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中学四年生の放課後6

 我が中学校が誇る麗しのマドンナ、全男子生徒憧れの的、水原葵。彼女には親友、いや、それ以上と呼べる友情で結ばれた一人の女子生徒がいた。


 その女子生徒の名前は火野楓。水原葵の一番の親友、ということで有名なのだが、実はもう一つ有名な通り名がある。それは、


『告白破壊者(クラッシャー)


 という何とも分かりやすく的確で幼稚な通り名だ。


 文字通り、水原葵へと向けられた告白の数々をことごとく破壊していくのである。「断る」のではなく「破壊」というのがミソだ。


 火野楓によって水原葵に対する想いを粉々に打ち砕かれた男子生徒は、両手足の指の数を足して倍にしても数えきれない。


 更にその保護欲はエスカレートし、告白する気の有無に関係無く、水原葵に近づく男子を片っぱしから弾圧していくまでに発展した。その恐るべき姿は一部の男子達に、妬みと諦めとある種の敬意を込めてこう呼ばれた、


『イージスの盾』と。


 そんなこんなで『告白破壊者』やら『イージスの盾』やらいかにも中学生が考え付きそうな通り名を二つ(俺の知っている限りでは)持っている火野さん。


 そんな彼女の登場で何故、俺が昇天の最中で路頭に迷うはめになったのかは、彼女が何故ここに、何故俺の目の前に現れたのか、その理由が分からなかった為だ。


 大村の口振りから察するに、水原さんを心配して教室まで付いてきた、ということではなく、きっと彼女も二組なのだろう。女子の名前を全てチェックし丸暗記した大村のことだ、間違いは無いように思われる。


 俺は普段頭の片隅でくすぶっている脳細胞をフル回転させて思考した。何故俺が、何故この俺が彼女の名前を見落としていたのか、を。


 その答えはわざわざ脳細胞を総動員させるまでも無くあっさり閃いた。大村と同じクラスになったショックで、自分の出席番号までしか見ていなかったのだ。



「――おい、何呆けてるんだよ、まぁお前が見とれるのも頷けるけどな」


 大村の一言で現実世界に引き戻されるまで俺は、彼女の顔を見つめてしまっていたようだ。何とも恐れ多い。


「やはり俊ちゃんも葵のような娘が好みなのか?」


 現実に戻ってきたばかりでフワフワしている俺に、鈴子が興味ありげという様子で窺ってくる。が、その問いは大村によって遮られる。


「ん? 誰かと思ったらクズ子じゃねぇか、悪い悪い、水原が眩しすぎて他の女子が見えなかったよ。まぁお前が女の部類入るかどうかは疑問だがな」


 鈴子のスカートを一瞥し、わざとらしくそう言う大村は大袈裟におどけてみせた。


 また面倒くさいことになった。この二人は正しく水と油、犬と猿、龍と虎、平行線を永遠と辿り合う仲なのである。その因縁は古く、小学校の入学式の時からすでにソリが合わず、やり合っていたことを記憶している。


「クズじゃない、鈴だ。貴様は何度その間違いをすれば気が済むのだ」


「はいはいそうでしたね、鈴子ちゃん。似てるから間違えちゃった」


 出会う度に交わされるこの決まり文句のやり取りに、呆れながらもしっかりと訂正を入れる鈴子の根気の強さには敬意と憧れを抱く。


 鈴子と俺が仲の良い理由には、家が近所で幼馴染だということも当然あるが、大村の本性を知っている数少ない人物だということに起因する。


「それに貴様、他の女子が見えないなどと抜かしていた割には、楓のことはしっかり見えていたようだが?」


 鼻を鳴らし、一層睨みを効かす鈴子。いいぞ、もっと言ってやれ、と心の中で声援を送る。


「そんなこと、火野はあんたと同じだよ。女じゃなくて、まぁ、凶悪な生物兵器みたいなもんだからノーカンなんだよ。分かった? 鈴子ちゃん」


 周囲に聞こえないよう気を配りながらも、嫌みたっぷりに語尾を荒げる大村からは、そこはかとない小物臭が漂ってくる。大村の本性など、所詮この程度の器だというわけだ。


 だが、いくら噛ませ犬キャラ的発言だとは言え、今の台詞は聞き捨てならない。助太刀に入ろうかと口を開きかけるが、それよりも早く鈴子が反論を始める。


「大村よ、まず一つ。貴様に下の名前で呼ばれるほど親しくなった覚えは無い。次に、私の友人を人外呼ばわりするのは許さん」


 鈴子の口調は大村の台詞に化学反応を起こしたかのごとく、鋭利なものへと変わる。俺は開きかけの口を閉じ、鈴子の言葉に陰ながら頷き同調させてもらう。


「おー怖い、男子の中で土田さんを名前で呼んでいいのは、愛しの俊ちゃんだけですもんね~」


 今度は逆に周囲に聞こえるよう、あえて声量を上げる。その所業はまさに恋愛マンガにおける主人公の友人Aといったような小物ぶりが窺えるものだった。しかし、


「今現在、この状況下で俊ちゃんは関係ないだろう」


 残念ながら、鈴子はそんなことで怯むタマではない。むしろ俺としては「い、今は俊ちゃんと、な、何も関係ないでしょ!」と頬を赤らめて慌てふためく鈴子を見たくないわけではないが、そんな鈴子はまるで想像できないし、実際やられても腹筋が捻じ切れるだけなので今は勘弁してもらいたい。


 中学時代より続くこの空虚な言い争いを止めるのは、決まって俺の役目となっている。だが今日は二人共、久しぶりの再会に鬱憤を爆発させているのだろうか、いつもより白熱した論議を展開させている。流石に両者共熱くなり過ぎだと感じた俺は、


「それにしても大村、お前、よくすぐに鈴子だって分かったな」


 我ながら上手く話を逸らせたのではないか、と自画自賛する絶妙なフォローを入れてやった。しかしながら、結果としてこの一言は、燃え盛る火事の中に放水車で油をぶちまけることとなってしまう。


「あぁそれな、実は春休みの間にこんな出来事があってさ、ある日のこと、町でフラフラしてたら、どこかで見たことある委員長がいてさ」


 大村は話ながらちらりと鈴子の顔を見る。それに習い、俺も鈴子に目を向けると、ハッとしたように目を見開いていた。更に大村は続ける。


「声でも掛けてみようかとこっそり後付けてたら、メガネ屋と美容院の前で見失っちまって、気が付いたらそこには『土田静子』そっくりの女の子が立っていたってわけ」


 話終わると、鈴子の顔はみるみる赤くなり、唇を噛み締め大村を睨みつけた。


「き、貴様ぁ! あの時感じていた妙な視線は貴様だったのか! やはり貴様という人間は心底嫌なヤツだな、昔からそこだけは何も変わっていない!」


 大村に掴みかからんとする勢いの鈴子を、


「抑えろ鈴子! 暴力は無しだ」と、身を呈してなんとかしてなだめる。


 またしても多くの生徒達から視線を集めるが、中学から一緒だった奴らから見れば、これも日常茶飯事の光景になっているため、生温い視線が注がれる。水原さん火野さんの両名も、「またやってるよ」と苦笑気味の表情を浮かべてこちらを眺めている。


 このような場合、大抵悪役にされるのは鈴子の方だ。大村には男子女子関係無く支持者が多いので仕方がないことなのだが、鈴子の不憫さには同情する。


「その台詞、そっくりそのままお返しするぜ委員長! あの瓶底色眼鏡が外れて本当の俺の良さってのが見えるようになったかと少しばかり期待したが、そのコンタクトも大して良く見えて無いようだな!」


 俺が鈴子を押さえてつけているのをいいことに、少し後ろに距離を取った大村が調子を乗り回して挑発を始めた。すると鈴子は意外にも落ち着いて、


「それは間違いだよ大村。このコンタクト、前の眼鏡よりだいぶ良く見えているよ。こんなにも人間の底意地の悪さが見通せるコンタクトは、この世には無いのではないかと思わせるくらいにね!」


 冷ややかな笑みを浮かべ冷静に且つ鋭く言い放った。


「何だと!?」


 今度は大村が激昂する。こんなにもこの二人の争いが激しくなるのは久しぶりだ。それをなだめるのが俺の仕事なのだが、こうなっては止められる気がしない。職務放棄である。そもそもこんな仕事を引き受けたところで給料が入ってくるわけでもなし、客から感謝されるわけでもなし、廃業したって誰も文句はあるまい。文句があるならそいつがやればいい。引き継ぎくらいはしてやる。


「……はぁ、仲がよろしいことで」


 喧嘩するほど仲が良いと昔の人は言いました。思う存分罵りあえばいいさ。罵倒し合って、不満を吐き出し合ったその先に、何が残るのかは俺が見届けてやる。諦観を決め込もうとした時、


「俊ちゃん、本当にそう見えているのなら、君にもこのコンタクトを購入した店を紹介してあげようか?」


「俊、その冗談はタチが悪すぎるぜ、いくら温情溢れる俺でも聞き流せねぇな」


 二人の怒りの矛先が俺へ向いたことによって、この口論は一気に鎮静化へ向かった。


「貴様が温情? 寝言は寝て言え」


「ケッ、アホらし」


 大村が鈴子を軽くあしらって、この不毛な争いは終結した。全く人騒がせな連中である。


「そんなことよりも俊、見てみろよ、高校デビューってヤツか? うっすら化粧してんのな!」


 大村は俺に標的を変えたのか、激論のハイテンションそのままながらも声を殺し、肩を組んで話かけてくる。興味の対象を変える素早さとその洞察力には恐れ入る。


 火野さんと水原さんは前の黒板に張られた座席表を確認し、二人で喜び合っている最中だった。どうやらご近所同士になれたらしい。微笑ましい光景である。


「おい大村、俊ちゃんを外道へと誘うような真似はよせ。俊ちゃんも、乗せられるなよ」


 鈴子の声は貴重な助言として無視できないが、つい目を凝らしてしまう俺がいる。しかし、


「どう見ても中学ん時と変んないと思うがなぁ……」


 中学時代からよくチラチラと見ていた俺が言うんだ、間違いない。


「はぁ? お前見る目無いなぁ、一体どこに目を付けてんだ?」


 どこと言われても俺は最初から彼女しか見ていな……俺は急いで視点を水原さんへと移した。


「あ~あぁ、確かにうっすらとな」


 急いで同調する。確かに、水原さんの桃色の唇には薄くリップが塗られているようだった。


「だろ? いや~高校生って、本当に良いものですねぇ」


 映画評論家のような口調の大村に、一言申してやろうかと思ったが、彼女の制服姿を見せられてしまったら俺もその意見には全会一致で賛成せざるを得なかった。


 当然のことながら、制服姿は中学でも散々見てきた。無論直視してきたわけではないが。しかしこの高校、中学までのセーラー服とは違い、ブレザー着用の為また違った制服姿を楽しめる。中学高校を六年というスパンで一括すると、前半三年間はセーラー、後半三年間はブレザーと非常に効率が良い。


 だが、真に注目すべき点はそこではない。我が中学では校則によって、女子のスカート丈の短さは膝までと決められていた。しかし今の彼女はどうだろう。そう、ミニスカ(鈴子の言うところの娼婦の格好)と言っていいほど短い。そしてそのスカートからスラリと伸びた筋肉質の細長い足を見ていると、こう、何か新しい境地を開けそうな感覚に陥る。


「――おい、おい聞いてんのか、俊!」


「え?」


 失策。悟りを開きかけ、森羅万象の世界へと迷い込むところだった。気が付くと、卑猥なオーラを放つ野郎二人に呆れ果てたのだろう、鈴子はいつの間にか指定された自分の席へと戻っていた。


「え? じゃねえよ全く。見とれるのは分かるけどさ、とりあえずあの『盾』をどうにかしないと俺らは声すらかけられないぜ。ほら見てみろ、もう隣の奴に『破眼(はがん)』を行使してやがる」


 そう言って大村は顔を引きつらせながら冷や汗を流した。



 さて、ここで彼女が『イージスの盾』と呼ばれている理由について説明せねばなるまい。


 皆さんは、メデューサという怪物をご存知だろうか? 頭には無数の毒蛇の髪の毛、肌は青銅の鱗で覆われ、見たものを全て石へと変えてしまう眼を持っている神話上の怪物である。


 彼女は半神の英雄ペルセウスによって退治され、その首を切り落とされてしまったという話は割と有名で、耳にしたことのある方も多いのではないかと思う。


 では、その切り取られた首はどうしたのか? どうしたもこうしたも、ペルセウスから女神アテナに献上され、アテナはその首を自らの盾にはめ込みより強力な盾を造ったというではないか。


 何を隠そう、この盾こそ『イージスの盾』というわけだ。ご理解頂けただろうか。


 名付け親は大村である。水原さんを女神アテナと見立ててそう命名したらしい。


 『破眼』というのも『告白破壊者』からもじって大村が付けたものだ。先述の通り、彼女は水原さんに近づく男子達の心を次々に石化させ、その上粉々に破壊して追い返すという快挙を成し遂げている。それに相応しい称号をつけたのだろうと俺は予想する。


 大村本人は自らのネーミングセンスの良さに惚れボレといった様子だったが、ただ一つ言いたい事は、女神アテナは戦いの女神であって、水原さんには美の女神アフロディーテ、つまりビーナスの方がしっくりきたのではなかろうかという疑問である。そして戦いの女神という称号は、『イージスの盾』などという不格好なあだ名よりも、友人の為に孤軍奮闘する火野さんにこそ相応しいと思っているのはきっと俺だけだろう。俺だけで十分なのだ。


 因みに、俺も大村もまだ、『破眼』の餌食になったことは無い。俺は水原さんにわざわざ近付く理由は無いし、大村もそこいらの阿呆共とは一味違うといったところか。



 視点を水原さんの席に戻そう。彼女の席は教室の前方の扉に一番近い所にあり、つまり廊下側の列の一番前、入ってすぐの席である。うむ、これは休み時間に人だかりができそうだ。


 そしてクラスの座席表通りだと、隣の席が男子になっている。出席番号二十九番の林という男だ。彼は気が気ではないようで、常にそわそわ挙動不審だった。可哀想なことだが、水原さんの隣ということだけでクラス中の男子(俺を除く)の殺気を常に背中に感じていなくてはならない。


 これはこの世界の理というものなので、防ぎようがない。同中(おなちゅう)の林ならばもうそれなりに理解し、ある程度覚悟をしていることだろう。


 更にそれだけでは留まらず、水原さんの『盾』である火野さんの『破眼』に睥睨されるのだ。むしろそれはほんの少しだけ羨ましかったりするのは、俺の胸の内にしまっておこう。


 火野さんはいったん水原さんに背を向けると、林の肩に手を回し、独特の眼力を持ってして耳元で囁く。本来同情すべき立場にある林が、自らの手で葬り去りたいほど憎く見えるのは気のせいではない。


 幸か不幸か、林の席と俺の席はそんなに離れていない。場所的には成瀬さんの右斜め前の席だ。将棋で例えるなら、俺の席からはちょうど桂馬の動ける位置と言える。おかげで、その秘密の会話がかろうじて聞こえてきた。隣に立つ大村も口を閉じ、耳を澄ませている。


「林ぃ、あんたは同じ中学だったから、分かってるわよね?」


 無言のまま肩を竦めて頷く林。なるほど、冷静に彼女を見てみると、羨ましいと思ったのは気のせいだったのかもしれない。


 水原さんの後ろの席も男子だった。出席番号三十六番、南君だ。彼は他中学からの進学だが、この光景を見た以上、水原さんに声をかけるなどの愚行にでることはないだろう。恐るべし『破眼』。一度の行使で一気に二人を石へと変えてしまった。


「まぁ、あんたは葵に告白歴が無いから口頭のみの警告で済ましてあげるわ。でも、少しでも変な気起こしてみなさい。幸運なことに私の席、あんたの後ろだから」


 林の額からは大粒の冷や汗が流れ、その眼は水を得た魚のごとく泳ぎまくっている。そんな林と目が合い、何かを訴えかけるようにこちらを見つめてくる。


 俺は「そんな目で見るな、俺の不幸のせいにするんじゃないぞ」という意思を込め、睨み返してやった。だが、間もなく俺の目線は野郎と見つめ合っているほど暇では無くなった。一睨み終えた火野さんが自分の席へと戻ったのだ。


 二組の座席表を思い浮かべて欲しい。彼女の席は林の後ろ、つまり成瀬さんの隣、ということは俺の席の右斜め前。つまりこれが何を意味するかというと、俺は首をほんの少しばかり右に向けるだけで合法的に彼女の後ろ姿をいつでも見ることができるということを意味しているわけである。


 真新しいブレザーに身を包んだその背中、無造作に肩口まで伸びた髪の合間から時折見える綺麗な首元、たまに見せる無表情ながらも凛々しい横顔。あぁ、僥倖。


「はは、やっぱすげぇ迫力だな、ん? なんだその右手」


「へ? あ、いや、なんでもない」


 無意識の内に挙げかけていた右手を急いで膝の上へと戻す。危なかった、剣道の試合だったら反則を取られているところだ。


 しかし、まさか全く期待していなかった高校生活の、しかも初日にガッツポーズまで飛び出すことになるとは、まさか本当にウンが付いたのかもしれない。だとしたら、俺は人生で初めて犬の排泄物に感謝しなくてはいけなくなる。

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