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激動の一週間と共に去りぬ2

 鈴子が図書室から戻ってきたのは五限が始まる直前だった。何も言わず、こちらをちらりとも見ずに席についてそれっきりだ。何の動きも見せないと、逆にこちらが不安になる。



「それじゃあ今日はこれで終わり。無駄な寄り道しないで、さっさと帰宅するように」


 担任の西村先生がSHRを終え、「起立、気を付け、礼」とクラス委員長が締めくくった。その委員長というのが中学時代より四年連続で務めている鈴子だ。いつもより声が震えて聞こえたのは、気のせいなのか、何か他の感情によるものなのかは定かではない。


 クラスの連中が次々に帰路に着く中、鈴子は動かなかった。微動だにしないその後ろ姿を俺は、二つ後ろの席からただただ見ていることしかできない。


 いつもは可憐に「さよなら」と声をかけてくれる水原さんも、今日は何も言うことなく部活へと行ってしまった。


 いつもならこちらからへらへらと声を掛けてみる状況なのだが、今はそれどころじゃない。鈴子が不気味すぎる。


「じゃあな俊、上手くやれよ」


 そう言って出て行ったのは大村である。ニヤケ面の男子達数人を引き連れて去って行った後、教室内には俺と鈴子の二人きり、火野さん含めて三人となった。それでも鈴子は動かない。


 居た堪れなくなり、昼休みからどうすることもできないでそのまま残っている野菜ジュースのパックを弄んで気を紛らわせた。紙パックを振り、まだ随分中身の残っているジュースがチャポンと音を立てる。それとほぼ同時に、鈴子が動いた。


 椅子が倒れるのではないかと思うほど威勢よく立ち上がり、勢いそのまま大股で俺の目前へと躍り出る。


「おわっ! ……なんだよ」


「俊ちゃん、私はね、柄にもなく緊張なんてしているのだよ」


 放課後の教室で、見つめ合う。昼休みと同じで鈴子が俺を見下ろす形。先ほどとの違いは二人の間に机が無く、二人を遮る物は何もないということだ。


遠くで、野球部の声が聞こえる。鈴子の声は、先ほどと同じく震えていた。その原因は緊張によるものだと本人は言う。


「でも、俊ちゃんにはこうやって雰囲気から醸し出さないと、またいつもの冗談交じりで済まされてしまいそうだからね」


 鈴子はぎこちなく笑った。半開きになっていた窓から、風が吹き込み鈴子の前髪を揺らす。不覚にも、可愛いなんて思ってしまったのは気のせいじゃない。


 大きく息を吸った鈴子は、それを少しずつ吐き出すように、


「俊ちゃん、私は、君のことが好きだ。愛している。君になら、何をされたって許せる。そう思えるんだ」


 もう一度深呼吸して、


「だから、君を私のものに、いや、私を君のものにしてほしい。私は、『根本俊一』だけの『土田鈴子』でありたいんだ」


 鈴子の眼は、潤んでいた。あまりにも本気で、真っすぐな物言いに、直視することができず、隣の火野さんへと目を移す。


「こればっかりはね。私には絶対に葵と付き合え、なんて強制する権限を持ってるわけでもないし。好きにしたらいいわ」


 つまらなそうに頬杖を付いて、窓の外を眺めるばかりだ。


「でもこれだけは言っておくけど、スズは本気よ。だから、あんたも本気で応えてあげなさい」


 それは言われなくても分かっている。鈴子は本気で、今まで見せたことの無い表情をたくさん見せて、そのどれもが女の子らしくて愛くるしくて、もし俺に好きな人がいなかったら、思わず抱きしめたくなる女の子だ。でも……。


 俺には、すでに好きな人がいる。俺はもう一度火野さんの顔を見る。美しく気高く誇らしいその風貌は、幽霊になった今でも変わらない。


 鈴子の本気に当たっても砕けないよう、眼に力を込めて鈴子を見つめ返す。


「鈴子、あのさ、俺――」


 言いかけて、口が塞がれた。


 驚きで目を見開くと、鈴子の顔が間近まで迫ってきていた。


 時間が、延々と流れていく。いつまでそうしていたか分からない。火野さんも、衝撃のあまり口をあわあわ動かしてはいるものの、言葉を発しているのか否かは上手く聞き取れなかった。


 鈴子の顔が離れて、さきほどまでと同じ風景へと巻き戻る。外から聞こえる野球部の掛け声も、窓から漏れる心地よい風も、さっきと変っていないはずなのに、全くの別世界のような気がして気持ち悪い。ただ、鈴子の唇の感触は、気持ちよかった。


「分かるよ、俊ちゃん。十年近い付き合いだもの。君が何を言おうとしてるのかくらい」


 鈴子は寂しそうに笑った。その笑みは俺が言わんとすることを全て悟っているようだった。


「みなまで言わなくてもいいよ。私が傷つくだけだからね。でも、残念だ、これで私の儚い夢が潰えてしまったよ」


 ここでようやく鈴子の視線が俺から外れて窓の外へと移る。


「夢……?」


「そう、夢さ。聞いても笑うなよ。私の夢はね、俊ちゃん。お嫁さんになることだったんだよ。それもただのお嫁さんじゃない、君のお嫁さんさ」


「鈴子……」


 それから先の言葉が出なかった。謝ればいいのか、励ませばいいのか、お礼を言えばいいのか、経験乏しい俺の選択肢では正解を選べそうにない。


 そんな俺を見て鈴子は晴々と笑った。


「でも、俊ちゃんみたいな駄目でどうしようもなくて、不幸のことを気にしてないふりをしているくせにイジられると子供みたいに拗ねて、何事にも諦めたような冷やかな目をしていて、友達なんていなくてもいいと言っているくせに大村みたいなヤツともやっぱり縁が切れないくらい寂しがり屋で、わがままで無頓着な男を好きになる女なんて、私しかいない思っていたんだけどね」


「お、お前なぁ……俺をそんなふうに思っていたのかよ」


「そんな風に思っていたからこそ、私は俊ちゃんの事が大好きだったんだ。それ以上に俊ちゃんの魅力を知って、それ以上に俊ちゃんの事が好きになっていったんだよ」


 鈴子は指で目尻を拭い、続ける。


「だから今のキスは、手切れ金代わりだと思ってくれたまえ」


「手切れ金?」


「そう。十年来の想いと、陳腐で幼稚な私の夢への手切れ金さ。ずっと想ってきたんだ、そのくらい貰ったって罰は当たらないと思うが?」


「……あぁ、そうかもしれないな」


 十年か、俺よりも長いじゃないか。人の想いはそれくらい価値のあるものだと俺は思う。それこそ、たった一回のキスなんかじゃ足りないくらいに。


「だろ? じゃ、明日からはまたいつも通りだ。いつも通りの『根本俊一』『土田鈴子』で行こうじゃないか」


 鈴子の表情は、いつもの見慣れたそれへと変わっていた。


「スズって、良い女ね。あんたには勿体無くらいよ」


 隣で、火野さんは感心したように呟いた。


「ほんと、良い女だよ、鈴子は」


 便乗し、俺も呟く。


「そうだろ? 今ここで私をフったこと、きっと後悔させてやるからな」


「はは、なんだよ、それ」


 ここにでようやく、鈴子と笑いあえることができた。鈴子は、俺なんかよりも良く出来た人間なのだ。



「あれ、お前らまだいたのか? 寄り道しないで帰れって言ったろ」


 教室の扉が開き、担任のご入場である。あと数分来るのが早かったら、不純異性交遊の現行犯で捕まっていた。いや、彼なら甘酸っぱい青春の一ページで大目に見てくれるだろうか。


「せ、先生、どうしてここに?」


「戸締りの確認だよ、ほら、お前ら窓閉めないで帰るだろ」


「先生、寄り道というのは帰路の途中でどこかに立ち寄ることですよ? まだ帰路に着いてない私達が、寄り道なんてできるわけないじゃないですか」


 今の今まで俺と唇を重ねていたというのに、鈴子は教師相手に詭弁を論するほど余裕が戻っているようだ。


「あー、土田、そうやって人の揚げ足を取るのはやめなさい」


 西村教員は面倒くさそうに頭を掻いた。


「でも安心してください、今からいつも通り真っすぐ家へ帰りますので。じゃあ俊ちゃん、一緒に帰ろうか、いつも通り、ね」


「あぁ、いつも通りな」


 俺は机の上にあった飲みかけの野菜ジュースを一気に飲みほし、教室を出るついでにゴミ箱へ空パックを投げ捨てた。


 人生初めてのキスは、ぬるくて、甘くて、酸っぱくて、飲み掛けの野菜ジュースみたいな味だった。



 帰り道。俺も鈴子も自転車登校だが、今は押して歩いて一緒に帰っている。帰りの方向は同じなので、友人同士の俺らが一緒に帰らない理由は無い。そして鈴子と一緒に帰る時はいつもこうやって、無駄話をしながら歩いて帰るのが中学時代からの決まりになっている。


「――そういや何で俺が言おうとしたこと、分かったんだ?」


 そのいつも通りの帰路の途中、素直な疑問を鈴子にぶつける。以心伝心だよ、なんて言われてはどうしようもないが、あんな問答無用のキスをされては聞かずにはいられまい。しかし意外にも、この問いに反応したのは後ろを歩くの火野さんだった。


「あら、あんたまさか自覚無し? バレバレだっての、あんたの考えてること」


「ふむ、せっかくだし、教えてあげようかな。特別に。俊ちゃんが知らない俊ちゃんの秘密」


「へ?」


 俺の知らない秘密? まさか、我が最後の砦、パソコンの秘密フォルダに関わることだろうか……?


「君、誰かに心を読まれた、って感じたことは無いかい? それも一度や二度では無く何回も」


 杞憂か。しかし、何故鈴子がそれを知っているのだろうか。確かに、そう感じることは過去に多々ある。


「何故私がそれを知っているのか? そういう顔をしているね」


「ッ! だ、だからなんで分かるんだよ!」


「まだ気付かないのあんた。もう答え言ってるわよ」


 呆れ返っている火野さんは半笑いだ。


「だから、顔、だよ」


「顔……?」


「そう、顔さ。君は無自覚だと思うけど、俊ちゃんは思っていることが全部顔に出るんだよ」


 嘘、だろ? そんな馬鹿な事があるか。


「嘘、だと思っているね。私も初めて気が付いた時は嘘だと思ったよ。でも本当だった」


「マジか! やめろ、やめて、もう顔見ないで」


「一番初めに気が付いたのは大村らしくてね、この事実を、シズを通して広めたらしい」


「あぁ、そう言えば私もシズから聞いたわね。確か」


 またあの野郎か。一体、どれだけ俺をいびれば気が済むのだろうか。


 しかしこれで合点がいった。大村相手に隠し事が出来なかったのも、幽霊の特殊能力だと思っていた火野さんの読心術も、全ては俺の間抜けな顔のせいだったということか。


「でもやっぱりバラしちゃうのは勿体無かったかもね。私もあんたがこの変なクセ持ってたおかげで色々手間省けたし」


「だから、これからは顔の筋肉が勝手に動かないように気を付けたまえよ」


 鈴子のその言葉に俺は「うむ」と頷き顔面に力を込め、火野さんに意識し過ぎだと笑われ、鈴子には不動明王みたいだと笑われながら帰るはめになった。


 だけど、二人が笑ってくれていたで俺はまんざらでもなかった。

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