3章『脱色者』 その2
赤里の眼前では、酸鼻を極めた光景が繰り広げられていた。
「あはは……はははははははっ! ダメよ! そんなのじゃダメよ! もっとよく狙いなさい! かすりもしないわよ!」
飛び交う弾丸、舞い躍る刃を恐れるどころか、従えるように跳躍、疾走し、一人の可憐な少女――グリが、花を散らすように多数の人間を殺していく。
得物は己の手足、ナイフ、銃……時には敵のものも奪って使い、急所を的確に捉えた一撃の下に命を絶つ。
効率よく殺すために、必要なものを躊躇なく、最大限用いる。
彼女の仕事ぶりを初めて目の当たりにして赤里が抱いた感想は、純粋な賛嘆であった。
茶禅が評価した通り、最強の殺り手に相応しい殺人能力だ。
仕事内容によって求められる要素が少々異なってくるため、今回だけでは全てを判断できないが、こと正面きっての殺人においてはグリの方が上だろう。
赤里は、素直に力量を認めた。
赤里の出る幕はほとんどなかった。
せいぜい、自分を優先的に狙ってくる相手を確実に切って仕留める程度だ。
もっとも、このような展開になったのはグリが事前に、
「ここは任せて。私の実力、知っておきたいでしょう?」
と、切り出してきたからなのだが。
「はい、あなたで最後」
「や、やめ……うわあああああっ!」
残った標的の首を、仕事前に赤里から借りたナイフで掻っ切る。
不気味な高音を伴う鮮血の噴水が、仕事の終わりを告げる合図となった。
四十二人の武装した男たちは一人残らず死亡。
実行者は一組の男女。所要時間四分二十七秒。被害は、無し。
「お疲れ」
「あなたもね……いやよ、拭いて」
差し出されたハンカチを受け取らず、グリはキスをせがむように顎を上に傾けた。
赤里は小さくため息をついた後、言われた通りにしてやる。
が、相当量の汚れは、ハンカチだけでは到底追いつかない。
応急的に目鼻や口周りを拭う程度に留めておいた。
「どうだった? 私の実力」
「大したもんだ。俺より出来るよ」
「そんなことないわ。赤里の前だから、ついつい張り切っちゃっただけ」
グリは、はにかんだ。
「だけどな、ちょっと派手すぎやしないか」
「場面次第ではちゃんと静かに仕事するわ。安心して」
そうだろうな。赤里は声に出さず同意した。
狂っているように見えるほど高揚していた精神状態とは裏腹に、手口は冷静極まりない。
嬲ることも手心を加えることもせず、ムラなく一発で確実に殺している。
「それにしても、脱色者の追跡だけじゃなくて、他の仕事も平行してこなさきゃいけないのは面倒ね」
赤里とグリは既に案件を抱えているにも関わらず、このように別の案件も行わなければならなくなったのは、言うまでもなく人員が減ったためだ。
今遂行した『暴力団の皆殺し』は、本来青依と翠佳が担当するはずの仕事だった。
「ぼやくなよ」
「しょうがないじゃない。ただでさえ最近、欲求不満なんだから」
「毎朝のように、俺の横で火照ってるのにか?」
「それは……赤里がいつも冷めた目で見てるだけで、何もしてくれないのがいけないんじゃない。それとも、そういう遊びなのかしら?」
大量殺人を行った後だというのに、グリは乙女のような恥じらいを見せる。
「もうそろそろ来るはずだが……」
いつものように赤里が無視していると、黒スーツの男が音もなく事務所の入口に姿を現した。
組織の後始末係だ。
「お疲れ様でした」
「いえ、俺はほとんど何もしてません。いつものように、後始末お願いします」
「はっ。……それと、脱色者二名の件ですが、新たな情報を入手致しました」
男は慎重に血だまりを避けて歩み寄り、少しだけ厚いA4サイズの封筒を赤里に手渡した。
「任務で疲れているならば一日休暇を取っても構わないと、茶禅様がおっしゃっていました」
「そうですか、分かりました」
後始末を男に任せ、赤里とグリは手配された車に乗り、用意された場末のホテルへ直行する。
裏口から部屋に入り、老朽化した浴室で順番に一汗流した後、電話でピザの出前を頼むと、
「赤里……私、ちょっと疲れちゃった」
グリが抱きついてきた。
赤里はしっかりと服を着ていたが、グリはバスローブ姿、しかも下に何も身に付けず、前を開けたままの羽織った状態だ。
異性としての大切な部分が直に赤里の目の前へ晒され、押し付けられているが、彼は特に反応を示さない。
かと言って、無碍に扱うこともしない。
今この時のように鮮烈なスキンシップを取られても、振り払うことはしなかった。
「だからって俺の体力を吸い取るなよ」
安いシャンプーとボディソープの香りを嗅ぎながら、赤里は言った。
「吸い取っちゃお」
悪戯っぽく微笑んだ後、グリは赤里のシャツのボタンを外していく。
そして下にのぞく、彫刻のように絞り込まれた肉体の随所へ、唇で愛撫をし始めた。
「意外と古傷が少ないわよね」
「臆病だからかもな」
「優秀な殺り手の証拠よ」
おどけた発言を真面目に返され、赤里は苦笑する。
「この傷が一番はっきり残ってるわね」
唇や舌でつつとなぞられたりするが、痛みはない。
赤里は全く抵抗しなかった。
ピザが来るまでこのくすぐったさに耐えていればいい、などとぼんやり考える。
「本当に素敵よ、赤里。あなたは私の、最高のパートナー……」
皮膚がふやけそうなほど、グリの体温が上がっているのが感じ取れる。
粘膜よりも、彼女が特に意識させず触れ合わせている肌の方が、赤里には心地良く感じられた。
注文から二十五分後、熱々のピザが二枚、部屋に到着する。
仕事の後ということもあり、折よく空腹になっていた二人は、早速切り離してかじりつこうとするが、ふと思い出して動きを止める。
赤里は立ち上がり、部屋の隅に据え付けられている小さなシステム冷蔵庫を開けた。
「そうだよな、忘れてた。ピザを食べると喉が渇きがちになるから、飲み物がないとな。……お、ビールがあるじゃないか。やっぱピザにはビールだよな。グリも飲むか?」
「何日か前にも言ったでしょ。私、ビールは嫌いなの」
そうだったっけか、と赤里は思う。
彼がよく覚えているのは、翠佳は大のビール好きだということのみだった。
「ミネラルウォーターはあるでしょ? それちょうだい」
「了解」
ボタンを押して缶ビールとペットボトルのミネラルウォーターを取り出し、後者をグリに渡す。
これでやり残したことはない。やっと食事にありつける。
たっぷりの肉やシーフードと、粘性のあるチーズを存分に口内で愉しんでやろうと思った矢先、今度は赤里の携帯電話が鳴動しだした。
「ったく、誰だ。空気を読めよ」
若干の苛立たしさを感じつつ、先に食ってていいとグリに手で合図し、電話に出る。
最初の応答でも態度を軟化させていないのは、相手が茶禅でないと知っていたからだった。
茶禅は原則的に電話をかけてこず、何か用がある時は組織の人間を介して伝えてくる。
一分ほどの短い時間、雑なやり取りを交わした後、赤里は舌打ちして通話を切った。
「誰から?」
ピザに手を出さず、水だけを飲んでいたグリが尋ねる。
「同僚。"橙希"と"会桃"って言って分かるか」
「ああ、知ってるわ、一応」
平坦な語調が、彼女の無関心具合を物語っていた。
「それで? 用件は?」
「もし自分達が俺達よりも先に青依と翠佳を見つけたら、始末してもいいかってさ」
「え、何それ? 違反行為じゃないの。二人を始末するのは赤里と私でしょう? 何を勝手なこと言ってるのかしら」
無関心が、一瞬にして嫌悪に変わる。
グリは赤里以上に憤慨した様子を見せた。
「許せないわ。茶禅さんに掛け合って止めさせましょう」
「落ち着けよ。とりあえず先に飯食おうぜ。これ以上冷えさせちゃ、ピザに失礼だ」
「……赤里、もしかしてホッとしてない? 自分の手で幼なじみを殺さずに済むかも、なんて思って」
「まさか」
赤里は、グリの顔を一直線に見つめて断言した。
「仮にあいつらが俺達より先に翠佳たちを見つけたとしても、気にするようなことは欠片もないんだよ」
何故ならば。
二人があの程度の雑魚にやられるはずがない。
「――って、赤里君は考えてるんだろうね」
西の空に沈みかかっている巨大な太陽を背に、長身痩躯の青年・橙希は眼鏡をずり上げる。
「あはは、ウケるぅ~。つ~かムカつくぅ~」
毛先が跳ねた髪とミニスカートの制服が特徴の少女・会桃は、両手に持っているリボルバーをガンスピンさせながら、けたたましい声で笑い立てた。
「あたしらの方が上だっつ~のに、な~にチョ~シこいちゃってんのかな?」
ぴたりと、スピンさせていた銃を停止させ、周囲を見回す。
二人が今いる場所は、都市部から離れた所に位置するゴルフ場。
周りを森に囲まれ、民家などの建造物からも離れているだけでなく、この日は"諸般の事情"で貸切になっており、完全に一般人から切り離された領域となっていた。
二人のいる位置を中心として、おびただしい死体が放射状に転がっている。
その数は優に百人を超えているであろう。
さながら大量虐殺後のような凄惨な光景だ。あるものはズタズタに、全身の骨をバラバラに、またあるものは顔面を蜂の巣にされている。
『組織に敵対する武装集団をおびき寄せ、殲滅せよ』
それがこの日、橙希・会桃の両名が組織より受けた任務であった。
これだけの人数を相手取ったにも関わらず、二人とも疲労の色がないどころか、かすり傷一つさえ負っていない。
ただオレンジの太陽光だけが二人を灼き、いびつに細長い影を芝生や砂地に描き出している。
「つーか橙ちゃん、マジで逃げた二人、殺っちゃうの?」
言いながら、会桃は橙希に発砲した。
二発、三発、四発、五発……
「もちろん。女の人の方はどうでもいいけど、青依君は大嫌いだから」
至近距離にも関わらず、橙希は全ての弾をわざとギリギリの所で避けながら、涼しい顔で答える。
「踏み潰して、握り潰して、脳天から叩き潰してやりたいくらいに、ね。逃げ出してくれて感謝してるよ。殺すいい理由付けができた」
「ふ~ん。じゃあ、あのおばさんはあたしが殺っちゃっていいってことだよね」
「ああ、思う存分壊してやるといいよ。お友達の赤里君も『できるならどうぞ』って言っていたよ」
「えへへぇ、やったぁ~!」
会桃は、二つの銃口を橙希から頭上へと向け変え、残りの弾丸を全て撃ち放した。
渇いた轟音は、憎い元競合者の血を求める、二匹の狂暴な獣の哮りだった。