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3章『脱色者』 その1

「ねえ赤里。私、乗馬がやりたいんだけど。だから馬になりなさいよ」

「分かったよ、ほら」

「んっ……中々いい乗り心地ね」

「お前、少し太っただろ」

「バカ、成長期なのよ! にしてもあんたってホントデリカシーないわね」

「人を平気で馬にさせるS女には言われたくない」

「ふんっ!」

「いてっ! 脇腹をかかとで蹴るな」

「あら、ごめんなさい。歩かせたかったから。……ところで、青依は大丈夫かしら?」

「ああ、また"先生"に逆らって反省させられてるんだっけ。でもまあ平気だろ」

「冷たいわねー」

「だってあいつ、変に心配すると余計に意地張るだろ? それに、どうでもいいなんて思ってないよ。大丈夫だと思ってるからこう言ったんだ」

「ふーん……男の友情ってヤツ? よく分かんない」

「お前はあいつのこと、どう思ってるんだよ。翠佳」

「私? そうね……」






「どうした、翠佳」


 隣の助手席に座っている彼女が、じっと熱い視線を送ってきているのに気付いて、青依は前を向いたまま尋ねた。


「別に。見たかったから見てただけ」


 翠佳は、長い黒髪を払いながら、つっけんどんに答えた。

 青依はそうされても別段不愉快になった様子も見せず、


「こういう状況になっても変わんねえのな」


 笑って返す。


「当たり前でしょ、私は私よ。あんたはちゃんと変わるのよ。まず親としての自覚を持つこと。それと……」

「わーったわーった。黙ってろ、気が散るから」


 青依は左右に細かく首を振る。

 本当は耳を塞ぎたかったが、運転中にハンドルから手を離す訳にはいかない。


 こんな軽口を頻繁に叩き合いながらも、二人は一時も気を抜いていなかった。

 周囲に違和感、特に自分達を狙う殺気がないか、常に探り続ける。

 ゆっくりと眠るいとまもないが、甘いことは言っていられない。


 何故ならば、自分達は組織から逃げ出した"脱色者"なのだから。


「まだ誰も来ねえな」

「だからって油断すんじゃないわよ。あんたはすぐ詰めが甘くなるんだから。そのおかげで何度私がフォローを……」

「おい、勝手に話を盛るなよ。……そりゃ、ガキの頃に反省させられてた時は何度か助けてもらったけどよ」

「今回ばかりは、反省程度じゃ済まないわよ」


 無断で逃げ出したことは既に組織に知られているだろう。

 "殺り手"が組織を抜け出ることは掟で禁じられており、もし破った場合は死をもって償わなければならない。

 円満退職でもできればいいのだが、生憎とそのような概念も存在しない。

 ゆえに、青依と翠佳の両名には追手が差し向けられる。


 二人が逃げ出してから一週間が経つ。

 最初は大都市内の繁華街に建つ雑居ビルを転々としていた。

 協力者から連絡が入るまでの時間稼ぎ、真意を悟らせないための攪乱として。

 何度か監視されているような気配があったが、未だに誰も直接姿を現してはいなかった。


 しかし、ずっとこの状態が続くことはありえないだろう。


「このまま平和にバックレさせてくれるとありがたいんだがな」

「そりゃそうね。でもあの茶禅さんのことだから、そうさせてはくれないんでしょうね」

「誰が来ると思う? 俺は橙希だと思うんだ。何でか知らねえけど、あいつ、俺を嫌って突っかかってばかりだったからな」

「私は会桃ね。あの子も対抗意識バリバリでしつっこいのよねえ」


 二人とも、真剣に回答していなかった。

 その証左として、気まずい沈黙が流れる。


「…………ま、赤里だよな」

「……そうね」


 幼なじみの名を、こんな重たく呟きたくはなかった。

 二人とも、彼のことを大切に思う気持ちは、こうなった今も変わらない。


「赤里には、悪いことをしちゃったかしら。せめて一言相談した方がよかったわよね?」

「まあ、な……」


 そう考えていながら、どうしても打ち明けられなかったのは、巻き込みたくなかったからだ。

 それに、濃い影のようについて離れない後ろめたさがあった。


 二人とも、赤里の気持ちを知っていたから。


「俺ら、これまで赤里に随分助けられてきたよな。あいつがいなけりゃ挫けてたかも知れねえし、死んでた場面もあった」

「ええ。いい遊び相手でもあったわね。あいつがいなかったら乗馬を楽しめなかったわ」

「おい」


 再び沈黙。

 乱れかかった心を鎮めようと、青依は一旦道路脇に車を停めた。

 上着の懐から煙草を一本取り出し、くわえる。

 続いてライターを出そうとしたが、ふと思い出したように、


「おっと、悪い」


 まだ新しいままの煙草を、脇の灰皿へ押し込んだ。


「私が注意する前にやめるなんて、少しは分かってきたわね」

「ああ、汚したくないもんな。俺達の宝物を」


 青依は、翠佳の腹部に目をやった。


「せめてこの子は、きれいな所で安全に産んであげたいわね」


 翠佳はまだ膨らんでいない腹に、そっと手を触れる。

 その掌へ更に、青依が手を重ねる。

 温かい。そして何より、重い。


 しかし、負担ではない。

 逆にみるみる力が湧いてくる。

 この二つの命のためならば何でもできる。何を敵にしても構わない。

 青依は、不退転の覚悟をもって組織からの脱退を決めたのだ。


「えいっ」


 翠佳が、もう片方の手で青依の手の甲をつねる。

 が、その力は豆腐も崩せないほど弱い。


「こそばゆい」

「最強の"殺り手"だったこの私ともあろうものが、弱くなっちゃったもんね」

「それくらいでちょうどいいんだよ。これからお前は、母親になるんだからよ」

「私はもうしばらくしたらまともに動けなくなるんだから、ちゃんと守るのよ」

「任せとけ。お前らは俺が絶対幸せにしてやる」


 青依は力強く頷き、翠佳と唇を重ねる。


「俺らにしたみたく、やたらめったら子どもを叩いたりすんなよ」

「しないわよ!」

「ふごっ!」


 翠佳は、にやつく青依の頬に拳を見舞った。


「ってぇなぁ」

「気合いを入れなさい」


 まるで自分自身にも言い聞かせているような口ぶりだった。


「赤里は必ず来るものとして、改めて腹を括りましょう」

「そうだな」

「でも、説得したら見逃してくれたりしないかしら」

「無理だろうな。あの野郎は忠誠心がないくせに、妙に仕事には律儀だからな」

「やっぱり?」


 二人は脳内に共通のイメージを描く。

 特徴がないのに加えて、何を考えているか分からない顔。

 彫刻を制作するように、多種類のナイフを淡々と振るう姿。

 個人的な葛藤を仕事に持ち込む様が、どうしても想像できなかった。


「せいぜい殺さずに撃退するのが現実的な線だろうな」


 赤里の腕は、彼と最も近しい存在だった二人が誰よりもよく知っていた。

 手加減できるような相手ではない。

 翠佳がまだ動ける二対一ならばあるいは……しかし、赤里の方もパートナーをつけている可能性も充分考えられる。


 いや、だから何だ。

 誰とコンビを組んでいようが関係ない。

 追ってくる者は誰であろうが倒す。

 例え、家族のように育ってきた幼なじみであろうと。

 逃げ切ってみせる。


「勘違いするんじゃないわよ」


 翠佳が、きっぱりと告げた。


「一緒になってあげた時にも言ったけど、あんた一人で赤里とのことを全部背負おうなんて、おこがましいにも程があるのよ」

「でもお前、さっき」

「赤里なんて馬にしてやればいいのよ。あの時より増えた体重でぺちゃんこに押し潰してやるんだから」


 女王が如く声高らかに宣言する翠佳に、青依はたまらず吹き出してしまう。


「ったく、つくづく頼もしい嫁さんだな」

「あんたは世界一の幸せ者ね」


 青依は唇を歪ませて笑い、翠佳からもう一度正拳をもらった後、車を再発進させた。


 目的地は決まっている。

 何の方策もなく、衝動的に逃げ出した訳でもない。

 事前にそれなりの計画を考え、秘密裏に準備を行っていたからこそ、ここまでは無事に進めている。


 この後は、とある小さな町の漁港から船に乗って外国へ脱出する手はずとなっている。

 協力者、知人である裏の人間たちは、金を握らせて買収済みだ。

 決して油断はできないが、組織の縄張りは国内中心である。

 とりあえず、海外へ逃げられれば何とかなるはずだ。


「あっちに着いたら整形でもするか?」

「そうね。最悪、それもしょうがないかも。この天然の美貌をいじるのには、大いに抵抗があるけど」


 青依は苦笑する。

 確かに、惚れた弱みを差し引いても、翠佳の容姿は一際優れている。

 組織に引き取られていなければ、ショービジネスの世界で花形として輝いていた、と仮定しても何らおかしくはない。


「心配すんな。お前がこの先歳食ったり子どもを産んだりして、見た目が多少落ちてもよ……そ、その、俺は、ずっと好きでいるからな」

「私は、あんたがカッコ悪くなったらすぐ捨てるからね。そのつもりでいなさい」


 照れに負けず必死に吐いた言葉にも関わらず、得られた成果が厳しい激励だったので、青依はハンドルを滑らせそうになってしまった。


「この子にも、ダサい所を見せるんじゃないわよ」

「はいはい。あっちに着いたら、仕事も早く見つけなきゃな。ま、これまでやってきたことに比べりゃ、大体のカタギ商売は楽なはずだ。ああ、あとそのうちちゃんと式もやりたいよな」

「もう逃げ切ったつもりだなんて、気が早いわね」


 翠佳の声も心なしか、弾んで聞こえる。

 青依も翠佳も、悲壮感を伴って"脱色"してはいなかった。

 あるのは、前途への色鮮やかな希望であり自由。

 これからは三人で手を取り合って、未来というキャンバスに好きな絵を描いていく。

 血生臭い生活にはもう、決して足を踏み入れたくはなかった。

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