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4章『最果ての港町、銀の海の際で』 その3

「二人の言い分は解ったよ。だがリスクが大きすぎる。組織から逃げ切れると思ってるのか。仮に俺を殺してこの場を逃げ切ったとしても、一生追われ続けるんだぞ。多分、海外まで追いかけていくだろう。だったら重傷を負って裏方に回してもらうか、上手いこと定年まで持ちこたえた方が賢明……」

「うるせえ!!」


 感情を乗せず淡々と自説を述べ続ける赤里を、青依が怒声を張り上げて遮った。


「お前に言われねえでも本当は分かってんだよ! でもな、そんなクソッタレた正論が何の役に立つってんだ! こういう気持ち、今のお前には分からねえだろうな! お前みてえな……」

「青依! やめなさい!」

「……っと、悪い」

「いいよ、お前の言おうとした通りだ」


 我に返って口をつぐむ青依を、赤里が慰める。


「俺は所詮、頭のネジが外れた殺人者だ。怒鳴られても問題ない。――だからこそ俺は、組織の殺り手として、任務を遂行しないといけない」


 慰めの後に口にしたのは、親友に向けるにはあまりに残酷な宣告だった。


「赤里……」

「嫉妬や腹いせと思ってくれていい」


 赤里は顔色を変えず嘯くが、青依と翠佳は辛そうな顔をするだけだった。


「覚悟を決めろ。さもないと、お腹の子まで死ぬことになるぞ。いいのか」


 煮え切らない二人を、赤里は更に煽り立てる。

 腰に手をやり、愛用のナイフを音もなく抜き放つ。


「お前……! 本気なのかよ!?」


 太陽光を反射してギラギラと煌めく大振りの刃を見て、青依が目を細める。


「赤里。それが、あんたの答えなのね?」

「そうだ」


 赤里は心の中で強くかぶりを振る。

 違う。本当は殺したくはない。


 しかし、やらなければならない。

 何故なら、今の自分は、任務を帯びた追手なのだ。

 幼なじみという事実は忘れなければ。

 勝手に震えそうになる手や唇に力を入れて、表に出さないようにする。


 既に冷え切った水を氷へ変えるように、最後の覚悟を固めようとしていた時だった。


『今その時、本心からやりたいことをただやればいいのよ』


 突然にグリの言葉が蘇り、ちくりと胸を刺した。

 生まれた微小な心の穴に、凄まじい勢いで思考の奔流が注ぎ込み始める。


(本心? 俺の本心って何なんだ?

 青依と翠佳を殺したくないという気持ちか?

 今の生活を失いたくないという執着か?

 いや、家や車や金を失うことはそこまで惜しくはない。

 そもそも、ただやる、って何だ? 組織とのしがらみを完全無視しろってことか?

 そんなことできるのか? 組織の存在は、もはや人生のほとんどを占めているのにか?

 それに茶禅さんへの恩義はどうなる?

 茶禅さんは俺達を拾ってくれた。

 更に教師として、時には本当の親のように育ててくれた。

 そんな恩人に歯向かえるのか?

 親友、幼なじみ、組織、恩人……大切な人……

 俺が大切にしたいものって何なんだ?)


「ボケっとした顔でボサっとしてるんじゃないわよ」


 翠佳の鋭く冷えた声が、赤里の心の穴を埋め、意識を現実へと引き戻した。

 おいおい、俺としたことが間抜けすぎる――前にいる翠佳から気付かぬ内に銃口を向けられ、赤里は舌打ちする。


「悪い、少し考え事をしてた」


 赤里が安穏としているのは、単に親しい相手だからと油断しているからではない。

 翠佳は銃を撃つ時、必ず微笑むという癖を知っていたからだ。


「……あんたのそのバカがつくほどのマイペースさ、時々呆れを通り越して尊敬したくなるわ」

「してもいいぞ。ただこれは性分だから、なりたいって言ってもアドバイスはできないけど」

「おい、俺を無視すんなよ。寂しいだろ」


 青依もまた、赤里の頭部に寸分の狂いなく拳銃の口を向けていた。

 先の翠佳の時とは異なり、反応できなかったのは赤里の油断ではなく、青依の鮮やかな手並によるものである。


「してないさ」


 赤里の言葉に答えるものはいない。

 それきり、三人とも声を発さなくなる。


 客観的に見た状況は二対一。

 青依と翠佳、いずれかが引き金を引くだけで赤里は死ぬ。

 避けたり外したりしなければの話だが。


 一方、赤里の得物はナイフ。

 投擲に適さない種類のため、殺傷するには踏み込んで切るか突くかする必要がある。


 彼我の武器だけを比較すれば圧倒的に不利だが、赤里は特に意に介した様子を見せない。

 青依と翠佳も、優位を笠に着るつもりはないようだ。一切の隙を見せない。

 あるいは二人も、親友と戦う決心に踏み切れないのだろうか。


 三人が切った手札は、いずれも硬直。






 潮騒の音さえ銃声に聞こえてくるほど張り詰めた空気の中、時間だけが無常に流れていく。

 この状態になって具体的に何分が経過したのか、三人のいずれも把握してはいなかった。

 ただ、今という連綿と続く瞬間瞬間を、停滞したまま味わい続けていた。

 友情、愛情、戸惑い、敵意、恐怖、信頼、悲哀……あらゆる感情が同時に共存していた。


 しかし、そんな状態も決して永遠として常態化することはない。

 諸行無常は世界の摂理、この睨み合いも移り変わり、均衡が崩れるのは既に定められていることである。


 動かす鍵となったのは、美少女。


 先に気付いたのは、陸側を向いていた青依と翠佳の方だった。

 一度見たら簡単には忘れられない洋装の少女が、港からこの波止場の先端に走って近付いてくるのを捉え、


(戻ってきやがった)

(どうするの? 撃つの?)


 青依と翠佳が、視線を一瞬交錯させ、方針を決めようとする。


「待ってくれ」


 決断よりも先に、赤里がまず声だけで制した。


「グリを撃とうとしただろう。頼む、少し待ってくれ。お前たちの銃はそのままでいい」


 訴えながら右手を開き、誠意の証としてナイフを床に落とす。

 どうしてこんなことをしたのか、当の赤里にも分からなかった。

 ただ、体が勝手に動いたのだ。脳よりも先に心臓が指令を出した、という表現が近い。


「あの女がおかしな真似をしたら、即撃つからな」


 近付いてくるグリに殺意が一切ないのを肌で感じたことも手伝い、二人はひとまず親友の頼みを聞き入れた。


「あら、いい所でお邪魔しちゃったかしら」


 グリは開口一番、緊張感なく微笑みながら三人を見比べて言う。


「でもちょうど良かったわ、決着がつく前で」

「どういうことだ?」

「あなたたちにとっての幸運を持ってきたのよ」

「待て! 武器を出すのか!?」


 胸元に手をやったグリを、青依が鋭く制した。


「武器が運ぶのは幸運よりも不運じゃなくて? 元殺り手の青依さん」

「……ゆっくり出せ。おかしな真似すんなよ」


 グリは薄く笑い、


「はい赤里、あなたに」


 薄い胸から薄型の携帯電話をゆっくりと出し、赤里に手渡した。


「……はい」

「赤里か。私だ」


 体温に触れ続けて仄かに温かくなっていた電話から聞こえてきた声は、赤里直属の上司・茶禅のものだった。


「何か?」

「突然だが命令変更だ。青依と翠佳をこれから私の下へ連れてこい。直接伝えなければならぬことがある」

「それは……どういうことですか」

「ボス直々の指令だ。無条件で従ってもらう。方法は任せるが、なるべく傷付けるな」

「……了解」


 不満を裏に隠しつつ答えると、すぐに通話が切れた。

 ビジートーンが鳴り始めた中、赤里の胸に複数の思いが生ずる。


 一つは間違いなく安堵感である。

 殺したくない相手を、ひとまずは殺さずに済んだ。

 理由を教えられなかったのは少々納得いかなかったが、願ってもない命令変更だ。


 しかし、それだけでは……


「……悪い癖だな、つくづく」


 赤里は自嘲し、グリに電話を返却、コンクリートの地面に転がるナイフを拾い上げて鞘に戻した。


「おい、どうして武器をしまう」

「茶禅さんからの命令だ」

「茶禅さんが……?」

「二人とも来てくれ。茶禅さんが、どうしても伝えたいことがあるそうだ」


 赤里のみならず、流石に二人も若干の戸惑いを見せた。

 青依や翠佳にとっても茶禅の存在は未だ大きなウェイトを占めているのだ。


「すまないがこれは強制だ。迷ってもいいが結論は一つだけしかない。それに……これは俺の推論にすぎないが、ボスに会えるかもしれない。ぶつけたいものがあるなら、直接言ってみたらどうだ」



「赤里の言う通りよ。一縷の望みに賭けてみる価値はあるわ」

「……しょうがねえな」


 赤里とグリが念押しすると、青依は面倒そうに頭をかき、ため息混じりに言った。


「こうなっちまったらもう捕まってるに等しいし、うだうだゴネても仕方ねえか」

「そうね。育ての親へあいさつしに行きましょう。会えるかも分からないボスにもね」


 二人の脱色者は、どこか悟ったような顔をして口々に同意し、武器を下ろす。

 彼らもまた、本心では赤里との戦いを望んでいなかった。

 そんな心境が、弛緩し始めた空気に現れていた。

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