捲れた先の抜け穴 / vantablack ability その2
シンクライダーの指示に従い医療室に行くとみんなは既に集まっていた。
いつもの場所に座ると深刻な表情をした部屋の主が、食堂で言おうとして却下された話の内容を報告した。
「ちょっとあんたさ、そういうことなんでもっと早く言えないわけ? のんびり食事なんてしてる場合じゃなかったでしょうよ!」
「いや、ですから、緊急のお話しだと説明したのに、あなた方ときたらやれ飯が不味くなるだの決まりに反しているだのと全然聞く耳持たなかったじゃないですか」
「わりいわりい。まあそんなにムキになるなって。とにかく今は詳細だ。どうせあれだろ? 行くか行かねえか、誰が行って誰が残るかって話なんだろ?」
シンクライダーが頻繁に連絡を取っている地下都市『スウンエア』の情報によるものだった。異星文明カウザの機械兵が最近になって急に見かけなくなり不審に思って動向を調査したところ、彼らの都市から二十キロメートル程はなれた場所に機械兵の手によって作られたと見られる『建物』を発見したのだそうだ。
部隊を編成して送り込んだらしいが、その後二日経っても音沙汰がないのでリムスロットに救援を要請したのだという。
「中継地点、要塞といったところね」
「タデマル君も同じことを言っていました。あそこは屈強のアイテル使いが揃っていたので、僕としても二つ返事で承諾するのをためらっているところでして」
「このまま放っておくのはヤバイだろ。叩くんだったら早いうちにやらねえと」
「そうね。遅かれ早かれここにも影響が及ぶでしょうし、危険であることに違いはないわ。まあ、私達ならまず平気でしょう」
「それが回答ということでよろしいですね? ……では、地下都市スウンエアにはそのように報告を入れることにします。……ええと、あとは出動メンバーについてですが、どうします?」
『メンバー』とは、私達のような集団の個人を指す言葉なのだそうだ。
「そこそこの戦力を投入したいところだわ。ねえシンク、あなたが差し支えなければ四人全員で行きたいのだけれど、大丈夫?」
「はい? つまりその、ここに予期せぬ機械兵の襲来があった場合、そうなるということですよね?」
「よく分かってるじゃねえか。つまりもへったくれもねえ、そういうことだ」
シンクライダーは緑茶の入った透明容器を覗き込みながら、大袈裟ともとれるくらいに弱気な表情を見せた。その一方でメイルはすっかり気に入ったらしい緑茶を美味しそうに啜っていた。
ロルは目をきょろきょろさせながらレインのほうを見ていた。
「あの、俺も、行くんですか?」
「そうよ。自信ないの?」
「い、いいえ、そういうことではないです。ただ、皆さんの足を引っ張るのではないかと思ったのです」
ロルは事あるごとに私の反応を見て話す癖があった。気があるのは手に取るように分かるし不愉快とも感じていないが、いい加減気づいて欲しいという願望もある。
正直に言うと彼の同行には反対だった。
特に戦場では、彼の存在は邪魔でしかない。
「足を引っ張るのはここに残っても変わらないでしょ。それに、あなたは自分で思っているよりも弱くはないわ。早く実戦に慣れてもらって私達を楽にして頂戴。そうですよね? レシュア様」
「……レインさんが仰っているように、あなたがここにいるのはあなた自身が志願したからであることを思い出してください。ここは遊び場ではありません。命を落とすことを惜しいと感じているのでしたら素直に告白してください。相応の配置に変更しますので」
シンクライダーに続いてロルも落ち込んでしまった。少し言い過ぎたかもしれないと思った。でもなぜだか胸のつかえが下りて晴れやかな気分になった。
レインを軽く睨みつけると視線を逸らされた。彼女は時々子供みたいな行動をとることがある。今回もそのうちの一つなのだろう。こちらの反応を楽しむ目的で吹っかけてきたに違いなかった。
あのおどけた行為の裏側を冷静に分析する能力がいつの間にか身についていた。地上での稽古が能力開花に繋がったのかもしれない。そう思うと、あの切り傷もまんざら無駄でもない気がした。
「……すみませんです。俺、お荷物にならないよう頑張ります」
「おうよ。なかなか度胸据わってるじゃねえか。本番もその意気で頼むぜ。現地に入ってから、やっぱりボクには無理です~、とか泣き言ほざくのは無しだからな」
「はいです。……でも、一つ気になることがあるんです」
「なんだ、言ってみろ」
「あの、メシアスさんのことなのですけど……」
二度は引っかからないという姿勢で部屋に転がっている機械を観察するメイルを、ロルは挑発ともとれる顔つきで睨みつけていた。
「どうしてこの人だけなにもしないのですか? この人の役割は、一体なんなのですか?」
それはメイルの前で一番言ってはいけない言葉だった。
ロルの形相はまるでそのことを知っていたかのようにその対象へと送られていた。
メイルがアイテルを使えないことは既に知れ渡っている。ロルの自信に満ちた表情は、そんな彼に対する疑念に負けるはずがないという強い意思の表れのように見えた。
誰が説明するのかと皆が逡巡していると、観察していた機械を放り投げたメイルが口を開いた。
「なあ、もうやめにしないか? たかが一人のために芝居続けたって誰の得にもならないだろ。本当にレシュアのためを思って動きたいのならこいつに負担がかからないようきちんと住民に説明するのが筋じゃないのか? もしそれが難しいというのなら外部から人を補充するのはもうやめろ。身内で揉め事を起こしている場合じゃない。あんたらも遊びじゃないと分かってるんだったらもっと真剣に取り組んでくれ。俺の考えに同意できないのであれば喜んでここを出てやる。もうこんな茶番に付き合うのはごめんだ」
部屋がすっかり静かになってしまった。事情を知る者と知らない者の両者が、投げかけられたばかりの意見を丁寧に噛み砕いているみたいだった。
最初に声を出したのはシンクライダーだった。
「と、いうことです。メシアス君には明確な存在理由があります。僕達にとって非常に大切な仲間の一人なんですよ、ロル君。まだ君には人間関係が複雑に見えるかもしれませんがいずれ分かるようになってきます。それまではどうか、我慢してはくれないでしょうか?」
「いいえ。質問の答えになっていないです。なぜこんな人がレシュア様の護衛なんですか? ろくにアイテルも使えない人間が、どうして彼女を守る必要があるんですか?」
急にメイルが立ち上がった。私が止めるべきだろうか。
咄嗟に彼の袖を掴んでしまった。すると、優しい指が私の掴む指をそっと撫でるように解いた。
彼の前では自分が本当の意味で無力であることを知った。気づくのが遅すぎるくらいだった。
もちろん、それでも止める覚悟はしていた。
「レシュアが必要だからに決まってんだろ」
「だから、どうしてなんです!」
「まだ分かんないのかよ……」
「なにがです!」
「俺達、同じ家で生活してるんだぞ。いい加減気づけよ。どういう関係かなんてその辺歩いてるガキにだって分かることだ。大人のあんたがなんで分からないんだよ。……意味分かんないよ。頼むから現実をしっかり見て大人の対応してくれよ」
「あなたはレシュア様の全部を知らない! 無力なあなたには絶対に守れない!」
「確かに……そのとおりだ。俺はあんたよりも相当弱いさ。実際この先守りきれるかどうかなんて正直自信はない。……だけど、こいつに必要だと言われたからには本気で守るつもりだし、ずっと守ってきていると思う。……アイテルとかの問題じゃない。俺達が守らなくちゃいけないのはそういうものじゃないんだ!」
「……もう、いいよ。二人ともやめてよ!」
苦しくて涙が出てしまった。
彼の言葉がまだ『全て』を伝えていない胸の奥にまで突き刺さってきた。
嬉しくて、それが苦しくて、涙が止まらなかった。
……せっかく約束したのに、いつまで経っても子供なのは私のほうだ。
「……女の涙はずるいです。もう、分かりましたからいいですよ。少し頭を冷やしてきます。シンクさん、出発はいつですか?」
「あ、えーと、予定では今日でしたが、そうですね、明日にしますか。うん、そうですね、明日にしましょう」
ロルが退室するのを見計らうようにレインとヴェインも動き出した。
去り際にレインがメイルに耳打ちする。するとメイルが、うるせえ、と上擦った声で言い返した。
「さて、どうしましょうかね。機械兵達には今晩頑張らないでもらうようお願いでもしましょうか」
「行くことは決まったんだ。あっちの都市にはそれだけでも朗報になるだろ。今日は出動メンバーとやらが決まらなかったことにしておけばいい」
「さすがはメシアス君、それ名案です! 早速スウンエアに連絡を入れましょう。はい、ということで今日は解散です。ご苦労様でした。それでは、ごきげんよう」
外部通信機のある部屋にシンクライダーが入ると私達は二人きりになった。
メイルはどこか気まずそうな顔をして緑茶の残りを飲んでいる。
……私はそんな彼の耳元に、そっと口を近づけた。
(……あなたの口から『本気で守る』という言葉が出てくるなんて夢にも思わなかった……)
顔を真っ赤にしたメイルが意を決したように溜息をついて、頬を膨らました。
彼の可愛らしい一面を発見した今日の喜びは、一生の宝になると思った。
……これで、今夜は苦しまずに乗り越えられる。
「……ば、馬鹿野郎。レインと同じこと言ってんじゃねえよ!」
「いつも守ってくださりまして、どうもありがとうございます」
「……はいはい、どういたしまして。こちらこそどうもです」
「ああ、その返事なんだか気持ち籠もってない。本気さが足りないよ」
「あ、あんまり調子に乗るな。ほら、一旦帰るぞ。今日は製造区域でお前の服を作りに行く約束してただろ?」
私は返事をするかわりに彼の手を握った。
彼は恥ずかしそうに頭を掻きながら天井を見上げていた。
大切な人の側にいるだけで平穏な一日が過ぎていく。
……こんな日が、いつまでも続けばいいと思った。
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