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12章『少女が灰になるまで』 その1

「元気そうね、赤里」

「君もな、グリ」

「そうでもないわ。あなたと別れてから心に大きな穴が空いちゃって、虚しいだけの毎日だったのよ。元気そうに聞こえるのは、こうやって久しぶりにあなたと話せたからかも」

「用件は何だ。まさか今になって、声が聞きたかったなんて言うつもりじゃないだろう」

「ええ、声だけじゃ満足できないわ。赤里、今すぐ組織の本部へ来て。一人でね」

「それは君個人としての頼みか」

「そうよ」

「……分かった」

「ありがとう。別に正装で来なくても大丈夫だから」

「……? 最初からそのつもりだが」

「……相変わらず、冗談が通じないのね」






 グリの頼みを聞き入れたのは、簡単に言うならば、顔を見たかったからだ。

 届かぬ想いに虚しくなって、何もせずとも愛してくれる相手に受け入れられたくなったのではなく、単純に元パートナーとしてのよしみである。


 基本的に彼女へ素っ気ない態度を取り続けてきた赤里ではあったが、全く情が湧いていなかった訳ではない。

 形はどうあれ、翠佳を救う作戦に手を貸してくれた感謝は消えていないし、想いに応えてやれなかった後ろめたさだって一応はある。


 何よりも、彼女と行動を共にしている間、意外と楽しかったのだ。

 馬が合うと言っても差し支えないだろう。

 だからこそ、振り回され気味になっても笑って受け入れられたのである。


 ただし、引っかかる点もある。

 この状況で声をかけてくるなど、あまりにタイミングが良すぎる。

 やはりずっと監視されていたのだろうか。

 青依と翠佳のこともあったため、家に隠しカメラや盗聴器の類がついていないか何度か調べたことはあるが、結局それらしきものは見つからなかった。


 いや、実際に呼び出された今、機器の有無などどうでもいい。

 重要なのは危機の有無、翠佳に害が及ばぬかどうかだ。

 赤里は車を急がせる。




「随分と庶民的な車に乗り換えたものだな」


 本部ビルに到着した赤里を出迎えたのは警備員ではなく、もっと意外な人物であった。


「茶禅さん……あなたがここまで出張られるとは。ああ、車ですか? 燃費や維持費がどうのこうのって彼女に言われたので、これにしたんですよ」

「早く停めて私について来い」


 茶禅は固い表情のまま、赤里を促した。


 いつものように、地下駐車場と直結した通路からエレベータに乗り、茶禅の珍妙な和室があるフロアで降りる。

 異なるのは、ここからの経路であった。

 普段は通らない方向の通路を歩いていきながら、赤里では開けられない高レベルのセキュリティを茶禅が解除しつつ、奥へと進んでいく。

 てっきり茶禅の部屋へ行くものと思っていた赤里は、拍子抜けする。


 最奥にはまたエレベータが二基あった。

 二人はその内一方へと乗り込み、上階を目指す。

 当然ながら、赤里がここまで上がるのは初めてとなる。


 エレベータは最上階の一つ下で停止した。


 ここまで来ても、二人の間に一切の会話はない。

 赤里側からすれば尋ねたいことがないでもなかったのだが、返ってくるのはどうせ「着いたら分かる」の一点張りなのが目に見えているので、何も言わなかった。


 このフロアは広間になっていた。

 スペースを考慮するに、フロア全体が一つの空間になっている訳ではないようだが、それでもかなりの広さだ。

 だが、めぼしいものは特になく、入居前のオフィスのようにがらんとしていて無機質だった。


「ここで待て」


 茶禅は短く言い、エレベータに再び一人乗り込んでいった。

 外側にフロア表示がついていないので、どの階へ向かったのかは分からない。

 赤里は、最初の三十秒ほどは大人しく直立不動で待っていたが、すぐに飽きてしまう。

 何か面白いものが隠されていないか、暇潰しに探険でもしてみようか。

 そんな子どもじみた悪戯心が芽生えかけた瞬間、エレベータのドアが開き、計画は断念せざるをえなくなる。


「赤里……」


 やけに懐かしい肉声が、赤里の耳に届く。

 後ろに茶禅を従えて現れたのは、かつてのパートナーであった少女、グリだった。


「イメチェンしたのか」

「久しぶりの再会で最初に言う言葉がそれなの?」


 グリは右手を握り拳にしたまま、少し呆れてため息をつくが、赤里がそう言ってしまったのも無理はない。

 いつものような人目を引くゴシック・アンド・ロリータ系ではなく、出会った初日に買ってやった地味な服を着ていた。

 それがどのような心境の表れかまでは、彼には理解できなかったのだが。


「まあ、あなたらしいわ。ご苦労様、茶禅」

「はっ」


 しかし、茶禅を呼び捨てにするグリと、恭しく一礼する彼には流石に違和感を抱く。

 彼女は以前、敬語で話していたはずだ。

 当然だ。二人は上司部下の関係なのだから。


 なのに今は、立場がまるっきり逆転しているようだ。

 組織内でも幹部の地位にある茶禅が、いくら優れた実力者とはいえ、一介の殺り手でしかないグリに対して頭を垂れている。


(ああ、なるほど)


 その行為が意味するところは、ただ一つ。

 答えは単純。

 目の前の少女が、本当は茶禅よりも上の地位の人物であった。ただそれだけのことだ。


「ボス……」

「こんな関係で会いたくはなかったわ」


 グリは、大きな瞳に哀しみの色を湛えながら呟いて赤里との距離を詰め、手を差し出して握っていた指を開く。

 掌には、彼女がつけていたエメラルドのピアスが一組乗っていた。

 それを無造作に床へ放り投げ、サイドの髪をかき上げる。


 代わりに新しくつけられているピアスには、微かな灰色を帯びたダイヤモンドが鈍く輝いていた。


「翠佳と仲良くやっているようね」

「ああ」

「幸せ?」

「もちろんだ」

「報われないと分かってるのに? 絶対に一番にはなれないのに?」

「またその質問か? そんなことはどうでもいいんだよ。いや、あんまりどうでもよくはないか……でも、本心からやりたいことをやるってのが、こんなに気分のいいものだとは思わなかった」


 途中、少々歯切れが悪くなったものの、後半は明朗に言い切る。


「毎日がこんなにも充実するもんなんだな。分かりやすく刺激や幸福がやってくる訳じゃないし、ネガティブな気持ちが湧くことだってあるけど、静かな満足感が心の奥から静かに湧き続けてくるんだ。こんな凄い概念を教えてくれた君には感謝してるよ、グリ」


 赤里の温和な物言いと反比例して、グリの雰囲気や顔つきがたちまち険しくなっていく。


「分からない……やっぱり私には分からないわ! なによそんな気持ち! おかしいわよあなた! 一番に愛されなきゃ何の意味もないじゃない!」


 血が逆流してカッと熱くなり、神経がキリキリと絞り上げられる感覚に任せ、一方的に激情をぶちまけるグリに、またあの時の続きになっちまうのかと、赤里は少々うんざりした心持ちになる。

 このような状態になった女に、理屈は通用しない。

 ろくな恋愛経験がないにも関わらず、さもプレイボーイであるかのような思考回路で分析していた。


「だから私、あなたに愛されるように頑張ったのに! リードもしたし、色々我慢もしてあげた! それなのに……赤里は、全然私を好きになってくれない……どうして……どうしてよぉ……」


 模倣にも近い、あの時の再現。

 すすり泣きが始まっても、赤里は静観を決め込んでいた。

 何かを言うにしても、話が聞ける状態にならなければ意味がない。


 ちらりと、グリの後ろへ目線を送る。

 茶禅は顔を伏せ、床の一点を凝視していた。

 ボスからの指示がない限り、一切干渉しないつもりらしい。

 身分を偽ってパートナー同士になっていたとはいえ、赤里がボスと対等な口をきいていても、何一つ咎めはしなかった時点で予想はできていたが。


「……やっぱり、翠佳を助けたりなんかしなければよかったのかも。あの時ちゃんととどめを刺しておけば……」


 しゃくり泣きの合間、ふとグリが冷たく漏らす。

 これでも赤里はまだ反応を示さなかったが、


「黙ってないで、何とか言ってよ」


 どうやら黙秘を許してはくれないらしい。


(さて、どう答えたものか)


 刺激を避けなければいけないのは考えるまでもないが、適切な返答をできる自信がない。

 ここへきて、恋愛経験のなさを痛感させられる。


「潔くないな」


 そんな赤里が切った手札は、あえての"攻め"であった。


「……どういうこと?」

「君は俺とゲームをして負けたんだろう。その時確かに『好きにして』と俺に言ったはずだ。なのにこうやって未練がましく呼び出して、喚き散らしている。男らしく、いや女らしくないぞ」


 華奢な体から放たれる、巨大な猛獣のような圧力にも負けず、静かに言葉を紡ぐ。


「仕事上での短い付き合いだったけど、俺の知っているグリはもっと器の大きい女だった。だからその若さでボスに収まってるんだろう」

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