エピローグ
週が明けての月曜日、この日は朝からある話題で持ち切りだった。
それは俺と鈴子の怪しい噂でも、金曜日の放課後に男子生徒二人が美少女を取り合って大喧嘩したことでも、土曜日の午後五時頃に旧校舎の屋上から聞こえたであろう、何者かが行った大絶叫の告白のことでもなかった。
『水原葵が失恋した』
というこの前代未聞の大ニュースが、学校中を駆け巡っていた。
発端となったのは、やたらと機嫌の良い水原さんに出席番号四番の女子、伊藤がなんとなく聞いた、
「葵ちゃん、どうしたの? なにか良い事あった?」という何気ない質問だった。
この問いに対し水原さんが発した、
「良いことじゃないんだけどね、実は私、失恋しちゃった」
この一言が、全ての引き金だった。クラス中に激震が走ったのは言うまでも無い。何故ならクラス内の男子は全員、水原さんの会話に聞き耳を立てているのだから。その質問した女子生徒も、驚きのあまり聞き返してしまった。
「え? 葵ちゃんが、フラれたってこと?」
「うん。綺麗さっぱり玉砕しちゃった」
教室内が一気に騒がしくなる。ヒソヒソザワザワと小声で会話を始める者、平静を装いながらも手をブルブルと振るわせ、水原さんの会話を聞き洩らさんとしている者。驚愕のあまり水原さんを直視し、口をあんぐりと開けて成り行きを見守っている者等々。
そんな中で冷や汗を全身から吹き出し、小さくなって震えている難儀な男が一人。そう、何を隠そう俺である。
「でも私、まだ諦めたわけじゃないから」
そう言って水原さんは、俺の顔を見て笑顔になる。俺の冷や汗は脂汗に変わり、目の焦点が定まらず、心臓が嫌な鼓動を打つ。
もしこの事実が学校中に知れ渡ったら……やめよう、この想像は精神衛生上よろしくない。
「うっそー! 誰誰!? 誰にフラれたの!?」
全く女子というものは、なぜこうもゴシップに首を突っ込みたがるのだろうか。俺を殺す気なのだろうか、俺を殺したいのだろうか、殺人未遂で訴訟も辞さない。
「えっ、は、恥ずかしいよ……」
そう言った水原さんと目が合ってしまう。お互いに顔が赤くなる。しかしこの様子であれば、水原さんの口からこの機密事項がバレることは無さそうだ。
安堵する俺の耳に、
「俺、水原の好きな奴、知ってるぜ」
想像を絶する台詞が飛び込んできた。それは二つ後ろの席のド阿呆が発したものだった。やたらと大声を出すので当然、教室内にいた全員が発信源である大村に視線を集める。
「お、大村君? ど、どうして……」
水原さんの困った表情は、相変わらず可愛い。
「んー、別にこれ知ってんの俺だけじゃないし」
大村は邪悪な笑みを零しなら、
「そうだよな、委員長!」
俺の二つ前の席の鈴子を指名した。それに従ってクラス全員の視線が鈴子へ移る。
その鈴子は読んでいた文庫本はパタリと閉じて、
「まぁ、そうだな。しかしだな大村、せっかく張本人がこのクラスにいるわけだし、その本人の口から聞かしてもらうのが一番ではないか?」
わざとらしく言うのであった。
「それもそうだな」
いつもは犬猿の仲だというのに、やけに息が合う二人は声を揃えて、
「俊!」「俊ちゃん!」
俺の略名を呼ぶのであった。
『な、何ィ~?』
クラスが一体となった叫び声だ。
「葵ちゃん、本当なの?」
伊藤が問いただす。余計な事を。水原さんは顔を真っ赤にして俺をちらりと見てから、コクっと可愛らしく頷いた。
こうなると教室内はパニック状態だ。ある者はいち早くこの衝撃の事実を別のクラスの友人に告げようと教室を飛び出し、ある者は携帯電話を取り出して「あの水原葵がフラれたらしい! え? 誰にって? 聞いて驚くなよ、あの根本にだよ!」と情報戦を繰り広げ、ある者は衝撃のあまり落涙したまま放心状態となり、ある者は感情を抑えきれず半狂乱になっている等々、多種多様の反応が見られて面白かった。
そんな喧騒をするすると掻い潜り、俺の前に現れた鈴子が顔を近づけて言うのであった。
「俊ちゃん、私は君と葵が付き合うと思ったから身を引いたのだよ」
「お前、自分のしたことが分かってんのか? こんな騒動起こしてやがって」
「ここで言っておかないと、と思ってね。君が葵と付き合わないのなら、私もまだ諦めないよ」
「今そんなこと言ってる場合じゃ――」
鈴子は更に顔を近付ける。あの放課後の出来事が嫌でも思い起こされる。
「何なら、今ここで返そうか?」
「返すって、何をだよ」
「みなまで言わせるな。て・ぎ・れ・き・ん、に決まっているだろう?」
そう言って鈴子は、唇を指でなぞって見せた。一瞬、息が詰まった。
ここで俺と鈴子の密着に痺れを切らした美少女が一人。
「す、スズちゃん! ず、ずるいよ! 抜け駆けは無しだよ!」
鈴子はキーキーと可愛い水原さんにジロリと視線を移すと、
「葵、ここからは勝負だからね。そんな甘っちょろいことは言いっこなしだよ。言っておくけど、俊ちゃんに対する想いでは絶対に負けないよ」
口元を吊り上げて、嫌みっぽく言い放った。そんな売り言葉に水原さんは、
「わ、私だって負けないもん! 私だって、根本君のこと、好きだもん!」
大声で宣言してしまった。
言うまでも無く、俺には妬みというか嫉妬というか、殺意の籠った視線が向けられる。全く、これから先が思いやられる。
「あんたも大変ね。葵と付き合っちゃいなさいよ、あいつらに一泡吹かせられるわよ」
自分の席で頬杖をついたまま他人事のように笑う火野さんを見て、俺の意志は固くなる。この先どんなことがあっても、火野さんを好きであり続けてやる、と。
「俺は、好きな人がそばにいてくれるだけで十分だから」
周りの人に聞かれないほどの小声で囁く。
「その強がりが、いつまで続くかしらね」
火野さんは綺麗な白い歯を見せて笑うのだった。
そして願わくは、彼女のこの笑顔がいつまでも絶えぬことを。
『好きな人が死にました……と思ったが、そんなことは無かったぜ!?』終了です
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