村の外へと行く女
私の生まれた集落は、海に面していた。
海水浴場とするには高く荒々しい波が打ち寄せる砂浜。
右手には漁港、その後ろは高台がありてっぺんには灯台がたっている。
太平洋に面した、この小さな漁村では、1日の始まりはいつも海からやってくる。
灯台の麓にはこんもりとした森があり、中には神社がたっている。昔はいまある社の北側、海を背に建っていたらしいけれど、江戸時代ぐらいからは今の場所に移ったらしい。
この辺りは暖かい。そのせいか、神社を囲む鎮守の森には千手観音がその幾つもの腕で力こぶをつくっているかのような、奇怪な形の木がある。海辺から離れた隣の集落ではみないこの変な木は、南方系の暖かい地域に生える木なのだと、神社の案内板にはそう書かれている。
神社の掲示板には「肝だめし禁止」の注意書きがあり、神社とその周りの森が地元の子供達の遊び場になっていることがわかる。
私の母方の祖父はその昔この集落の村長をしていた。今では市町村合併により、この集落は村ではなく市の中の一つの区にすぎず、10ほど年上の従兄弟が、今の区長を務めていた。母方の家系はずっと集落のとりまとめをしてきたのだ。
現在の世において、区長が世襲制だなんて。
どうせ雑務が多いのだから、この際、集落内で当番制にしたら。
5年ほど前、従兄弟が区長役を伯父から継ぐという時に意見したら、「のぞみは子供だろ。まだ何もわからないんだから口をだすんじゃない」、と一蹴されてしまった。
あれから5年、私は今日、20歳になった。
伯父の家から、大事な話があるからと呼びだされた。私だけじゃない。母も一緒にとのことだった。
伯父の家はすぐとなりだ。普段からよく顔を合わせるのに、何を改まって…と思っていた。
「おじさん、何なんだろうね?」
母や父に、そう問うたら、二人は一様に険しい顔をした。
…何の話なんだろうか。なんだかドキドキした。
家を尋ねた私と母を、伯父は居間に通した。
伯母が温かいお茶を運んで来て、私たちの前に差し出した。
緑茶の良い香りがあたりに漂った。
「今日はどうしたの?」
なんだか改まった様子に、私は待ちきれずに伯父に問うた。
「もう少し待ってなさい。まだ、おおばば様が来ていないから。」
そうとだけ言って、口をつぐんだ。
おおばばさま?
誰のことだろう。祖父も祖母もそれより上の先祖はすでに鬼籍に入っている。誰よそれ?と母を見たが、母は下を向いて黙りこくっていた。
そうこうするうちに、伯母が一人の老婆をつれて来た。それは崖下に一人で住んでいる老婆だった。漁師が住むような木の板を打ち付けた家に住んで、いつも道路に面した軒先で干物を作っている。集落内の人はお互いに挨拶をし合うのが普通だったが、この老婆だけは挨拶しても会釈しても返してくることはなく、集落内の誰とも親しいようには思えない人だった。
「階段はきつくなかったですか。さ、こちらにおすわりください。」
目の前に座った老婆は、なんと私の大叔母だった。既に無くなった母方の祖母の姉にあたる人なのだと、伯父はそういった。
老婆は目を細めて私を見た。にこりと笑った。そう老婆の顔を見て思ったのもつかの間、次の瞬間にはとても険しい表情をして、ゆっくりと口を開いた。
「のぞみ、お前にはこれから私の後を継いでもらう。
お前の役割は語り部だよ。今日以降、お前が次の語り部に託すまでのことを、これから私が言うことと合わせて、次の語り部に伝えなくてはならない。
そして、今日のこの引き継ぎが終わったら明と祝言をあげなさい。そして子を産まなくてはならないんだよ。
何を驚いた顔をしている。従兄弟同士は結婚できるだろう。それに結婚できるんだ。私のときよりよっぽど恵まれているだろう?それとも何かい。どこの誰とも知らない、見知らぬ男と一夜限りの交わりをしたいのか?
ああ、わかってないようだね。安心おし。順を追って説明してあげるから。
お前はあの古墳の由来を知っているか?そして神社との関わりを知っておるかね。
うん。その通りだ。ちょうど今、境内に入って右手にある小さな鳥居があるその奥に、他国からやってきた勇敢な若者がこの村を荒らす恐ろしい魔物を封じ込めた。そして、その若者はこの集落を治め、亡くなった時には盛大に弔うべくあの古墳が作られた、と。
のぞみ、この村のものは皆それを信じている。でも、それは我ら自身が生き延びるために自らさえ騙しこむための巧妙な嘘なのだよ。
他国からやって来た勇敢な若者は、侵略者だった。村には恐ろしい魔物などいなかった。この集落は太古の昔からずっと存続し、反映し、平和にくらしていたのだ。
そこに、西から侵略者がやってきた。魔物と言われているのは、本当はもともとこの集落を治めていた王だったんだよ。小さな集落だが…彼のもとで皆幸せだったんだ。
征服者は王を殺し、この集落を乗っ取り、西に都を置く大きな国の統治下にいれた。
集落のものは恐怖に支配されたんだよ。誰も征服者をしたってなどいなかった。
彼は暴君で、王の一族のうち男は殺し、女は犯した。老いていようが幼かろうが関係なかった。
女たちは従順だったよ。男たちを殺され、自分たちが生き延びるためには、今は従う他ないと思って。その結果、王の姉と妹だった二人の女が10人もの子供を産むことになった。
それが、この集落でずっと区長をしている私たち一家、親戚筋の祖先なんだよ。
女たちもその子供たちも彼に従順だった。気に入られて、新たな統治者に自分たちの血を残すことが必要だと思ったんだよ。女たちにほだされた征服者は、西の国の掟をやぶり、疑うこともなく女たちを妻とした。しかし女たちは自分たちの家族がうけた仕打ちを忘れていたわけではない。
暴君が死んだ時、表向きには西の都にならって大きな古墳をつくり、都に恭順の意を示したが、実際には征服者を弔ってなどいない。
死体をむち打ち、切り刻んだ後、海に捨てた。集落のものたちはみなそれに従い、誰も意を唱えること等なかった。それぐらい、征服者は嫌われていたのだよ。
だから、あの古墳の中は、元々は空っぽだったのさ。
しかし、その後問題が起こった。
表向きは西の都に従い、生き延びていくということに集落の皆は賛同したはずだった。しかし、征服者が死んでしばらく経つと血気盛んな若者たちの中には、征服者やそれを使わした西の都への恐怖を忘れ、自分たちの先祖を堂々とまつるべきだと言い出す者たちがいた。
しかし、一方で、我ら一家を含め、ほとんどの者たちは、そのようなことをして西の都に目を付けられることを怖れた。次こそ根絶やしされてしまうと思ったから。
我ら一族が生き延びていくことは皆の共通の願いだ。血気盛んに逸る若者たちをなんとか説得してなだめようとしたが、とうとう、西の都からの使者を殺してしまう事態にまで発展した。はじめは使者の死体を海に捨て、都へは知らぬ存ぜぬで通したが、それが2人目、3人目となるともはや嘘は通じなくなってしまう。
そうなったら、取り返しがつかない。
そうなる前に早急に手を打つしかない。
若者たちを皆で殺し、古墳の玄室に葬った。それ以来、征服者を英雄と呼び、我らが祖先を魔物と呼んだ。集落の皆がそれを信じ込むまでには何世代もかかった。
今では本当のことを知っているのは、我が一族でも、集落の政と、神社の祭祀に関わるほんの一握りの人間じゃ。
本当のことを知らない誰かが玄室に入り込んでしまうような事故があれば、我らの手でそれを片付けて来た。
村に伝わる弥吉の逸話や、数ヶ月前に起きた子供の神隠しも、玄室が見つかってしまったゆえの事故じゃった。
ん?何を怯えた顔をしておる。我らが生き残るためには、このことは誰にも知られてはならないのだぞ。
なんじゃ、そんなことまでして生き延びる必要があるのか、だと。もう時代は違う、だと?そんなことはない。この集落の王は昔、この広大な平野全てを治めていた王だったのだぞ。そしてお前は、その直系の血を汲んでいるのだ。あの時、征服者に取り入り、難を逃れたのは女たちだった。だから我らの一族は女系でつないでおる。お前は正真正銘、まさに直系なのだ。どうあっても、お前は我ら一族をひきい、次の世代に渡してもらわねばならんのだ。
お前は明と結婚して子を成すか、そうでなければ何のしがらみもない、よその男に子種だけもらうか、そうやって子を残さねばならないんだよ。
よその男というのが不思議かね?あまりにも身内ばかりでは血が濃くなりすぎるだろう。たまには他所からも子種をもらってきたんだよ。
明と結婚できるおまえは恵まれてるほうさ。私なんぞ、この漁師町に来た行きずりの男と子を成したよ。お前の父親だよ。」
大叔母の話は想像を絶するものだった。荒唐無稽だとも思ったのに、伯父も母も真剣な面持ちで微動だにしなかった。
「私はあなたとは話もしたことがない。馬鹿なことは言わないで。結婚は好きな人とするし、語り部にもならない。」
そういって立ち上がろうとしたが、何故だか力が入らず、その場にへたり込んでしまった。何だか意識がもうろうとする。
ぐるぐると回る目の前の景色の片隅で、母が口元を押さえ目に涙を溜めていた。
私は、気を失っていたのだろうか。
ふと気が付くと、あたりは薄暗くむっと湿ったような重い空気が立ちこめていた。下には石のように冷たく、固い。なんとなく腐臭が漂っている。
まだぼうっとする頭を抱えながらゆっくりと体を起こすと目の前には10上の従兄弟、明がいた。
先の大叔母の話を思い出し、はっとして周りを見渡した。あたりには誰もいないが、明の背後に大量の人骨が積上っているのが見える。
「明…。ここは古墳の中なの…?」
明はじっとこっちを見つめながらゆっくりと答えた。
「そうだよ、望。僕らはこれを隠していかないといけないんだ。」
明はそれが当然だというばかりに、私に噛んで含めるようにゆっくりと言った。
「馬鹿げてるわ。どこにそんな必要があるの?」
そう答えると、明は急に険しい顔をして、自身の右斜め後方を指差した。そこには変色して表面がぶくぶくとふくれあがったような子供サイズの物体が二つ転がっていた。腐臭の原因はあれだったのか。
「あれは、ついこないだのものなんだよ。これまでに僕らの一族がどれほどの人を殺して来たか…。もう、僕らは引き返せないんだ。」
そういうがはやいか、明は私を組敷いた。伯父宅で飲んだお茶には何か入れられていたのだろう。薬の抜けきらない体は重く、とてもじゃないが明に抵抗することなど無理だった。明の手が私の体の上を這う。嫌だと思っても、逃れたいと思っても、どうしようもない。朦朧とした中でなすすべもなく、唯一の逃げ道だったのだろうか、私の意識はやがて薄れていった。
次に目が覚めたのは、伯父の家だった。幼い頃、よく泊まりに来て寝かされた部屋で目が覚めた。天井の模様はなじみのあるものだった。
「目が覚めた?ごめんね、望」
横に明がすわり、優しい目を私に向けた。でも、私にはさっき明が私にした仕打ちを
忘れることなどできるはずもなかった。
目を背け言う。
「一人にして。」
明はしばらく黙って私を眺めていたが、やがてこういった。
「今日はこれから親族会議なんだ。なんでも、朝から一人変な男がこの集落のことを嗅ぎ回っているみたいなんだ。大叔母様の家にまで入ろうとしたらしい。彼の処遇をどうするか、今夜の話し合いは長引くと思う。だから、今晩はついていてあげられないかもしれない。本当は今晩、君を僕の妻として紹介する予定だったけれど…。」
ごめんね、と私の顔をなでようと明が手を伸ばした。指が顔に触れると思った瞬間、おぞましさを感じてぞっとして、思わずその手を払いのけて、布団の中に潜り込んだ。
明は少し間を置いたあと、立ち上がって部屋を出て行った。
明の足音が遠ざかり、あたりはしんとして何の音もしなくなった。自分が布団の中でうごめく時にでる衣擦れの音だけが耳に入る。古い家だから廊下に出ればきしむかもしれない。そんな恐れを抱いたが、私は布団からゆっくりと這いだし、障子をあけて廊下をうかがった。
明の言ったことは本当だったらしい。親族会議に出かけたせいか、伯父の家には誰もいなかった。そっと抜け出し時分の家に戻ったが、そちらもすでに空だった。
朝から嗅ぎ回っている男とは何のことだろう。処遇とは何か。
古墳の玄室で明が指差した二つの腐乱死体を思い出して、背筋がぞくっとした。そんなことを続けて、一体どうなると思っているのか。
家で一番大きなシャベルを持って、私は日も落ちて暗くなった中、古墳へと駆けていった。その日は月もなく、真っ暗とはいえ、勝手知ったる集落の中、古墳への道を間違えることはない。古墳に近づいたころ、数人の人の声が古墳の方から聞こえて来た。
草むらの蔭に身を隠し、古墳の方をのぞき見る。人は茂みの中にいるのか、人の背丈ほどもある草が時折揺れ、それとともに人の声が聞こえてくるだけで姿は見えなかった。
そのうち、
「やめてください」
と見知らぬ声が聞こえた。続いて何か鈍い音。
玄室でみた腐乱死体とその奥にある人骨の山が脳裏に浮かび、思わず草むらから飛び出して古墳の茂みに飛び込んだ。声と音、ざわつきのする方へと草をかき分け進んでいく。
ぱっと視界が開けた時、すこし広場になったような場所で、伯父と伯母と父と母、そして、神社の宮司とその妻が二人の男を取り囲んでいた。
一人は明でもう一人の男の側には帽子と緑のリュックサックが落ちている。
「やめて!」
皆が一斉に私の方を振り返る。
明の手には斧のような形をした石が握られ、ちょうど見知らぬ男に向かって振り上げているところであった。
「望…来てくれたんだね」
石斧を振り上げた状態で明が言った。
「待ってて、僕が君も家族も守るからね。」
そういって、振り上げていた石斧を男に向かって降りおろそうとした。
男が恐怖に怯えぎゅっと目をつむる…。
それからははっきりしたことを覚えていない。とにもかくにも、輪を作っていた人間をシャベルでなぎ倒し、輪に入ると同時に明の後頭部にシャベルを思い切り振り下ろした。
気がついたら、見知らぬ男の手首を掴み、集落の道を走っていた。古墳の方からは何やら叫び声が聞こえている。
ひたすら走って、集落を抜ける十字路まで来た時、持っていたシャベルにべっとりと血がついていることに気がついて思わず投げ捨てた。
追っ手は誰も来なかった。
そこからまた、私の記憶は飛んでしまう。
気がついた時には、市の中心にあるホテルの一室に寝かされたいた。
目を開けると、椅子で一緒に逃げて来た男が何やら書類を熱心に読んでいた。
目が覚めた私に彼はまず「ありがとう」といい、自分は歴史学者なのだと語った。
翌朝になってテレビやニュースを見ても、私の集落の話は何も出てこなかった。
怖くて、このまま戻る気になれない話をしたら、とりあえずは自分のところにいたらいい、と彼は言った。自分の大学は他県にあるから一緒にくればいい、と。
歴史学者について、私は着の身着のまま故郷を離れた。
それから、はや20年。そのまま歴史学者と共に過ごし、数年後には夫婦になった。子供にも恵まれ、長女は大学生、次女は中学生だ。
あれ以来、一度も故郷は愚か、その県内にすら行ってない。
おそらく、親族は私のことはあきらめたのだろう。ひょっとしたら、私の妄想だったのかもしれない。
長女が20歳になる日、ちょうど21年前に自分に降り掛かった出来事を振り返り、私はそんな風に思った。平穏で穏やかな日々。あの時受けた心の傷も体の傷もすっかりと癒えた。夫の献身的な支えも大きかっただろう。子供二人も順調に育ったものだ。
大学で親元を離れた長女に誕生日おめでとうの連絡をいれる。いつもならすぐに電話に出る長女が、中々電話にでない。そういえば、今日はお友達が誕生日をお祝いしてくれると言ってたんだっけ。
私にはなかった楽しい大学生活を満喫すればいい。
今日は、きっと楽しい時間を過ごしているに違いない。またかけ直せばいっか、と思い電話を切ろうとしたとき、ガチャリと電話を取る音がした。
「立派な娘を育ててくれてありがとう。」
21年ぶりの明の声だった。




