表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/37

15章『二度と白紙には戻せない』 その3

 心を深い悲しみの色に染めたグリとは対照的に、それを受け止める赤里の表情は穏やかだった。

 説得のためでも、本当に何も感じていない訳でもない。


「違う、そうじゃない」

「だったら何よ」


 もっと別の、恥ずかしさを伴った、くすぐったいような気持ち。

 先程まで殺し合いをして、あまつさえ親友たちのために犠牲にしようとまでしたのに、何故こんなことを思うのだろう。

 赤里にもよく分かっていなかった。

 ただ、都合が良すぎるだろうかなどと考える。


「リセット、やり直すためだよ」

「リセット?」

「関係を切り替えるタイミング的にはちょうどいいだろう? 俺も"灰"のお前を支えていくよ。部下としてだけじゃなく、仕事のパートナーだけでもなく……プライベートでもな」


 赤里は最大限真摯に思いの丈を伝えたつもりだったが、グリは一瞬表情を凍り付かせた後、みるみる険悪に変化させ、堰を切って怒鳴った。


「バカにしないで! 今更……今更同情なんかいらないわ! 急にそんなこと言われたって信じられない! さっき私に取った態度をもう忘れちゃったの!?」


 諦めの悪い所を見せたかと思えば、こうやってまともぶって正論を吐いてみる。

 つくづく情緒不安定な奴だなと呆れるが、自分の変心しやすさも似たようなものかと、赤里は顧みて沈黙を選んだ。


「流石に覚えてるよ。じゃあ後付けついでにこれも言わせてくれ。実は俺、あの"ゲーム"の時、反応してたんだよ」

「ウソよ。だっていくら私が……」

「体じゃない。心の方がだよ」


 赤里はニッと笑ってみせ、今が押し時と一気に畳み掛ける。


「ゲームに勝ったのは俺なんだから、好きにさせてくれよ。そもそもあの時、何がどう反応するのか、ルールで明示してなかっただろう」

「そ、それは……」

「俺は、今やりたいことをやろうとしてるだけだ。文句は言わせない。こう教えてくれたのはグリだろう? もっとも、グリが実は俺を嫌いだったら、素直に引き下がるけどな。

 ……ちゃんと旦那と父親を、やらせてくれよ」


 頬をかいて赤里が言い終えた、少し後だった。


 ぽろり、ぽろり、ぽろぽろぽろ。

 

 グリの涙腺が、ついに決壊した。

 加えて、殺り手を束ねるボスでありつつ、一人の恋する少女、そして母親になりかけている女でもあることが原因で生成されていた極めて不安定な精神が、少しずつ一つへと統合され、安定を見始める。


「……ウソじゃ、ないの? 信じて、いいの? 翠佳じゃなくて、ちゃんと私を見て、選んでくれるの?」

「ああ。もうこの際だから改めてはっきり言うぞ。二人も知ってるだろうけど、俺、確かにずっと翠佳が好きだったよ。振られた後もずっとな。

 でもあいつは青依を選んで、こいつも翠佳を好きだった。相思相愛ってやつだ。どう考えても俺の入り込む余地はないよな。二人の友達として見守ってやることはできても、それだってすぐ余計なお世話になるし、もうそうなった。完全にお払い箱だよな。

 …………正直、ちょっと虚しくなったのかもしれないな。だからそろそろ新しい道を行くのも悪くないかもしれないって思い始めたんだよ。

 翠佳の代わりか、って聞かれるとちょっと困っちまうけど……近い内にちゃんとグリ個人を見て夢中になるよう、最大限努力するよ。約束する」


 翠佳は自分の好みから外れてしまった、という奥の奥にある本音だけは隠し、赤里は99パーセントをさらけ出した。


 グリはもう何も言わなかった。

 赤里の胸へと飛び込み、泣きじゃくりながら顔中にキスの機銃掃射を放つ。


「お、おい」


 やんわり窘めようとしかけたが、攻勢は一向に止まない。

 互いに少なからず負傷していることもあり、血がくっついたり痛みが増したりと色々な不都合が生じるが、それを今指摘するほど赤里は野暮ではなかった。

 せっかく上手く行ったのだ。


 何より、この強引な愛情が良い。


 割れ鍋に綴じ蓋。

 最終的に二人が合わさるのは、実は必定だったのかもしれない。


「おい」


 ドスの利いた声が、新たに生まれたばかりであるペアの鼓膜をまとめて串刺す。


「盛り上がってる所悪ぃけどな、俺の用事はまだ済んでねえんだよ」


 そんな感動の場面へ冷水を引っかけたのは、ここまで痴話喧嘩を静観していた青依だった。


「青依」

「ボスとしての責任がどうだの、お前らの惚れた腫れたなんざ、俺には一切関係ねえ。俺は、翠佳を傷付けたお前を、絶対に許せねえ。落とし前はつけさせてもらうからな」


 抑え込み続けていた敵意、激しい復讐心が一気に解き放たれ、熱波のようにグリへと叩き付けられる。


 グリの涙が、瞬時に止まった。

 赤里に微笑みかけた後、そっと彼から身を離し、指で涙の痕を拭い取り、


「……でしょうね。言い訳はしないわ」


 赤くなった目で青依を真正面から見つめ返し、はっきりした声で言った。


「全ては逆恨みでやったことよ。赤里の心を奪った翠佳が許さない、ってね。

 そのけじめはつける。あなたの気の済むようにしたらいいわ。私個人にならば、何をしても構わない。……せっかく赤里とこうなれたから、殺されるのは困るけど」


 決して目をそらさないところに、彼女の覚悟が表れていた。

 髪を一払いした後、かつて翠佳がそうしたように、両手を腹にあてた姿勢を取って全身の力を抜き、青依からの罰を待ち続ける。


「どうぞ」

「……今の言葉、忘れんなよ」


 唸るように声を低め、青依はグリとの距離を一歩一歩縮めていく。

 両者のやり取りに対し、赤里は何も口を挟まなかった。

 これは二人の問題である。

 ついでに半ば存在感を空気と化していた茶禅をちらりと見るが、彼もまた傍観を継続していた。


 手を出せば届くほどグリに近接した青依は、手にしていたナイフを振りかざした。

 額や眉間といった顔の各所にしわを刻み、一際大きく目を剥き、歯を食いしばり――彼女の顔目がけて思い切り、縦にナイフを振り下ろした。


「……っ!」


 グリの左眉中央を起点として、赤い線が真下へ走り、ほとんど間を置かず大量の赤い霧がしぶく。

 うっと、グリが短く声を上げて顔に苦悶を浮かべるが、体勢は決して崩さず、顔を下げもせず、青依の顔を見つめる。


 数が一つ減ったにも関わらず、彼女から見据えられて、青依は少々躊躇った。

 が、続いて第二撃、今度は両目の下を切り払って横断する。

 グリは同じく、ただじっと受け入れ、耐えた。


「翠佳を殺さなかったから、お前を殺しはしねえ。これで勘弁してやる。そいつを一生背負って生き続けろ」


 たった二回切り付けただけなのに、青依の呼吸は全力疾走した後のように荒くなっていた。

 顔面を真っ赤に染め上げたグリへ言い捨ててナイフを放り投げ、一切の不干渉を貫いていた赤里の方を向く。


「もういいぜ。俺からの落とし前はつけた。翠佳はどう言うか分かんねえけどな」

「そうだな。あいつの分はまた別問題だ」

 

 赤里はもっともだと頷いた後、グリの止血を行い始める。

 彼女の身を案じてはいたものの、行動に至らせたのは茶禅から送られ続けていた無言のメッセージがきっかけであった。


「大丈夫か」

「ええ。……これだけで済ませてくれるなんて、優しいのね。赤里の言った通りだわ」

「うるせえよ」


 激痛に耐えながら無理に笑い顔を作るグリに、青依は渋面を返した。


「翠佳が気になるから、俺はもう行くぜ。茶禅さん、場所を教えて下さい」

「私も同行しよう。ではボス、私は一旦失礼させて頂きます。何かございましたらご連絡を」


 茶禅は一礼し、青依を伴って部屋から退出していく。

 これが二人きりにさせるための気遣いと理解していたのは、グリだけだった。


「……痛いわ、ものすごく」


 二人きりになった途端、グリはやせ我慢をやめた。

 膝をつき、絨毯に爪を立て、いかにも辛いといった顔を赤里へ向ける。


「そりゃそうだろう。俺がこの傷を受けた時も相当きつかったんだからな」

「ねぇ、早く"痛いの痛いのとんでけ"ってしてぇ」

「医者、呼ぶか?」

「……少しだけでいいから、空気を読んで欲しいわ」


 顔面を真っ赤にしておいてムードも何もないだろう、と赤里は笑いを漏らしてしまう。

 それを耳にしたグリもまた、微かに唇の端を持ち上げた。

 十字に焼き付く熱、鉄と生臭さの混合した臭いに愛おしささえ覚えながら。


「罰にしては優しすぎるわ。……これで、赤里とお揃いになれたんだから」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ