中学四年生の放課後3
「ま、その様子じゃクラス発表も期待できないな」
大村は話を蒸し返し、ムフフとキモい笑い声をあげると、俺の肩をポンポンと二つ叩きながら続ける。
「お前も二組になれたらいいな! ま、新年度早々詐欺にあってるようじゃ無理だろうけどな! おっと、人生勉強だっけか?」
さっきの話と合わせて考えるに、きっと二組がよほど良いクラスであることは間違いないのだろう。その理由として考えられるのは……こちらは考えるまでも無い。
「クラス発表なんて、そんな大騒ぎするほどのイベントじゃないだろ。ほとんどうちの中学出身の奴らなんだし。興味ないよ」
どうせ俺はどのクラスになっても、後ろ指を指されることが規定事項となっているのだし、さっき大村が言っていたようにカスみたいなクラスになっていても何ら不思議は無い。興味を持てという方が難しいのである。
「バーカ、問題はそこじゃねえだろ、目的はただ一つ……な?」
大村の口元が三日月のように歪む。
この無駄な溜め、どうやら俺にその目的とやらを口に出させたいらしい。また一つ思い出した、こいつはジコチューでナルシストな上に面倒くさい奴だった。
「水原さんと同じクラスになること、だろ?」
俺の口からは言葉と同時に溜息が漏れ出す。こんなこと、わざわざ口に出して言うようなことではない。なぜなら男子生徒の八割、いや九割がそれを期待し今日この場へやってきているのだから。昨夜の彼らは、俺とはまた違った理由で眠れなかったことだろう。
「ザッツライト、その通り! うちの中学のマドンナ、水原葵。彼女と同じクラスになれなかったら、わざわざこんなド田舎で偏差値も大したことない学校に来た意味無いっての」
肩に乗ったままになっていた手を背中まで運び、バシバシと叩きまくる大村。これは故意に暴力を振るっているのではないかと思うほどの鈍痛が背中に走る。長年に渡る名誉棄損に加え、暴行罪の成立である。
コイツは俺がどれだけ必死に勉強したかを知らない。もし知っていて言っているのであれば、その整った顔に背中の痛みも上乗せした恨みの一撃を入れているところだろう。
「ほら見てみろ、あそこらへんで騒いでる男子、全員二組だ」
大村が指差した方向には確かに、歓喜に渦巻いている男子生徒集団があった。その隣には陰鬱な空気が立ち込め、静まり返っている集団がある。その差は歴然で、雲泥というか、宇宙空間とマントルくらいの温度差がある。
「何で分かるんだよ? それも全員って」
怪訝な目を大村に向ける。至極当然な疑問だ。全員分覚えでもしたのだろうか?
「そんなことも分からんのか。お前は本当に馬鹿だなぁ。皆、二組の張り紙がしてある掲示板の前で喜んでるだろ。それにクラス発表で大騒ぎする理由なんて一つしかないだろ?」
なるほどそういうことか。俺はまだ何も見に行ってないし、クラス発表にも興味は無いから何も知らなくても仕方がない。馬鹿呼ばわりされる筋合いも無い。
「見知った顔もいるが知らない顔もいるな。さて、これが何を意味しているか分かるか、俊?」
大村は歓喜している連中を一見すると、九九の七の段をスラスラ言えない小学二年生を見下す意地悪教師のような目で俺の顔を覗き込んできた。名誉のために言っておくが、これは別に俺のトラウマではない。
「さぁ?」
分からない、というよりどうでもよかった。七の段が言えないからって死ぬわけじゃない。せいぜい放課後に居残りさせられる程度だ。念の為にもう一度言っておくが、放課後に残されるくらいじゃトラウマにはならない。
「つまり、他の中学の奴らも水原の存在を知っているってことだよ。まぁ自慢じゃないけどここは田舎だし、中学校自体少ないからその辺の情報は出回りやすいのかもな。はぁ~、ライバルが多そうで嫌になる」
フェンスの外に延々と広がる田園風景を一望し、溜息をついて肩を落とす大村。
流石にこの色魔男も、学校のマドンナ相手ともなると余裕が無くなるようだ。なんだか壮快な気分になった。桜の花よりも人の不幸面を見て気分が晴れるとは、やはり他人の不幸は蜜の味とはあながち嘘ではないようだ。その他人というが大村だということも一枚噛んでいるのは紛れもない事実なのだが。
「ま、どうせ俺がオトすんだけどな、ハハッ、愉快愉快」
前言撤回、俺は一瞬にして不愉快になった。
「ほら、段々と人が少なくなってきてるし、お前も自分のクラス見て来いよ」
掲示板に目をやると、確かに先ほどよりは人数が減ってきている。『大切なものランキング』から用済みとなった『クラス発表の結果』の項目を一気にランク外にまで弾き飛ばした生徒達が、次々と指定された自分の教室へと向かっているのだろう。
今度はきっと、『新しい友達を作る』とか、『部活はどこに入るか』など、そんなことでもランクインさせているに違いない。これらもまた、俺にとってはどうでもいい事柄である。
しかし、このままこうして高校生活への憂いを嘆いていても、大村のようなハイエナが寄ってくるだけだ。とにもかくにもスタートラインに立たなければ「位置について」の合図も掛からないというものだ。
「あぁ、行ってくるよ」
これから始まる高校生活、それがどのように転がるかはまだ分からない。が、俺は腹を決め、颯爽と立ち上がり、深呼吸をしてから掲示板へと歩みを進める。
春風が吹き、木々がざわめく。見事なまでの桜吹雪が舞う。新入生の門出にこれほどまでに相応しい状況は無いだろう。ここだけを切りとって飾れば、きっとそこそこの絵になること間違いない。
「よーい、ドン」のピストルが今、放たれた。
しかしその中で、明らかに場違いな大村の馬鹿笑いがこだまし、俺の脳内で反響していたスターターピストルの余韻をかき消した。
「おい俊! お前ケツで犬の糞潰してるぞ! クラス発表前にウンを付けとこってか?」
掲示板周りの生徒達がこちらに気付き、クスクス笑っている。耳から顔、首までもが熱を持ち、これほどまでに自分の顔色を、鏡を使わずに当てるのが簡単な状況は無いだろう。
「新年度一発目の、ギャグにしては、体張りすぎだろ!」
笑いすぎて声が絶え絶えになる大村を見て、そのまま呼吸が途絶えてしまえばいいのにと不謹慎なことを考えずにはいられない。
これが自分で仕込んだネタだったのならば、どんなに気が楽だっただろうか。脳までも真っ赤に茹であがっている今の俺には想像できなかった。
「てか、普通座る時に気付くだろ?」
腹を押さえ、流した涙を拭いながらそう問う大村への怒りを抑えながら、
「土と巧いこと同化してて分かんなかったんだよ」
何か拭き取れる物が無いかとズボンのポケットを探った。が、卸したばかりだったことを思い出し、諦めた。唯一の救いは糞が比較的乾燥していて、それほどズボンにダメージが残らなかったことである。それでも、直接触れるのは憚れる。
「いや、そうじゃなくてさ、周りは色々と植えられてるのに、一箇所だけ何も植えられていない花壇なんて変だろ? つまり何か植えられない事情があるってこと。例えば授業の実験で使うとか、野良犬が荒らすから植えても意味無い、とかさ」
そう言って大村が指差した先には、『野良犬に注意!』と書かれた看板が張られている。名探偵大村はそこまで説明し終えると、涙目の俺にポケットティッシュを差し出した。
「クラス発表見る前にそのウンを取らんとな、でも自分の運まで拭き取るんじゃないぞ?」
不覚、大村がかっこよく見えてしまった。女たらしのイケメンでいけ好かない野郎のくせに、男子からの人気も高い秘密はこういうところに隠されているのであろうと再認識させられた。
普段は嫌みなヤツなのだが、たまに優しい一面を見せる、まさに映画版ジャイ○ンの法則だ。
俺はそんな年に一度しかない劇場版だけの性格には騙されまいと警戒しながら、ティッシュを有難く受け取った。