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15章『二度と白紙には戻せない』 その2

 それでも、青依の精気は衰えるどころか、逆に充実を見ていた。

 闘争本能が快楽をもたらしているのではない。

 傷付けても構わない相手だから、何も感じない訳でもない。

 彼を突き動かす原動力となっていたのは、決意であり、覚悟。


 ――待ってろよ赤里、今助けてやるからな!


 終点近くになると、既に倒されていた敵の屍が道標となっていた。

 一撃で急所を的確に突かれ殺害されている手口を見て、確信は更に強まる。

 あいつはこの先にいる。


 最後の通路でラストスパートをかけて駆け抜け、吹き飛ばす勢いで突き当たりの扉を開け放つ。


 青依の目にまず映ったのは、壊れかけのメルヘンチックな空間。

 何だこれは、と思ったのも束の間、すぐに中にいる人物三名へと注意が移る。


 一番に捉えたのは、各所に傷を負い、武器を携えて顔を向けている親友の姿だった。


「青依……!?」

「……赤里!」


 交錯する視線。

 直後、無数の声無きやり取りが一瞬のうちに完了し、互いにニヤリと笑い合う。


 感激が、赤里の胸を満たしていた。

 生きていたことはもちろん嬉しい。

 しかしそれ以上にもっと染み入るものがあった。

 対等の親友だと思ってはいたが、やはり無意識の内では青依のことを庇護すべき存在と見ていた部分があった。

 助けるはずだった存在に助けられたことが喜ばしく、誇らしくて仕方がなかったのである。


 が、すぐに青依の方からは笑みが消え、たちまち憎悪を露わにし始める。


「てめえ……!」


 その対象は、赤里とほとんど同じような容体になっていた女、グリであった。


「来たわね」


 グリはほとんど感情を乗せずに言う。


「青依、すまないが今は待ってくれ。色々思う所はあるだろうけど」

「心配すんな、言われなくても分かってんぜ。茶禅さんから聞いた。まずはそこの元立会人をやりゃいいんだろ?」


 すかさず赤里がフォローを入れたことで、ひとまずは事無きを得たが、収まらないのはネクロの方だ。

 計画の破綻に青依の些細な毒舌が重なり、尊大さも忘れ、完全に平静さを欠いてしまっていた。


「き、来てしまったではないか! お前がモタモタしているからだ! 赤里! 何をしている! は、早くグリを殺せ! 青依もだ!」

「寝ぼけてるのか、お前は」


 ばっさりと斬り捨てられ、ネクロは歯ぎしりする。

 命じても無意味なのは本人自身分かっていたが、混乱のせいでつい口走ってしまったのだ。

 集まるはずの増援は茶禅と、青依がここへ向かう途中で全て片付けてしまっており、もはや彼は孤立無援であった。


「どうした、王の采配とやらで何とかしてみせろよ」

「ぐ……ぐぐ……」


 赤里の皮肉にも、歯ぎしりしか返せない。

 三人とも手負い、自身は無傷とはいえ、ネクロには一切勝利のイメージが見えなかった。

 逃走も不可能。二度目の命乞いも……グリには通じないだろう。


(い……嫌だ嫌だ嫌だ! 死にたくない死にたくない死にたくない! こんな所で終わりたくない! 靴の裏を舐めても犬の真似をしても裸踊りをしても一生使い走りでもいいから生き延びたい!)


 波濤のように卑屈さが押し寄せ、止めどない思考をそのまま声にしてしまいそうになる。

 汗が噴き上がり、霧雨を浴びたように全身が濡れる。

 寒くて体が震える。

 眼球が乾いてぶれる。

 こめかみが痛い。

 脳が軋んで縮む。


「そんなに死にたくないなら、ひとまず生かしてあげてもいいわよ。ついでにボスの座もあげる」

「……は?」

「ただし、すぐにまた奪い取っちゃうけどね」


 今わの際、ネクロに一際印象深く焼き付けられたのは、世界で最も憎い相手の冷笑であった。






 全てが終わり、抗争の余韻を残す部屋に静寂が戻った。

 スクリーンへ映し出されている二か所の映像いずれにも、既に人影はない。

 部屋をただ意味もなく見せ続けているだけだった。

 グリがコンピュータを操作すると、プロジェクタが投影を止め、スクリーンも格納されていく。


 ネクロの遺した悪趣味の残滓が消滅したところで、赤里がナイフの汚れをハンカチで拭いつつ、口を開いた。


「元ボスって、本当に大したことないんだな」

「でしょ?」


 二人、顔を見合わせて笑い合う。

 そこへ出入口の扉が静かに開かれ、茶禅が姿を現した。


「観させてもらってたわ。ご苦労様、茶禅」

「いえ。到着が少々遅れてしまい、申し訳ありません」


 茶禅は謙遜し、一礼する。

 この場にいる生者が赤里、青依、グリ、茶禅の四名となり、同時に最後の"後始末"がたった今より始まった。


 まず切り出したのは、青依だった。


「赤里……すまねえ。その傷は……」

「いい。忘れろ。むしろ俺の方に責任がある。上手くやれなくてすまなかった」

「だから、そういうのをやめろってんだよ。上から見られてるみたいじゃねえか」

「そうだな、悪い」

「見下ろすのは橋の上からだけにしろっての」

「まったくだ。そうだ、あの時気付いたんだが、お前、少し頭頂部が薄くなったんじゃないか」

「うお、マジかよ!? うわ、きっとストレスのせいだぜそれ」


 遠慮のない言葉をぶつけ合う姿はまさしく、親友のそれであった。


「……さて」


 会話の空白を見計らって、グリがそっと声を差し込む。

 青依が向けてくる敵意のこもった視線を真正面から受け止め、すっかり取り戻していた組織の長としての貫録を身に纏い、続ける。


「ボスとして、改めて告達するわ。青依、翠佳の"脱色"を正式に認めた上で、今後の二人に関しても一切干渉しない。あなたたちは自由よ。好きになさい。

 ……それと、今回の件は完全に私の責任。部下をきちんと掌握できなかったこと、下手に嗜虐心を出して反対勢力を生かしておいてしまったこと……不手際を謝罪するわ」


 ここで一度、グリは神妙な顔のまま深々と頭を下げた。


「……トップに立つ者として、決してやってはならないミスをしたと痛感しているわ。だから、この時をもってボスの座を降り、一介の殺り手に戻るという形で、処分に代えさせてくれないかしら。新しいボスは……茶禅、あなたが継いでちょうだい」

「申し訳ありませんが、辞退させて頂きます。私はその器ではありませんゆえ」


 指名された茶禅は、ほとんど直角になる勢いで礼をし、固辞した。


「謙遜はよしなさい。ボスとしての最後の命令よ。悪いけど拒絶は許さない」

「ならば私も父として断らせてもらおう、グリ」


 茶禅は穏やかな顔をして再度辞退の意を示す。

 彼がこれほど分かりやすい表情をするのは異例である。赤里も青依も、思わず「珍しい」と心の中で思う。


 これがまた、グリにも抜群の効果を発揮した。

 二、三度目をしばたたかせた後、苦笑してため息混じりに言う。


「ずるいじゃない。そういう言い方をされたら、押し付けられなくなるじゃないの」

「無論、今後も粉骨砕身、ボスを支えていく所存でございます。我々のボスは貴女だけなのですから」

「そうだ、お前はもう"緑"に戻っちゃいけない。戻るべきじゃない」


 そこへ赤里も後押しする。

 意外だったのか、グリは再び目をぱちくりさせ、若干戸惑い気味に彼の名を呼ぶ。


「赤里?」

「お前は"灰"になるんだ。これからもずっとな。"緑"だった時のことは忘れてしまえ」


 きっぱりと突き放され、グリは明らかに傷付いた顔を見せた。

 それでも今しがた着たばかりの、ボスとしての矜持という名の衣がまだ剥ぎ取られず残っているため、涙は決して見せず、体も声も震わせず、踏み止まる。


「全部……忘れろっていうの?」


 とはいえ、抑えようと努めても、自然と非難めいた言い方になってしまう。

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