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4章『最果ての港町、銀の海の際で』 その1

「あなたが青依君?」

「あ? いきなり誰だお前?」

「僕は橙希、あなたと同じ"殺り手"です。よろしく」

「で? その橙希君が何の用だ」

「いやね、いきなりですけど、僕、あなたが大嫌いなんですよ」

「あっそ。それで?」

「そういう、自分が一番腕が立つと勘違いしてるようなスカした所が腹立たしいんですよ。踏み潰してやりたくなりますね。どう考えても僕の方が強いじゃないですか。弱い人が強いように振る舞うなんておかしいですよ」

「あっそ」

「ふっ、涼しい顔しちゃって、精一杯の強がりですか」

「違えよアホ。掟のことも知らねえのかよ。あれだけ洗脳みてえに暗唱させられたってのに」

「分かってますよ。殺り手同士の争いは厳禁。別に僕だって争う意志はありません。今は、ね」

「はっ、そんなに俺とやりたけりゃ、てめえが脱走すりゃいいだろ」

「馬鹿ですねえ、そんなことできるわけないじゃないですか。頭悪いんですか?」

「ああ、頭悪くていいからよ、俺に構わずさっさと消えてくれよ。これから女と会う約束があっから、お前みたいないかにもモテなさそうなダサガキの相手してる暇ねえんだわ」

「……そのうち、一緒に仕事ができる日を待ってますよ」

「なに? 大嫌いな俺と組みてえの? マゾ?」

「あなたじゃなく、翠佳さんとですよ」

「……言っとくがな、あいつにちょっかいかけたら、タダじゃ済まさねえぞ。組織も掟も関係ねえ。即ブッ殺してやる」

「あははは、怖いなあ。怒らないで下さいよ。大丈夫、僕が狩りたいのは青依君、あなただけですから――」






「……で、誰を狩るって?」


 青依は、煙草をくわえたまま眉間に深い溝を刻み、正面斜め上を睨めつける。

 彼の目に映るもの――左手一本で掴み上げているのは、文字通り血だるまになった橙希だった。


「お前如きに俺が殺れるかよ。なめんな」

「が……そ……そん、な……」


 舌を損傷、歯の大半を喪失した上、首根っこを締め上げられているため、言いたいことが何も言えない。

 橙希は、死にかけた蝉のような呻き声ばかりを漏らし続ける。


「言ったよな? 翠佳に手出そうとしたら、タダじゃおかねえって」

「ち、ちが……そ、ちは…………会桃……」

「グルになって喧嘩売った時点で同じなんだよ。……あ、やべ、煙草くわえたまま喋ってたら落としちまった」


 煙草が岩の上に落ちると同時に、青依の巻き舌気味な喋り方も元に戻った。

 ふうっと息を吐き、ぱっと手を離す。

 酸欠地獄から解放され、四つん這いの体勢で激しくむせる橙希。


 青依の顔から険悪さは消えつつあったものの、未だ仏心を見せる様子はない。

 むしる勢いで、足元に跪く橙希の髪を掴み、無理矢理顔を上げさせる。

 眼鏡は既にどこかへ飛んでいってしまっており、血と痣で醜くデコボコになった顔面が晒される。


「おお、相変わらず趣味の悪い舌ピアスだな」


 空いた口から覗く、橙希の舌につけられた琥珀入りのピアスを見て、青依はわざとらしく気味悪そうに顔をひきつらせた。

 背後から吹き付けてくる強い潮風が髪を掻き乱して、青依の顔貌を更におぞましげに見せる。


 橙希は心の底から震え上がっていた。

 大昔、組織へ入る前に聞かされた、子どもをさらって喰う妖怪のイメージがフラッシュバックする。


「こんだけ痛めつけられると潮風がしみるだろ。安心しろよ、そろそろ楽にしてやる」

「か……かんべん、して、下さい」

「寝ぼけんな」


 橙希の命乞いは、即座に切って捨てられた。


「あのな、俺らは逃げてる最中なんだぜ? 追っ手と仲良く鬼ごっこしてる場合じゃねえんだ」


 青依が、空けている右手を手刀の形に変えるのを見て、橙希は死神の足音がもう自分のすぐ背後まで近付いているのを実感した。


「最期だから正直に話してやる。初対面の時だけどな、確かに俺は強がってたよ。精神的に強いふりをしてたんだ。……てめえを今すぐブチ殺してやりたいって感情を、精一杯我慢してたんだ」


 橙希が人生の最期に聞いた言葉は、大嫌いな相手の告白だった。

 調子に乗るんじゃなかった――深い後悔を抱いたまま、二度と浮かび上がれない漆黒の深遠へと沈んでいく。


 青依と橙希が雌雄を決した場所は、とある小さな港町の裏側にある岩浜である。

 そこからやや距離はあるものの、青依からも目視できる範囲。

 同じ岩場内に、二人の女の姿があった。

 しかし、両者とも動きはほとんどない。


 こちらの方もまた、決着は既についていた。


「少しは頑張ったけど、まだ私の相手じゃないわね」

「……ッ!」


 顔と胴体以外の箇所に重傷を負い、無力化されて仰向けになっている会桃と、その上に跨っている無傷の翠佳。

 翠佳の手には会桃の愛銃であるリボルバーが握られており、銃口は元持ち主の眉間に向けられている。


「こういう状況でなければ見逃してあげてもよかったんだけど。悪く思わないでね」

「や、やんならさっさとやれよ、クソババア……!」


 会桃は血の混ざった唾を吐き、啖呵を切る。


「いい根性ね。あんたのこと、今になって少しだけ見直したわ」


 翠佳は微かに笑い、躊躇なく弾丸を撃ち込んだ。

 血がかかったピンクトルマリンの髪留めを一瞬だけ見た後、目を見開いた憎悪の表情で硬直している会桃の目蓋を下ろしてやり、立ち上がって彼方を見やる。

 あちらの方も決着がついたようで、青依がこちらへ向かってきている。


「片付いたか。体、大丈夫か?」

「この私が遅れを取るわけないじゃない」

「だよな」


 青依は苦笑し、拾って回収した煙草を携帯灰皿に入れ、会桃の屍を一瞥した。

 先刻、橙希と会桃が真正面から現れた際、本当は二人まとめて青依が相手をするつもりだったが、翠佳が猛反対し、男同士女同士で戦うことになったのである。


「まさか本当に予感が当たっちまうとはなあ」

「あんたが口に出すから実現しちゃったのよ。まったく、余計なことしてくれちゃって」

「俺のせいかよ!?」


 翠佳は、当然じゃないと言わんばかりに長い髪を後ろに払い、風に遊ばせた。

 すぐにどちらともなく、二人の表情が引き締まる。


 二人の直感は、この時点で既に確信に変わっていた。


 赤里は必ず、この町まで辿り着く。

 そして、どこへ隠れていようと、必ず自分たちを見つけ出す。


 国外へ脱出するための船は今日の真夜中に到着する予定だが、きっとそれまでに現れるに違いない。

 長い時間を共に過ごしたことで育まれた見えない糸、三人限定の極めてローカルだが強固な共通無意識が、顕在意識に働きかけてきていた。


「……もう、今更だよな」

「そうね」


 頷き合う。


「ケジメはつけておくか」






 徐々に、目的地までの距離が縮まっていく。

 街道、山道、田園風景……意外と変化のある景色を楽しむこともせず、赤里は急がず遅らせず、法定速度ギリギリで車を走らせ続けていた。

 ここまで道路の流れは極めて順調で、交通量自体が少ない。

 人の少ない場所を目指しているのだから、当然の現象であろう。


 赤里とグリ、組織の"殺り手"二名の間に会話はなかった。

 代わりにラジオのFM局のDJばかりが、スピーカーを介してやたらとよく喋り、軽快な音楽をかけまくる。

 両者ともそれを、完全に右から左へ聞き流していた。

 語らずとも、パートナーが少なからず緊張しているのを、互いに肌で理解していた。


 赤里は、胃袋がジクジクと軋むように揺れているのを感じていた。

 吐き気はないが、気持ちが悪い。

 それはそうだろう。

 やはり、できることならば、青依と翠佳を殺したくはない。

 任務を放棄してしまいたい。わざと失敗したい。脱色に手を貸してやりたい。


 ――グリを消すか。


 一瞬、そのような考えが頭をよぎるが、思い直す。

 パートナーに情が湧いたからではない。

 単純に意味がないからだ。


 よしんば事故に見せかけてグリを消した所で、組織の目を誤魔化せる訳ではない。監視班がいるはずだ。

 また、手を貸したところで、組織の執拗な追跡から逃げ切れるとは思えない。

 助ける途中で命を落としてしまっても構わないが、結果を出せないのは困る。

 どうせ死ぬならば、完全に逃がしてやらねば意味がない。


 一体、どうすれば……

 解決策が出ないまま、時間だけが流れ、二人との距離がどんどん縮まっていく。


「お腹空いたわ」


 目的地まであと十分少々という距離で、グリが口を開いた。


「もうお昼だし、仕事の前に食事を済ませておきましょう」


 赤里は特に反対しなかった。

 胃は相変わらず蠢動しているが、食欲そのものが失せてはいない。


「あそこでいいか」


 前方に見える、年季の入った小さな建物に目線を送る。個人経営のそば屋だろう。


「いいわ。私、こう見えてもおそば大好きなのよね」


 これより約二十五分間、二人はしばし追跡を中断して食事を取ることになった。

 お世辞にも衛生的とは言いがたい店内で、赤里はきつねそば、グリはかき揚げそばを啜り込んで胃袋に入れ、休憩もそこそこに勘定を済ませて出発する。


「美味しかったわね」

「グリが満足できたなら何よりだ」


 そばはベチャベチャしていたし、汁は醤油をただ薄めたような雑さだし、正直……

 赤里はあえて自身の感想を濁すことで、グリに水を差さぬよう努めた。


 そして昼過ぎになって、ついに赤里とグリは目的地に辿り着く。


 適当な所に車を停めて降り、高台から見下ろす。


 寂れた、小さな港町だった。

 よく晴れた日にも関わらず、遠目に見ても活気というものが伝わってこない。

 彼方に見下ろせる、わずかに銀色の混ざった海から吹き付けてくる風は、ずっと吸っていると肺が錆び付いてしまいそうな磯の香りを含んでいる。


 二人はもう、この海原を渡ってしまっただろうか。

 いや、必ずまだいる。

 赤里にもまた、青依や翠佳と同様、確信があった。


「武器は持った? 心の準備はいい?」

「……大丈夫だ」


 赤里は、胸に手を当てて答える。


「ん、行きましょう」


 グリは、赤里の手を取って歩き出した。

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