12章『少女が灰になるまで』 その3
晴れて自由になれた私は、早速夢を叶えることにしたの。
私を救ってくれたヒーローに一目会ってみたい、というね。
で、あなたが殺しを生業とする組織に所属しているのを知ったから、私も入ることにしたのよ。
あの時もけっこう大変だったかも知れないわね。一生懸命に窓口を探して、コンタクトを取って……
茶禅のおかげで組織に入れてからは、意外と楽だったわ。
改めて殺り手のための訓練をし直して、仕事をこなし続けて、信頼を得て……
親を殺すために積んだ訓練がこんな形で役立つとは思わなかったけど。
茶禅には本当に感謝してるわ。今でも私をよくサポートしてくれている。
あなたたち三人が信頼しているのも納得だわ。彼は立派な人よ。
赤里の姿を初めて見ることができたのは、仕事に出られるようになってから。
今でも昨日のことのように思い出せる。
黒いジャケットに白いシャツを着て、このビルの四階、Bブロックの通路を一人で歩いている姿……
モニター越しだけど、本当に涙が止まらなかったわ。
言葉だけじゃ絶対にあの時の感激は伝えられない。
顔がいいとか悪いとか、そういう問題じゃないのよ。
あなたは私を救ったヒーローなんだから。
もうどうしようもなかった。
早く会いたい。話をしてみたい。気持ちを伝えたい。
風船みたいにどんどん気持ちが膨らんで、破裂しそうなくらいパンパンになっていくのよ。
一緒にいたい。抱きしめられたい。キスをしたい。体中を愛撫されたいし、してあげたい。
そして……あなたを受け入れて、あなたの子どもが欲しい。
不思議と、親から受けた仕打ちがトラウマにはならなかったのよね。
だから抵抗なく、あなたを求めることができたの。
ただ誤算だったのは、組織の中に『恋愛禁止』なんてふざけた掟があったのを、実際に加入するまで知らなかったことね。
でも、そんなことで諦める訳にはいかなかった。
せっかく同じ組織にまで入ったのに、愛しの赤里と何もできないなんて、そんなの生殺し、生き地獄じゃない。
だから、私は決めたの。
こんな掟を作った張本人のボスを椅子から蹴り落として、私が新しいボスになって、古いしきたりを書き換えてやるってね。
ボスの実力自体は大したことなかったわ。
デスクワークにかまけて現場へ出なくなった人間の能力なんて、知れたものよ。
で、晴れて新しいボスの座を譲り受けて、すぐさま恋愛禁止をやめさせたんだけど……また別の、今度こそどうしようもないような問題に気付いちゃったの。
あなたが……その、振られた後も翠佳を好きなままでいた、って気持ちよ。
ごめんなさいね、当時からあなたたち三人の関係は全部把握させてもらってたわ。
三角関係についても、あなたが翠佳に気持ちを伝えたことも、彼女が青依と相思相愛で、身も心も結ばれていることも……
この時も悲しくてしょうがなかったわ。
だってどう考えても私の入り込む隙間がないじゃない。
おまけにボスとしてやらなきゃいけない仕事も山積みだったし……
ともかくそんな事情で、赤里にすぐ会いには行けなかったのよ。
でも、恋愛禁止の掟を止めさせたのは、決して無駄にはならなかった。
翠佳と青依が、組織から"脱色"したから。
ちなみにこれは完全に計算外よ。二人が自分たちの意志でやったこと。
でも、チャンスだと思ったわ。
ここで翠佳を組織から消してしまえば、あなたも吹っ切ってくれて、私を見てくれるかもしれない、ってね。
もういてもたってもいられなかった。
雑務は全部茶禅に任せて、あなたを追跡者に指名した上で、私もあなたのパートナーとして二人を追う任務に就くことにしたの。
翠佳と同じの、偽りの色を用意するなんて回りくどいことをしてね。
どうしてそんなことをしたか分かる?
負けたくなかったのよ。
組織のボスと殺り手じゃなくて、殺り手同士で結ばれることに意味があったの。
そうでないと、翠佳には勝てない。
下らないってあなたは思うかも知れないけど、私にとっては何よりも重大なのよ。
私の心の中心にあるプライドが、女として翠佳に負けるのを嫌がるのよ。
それに、ただ権力を振りかざして無理矢理言うことを聞かせるだけなら、それこそ私の親と一緒になっちゃうじゃない。
……そうよ。私も結局、あの二人の娘ってことね。
ここで言い訳してもいい?
本当はね、翠佳に感謝はしてるのよ。
それと一応、青依にもね。
だから仮死薬と蘇生薬を用意して、更に特例を出してまで、生きて逃がしてあげようとしたの。
橙希と会桃のバカ二人が勝手に行動しだしたのには困っちゃったけどね。
青依はともかく、翠佳も無傷で送り出してあげたいのは山々だったけど、残念ながらそうはできなかった。
だってあの女、あなたの心を奪っていったんだもの。
大抵のことは流せても、それだけはどうしても許せなかった。
私が世界で一番愛してる、私だけのヒーローの心を獲っちゃうなんてこと、許せるわけないじゃない。
「――でも、結局はこのザマね。翠佳には勝てず、親と同じことまでして……何一つ変わってなんかいなかった」
自嘲するグリを視界に収めつつ、赤里は平時の彼らしからぬ一生懸命さで、記憶の糸を片っ端から手繰り寄せていた。
(……そんな下衆な人間を手にかけたことがあったか?)
しかし、ほとんど思い出せなかった。
せいぜい、大昔に見た夢を思い出す時のように、ひどく曖昧な遠い映像として浮かび上がりかかる程度だ。
「誰を殺したかなんていちいち覚えていない、って顔ね。あなたらしいけど」
降りかかるグリの悲しげな声が、更に責め立ててくる。
「いや、それは」
「分かってる。あなた、過去に終わらせた仕事には全く興味がないんだものね。そもそも当時は私たち、出会ってすらいないんだから、無理はないわ」
そう言いながらも、グリの美しい顔に差す哀しみの影は全く薄れていなかった。
そのまま彼女は、話を引き戻す。
「昔話はこれくらいにしましょう。と言っても、もう未来なんかないかもしれないけどね。私も、あなたも」
「……まだ翠佳を許せていないのか」
「もうあの女はどうでもいいわ。私が許せないのは、むしろあなたの方」
「許せない俺が死ねば、翠佳は助かるのか?」
「保証はできないわ。確実なのは、あなたが死ねば私とこの子も死ぬってことだけ。ああ、何なら三人一緒に地獄へ落ちて、そこで暮らしてみるぅ? それも楽しいかもぉ? うふふふ」
ダメか。もう螺子が外れてしまっている。
赤里は元パートナーの説得を諦めた。
かくなる上は……腰に手をやり、武器をそっと引き抜く。
「えっ……赤里、まさか私と本当に戦うつもり? 傷付けるつもりなの!? ここに私たちの赤ちゃんがいるのよ!」
グリの顔からさっと血の気が引いていく。
つれて後ろに控えた茶禅も顔を上げ、厳戒の空気を放ち始める。
情勢が急激に不穏になる中、赤里は思考を減少させ、覚悟を絞り込んでいく。
二対一は極めて不利、勝算は低いだろう。
しかしやるしかない。仕遂げなければ、翠佳に未来はない。
「茶禅さん。あなたはどちらに味方してくれるんです」
「下らんことを聞くな。牽制にもならんぞ」
茶禅は一切の無駄がない完璧な動作で銃を抜き、赤里に突きつけた。
即座に発砲しなかったのは、ボスの意向を汲んでのことだろう。
「やめなさい」
「ですが……」
「いいからっ! 下ろして!」
そんな忠実なる部下の配慮など露知らず、グリは喚き散らす。
「ねぇ赤里? あなたが私を傷付けるはずなんかないわよねぇ? だって私たち、体を通じ合わせたパートナーだもの。ちゃんと子どもも作れたし、ケンカなんかしちゃダメよねぇ?」
もはや理屈も何も超越した、体しか縋れるものを持たない、哀れな懇願であった。
「そうだな。ケンカするつもりも、傷付けるつもりもない」
それでも、赤里は動じず、狼狽えもしない。
機が訪れたら、躊躇いなく実行せよ――訓練時代、徹底的に叩き込まれた殺り手の心得に従い、最速でグリとの距離を詰めていく。
手に握った小さな武器が光る。
「赤里……バカぁぁっ!!」
絶叫。
銃声。
そして、鈍い音。
三者が即興で奏でた音色が合わさって生み出した作品は――




