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中学四年生の放課後7

 彼女達と同じクラスと分かったその日の行事、つまり今日の入学式は俺にとって、否、全生徒にとってただの消化試合と化してしまった。


 クソの役にも立たない、ケツで踏み潰したクソを取るのにも役に立たない校長先生の話を聞き、他クラスの男子共から羨望と嫉妬の眼で睨まれながら入学式を終え、自分の教室へと戻ってきた我ら二組の生徒一行。担任の教師が来るまでの僅かな自由時間を、思い思いの場所で過ごしていた。


 俺は自分の席で首を四十五度右に回し、そこに映る絶景を堪能していた。が、前方には時折俺の視界に入ってくる一人の男の姿があった。


 またしても、俺は成瀬さんの儚げな眼差しを受けなくてはいけないこととなった。それだけならまだしも、コイツが退いた後、成瀬さんが座った後に漂うなんとも言えない気まずさのほうが耐え難い。俺の精神力はそんなに強くない。


 そんな悪態を心の中でつきながら、俺はようやく先ほど大村が言い残していった謎の捨て台詞の意味を理解していた。


 この男は先ほどの公言通り、クラスの女子全てを把握していた。それはつまり座席順はもちろんのこと、各々個人の友人関係までも把握いていたことを意味していたのだ。


 つまりコイツは俺の右斜め前に火野さんが座ることも、俺の隣の女子生徒、出席番号三十一番の福田さんが二十七、二十八番の服部さん、早坂さんと仲が良く、福田さんが空き時間の度にこの二人の席付近へと移動することも、それによって空いた席に水原さんが座り、火野さんとおしゃべりを始めることまでもが計算のうちに入っていたということなのである。恐るべし、大村智宏。


 そんな大村は二人にばれないようにボーッと教室の後ろでも見ているふりをして、水原さんの触れたら壊れてしまいそうなガラス細工を彷彿とさせるその美貌を盗み見ていた。


「はぁ~、マジで『盾』をどうにかしないとなぁ、手も足も、話かけることさえできん」


 大村は隣の二人がおしゃべりに夢中になっていて、こちらの様子には全く気付いていないのをいいことに、恐れ多い戯言を垂れ流し始めた。


「だったら諦めろよ」


 こちらに気付いていないとはいえ、すぐ隣にいる二人に聞こえてしまうのではないかという恐怖心が俺の声量を抑える。


「何もそんな急いで結論を出すこたぁないだろ。『盾』さえどうにかしちまえばこっちのもんだ」


 そんなことは不可能だと大村も理解しているはずだ。この俺でさえ分かるのだから。「諦めろ」と言ったのはそのためだ。女神から『盾』を引き離すなんて、人間如きには到底成し得る所業ではないし、どんな天罰が下るか分かったもんじゃない。触らぬ神に祟りなし。


「そう言うお前だって、簡単には諦められんだろ?」と、見透かしたように大村は言う。


 確かに、十年近く続く想いを、フラれてもいないの「諦めろ」の一言できっぱり忘れられるほど物分かりのいい男はいないだろう。いたとすればそいつは嘘付きか浮気者だ。俺だって、そう簡単に諦められるほど軽い想いを持っていたわけではない。


「だったら、なんかいい方法でもあるのか?」と、挑戦的な大村を睨み返し、俺は問う。


 こんな言い回しをする大村のことだ、きっと何か案があるのだろう。便乗するつもりはないが、聞いておいても損は無いだろう。


「なぁ俊、明るい未来の為なら多少の犠牲はやむを得ないと思わんかね?」


 聞かなければよかった。大村のこの気色悪い笑みは、必ず誰かを不幸にする。その誰かというのは少なからず俺である。経験上、それはよく知っている。



 大村との秘密の会話は、担任のお出ましにより途中でお開きとなった。そのお蔭で俺は『多少の犠牲』とやらの全貌を聞かされずに済んだ。


 黒板に自分の名前を書き、西村と名乗った二組担任教師は、まだ三十前の若造といった感じの教師だった。どこか頼りない感じで、かすかに漂わせる青臭さは大村の笑みとは違う種類の不安を駆り立たせる。が、そんな不安も右斜め前の彼女を見ていれば寛大な心で全てを許せる気がした。


 斜め後ろというのは絶好のポイントだ。下手したら隣の席になるよりも遥かに得かもしれない。この発見は是非とも全国の恋する男子学生達に教えてやりたい。


 だが、この最高の状況に終わりを告げる終焉の鐘が、無常にも俺の耳に飛び込んできた。担任の話など右耳から左耳へとそのまま流していたのだが、その言葉はいやにはっきりと俺の脳内にしがみ付き、離れなかった。


「とりあえず席はこのままで。今席替えしちゃうと、各教科の先生方が大変だからね。出席番号順で配布する物もあるし。というわけで席替えは来週ってことで。で、明日からの時間割のことなんだけど――」


 彼の話はまだ続いているが、そんなことはどうでもいい。


 席替え。


 存在そのものを頭の隅に追いやっていただけに、これは全くの盲点だった。中学時代は席が変わるたび、隣の人が変わるたびに悪態をつかれていたので、学生生活の楽しみの一つであるその行事をなるべく空気のようにスルーしていたので仕方あるまい。俺のせいじゃない。悪いのは往々にしてあいつらだ。


 やっぱり、期待なんて持つものじゃない。期待すればするほど、裏切られた時の失望感が大きくなる。そのことは知っていたはずなのに、恋は盲目と言うが、記憶まで曖昧にさせる効果があるらしい。


 いや、こういう時こそプラス思考で行くべきなのだろう。あと一週間はここから彼女を、火野さんを見守ることができるんだ。俺はそれだけで、十分だ。



 だが無論のこと、それだけでは十分と思えないヤツがいるのも確かで、今日は午後半休だというのに、俺はそいつに足止めを食らっていた。


「次の席替えがどう転ぶか、いくら俺とは言えこればっかりは分からん。が、お前の不運から予想するに、これ以上恵まれた席になることは考えられん。つまり、限界時間(タイムリミット)は一週間」


 担任教師の話が終わったのち、クラス内で行われた簡単な自己紹介を終えた二組一行がゾロゾロと教室を出て行った後、俺は先ほどお開きとなっていた大村の話を、誰もいなくなった教室で聞かされていた。高校生活初日から居残りだなんて、俺達は学校開設以来の真面目生徒に違いない。


「で、さっき言ってた『多少の犠牲』ってのは何だ?」


 こんなことをわざわざ自分から聞くのは気が引けるが、こうでも言わん限りこの男は勿体振って話し出さないので仕方ない。今日の昼飯をコンビニで購入することに決めた俺は、ただでさえ種類の少ないコンビニパンがカニパンしか残されていないという悲惨な状況になる前に赴かなくてはならない。


「いきなり本題だな、もっとこう引っ張れよ。限界時間ってなんだ? とかさ」


「で、さっき言ってた『多少の犠牲』ってのは何だ?」


 新たな語彙を考えだすカロリーさえも惜しい。ただ同じ言葉をオウム返しする。先方も観念した表情を見せ、一つ息を吐いてから真剣な面持ちへ変わる。つられて、俺の肩にも力が入る。


「……お前、彼女欲しくないか?」


 おぉ……、くだらない。付き合って損した。


 肩に入った無駄な力を吐き出すように大きく深呼吸し、目頭を押さえる。何をどう飛躍させたらそうなるのか、この男の思考が全く理解できないし、理解したくない。


「意味が分からん。唯一つ分かったことは、やっぱり俺が『多少の犠牲』ってやつになるってことくらいだけだぞ」


 少し時間を空けて思案した結果、どう考えてもそれだけしか理解することができない。これは俺の理解力が乏しいせいではないだろう。


「エクセレント! それだけ分かれば申し分無い」


「それだけしか分からないのに、申し分無いことないだろう」


 外国人かぶれのような言葉使いに苛立ちながら、帰宅しようと立ち上がろうとした。瞬間、


「つまりだな、お前はこれから一週間、限界時間までの一週間のうちに火野楓とくっつけ」


 驚きのあまり椅子から転げ落ちそうになるのを全力で踏ん張って堪えた。


 大村は妙案が思い浮かんだ策士のような顔をしている。きっと諸葛孔明も山本勘助も自分の立てた作戦が成功した時はこんな顔をしていたのではなかろうか。この男は成功どころか作戦の全貌を明かす前からすでにドヤ顔なのが目に余る。


「な、ななな!? 何だよそれ!」


 汗が吹き出し、呂律が回らくなる。心なしか涙まで零れそうになっていた。


 この男に隠し事ができた試しが、限りなく少なかったことを思い出してしまう。まさか俺の淡い恋心が、この悪魔のような男にバレて……いいや、そんなはずは無い。この事実だけはどんな重要機密よりも心の奥底に閉じ込めて隠してきたことだ。言わば最後の砦なのだ。


 今まで散々不幸を馬鹿にされようが、不運を嘲笑されようが平気な顔をしてきたが、この事実が公になり噂されてしまう事態にでもなったら、俺は断崖絶壁から身を投げ出すだろう。


「まぁお前の反応も分からんではない。あんな女とくっつけなんて言われれば誰だって拒否反応を起こすだろうからな」


 どこか落ち着いた様子で話を続ける大村。どうやら俺とは論点がずれているらしい。


「けどな、少し考えてみろ。俺もあまり酷なことは言いたくは無いが、お前じゃ水原は無理だ」


 どこか寂しげな瞳を投げかけ、かばんから髪型直し用に持ち歩いている折り畳み式の鏡を取り出すと、それを机に置き、俺の方へと向ける。鏡に映り込んでいるのは、まだ秘密がばれていないと安堵し、若干の落ち着きを取り戻しつつある一人の男の顔だ。


 大村が遠まわしに何を言いたいのかなんとなく理解した。こんな回りくどい真似をせずとも、自分の顔面の相場くらい理解している。鏡に映る俺の眉間にしわが寄った。


「おぉっと、勘違いすんなよ、別にお前がブサイクって言ってるんじゃないんだ。むしろお前はイケメンの部類に入ると思うぞ、この学校の顔面偏差値で言ったら」


 こんな田舎の公立高校の中でイケメンと言われても何の意味も無い。しかも男に。そんな付け焼刃の褒め言葉では、俺の眉間からしわを取り除くくらいの効果しかもたらさない。


「でもな、水原と釣り合うかどうかで考えて欲しいんだ、俺は。自分が水原の隣を歩いているところを想像してみろよ」


 水原さんの隣を歩く男。よっぽどの美男子でないと務まらない大役だ。なるほど確かに、大村の外見ならば、外見だけならば、少しは見栄えのする組み合わせにはなるだろう。でもそれ以前に、


「水原さんが男と二人でいるところなんて想像できん」と、俺は率直な感想を述べる。


 あの『盾』がいる限りは無理だ。男と二人きりでいる水原さんなんて、北海道でイリオモテヤマネコを見るようなものだ。


「だからこそ、お前が火野とくっつくんだよ。さっきは彼女が欲しいかだのなんだの言ったが、あれは極論だ。付き合うまでいけ、なんて命知らずで無責任なことを言うつもりは無い」


 大村は演説のような口調で続ける。


「ただ、俺が水原を口説き落とすまでの時間稼ぎをしてくれってことだ。昼休みなり放課後にでもどっかに呼び付けて欲しい。それだけでいいんだ」


 ここにきてようやく作戦の全貌が明らかとなった。この男、よくもまぁ軽々しくそんなことを口にできたものだ。そんなことが可能ならば中学時代からとうにやっている。しかし、


「何で俺なんだよ? お前の取り巻きにでもやらせればいいじゃねぇか」


 大村を突き返すように口を尖らせる。


 それだけでいい、と簡単に言うが、それができないからずるずると中途半端に気持ちを引きずっているわけで、俺に頼もうとするのはお門違いなのである。それならば自らの周りに自然と集まってくるお友達にでもやらせればいいのだ。


「あのなぁ、水原を口説く手伝いをしてくれ、って言われて快く了承する男子が何人いると思う? お前の不幸自慢を知らない奴より少ないと思うぞ」


 さも当然かのように言う大村を睨みつける。


 ならばその統計データを集めて勝負してやろうか、とムキなって言い返そうと思ったが、本当にその通りのデータが出てきたら立ち直れないので口を噤んだ。ならばと、


「俺が了承する保証はどこにもないぞ? なんで俺を選んだよ?」


「お前には鈴子ちゃんがいるだろ。他の寂しい一人身の男共に頼むよりはよさそうかなって」


 大村はわざとらしい笑みを浮かべて言った。


「……なるほどな」


 鈴子のためにも、その言葉を否定してやってもよかったが、俺はつい納得してしまった。


 この男の、人を見る目は確かだ。コイツの言うところの『了承する男子』をこうもあっさり引き当てているのだから。無論『快く』というわけにはいかないし、俺も『寂しい一人身の男』だということには変わりない。


「……分かったよ。考えとく」


 だが答えはあっさりと出た。俺はこれを好機と捉えた。これまでは踏ん切りが付かず、ずるずると成り行きを見守っていることしかできなかったが、これを機に少しでも火野さんとの距離を縮められれば、と考えたわけだ。


 もしも要らぬ噂が漂うこととなっても、「友人の為だ、仕方がなかろう」という大義名分まで用意されている。これを逃す手はあるまい。


「流石、そう言ってくれると思ってたぜ、俊! 勿論、タダでなんて都合のいいことは言わん。成功した暁には何でも好きなもの奢ってやるからさ、よろしくな!」


 そう言って大村は満面の笑みを残し、嬉しさのあまりなのか、空腹のせいなのかは知らないが脱兎の如く教室から出ていった。帰りは同じ方向だというのに、俺を残して。

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