13章『暗黒面の報復と誘惑』 その2
「元ボス?」
赤里は、かつて決闘の立会人を務めた男とグリを交互に見る。
「そう、そこの人が、私がボスになるまで居座ってた先代よ。頭の固いつまらない保守主義者。ううん、顔面の方は柔らかかったけど?」
グリに底意地の悪い笑みを投げかけられると、元ボスだという男からみるみる余裕が消え、怒気を露わにしだす。
「貴様に刻まれたこの傷の痛み、そして誇りさえも傷付けた屈辱、一時たりとて忘れたことはなかったぞ」
「それは逆恨みよ。好意で整形してあげたというのに」
グリはしれっと恨み言を受け流し、
「だってそれに『恋愛禁止』だなんて、今時のアイドルでも守らないようなバカバカしいルールをゴリ押しするんだもの。いくら自分が不細工でモテないからって、僻んで他人にまで強要するのは間違ってるわ。赤里もそう思うでしょう?」
嫌味たっぷりに言葉を畳み掛ける。
「黙れッ! 色に狂う小娘風情がッ!」
「色を付けてごっこ遊びをしてるのは、あなた方のほうでしょう? 戦隊ものじゃあるまいし」
「クッ……! 貴様のような者がいるから、秩序が乱れるのだ! 事の真意や合理性を理解もせず!」
忌々しげに元ボスが歯噛みする。
赤里が口を差し挟む余地はなかった。
「挙句、このようなふざけた場所まで勝手に作りおって!」
「自腹で何を作ろうと私の勝手でしょ。普通の部屋なんてつまらないじゃない」
(いや、これはないだろう。ゴシック様式の方がまだマシでは……)
ただ、心の中では突っ込みを入れていた。
「それで、勝手に私と赤里の愛の巣に立ち入った弁明はあるのかしら」
(え、俺も含まれてるのか)
「今度は整形と強制改名だけじゃ済まさないわよ、ブラさん?」
「私をその名で呼ぶなッ!」
グリのせせら笑う声を、ブラが怒声で掻き消した。
「私の真の名は、ネクロだ!」
「ブラでいいじゃない。女の子みたいで可愛らしいわよ」
(流石に自分の命名ではなかったのか)
とはいえ、赤里にはどちらの名前でも特に興味はなかった。
「そんなことはどうでもいいのよ。さっさとここから消え失せなさい。今ならお尻ペンペンで許してあげる」
「ご厚意痛み入るが、聞く訳にはいかぬな。今日から再び、私が組織の頂点に立つのだからな」
「バカじゃないの」
グリはもはや笑いも出ないといった風に、無感情に言い捨てる。
まさに洟も引っかけない対応をされたにも関わらず、意外なことにネクロは怒りを増加させなかった。
もっともだと頷き、
「確かに貴様は強いよ。私一人、いや数を揃えたところで到底歯が立たぬのは"痛いほど"承知している。だからこそ、搦め手で行かせてもらうよ」
サングラスを外し、視線をグリのすぐ前に立っている赤里へと固定させた。
「赤里、グリを殺せ」
「断る。あんたの命令を聞く義務も義理もない」
赤里は即答した。
「予想通りのつまらぬ回答はやめてくれたまえ。ありきたりの脅迫をしなければならなくなるではないか」
ネクロは不自然なほど白い歯を見せて口角を上げるが、目は全く笑っていなかった。
「元・殺り手であり、君の想い人である翠佳の命を、グリに掌握されているらしいな。悲しいことだ。色恋の亡念に囚われた女に振り回されるなど……さぞ厄介と思っているのだろう」
いちいち勿体付けやがって、回りくどいんだよ、と赤里は目で毒づく。
「どうだ、私がそんな泥沼から君を救ってやろうではないか。私の下についてグリを殺せば、翠佳と……そして、君の親友である青依の命も完全保証しよう」
「……何だと?」
赤里の眉が、ぴくりと動いた。
「驚くのも無理はない。だがね、青依は生きているのだよ。決闘の日、私が青依の回収を担当したのは覚えているだろう。実を言うと、橋から落下してすぐ後に私の部下が彼の身柄を押さえてね。仔細に鑑定を行った所、何故か仮死薬を用いられた形跡があるではないか。一応、速やかに蘇生薬を投与し、息を吹き返させてはやったが、何せ高所から無防備に落下して重傷だったのでね。それにこのまま何もせず君達の下へ帰してやるのも味気ない。交渉の手札になると考え、今まで存在を秘匿しながら治療させていたのだ」
直前とはうって変わって、赤里はネクロの長々とした話を傾聴していた。
その様子を見てネクロは、更に興が乗ってきたとばかりに声を張り上げ、ジェスチャーも大袈裟に、
「青依は順調に回復しているぞ。翠佳と再会させられるかどうかは君の選択一つにかかっている! さあ選べ赤里よ! 私の命令を聞かなければ、翠佳と青依の命はないぞ! 二人は二度と再会できぬまま冥府へと旅立ち、君は親しき友を全て失ってしまうのだ!」
選択の余地などないと言わんばかりの、ほとんど脅迫的な口ぶりである。
「青依が……生きている……?」
赤里の心はネクロの目論見通り、少なからず動かされかけていた。
原因は言うまでもない。
死んだとばかり思っていた親友が突然生きていると告げられれば、それはそうなる。
だが、まだ確証がない。
「何故こんな状況で言う? グリの目が届かない場所で、俺にだけ秘密裏に取引を持ちかければいいものを」
「分からぬか? 三日天下の現ボスに、私が受けた以上の耐えがたい屈辱感と敗北感を与えてやりたかったからだ」
下卑た笑みを浮かべながら、ネクロはグリを指差す。
「愛した男に、決して届かぬ想いを抱く男に命を奪われる……クククク、最高の余興ではないか。赤里よ、言葉だけでは信用できぬだろう。見るがいい」
赤里の心理状態を目線の揺らぎで読んだネクロが、更に追撃をかけてくる。
懐から何かを取り出そうと、手を差し込んだ。
「赤里っ!」
そこでグリが鋭い声を上げる。
「惑わされないで! さっきの確認を忘れたの!? あいつを始末して! 今すぐ!」
「グリ……だが」
グリの中から、先程ネクロを嘲弄したような余裕は消滅していた。
焦燥に突き動かされるまま、銃を抜くと同時に発砲するが、ネクロには容易に見切られてしまい、ことごとく外され、壁へヒビを入れるだけに終わる。
「無粋だな。心配せずとも危害は加えんさ。今は赤里君とビジネスの話をしているのだぞ」
ネクロが取り出したのは、黒塗りの携帯電話だった。
「久しぶりの再会を存分に噛み締めたまえ」
操作した後、投げてよこされたそれを赤里は無言で受け取り、耳にあてる。
「赤里! ダメっ!」
「……青依、なのか?」
縋りつくグリを振り払い、耳をそばだてる。
しばしの沈黙が流れた後、赤里が聞いたのは、二度と聞けないと思っていた男の声であった。
「…………赤里」
「青依! お前、本物の青依なのか!? 本当に生きてるんだな!?」
さしもの赤里も、この時ばかりは驚きを前面に出さずにはいられなかった。
大声を抑えもせず、親友の名を呼び、言葉をまくし立てる。
「傷は平気なのか? 今どこにいるんだ? いや、それよりも、俺はお前に言わなきゃいけないことが」
「うるせえな、そんないっぺんに喚くな……ぐっ!」
「青依! どうした!? ……おい、返事をしろ!」
「悪いが、ひとまずはそこまでだ」
ネクロがそう告げたのと同じタイミングで、向こう側から通話を切られてしまう。
赤里は、傷痕がよぎる眉間に深いしわを作り、電話とネクロを順番に睨み付ける。
「やめてくれ、そんなに強く握り締めたら壊れてしまう」
軽口を受け流すこともできない。
グリに続いて赤里からも、精神的余裕が失われつつあった。
「正真正銘、青依が生きているのは確認できただろう。心配するな、今のは少し大人しくしてもらっただけで、もちろん彼は無事だ。さあ殺りたまえ、赤里君。君の手で、かつてのパートナーであり、今のボスである、グリを殺すのだ」
赤里は、携帯電話のディスプレイに反射されて映る自分の顔を凝視し続ける。
この期に及んで迷うことがあるのか?
青依は本当に生きていた。
俺の選択次第で、翠佳に会わせてやれるんだぞ。
「悪い話ではないだろう。君とてグリを疎ましく思っていたはずだ」
黙ってろ。
勝手に俺の気持ちを代弁するな。
……ん? 何故俺は苛立っている?
鏡代わりのモニタのおかげで、顔が段々と歪んでいくのを客観視できる状態にあったことが、彼を比較的早期に我へと返させた。
半身になってグリの方を見た時は、いつものような飄々とした顔へと戻っていた。
「赤里……私を、いえ、私たちを殺すの?」
銃を握ったまま、グリが悲しげに問う。
赤里の胸が、何故かちくりと痛む。
「青依が生きていたことを、グリは知ってたのか?」
「そんな訳ないじゃない! 生きてたら真っ先に教えてたわよ!」
「赤里君、彼女を責めないでやってくれ」
ネクロが尊大な口ぶりで話に割り込んできた。
だからお前はいちいち喋るな、もっと無口でたどたどしいキャラだっただろうと、赤里は舌打ちする。
「……言っておくけど、私、イヤよ。あの二人のために、むざむざ殺されてなんかあげない。犠牲になんてならないから」
涙目のグリは、銃口を赤里に突きつけ、はっきりと拒絶の意を示した。
「はははは、いいぞ。せいぜい抵抗するがいい」
「どうせならあなたを殺して、あそこの醜悪極まりない男も殺して、最後に私も死ぬわ」
グリは光の消えた瞳で、銃の代わりにナイフを突きつけた。
自分よりも先に戦意を表明され、ほっとした、というのが赤里の偽らざる心情であった。
何せ、戦わなければならないという大義名分を得られたのだから。
罪悪感の軽減というよりも、答えを絞ってくれたという点にありがたさを感じていた。
「ありがとうな、グリ」
「感謝なんかやめて。私たち、これから殺し合うのよ」
「いいだろ、言わせてくれよ。別に恨まれてもいいけどさ、どうせなら感謝も一緒に伝えておきたかったんだ」
「……バカ」
「茶番は済んだかね? では早い所始めてもらおうか。四角関係の縺れが引き起こした悲劇と喜劇による殺し合いをな」
ネクロが二度手を叩くのを合図に、赤里とグリは揃って彼の疵面を睨み付け――そして、得物を向け合う。
一方は悲しげな、もう一方はどこか憂いを帯びた面持ちで。
黒の名を冠する男の、深き闇より放たれた憎しみの念、復讐心が男と女を覆い尽くし、骨まで腐らせようとしていた。




