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激動の一週間と共に去りぬ4

 その日の晩、俺は夢を見た。


 火野さんのテレビ観賞に付き合って、寝床に入ったのは日が昇る直前だった。まさか、あんな夜遅くから洋画を放送しているとは知らなかった。


 映画の内容がSFだったためか、この夢までもSFのような内容だった。


「――一、俊一」


 誰かに呼ばれた気がして目を開ける。起き上がろうとも思ったが、ベッドに身体が張り付いているのか、動かない。


「俊一、あんたには、感謝してる」


 俺の眼前には、火野さんがぷかぷかと浮いてこちらを見下ろしている。周りを見渡し、ここが俺の部屋ではないことに気付く。ベッドもテレビも何も無い、ただまっ白な空間で対峙している。


「感謝しきれないわね、ほんと。俊一がいてくれなかったら、私きっと悪霊とかになっちゃってたかもしれないし」


 滔々と語り始める火野さんに「そんなことないよ」と声をかけようと口を動かすが、声が出ない。


「でも不思議よね。男子のことをあんなに毛嫌いしていた私が、俊一になら葵を任せてもいいって思っちゃったんだもん。なんでかしらね」


 発声という概念を失ってしまったかのように、いくら空気を吸って腹から声を出そうとしても、ただ無為に息を吐き出すだけだ。


「分からないわよね、そんなの。でも多分だけど、運命の赤い糸とかそういうもので最初から決まってたんだと思うなぁ、俊一と葵が結ばれるってこと。私、幽霊とかは全く信じてないけど、そういう夢のあるものって結構信じてんのよ」


 声が出ないのならば、せめて少しでも近付きたい。手を伸ばそうとするも、やはり動かない。


「で、あたしはその手助けをちょっとばかりしただけ。結構口うるさく言っちゃってあんたには迷惑なだけだったかもしれないけどね」


 火野さんはクスリと小さく、水原さんのように笑う。


 迷惑なだけだった? そんな馬鹿な事があるか、俺はこの一週間、夢のようなひと時を味わえた。夢なら覚めるなと何度祈ったことか。至極の時間だった。


「あ、そうだ。最後にあんたにアドバイス。俊一、あんまり不幸の事気にし過ぎないほうがいいわよ。そりゃ誰だって日に一度はアンラッキーだって思うことあるわよ」


 だけどね、と優しげな笑みを浮かべたまま火野さんは続ける。


「不幸な目にあったら、それと同じ数だけ幸せな事も起こる。その証拠に、あんたは葵と付き合える。だから俊一、負けちゃダメ。怪しい通販になんてもう手を出しちゃダメなんだからね」


 言い終わって、一つ小さく溜め息をつく。その一挙手一投足が愛おしい。


「……さてと、葵はあんたに任せる。愚妹の本心も聞けた。スズとカラオケにも行けた。テレビも十二分に見れた。皆が悲しんでくれてるって分かった。男同士の熱い友情劇も見れた。うん、もう、思い残すことなんて無いわよ」


 言いながら指折り数え、笑顔になった火野さんの頬を、一筋の光がなぞる。


「――ッ! こ、これは違うわよ! 悲しいとかそういうのじゃなくて、そう、あれよ、嬉し涙よ! 結婚式で新婦の父親が流すあれと一緒よ! 別に寂しいわけじゃないんだからね!」


 そう言ってぐしぐしと目を擦る彼女を見て、俺が平気でいられるわけがない。


「ちょっと、なんであんたも泣きそうな顔になってんのよ。うるさい疫病神がいなくなったと思って、葵と一緒に甘酸っぱい青春を謳歌しなさい」


 火野さんが、遠くなる。遠く離れていってしまう。俺の身体は、まるで水中の鉛のように沈んでいく。対して、彼女は天に昇っていくように、離れていく。まるで俺から逃れるように、火野さんが遠くなる。


 待って、待ってくれ、せめて最後に、最期にこれだけは本人に言わせてくれ。


「それじゃあ、俊一。さようなら。本当に、ありがとうございました」


 俺の、俺が本当に好きな人は――。



「俊、ちょっと俊、いつまで寝てんの? もう日が傾いてきてるんですけど」


 母親に叩き起こされ、目が覚める。叩き起こすと言っても、叩いて起こされたりはしない。


「勝手に入ってくるなって言ってるだろ」


「休みだからってあんまり寝過ぎるなって言ってるでしょ」


 あぁ言えばこう言う母親である。面倒臭い。そんなにぶつぶつと文句を垂れながら出ていくのであれば、最初から起こしにこなければいいものを。


 寝ぼけ眼を擦りながら時間を確認する。すでに時刻は午後三時半を回っていた。昨日、いや、今朝方まで映画を見ていたので致し方ない。確か今日は重大な約束があった気がするが……。


 ――ここでハッと気が付く。ベッドから飛び上がり、室内を確認する。そこに、火野さんの姿は無い。当然といえば当然だ。火野楓という女の子は、すでにこの世を去ってしまっている。


 夢、か。今までの全てが夢だったのか。それならば、まだ眠っていてもいいはずだ。ベッドに倒れ込みながら、枕元に置かれた携帯を開き、何気なくメールの受信ボックスを開く。


「これ……夢じゃない!」


 思わず、叫んだ。


 受信メールの一番上に、紛うこと無き水原さんからのメールが表示されている。内容は言わずもがな、今日の午後五時に教室で待っている、という告白に限りなく近いものである。


 ベッドから飛び降り、着替え始める。夢だったとしても、そうでなかったとしても、きっとこれは火野さんが残した最期の願い。希望なのだ。だから俺は応えなくてはならない。


 途中、自分の目からなにやら汁のようなものが垂れているのに気が付いた。が、寝巻代わりのトレーナーを脱ぎ捨てるついでに拭ってしまった。



 着替えを終え、腹の虫をなだめるため適当に食べ物を胃に詰め込み、学校へと向かうためチャリにまたがった時点で、時刻は午後四時半。寝癖を直すのに時間を掛け過ぎたか。


 学校へはいくらのんびり行っても十分程度で着く。今から出発すれば時間的にはかなり余裕があるはずだ。


 ペダルを漕ぐ足に力を込め、発進させる。錆びついたオンボロママチャリは相変わらず重い。でも、昨日よりは軽かった。軽くなってしまった気がする。何か、大事なものを降ろしてしまったような、そんな感覚。また、目から汁が一滴こぼれ出た。



 教室の前へ辿り着いたのが午後四時四十五分。きっと水原さんはもう中にいるだろう。


 確証があるわけではないが、自転車で校門をくぐったとき、顔見知りのバスケ部員が「テストも始まって無いのにもう補習か? 相変わらず不幸だなお前」と、意味不明な言葉で罵ってきたので、反論ついでに「卓球部はもう終わったか」と問うと彼は、「知らんけど、四時には終わってたと思うぞ」と答えたので間違いないだろう。


 一つ咳払いをして、襟を正す。今日は土曜日だが、学校には決まって、制服で来なくてはならない。なので今俺はブレザー姿だ。きっと中の水原さんもそうだろう。


 深呼吸して、扉に手を掛けた瞬間――、


「頑張って、俊一。あんたに任せたんだからね」


 後ろから火野さんの声が聞こえたような気がして、振り返る。無論、そこには誰もいない。


「ありがとう」と俺は呟いて、もう一度、扉に手を掛ける。


 この扉を開け、中にいる美少女と対峙し、おそらく言われるであろう甘酸っぱい台詞を聞いて、俺と水原さんは晴れて結ばれる。


ハッピーエンド。めでたしめでたし。





 さて、誰がこんな終わり方で納得するというのか? 果たして、誰がこんなくだらない脚本を考えたのだろうか? 一体、誰がこんな三流ラブストーリーを見たいと思うのだろうか? これで、誰が満足するのか? ふざけるな。


 何が、火野楓の代わりになるだ。何が、ハッピーエンドだ。何が、めでたしめでたしだ。そんなものは馬に蹴られて死んでしまえ。


 俺の尊敬するある人物はこう言った。『成就した恋ほど語るに値しないものはない』と。全く持って同感だ。


 だから火野さん、ごめん。先に謝っておく。





 ガラリと扉を開けると、火野さんの席に座って待っていた美少女がこちらに顔を向ける。嬉しさと困惑がない交ぜになったような顔をしている。


 俺は無言のまま速足で水原さんの前まで歩みを進める。それに同調するように、水原さんも立ち上がる。俺と水原さんは対峙し、見つめ合う。くそ、相変わらず可愛い。


「今日は土曜日なのに来てくれてありがとう。本当は休みが明けてからでもよかったんだけど」


「いや、いいよ。どうせ暇だったし。でも、急だよね」


「うん。昨日スズちゃんがお見舞いに来てくれてね、激励されちゃった。私の番は終わったから次は君の番だって」


 それから、と水原さんは目を泳がせ、


「『俊ちゃんは任せたぞ』って」


 水原さんが「俊ちゃん」のところで少し頬を赤らめたのを見て、俺は入学式の日の自分を思い出した。好きな人の名前を口にするのは気恥ずかしいものだ。


「鈴子、か」


 鈴子よ、全く持ってお前はどれだけ暗躍すれば気が済むのか。


「だから、私、根本君に聞いてもらわないといけないの。聞いて、くれますか」


「うん。それは、俺が聞かないといけないことだから」


 水原さんは大きく深呼吸してから。


「ヒカちゃんがいなくなっちゃってから、私ね、自分もいなくなっちゃえばいいのにって、ずっと思ってた」


 寂しそうに語る水原さんの瞳を俺は黙って見据える。今日は戸締りがしっかりされており、途中余計な邪魔が入る余地はなさそうだ。


「私も消えちゃえば、消えて、ヒカちゃんと同じ所に行けたなら、どんなに良いか、そんなことばっかり考えてた」


 でもね、と力強い眼で俺を見据え、


「あの事故現場で、根本君と話をしてから変わったの。根本君と話をしていると、嫌なことを考える時間が減って、楽しいって思えて、もっと話したいって思って」


 ここで水原さんは笑顔を作り、


「だって根本君と話してると、本当にヒカちゃんと話してるみたいだったんだもん」


 無邪気に言ったこの一言は、俺の胸の奥底にグサリと突き立った。


「でもなんだか今度は、根本君に依存しているんじゃないかって自分で思えてきちゃって」


「水原さん……」


「根本君が他の女の子と、スズちゃんとお話してるとこ見るとすごく嫌な気持ちになって、スズちゃんと仲良くしてほしく無いって思ってる自分がすごく嫌になって、そんなこと考えてたら具合まで悪くなってきちゃうし」


 水原さんは恥ずかしさを隠すように「あはは、変だよね」と声を出して笑った。


「そんな時スズちゃんが言ってくれたの。『それは依存なんかじゃない、キミが俊ちゃんを好きな何よりの証拠だ』って。私、気付かされちゃった」


 俺は俯き、思わず口角が上がってしまった自分の口元を隠した。ほんと、つくづくいい女だよ、鈴子は。


「根本君、私がヒカちゃんの影だって話した時のこと、覚えてる?」


 顔を上げ、口を真一文字に結んで頷く。


「あの時、根本君がそんなことないって言ってくれて、私すごく嬉しかった」


 水原さんは微笑んでから、でもね、と続ける。


「やっぱり私はヒカちゃんの影だったんだよ。ヒカちゃんの眩しい後ろ姿を見てるだけで満足してた」


「そんなこと――」


 俺の反論を水原さんは遮る。


「だから、だからね、今度は、今度こそは影なんかじゃなくて、後ろなんかじゃなくて、好きな人の隣に立ちたいんです」


 一度大きく呼吸して。


「好きです。私と、一緒にいてください。ずっと、あなたの隣にいさせてください」


 これが、水原葵の告白の言葉だった。


 それを俺は、まるで映画のワンシーンみたいで感動的だな、と他人事のように静聴していた。だけど、彼女の言葉はフィクションで作られた台詞なんかではなく、彼女の本心をそのまま言葉にした、本気の告白だ。ならば、俺も本気で、本心を伝えなくてはなるまい。


「俺さ、水原さんが思ってるような、良く出来た人間じゃないんだよ」


 静かに、水原さんの目を見つめて語り始める。


「水原さんに話しかけたのだって、水原さんを思ってとか、そういうのじゃないんだ」


 自分を卑下するような、自嘲的な笑みがこぼれる。


「水原さんが辛い表情したままだと、一番悲しむ人がいるでしょ?」


「一番……悲しむ人……」


 水原さんは呟いて、視線を落とす。一番悲しむ人。わざわざ名前を挙げる必要など無い、水原さんのたった一人の親友。


「俺は、その人に悲しんでほしくなかっただけなんだ」


 俺は無理矢理に笑顔を作り、


「俺は、火野さんが悲しむのが嫌だったんだ。俺の好きな人が悲しむのが嫌なだけだったんだ」


 初めて、自分の本当の気持ちを口にした。


「え?」


「俺は、火野楓さんの事が好きです。この世で一番。この世にいなくなっても、一番」


 これが、俺の告白の言葉だ。偽りのない、偽りようのない事実。


「だから、ごめんなさい。水原さんの願いには、応えられない」


 言い切ると、なんとも言えない清々しさが身体を通り抜ける。


「――そっか、えへへ、根本君、好きな人がいたんだ」


 水原さんは涙を流す。


「そっか、ヒカちゃんのこと、好きだったんだ」


 それが亡くなった友人を思い出してのものなのか、失恋によるものなのか、俺には区別が付かなかった。


「私と、同じだね。私も、ヒカちゃんのこと、大好きだよ」


 そう言って無理に作った彼女の笑顔を見ると、罪悪感が俺の心を抉る。だけど、これでいい。後悔はしていない。

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