空腹の戦場 1-1
初めまして、投稿をさせていただきます。
どこにでもあるような青春の話です。
また、書けた端から投稿しており、後々1-1、1-2等の統合を行います。ご注意ください。
二つの小規模な群れが、緩慢に歩み寄っていた。もう少しでその数もはっきりとわかるだろう、前方三百歩ほどの距離。
人の群れの前に立つのは、異形の群れ。光の加減で赤にも紫にも変わって見える肌を持ち、頭には人間の体を容易く貫けるであろう鋭さと太さを有し、自分の背丈の半分はある白い一本角。逞しい二本足はそれを支えるどころか振り回しても尚余りある力強さを誇っている。人間の子供ほどの背丈にも関わらず地を踏み込む毎に僅かに裸足の跡が残る事から、角のそれもあるだろうがその肉体自身の重量も優れているのであろう。
紫角と呼ばれる、異形の先兵である。
対する人の群れは、明らかに士気に欠けていた。彼ら自身が寄せ集めと言う事もあるだろうが、その意気を著しく挫くのは身にまとった装備と手にした剣であろう。角の一撃を受ければ確実に貫かれるであろう綻んだ皮鎧。手にした剣は良いものでも目で見てわかるほどに刃こぼれし、ひどい物では全面にひびが入り、錆すら浮いている。
端的に言えば彼らは捨て駒であった。食糧難の村から捨てられ、或いは売り飛ばされ。
これからは山賊に身をやつす以外に選択肢のないであろう棄民を暴力によって集めた、寄せ集めの烏合の衆。破棄寸前の武具を身に着けた、時間稼ぎにもならないであろう人の壁。騎士や傭兵たちの準備が整うまではと追い立てられるように集められた期待すらされない肉の束。
そのような絶望的な状況になってなお、彼らをそこに立ち尽くさせた理由は、希望であった。異形の死骸は、殺した者に所有権がある。騎士も、傭兵も貴族も、王族でさえ破ることの能わない絶対的な法律が、ある。
戦士団や傭兵団、騎士団が来るまで生き残れば。紫角を殺して、生き残って、その体を売れば。
腹いっぱいに食べる事が出来る。タップリと混ぜ物がされた麦がゆで腹を満たし、使い古された冗談のように薄められた酒で喉を潤すことが出来る。そんな最低限ではあるが腹の満ちる生活が、陽と月が5度は昇る間は出来るだろう。一時的な贅沢であれば、一つ上の段階の食事すらも。
食欲と希望と、生き残る事は難しいだろうと言う諦観が彼らをその場に縫いとめていた。
その中でルクードは緩慢に進む集団にとって死を象徴する紫角に視線を据えていた。如何にも生物を殺すために存在する異形を恐怖を堪えながら見据えていた。
(腹が減った)
その理由は空腹と、食欲。奴らを殺せば金が。金を得れば食べ物が。食べ物を得れば空腹が満ちる。彼はこう決めていた。
『死ぬのならば、腹いっぱい食べてから』
それだけでいいのだ。生き残って、腹いっぱい食ってその後の事はその後で考える。暗い鳶色の瞳を細め、刃こぼれの目立つ抜き身を体に寄せた。冷たい剣身が食欲に煮え立った思考を冷やし、ようやく周囲を見渡す余裕が彼に宿る。彼が周囲に目をやればこんな掃き溜めに見合わぬ笑顔を浮かべる少年がいた。
うお。
うめき声が漏れる。数年前、彼が住んでいた村とその周囲が二夏連続の不作を迎え、何人も餓死した時を想起させた。命の危うい状況下で笑うやつは大抵の場合頭が妖しくなったか、生来の大馬鹿野郎か、ヤケが顔にまで回ってしまったか。
或いは、生き残る算段が付いているか。実際に村で笑みを浮かべていた男の一人は生き残り、一人は狂死し、一人は喚き散らして森に消えていった。生き残った男はその次の年、今のルクードのように売り飛ばされて帰ってこなかったが。
(生き残る事が出来るのなら全力で飛びつくんだが)
想いを馳せるのを止めると、このままだと空腹をいやす事も出来ずに死ぬと言う現実が彼に再度降りかかった。それだけは、避けるべきだった。
ならば、あの笑みに賭けるべきだと勘が囁くのに任せて、少しだけ歩みを緩めて少年の隣に並ぶ。
ますます掃き溜めが似合わない少年だった。茶の髪は柔らかく、茶の目尻は優しい。こんなところにいるよりも娼館の下働きをしている方が似合うだろう。
二百歩!誰かが叫んだ。もう時間がない、五十歩の距離の時点でお互いが走り出し、ぶつかり、死んでいくだろう。
「なあ」
「なんだよ」
容姿に見合わぬ伝法な口調に面食らいながらもルクードは少年の肩を叩いた。嫌そうに払いのけられるがそれを意に介さないで更に口を重ねる。
「組むぞ」
「は?」
「組むぞ、俺は腹を減らしたまま死にたくない」
「……くっそ、俺みたいなやつの顔が好きな男が声をかけてくれるかもしれねえって笑ってたのによ、来たのは腹っぺらしの男一人か」
ルクードは噴き出した。生き残る見積もりら笑っていたのではなく、生き残る為に笑っていた男に引っかかったらしい。
そして困ったことに、ルクードはそう言う男が嫌いではなかった。少年も歪だが笑った。一人よりもまだ二人のほうが生き残れるかもしれないからだ。
「ルクード」
「リジェール」
お互いに拳を突き出して打ち付け、そこに三つめの拳が足された。いや、四つ。四本の腕がその場にぶつかった。
「ヘクトー」
最も年嵩の右腕の太い男だった。左手があれば戦士としてまだやって行けただろうと確信させるほどに。
「クーウッダ」
愛想のいい笑みを口元に刷いた背の高い男だった。油断ならない鋭い眼を、その笑みで柔らかく包んでいる。
「組むぞ」
四人の視線が交錯し、僅かな沈黙。弾けるような笑い声が集団の中に響いた。四人が四人とも死にたくなかったのだ。四人が四人とも空腹だったのだ。
なに笑ってるんだ!とどこからか声がする。
すまねえ!クーウッダが拝むように詫びを入れる。いいじゃねえか!ヘクトーが弾けるように叫びかえす。ルそして、どうせお前らもみんな死ぬんだぜ!ルクードとリジェールは吠えた。それでもなお俺たちは生き残ってみせると、根拠のない自覚に満ちた声音だった。
百歩!怒声。集団の距離が近づいていた。
「良いか、紫角は巨大な角を衝角のように使い、剣のように振るい、発情した馬のように素早く突っ込んでくる」
三人にしか聞こえないようにヘクトーが呟く。
九十!怒声。
「思いっきり腕を伸ばして、突けってことか?」
リジェールが囁き、
八十!怒声。
「盾があればなぁ、違ったんだろうな……」
クーウッダが唸り
七十!怒声!
「せめて、もう少し人数が居ればな」
ヘクトーが悔し気に呟いて。
六十!怒声!!
「盾も人もここにあるだろ」
ルクードがぴたりと足を止めて答えた。
五十!怒声!!!
『は?』
『走れ!!! 走れ!!!』
人間たちの数よりも僅かに少ない紫角が駆ける。蹂躙するために。
七十程の集団が彼ら五人を置いて駆けていく。明日の糧を生きるために。
「よし、盾兼人が前に行ったな。行くぞ」
ルクードは微笑し、駆けだした。残された三人は唖然としてその後を追いかけたのである。