! 緊急事態じゃない! まさかここまで酷い状況だなんて。これじゃ、あの子があまりにも可哀想だわ。あなた、全然分かってないのね」
「はあ?」
「もう、なんかいらいらする! この際だからはっきりさせましょう。あなた、本当はあの子のこと、好きじゃないんでしょ? 可憐な乙女を弄んでそれを楽しんでるだけなんでしょ!」
「なに言ってんだ、あんた」
「だって、分かってるでしょうよ……。それに昨日のあなた、ロルに言ってたじゃない。俺達は子供でも簡単に見抜ける関係だって。ああ、これは見せつけられたってあそこにいたみんながそう思ったわよ。……それなのに、今のあなたときたら、てんで男らしくない! あの子が聞いてたら絶対泣いてるわ。この、意気地なし! 根性なし!」
面白いほど言いたい放題に言われてしまったので逆に可笑しくなってしまった。
この控えめな八重歯は見せられないが、その無謀な度胸に敬意を表して笑顔を見せてやることにした。
「なにが可笑しいのよ。あなた、私に喧嘩売ってんの?」
「いやいや、そうじゃない。まあ聞いてくれよ」
「やっと白状する気になったのね。さあ、早いところ吐いてしまいなさい」
「……まずな、俺達の関係についてだけど、あんたが望んでいるようなものじゃないってことをはっきり言っておく。好きか嫌いかで言うんだったら……そりゃあ、嫌いじゃない。たぶんレシュアもそうだ。俺はそう感じている。……そもそもな、今はまだくっつき合ってお互いの気持ちをどうこうする段階じゃないんだ。なんつうか、その、もっと自分達のことを知っていかないといけない。この際だから言うけど、俺達は普通じゃない。まともな人間じゃない。……そして俺の勘だと、あんたは俺以上にレシュアのことを知っている。おそらく俺のこともな。でもあいつはそのことをまだ俺に打ち明けていない。まだあいつの心の中では俺を一番に信用しようという踏ん切りがついていないと思うんだ」
「……それは、違うわ」
またこれだ。知っているくせになにも喋ろうとしないこの態度だ。
……だから、俺の心も閉じたままなんだ。
「とにかく、あっちにその気があってもこっちにその気はない。それでも俺達はなんとかやってみせる。これじゃ不満か?」
「……そうね。いいわ、分かったわ。まあ、なんとなくあの子の様子を見ていてそうなんだろうなあとは思っていたのよ。だから今日はそれを確かめてもらうためにわざわざ来たというわけ。あなた、感謝しなさいよ。私だって本当は今日の準備したかったんだから……」
レインはここに来た時からずっと手に持っていた交信機を操作しだした。
手馴れた操作でなにかを呼び出しているみたいだった。
「あなた、もう少し近くに来なさい。別に取って食ったりはしないから、さあ」
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