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1章『新しい色彩は、刺激に溢れている』 その2

「何故、会ったことのないボスが直接自分を指名したのです? 知己同士ではメリットよりデメリットの方が大きいと思うのですが」

「お前には詮索する権利も、拒否権も無い」


 茶禅は厳しい顔で、にべもなく切り捨てた。

 が、すぐに深いしわが多く刻まれた顔を少しだけ緩めて言う。


「ずっと正座しているのもなんだろう。楽にしていいぞ」


 茶禅に促され、赤里は仕方なく正座から胡坐に移行した。


 組織本部内にある茶禅の私室は、彼の嗜好を反映した和室になっている。

 ビルの一室を半ば無理矢理改造して作られているため、所々に無理が生じているが、当の部屋主はこれで満足しているようだ。

 畳を無粋に照らす蛍光灯が埋まった天井、灰色の寒々しい壁、床の間には掛け軸ではなく薄型ディスプレイやコンピュータ。

 異様な光景だと、赤里はこの場所へ上がる度に思う。

 未遂に終わったが、誕生日にインテリア雑誌をプレゼントしようとしたこともある。


「お前が最後に二人と直接会ったのはいつだ」

「二ヶ月くらい前ですね。夜、三人で飲みました」


 ここで嘘をついても無意味だ。赤里は記憶の糸を手繰り寄せ、淀みなく受け答えする。


「その時、二人に異変はなかったか」

「特に気になる点はありませんでした。軽くアルコールが入った状態で会話をしましたが、脱走のことは全く……」


 これも事実だ。

 ――しかし、同時に赤里の中で違和感が募り出す。


 何故二人は自分に話を持ちかけもしなかったのだろうか。

 説得して止めていたか、加担していたか、その時自分がどのような対応を取っていたかは分からないが、何よりもまず相談して欲しかった。

 自分たちは、誰よりも親しい間柄ではなかったのか。

 気遣ったつもりかもしれないが、それは逆効果だ。


 ひどく漠然とはしていたが、疎外感のようなものが赤里の心に湧き起こり始めた。


「相変わらず個性的な和室ですね」

「下らん世辞はいい」


 時間稼ぎの戯言はあえなく一蹴され、


「青依と翠佳は、お前に何も言わず脱走したという訳だな」


 茶禅が目を細めた。

 瞬間、空気が張り詰めたものへと変化する。


「お前が思っているほど、二人はお前を深く信頼していなかったのかもしれんな」


 赤里は、何も言い返せなかった。


「そう考えると、少しは気が乗りはしないか? さあ、お前の手で青依と翠佳を始末してくるのだ」

「…………かしこまりました」


 上役の圧力で重ねて畳みかけられてしまっては、どうしようもない。

 喉から絞り出したような低い呟き声をもって、赤里はついに受諾の意を表明してしまった。

 心中がいかなものであろうと、言葉に出してしまっては最後だ。


「うむ、任せたぞ。我が息子・赤里よ」


 茶禅が膝を進め、右手を差し出してくる。

 わずかな間を置いて、赤里もおずおずと手を出し、握り返してそれに答える。


 ――契約成立の証である。

 無論、赤里と茶禅の間に血縁関係がないことは言うまでもない。


「今回の報酬は、通常の三倍支払おう。折半ではなく、お前の取り分がだ」

「と、いうと」

「今回の任務にあたり、お前にパートナーをつけることになった」


 監視役か。赤里は反射的に推察する。


「見張りではない」


 茶禅は、唇の端をわずかに持ち上げた。


「これもボスが言い出したことでな。ただ、実力的な意味でお前の足を引っ張ることはない。組織の中でも最強の使い手だからな」


 そこで茶禅は一度言葉を切り、温くなった湯呑みの茶を一啜りした。


「……少々癖のある人物だが、まあ、そこもお前ならば上手くやれるだろう」


 一体誰だろう。橙希か会桃か? いや、ありえない。

 赤里は思い当たる相手を検索してみるが、浮かばない。

 普段、青依や翠佳以外との"殺り手"との交流がほとんどない上、そもそも殺り手同士の序列に関心がないためだ。

 自身が上位の手練れである自負はあるが、ナンバーワンになることへの興味はない。


「これから早速、彼女と落ち合ってくれ。場所は……」




 茶禅から指示されたパートナーとの顔合わせ場所は、組織のビルからさほど離れていない所に建っている教会だった。

 組織とは全く関係のない場所である。

 教会を選んだ理由は分からないが、ムードを出すためではないだろう。

 赤里は勝手に待ち合わせ場所として使うことを、特に悪いとも思っていなかった。


 相手はどんな人間だろう、という不安は特にない。

 それ以前に、あまり興味もなかった。

 彼女、というからには女なのだろうが、赤里にとってはどうでもいい話だ。

 邪魔にならなければそれでいいと思っていた。


 近くの駐車場に車を停め、教会内に足を踏み入れるが、受付の人間はいなかった。

 少し気にかかりはしたが、気にせず茶禅に言われた通り、礼拝堂へと歩いていく。


 時間は昼間。

 質素な造りの小さな礼拝堂は、清浄な空気で満ちており、やはり誰もいなかった。

 ――組織の人間以外は。


 礼拝堂奥の左側、ステンドグラスからの光が差し込まぬ位置にあるパイプオルガン前の椅子に、少女が背を向けて座っていた。

 赤里は一目見ただけで理解した。

 彼女が、今回自分にあてがわれたパートナーだ。


 少女の方も赤里の気配に気付いたらしい。

 ゆっくりと立ち上がり、振り向く。

 薄暗い空間でも、赤里の目は正確に女の姿形や動作を捉えていた。

 前は眉の辺りで切り揃えられ、横は頬の辺りでわずかに内向きにカール、後ろは背中まで伸びている明るいブラウンの髪、上は白、下は黒色をした、フリルレースのついた長袖ワンピース。

 顔は目鼻立ちがくっきりしており、表情と相まって、人形を思わせる無機質な美しさがある。


(随分目立つ格好だ)


 しかし赤里が真っ先に抱いたのは、ひどくビジネスライクな感想であった。

 それはともかく、初対面なのだから、まずは挨拶をせねばならない。

 ビジネスだからこそ挨拶は重要だ。


 少女の方も同じようなことを考えていたのか、互いに目が合う。

 と、少女の瞳が長い睫毛で伏せられ、すぐに顔を斜め下にそらされる。

 どうやら恥ずかしがっているようだ。


 このリアクションには、流石の赤里もわずかばかり肩透かしを食った気分になる。

 最強の殺り手にはおよそ相応しくない。

 油断を誘うためにやっているようにも見えない。


 内在しているオーラが尋常ではないのが肌にビリビリ伝わってくる分、尚更不気味だった。


「茶禅さんが言っていたパートナーか?」


 赤里が落ち着いた声色で呼びかけると、少女はふっと顔を上げ、再び彼を見つめ返した。

 

「ええ、そうよ。私はグリ、よろしく」


 思いのほか落ち着いた少女の声が戻ってきて、歩み寄ってくる。

 礼拝堂には他に誰もおらず、静寂に包まれているため、小さめの声でもやたら増幅されて聞こえる。

 足音も同様だった。

 ドッ、ドッと、ヒールが固めの絨毯を打つ音は、心臓の鼓動にも似ていた。


(グリ、か。聞いたことがない名前だが、どうやら意志の疎通に問題はなさそうだな)


 と、赤里が思った瞬間、グリと名乗った少女の姿が消えた。


 初対面だったにも関わらず、赤里には予想通りであった。

 大雑把ながら、事前に茶禅から人物像を聞いていたことに加え、足を動かし始めた時点で、彼女は"攻め"の意志を空気中に放っていたからだ。


 ただ、計算外だったのは、グリの身体能力だった。

 彼女は赤里の反応を遥かに上回る速度で飛びかかり、床に叩き付ける勢いで赤里を押し倒し、跨る。

 豹を思わせる鮮やかさ、獰猛さだった。


「くっ……!」


 力を受け流して投げ飛ばす。

 と考えるだけが精一杯の反応で、赤里はしたたかに背中を打つ。


 小柄で華奢な体つきからは想像もつかない力だ。

 体格差があるにも関わらず、マウントを押し返すことができない。


 グリはというと、押し倒しただけで、それ以上の害意はないようであった。

 無表情が段々と緩んでいき、生気を帯びたものになっていく。


「……素敵」

「なんだって?」


 グリから降り零れた言葉は、容易に組み伏せられたことによる侮蔑ではなく、脈絡のない賞賛であった。


「こうして近くで見ると、やっぱり素敵な顔をしているわ! あなたと一緒になれて嬉しいわ! よろしく、よろしくね赤里!」


 ぐっと顔を近付けられる。

 なんだこいつは――という感想と共に、小さな唇の奥からのぞく白い歯がやけに鮮烈に映る。


 グリの顔が、間近に迫った所で何故か下に滑っていく。


「何を……」


 問いは途中で消える。

 赤里の首筋に、柔らかで湿っぽさを伴った、皮膚を摘まれる感触が伝わったためだ。


 それは時間にして十数秒続いた。


「っ、ふぅ……私のパートナーとなる人への、契約の証よ」


 グリが、満足した顔を赤里へと向ける。

 少々の不快感を感じながらも、事の最中、赤里は不思議と抵抗できなかった。

 彼女の風貌は非常に魅力的ではあるが、それが原因ではない。

 あえて属性を付けるならば、強者の支配力に近い。


「急にごめんなさいね。はい、立って」


 グリは赤里の体から降り、そっと手を差し伸べた。


「平気だ」


 赤里はやんわりと断りながら、自力で立ち上がる。

 すかさずグリが彼の服をあちこち手ではたき、埃を落とし始めた。

 その行動については止めなかった。


「まさか、試験のつもりだったのか?」

「そんなんじゃないわ。ただ、あなたを見たら気持ちが抑え切れなくなっちゃっただけ」


 悪びれもせずグリは微笑み、サイドの髪を少し持ち上げ、耳を強調した。

 エメラルドのはめ込まれたピアスが、赤里の目に映る。


 "殺り手"は皆、自身にちなんだ色が入った装飾品を身につけることになっている。

 彼女のコードネームは緑ということだ。


 翠佳と同じか。

 グリとはタイプの違う、幼なじみの美しい顔を思い浮かべながら、赤里はルビーのついたネックレスをつまんで見せた。

 グリは興味なさげに一瞥をくれただけで、


「早速任務に取りかかりましょう」


 と、礼拝堂の外へ歩き出す。


「……あ、その前に」


 が、すぐ立ち止まって振り返り、


「あなたも私に、契約の証を示してちょうだい」


 外見年齢以上に色気のある笑みを作って言った。


「まさか、同じことをしろって言うのか」

「あなたの好きにしていいわよ」


 どうとも取れる答えが返ってくる。

 本心ではしたくないと考えていたが、これから先のことを思うと、彼女の好感度を上げておくに越したことはない。

 赤里は、小さく息を吐いた後、グリの前に足を進める。


 グリの右腕に左手を優しく添えて引き寄せ――互いの右手同士を握り合わせた。


「握手? 随分素っ気ないわね」

「俺はこういう方が好みなんだ」

「まあいいわ。任務、頑張りましょう」


 グリは、右手の力を少し強める。

 "脱色者"を追跡、始末するためのコンビが、今ここに結成された。

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