15章『二度と白紙には戻せない』 その1
「俺の理想は……お前ら二人と、ずっとこうやって一緒にいることだよ」
「……ぶっ」
「あははははっ! 急に真面目なこと言っちゃって、どうしたのよ青依」
「て、てめえら! 笑いやがったな! せっかくマジに話してやったってのに……!」
「怒るなよ。お、お前の気持ちはよく分かったから」
「そうよ、あんたは本当に優しくて、友達思いよね……くくくく」
「もういい! ったく、こんな話題を出すんじゃなかったぜ……」
「どこ行くんだ青依」
「便所!」
「……吹いちまったのは少しまずかったか?」
「いいのよ。だってあまりに当たり前のことを言うんだもの。笑いが出るのも当然だわ。そんなのいつも思ってるのに。あんたもそうでしょ?」
「まあな」
「ま、しょうがないから、あいつが戻ってきたらご機嫌取りをしておきましょう。……すいませーん! "ロシアンルーレットたこ焼き"全部当たりver.注文したいんですけどー!」
「あーあ、俺は知らんからな」
「何だと!?」
ネクロの驚愕する声が部屋に響き、赤里は思わず動きを止めた。
「バカな! 一体どういうことだ! こんなことが……!」
「赤里……ねえ、あれ」
グリもまた、ナイフは突き出したままだが、大きな目を更に見開いてある一点を見ていた。
赤里は彼女への警戒を最低限に留め、まず後ろのネクロを窺う。
彼の視線は、グリと同じ所へ釘付けになっていた。
危険がないのを確認して赤里もようやく、二人と同じ場所――壁に下がっている巨大なスクリーンに目をやる。
「…………青依!」
親友の名を呼ぶ声が、思わず強くなっていた。
何故なら、映し出されていたのは、拘束して刃物を突き付けていたはずの男たちを全員床に沈め、見下ろしていた青依の姿だったのだから。
それは赤里らが、映像の存在を一時的に忘却している間に起こっていた。
青依はいつものように手枷をはめられたまま、静かに牙を研ぎ続けていた。
そこに突然、部屋に知らない連中が乱入してきて、更に拘束を重ねてきたかと思うと、電話を耳にあててきた。
話し相手が久々に声を聞く赤里だったと思うとすぐに妨害され、刃物まで突きつけられる始末。
いずれ何かが起こるとは勘付いていたが、随分な待遇である。
「てめえら! 何しやがる! 一体誰の差し金だコラァ!」
陸へ上げられた魚のように身を跳ねさせて喚き立てるが、男たちはニヤニヤと下卑た笑みを浮かべるだけで、まともな返答をしてこない。
明らかな悪意がある分、先のマネキン医師団よりも神経を逆撫でる。
「おい聞いてんのか! まとめてブッ殺すぞクソ野郎共! その耳は飾りか!?」
「少し黙ってろ」
男の一人が苛立たしげに、ナイフの先端で二度、青依の頬を突っつく。
つつと一筋、二筋、血が垂れるのを見て愉しそうに唇を歪め、
「あまり俺達の機嫌を損ねるなよ? せっかくボスのお情けで生き残れても、俺達が個人的にお前を狩っちまうかもしれねえぞ? お前はもう殺り手じゃないんだからな」
「お友達の努力を無駄にするなよ」
「ま、もっとも、女房の方はもうまわされちまってるかもしれねえけどな」
他の男たちも口々に侮蔑を吐き、下品な笑いを交わし合う。
「あいつら、マジモンのド変態だからなあ。何でもアリすぎんだろ」
「俺らも後でビデオ見せてもらおうぜ」
「お、どうした? 黙り込んじまって。お前も見てえのかよ? しょうがねえなあ」
青依が途端に口を閉ざしたのは、痛みや恐怖が由来ではない。
(女房? 何を言ってやがる? 翠佳はもう……それに、赤里が?)
この連中は殺り手だとか、茶禅とは別派だとか、断片的に得られた情報の分析はどうでもよくなっていた。
(……いや、それ以前に、今こいつらは何を言いやがった?)
情報を引き出すために行った怒りの演技が、本気に変化していく。
「……っおおおッ!!」
準備もシミュレーションも全て雲散霧消、瞬間沸騰して溢れ出た激情のまま、行動を開始していた。
手枷の鎖を引き千切るように破壊するのを見た男たちが、驚愕の表情を作ったのとほとんど同時に、青依は全員の顎やこめかみへ憤怒の一撃を叩き込み昏倒させる。
無論、怒りによる怪力だけで枷を破壊できた訳ではなく、事前に行っていた細工によるものである。
鍵となったのは、先日茶禅が差し入れたリンゴ。
実は青依に渡す前から既に手が加えられていたのである。
二つに割った後、中に小型のカナノコを入れて接着し、一見普通のリンゴのように見せかけてあったのだ。
『逃走に使われる可能性のあるものを素直に渡せる訳がないだろう』
『私は当分顔を出せん。その果物、簡単に飲み込まずよく味わっておけ。体を愛えよ、青依』
茶禅の発言に含み、裏に込められたメッセージがあることはすぐに気付いた。
あとは監視の死角となる布団の下で枷を少しずつ削り、体力を温存しつつ、いずれ起こる"イベント"を待つのみ。
始めは演技だった怒りがつい本気になってしまったのは計算外だったが、とんでもない事実を知らされてしまったのだから仕方ない。
「チッ、吐かせるのに一匹ぐらい残しときゃ良かったぜ」
加減なしの一撃を食らわせたため、全員完全に伸びてしまっていた。
だが、今更後悔しても仕方ない。
とにかく状況は動き出してしまった。
何がどうなっているのか、どこぞの黒幕が自分に割り振った役は何か、未だ全貌が掴めていないが、やれることをやるしかない。
(俺の読みだと、もうそろそろ来てくれるはずなんだが)
青依の読みは、決して希望的観測に終わりはしなかった。
出入口の扉が開き、差し入れの時以来一向に顔を見せなかった茶禅が姿を現す。
「……やってしまったか。全く、激しやすい所は変わっておらんな。落ち着きを身に着けろと、昔から言っているだろう」
茶禅は部屋の様子を一目見て、静かな口調で青依を咎めたが、本人はまるで聞いておらず、質問を返す。
「茶禅さん! 翠佳は生きてるんですね!?」
「だから落ち着けと言っている。……翠佳は今、私の管理下の病院にいる。敵対者も部下が全て始末し、出産には何の支障もない。安心しろ」
青依の中の怒りが急速に、安堵感や感激へと変換されていく。
体がついていかず、思わず崩れ落ちそうになるが、非常事態の只中であるため必死に堪える。
あいつと再会するまでは……と強く自分に言い聞かせ続けるが、溢れる涙まではどうにもならなかった。
「手短に説明するぞ」
茶禅はそこに触れることなく、現況を簡潔に説明した。
「……やっぱりそうだったのか! 赤里の野郎……!」
「これは命令でなく、私個人としての頼みだ。……赤里を助けてやって欲しい。私は立場上、他にやらねばならぬことがある。友を、家族を助けるのは、お前にしか出来ないことだ」
「そういうの、ちょっとクサくて恥ずかしいからやめて下さいよ。当たり前じゃないですか」
青依は即答し、力強く頷いた。
「すまんな。体の調子はどうだ」
「平気です。気合いとやる気でカバーできますよ」
青依は、拳を打ち鳴らして不敵に笑う。
正直な所、寝たきりに近い生活がしばらく続いていたため、勘も体の切れも鈍っている。
だが、ここで無茶をせずいつするのか。
ここで行かずしていつ行くのか。
無鉄砲の果てに死ぬつもりなど毛頭ない。
必ず結果は出す。
今度こそ、自らの手で、守るべきものを守り、助けるべきものを助けるのだ。
茶禅から現在地と目的地までのルートを聞いた後、セキュリティカード、武器弾薬一式を受け取り、青依は狭苦しい密室を飛び出していった。
どこをどう進めばいいかは、一度の説明で全て頭に入っている。
幸い脳の方は全く鈍っていないようだ。
青依は最短距離で、ひたすら上階へ上階へと上がっていく。
組織本部のビル内は、不気味なほど静かだった。
今回の内紛が既に皆の知る所になっているのかは分からない。
見覚えのあるエリアから初めて見るエリアを突っ切っていく最中、幾度も敵の待ち伏せに遭ったが、その度に蹴散らしていく。
しかし、やはり戦闘能力はガタ落ちしているようだ。
すぐに息が上がり、敵の攻撃も完全にはかわせず、戦うたびに傷が増えていく。
己の戦闘力口座に入っていた、少なくなってしまった貯金を切り崩して戦っているような状態であった。




