現実疑似恋愛5
チェーンのハンバーガー店や流行りのカフェなどの、高校生がたむろしてそうな場所を極力避け、入ったのは一軒の古びた喫茶店。学生服姿の男女二人組が入るにはあまりにも場違いな雰囲気の店だが、店内には閑古鳥が鳴いているので特に問題も無いだろう。
注文し、やってきたアイスコーヒーとコーラフロートを楽しんでいると、
「人の趣味にとやかく言うつもりは無いけどさ、普通、注文逆じゃない?」
コーラの上に乗ったバニラアイスを潰している俺に、火野さんが怪訝な目を向ける。
「それにあーあ、バニラとコーラそんなぐちゃぐちゃにしちゃってまぁ。それって普通上のアイス食べてからコーラ飲むもんでしょ?」
それではわざわざコーラフロートを注文する意味がないではないか。いくら火野さんの言葉とは言え、この食べ方を変えるわけにはいかない。聞こえないふりをして一心不乱にバニラアイスとコーラをかき混ぜる。
「根本君、そうやって食べるんだ。混ざると美味しいよね、それ」
水原さんのお墨付きだ。これで火野さんもとやかく言えないだろう。
「でも、きっとヒカちゃんは嫌がると思うなぁ、ごちゃごちゃするの嫌いだったから」
直後、「あっ」と小さく声を漏らし、うつむいてしまう。
「水原さん?」
また火野さんのことを思い出してしまったのかと心配するも、
「あ、ごめんなさい。……私の話って、ヒカちゃんのことばっかりだなぁって思って」
どうやら今回は様相が違う。
「火野さんの?」
「うん。二言目には『ヒカちゃん』で、いっつもそればっか」
水原さんは自虐的な笑みを浮かべ、アイスコーヒーの氷をストローで突いた。
「……私ね、気付いちゃったんだ。私の中にはヒカちゃんしかいない、ヒカちゃんが私の存在意義の全てだったんだって」
水原さんは静かな口調で語り始める。
「葵……?」
からん、と響く氷の溶ける涼しげな音が、火野さんの呟きをかき消した。
「私ね、昔から人と話すのがあんまり得意じゃなくて、友達少なかったの。って、根本君は知ってるよね」
「う、うん」
確かに、小学校時代の水原さんには友達が少なかったのは事実だ。進級するごとに鈴子静子姉妹や他の友達も増えていったようだが、低学年の頃はそれこそ火野さんただ一人だったようにも記憶している。
「小学校の入学式なんて、周りに知らない人ばっかりで今にも泣きそうだったこと、未だに覚えてるよ」
水原さんは思い出すような遠い目をしてクスリと笑った。小学校の入学式と言えば、俺の記憶の中では鈴子と大村の喧嘩を仲裁していたことくらいしかない。
「それでね、一番初めに友達になってくれたのがヒカちゃんだったの。うれしかったなぁ、『一緒にあそぼ』って満面の笑みで話しかけてきてくれて」
「あっ……」
火野さんの満面の笑み。俺の中で、彼女に助けてもらったあの一場面がフラッシュバックする。
「それからずっとヒカちゃんと一緒にいて、一緒に過ごして、気が付いたら私の中には、『火野楓』っていう一人の女の子のことばかりで、それしかないの」
俺はその儚げな笑みを見て理解する。彼女も、水原さんもまた、火野さんのあの笑顔に救われた一人だったのかと。
「根本君は、ヒカちゃんってあだ名の由来、知ってる?」
「それって、ヒノカエデさんだから、じゃないの?」
「うん、半分正解。もう半分は、ヒカちゃんが私にとっての『光』だったから」
「水原さんにとっての?」
「そう。とても眩しくて、暖かくて、私を照らしてくれる、『光』」
それでね、と水原さんは続ける。
「私はヒカちゃんの影だったの。ヒカちゃんに依存していただけの影。光が無くなれば、当然影も消えちゃうよね」
水原さんの眼に煌めくものが溜まっていく。
「ヒカちゃんがいなくなっちゃって、そしたら、私もいなくなっちゃって、中身が空っぽになっちゃって。つまんない人間だったんだって、分かっちゃった」
水原さんは言いながら、小粒の涙をポロポロと零した。
「葵、そんなことない、そんなこと、言わないでよ……」
火野さんはせがむように水原さんの隣に寄り添うが、その声も手も、届くことはない。
「ごめんね、急に変なこと言って」
水原さんは、目元を拭い、なにかを誤魔化すようにコーヒーを飲み込んだ。
「……私、知らず知らずのうちに、葵の重荷になっちゃってたのかな? 葵がこんな気持ちになるくらいなら、私達、出会わないほうがよかった……」
火野さんの頬をつたう涙を見て、俺の中で何かが外れた。
「ッんなワケ、あるかぁ!」
自分でも驚くほど大声が出た。店員が驚いた顔でこちらを見ているが、関係無い。
「水原さんが影? 空っぽ? つまらない人間? 少なくとも俺は、そうは思わない」
そう思いたくない。火野さんが人生を懸けて愛した相手が、空っぽでつまらない人間だなんて、それじゃあ彼女は救われないし報われない。そしてそんな彼女が好きな俺の立場はもっと惨めだ。
「もし水原さんが本気でそんなこと思ってんなら、その、何と言うか――」
駄目だ。頭が興奮状態で言葉が上手く出てこない。本来俺は口下手に分類される人間なのだ。火野さん(妹)の時のような活躍はネットの受け売りがあればこそである。
「つ、つまり、ほんとに君が影でも空っぽでもつまんなくても、これから満たしていけばいいだけの話でしょ? だから、そんなこと言わないでくれよ、頼むから!」
「ね、根本君?」
水原さんは驚いて口をあんぐりを開けているが、構わず続ける。
「それに、火野さんも水原さんのことが好きに決まってるだろ? それこそ死ぬまで、いや、死んでもなお、君のことが大好きなんだよ!」
火野さんと水原さんは友情以上の関係で結ばれた二人だ。こちらが嫉妬してしまうほどに、その絆は固い。人間では裂くことのできない、女神とそれを護る盾の関係。
「それを依存って言うことは、火野さんの想いを、火野さんとの友情を踏みにじることになっちゃうじゃないか! それじゃ、火野さんが悲しむ。だから、そんなこと、言ってやるなよ……頼むから……」
水を打ったように静まり返る店内。暫くの沈黙。そして、
「――ッ、あんったねぇ! 葵になんて口の利き方してんのよ!」
火野さんの怒声。
しくじった。頭から血の気が引いていくのが分かる。殴られると思い身構えるより早く、
「ありがとう。……根本君は、優しいんだね。うん、私、ちょっとおかしくなってた」
涙目のまま、しおらしい笑顔で水原さんが言うので、火野さんの拳はひとまず収められた。
「えっとその、ごめん! 急にでかい声出して。でもこれは怒ってるとかじゃないから、そのー」
うろたえながら謝罪と弁解を同時に行う。腰が引けて、我ながら情けない格好だったと思う。
「うん、大丈夫。分かってるよ。心臓が飛び出しそうなくらいびっくりしたけど」
そんな俺に対し水原さんは、悪戯っぽい笑みを返してくれた。つられて、思わず噴き出した。きっとこのやりとりを火野さんは知らない。俺と水原さんだけの会話。
「本当にごめん、配慮が足らなかったよね」
そう言って店員に会釈して平謝りした。店員は苦笑いで返してくれたので良しとする。
「ほんと、びっくりしちゃった。男の人に叱られるの初めてだったから」
「すみません、申し訳ない……」と、謝罪の言葉を並べながらコーラフロートをジュルリと喉へ流し込む。
「ん~、許してあげない!」
思わずコーラフロートをむせ返しそうになる。
「そ、そんな、俺はどうすれば……」
水原さんに許してもらえないということは、転じて、火野さんにも口を聞いてもらえないということだ。そんな事態は何としても避けたい。
「んー、それじゃあさっき言ってたこと、責任持って協力してもらおうかな?」
「え? さっき言ってたことって?」
「もぅ、自分で言ったんだよ、『影でも空っぽでもつまんなくても、これから満たしていけばいいだけ』って」
そんなことか、それならばわざわざ俺が協力などしなくてもなんとかなると思うが、水原さんに許してもらう為ならば、
「喜んで協力させてもらうよ」と、笑顔でこう返すほかにあるまい。
「ありがと……根本君はやっぱり優しいんだね」
水原さんの微笑の口元から「スズちゃんが好きになるのも分かるなぁ」と聞こえた。聞こえたが聞こえなかったふりをした。
「それで、俺は何を協力すればいいのかな?」
「うん、それを一緒に考えて欲しいなって思って。私一人じゃ、何したらいいのか分からないよ」
「そっか、そうだね。えーと」
水原さんの隣に位置する火野さんに目を向ける。
火野さんは「自分でどうにかしなさい」と言わんばかりに俺を無視し、水原さんを慈しんでいる。
「よし。それじゃあ、今から火野さんの話するの禁止。水原さんの中にあるものを話してみてよ。火野さん以外の、水原さんの中身を。きっとあるはずだからさ」
考えてもみれば、水原さんの情報を得るのは常に隣の火野さんからである。本人の口から聞いたことと言えば、彼女が卓球部に所属しているということくらいである。
「何それ、私は仲間外れ? あとはお若い二人に任せてってやつ?」
火野さんは納得いかない様子だが、
「……うん、そうだね。じゃあ今からなるべく私の、自分自身のこと話せるように努力してみる。だから、聞いてもらってもいいですか?」と、水原さんは笑ってくれるので、
「もちろん、いくらでも聞きましょう」と、俺も笑顔で返した。
火野さんに言われたからじゃない。こうやって、水原さんを慰めてあげる誰かが必要だったのだ。それが、ただ偶然俺になったというだけだ。でも、そうなった以上、俺はこの使命を完遂する義務がある。
それから、水原さんと他愛のない世間話をした。
水原さんの家族の話。卓球部に入った理由とそれまでの経緯。中学時代の名物教師の思い出話。鈴子静子姉妹の見分け方について。やっぱり、まだ男子が少し怖いという話。
水原さんの楽しそうで弾むような声を俺は、所々相槌を打ちながら拝聴した。
喋り疲れた水原さんが、口を潤すために二杯目のアイスコーヒーを飲み終えた時点で、喫茶店に入店してから一時間が経過しようとしていた。
「そろそろ行かなくちゃ、せっかく買ったケーキが駄目になっちゃう」
まだまだ遊び足りない子供のような様子で水原さんが放ったこの言葉を合図に、俺達は喫茶店を後にする。
代金はもちろん俺、もとい火野さんのへそくりから支払った。
「そんなの、悪いよ」と水原さんは財布を取り出すが、俺が「頼むから、払わせて」とお願いすると、「……ありがと、ごちそうさまです」と小さく頷き財布を引っ込めてくれた。もし水原さんが折れずに割り勘にでもしていたら、後ろから猛烈な蹴りが襲ってくるところだったので助かった。
帰りのバスの中でも水原さんは饒舌だった。火野さんが驚くほどなので、こんなに喋る水原さんを見たのは人類では俺が初めてかもしれない。
時間を惜しむように。早口だけど、丁寧に、自分を理解してほしくて、説明するように、水原さんは言葉を紡いだ。
「今日は、どうもありがとうございました」
学校最寄りのバス停で下車し向かいあうと、水原さんはうやうやしく頭を下げた。
「私から誘ったのに、色々とお世話になっちゃって……」
顔を上げ、照れくさそうに笑う水原さんの表情は、暮れかけた太陽に照らされてどことなく明るく見えた。
「それなら気にしないで。あそこは俺が出しておかないといけない場面だったから」
後ろで火野さんが「当然よ」と言って頷いた。
「えっとね、コーヒーのこともそうなんだけど、私の変な話を聞いてもらったり、一方的に聞き役になってもらったりとか、すごく嬉しかったし、楽しかったから……」
「あぁ、そういうことか。俺にはそれくらいのことしかできないから」
「あと、本気で叱ってもらっちゃったし」
水原さんは楽しそうに笑うが、それを言われると俺は「……もう勘弁してください」と頭を垂れるしかない。
「えへへ。あ、メールアドレス交換してもらってもいいかな? いつでも根本君に話聞いてもらえるように」
「あぁうん、是非」
お互いの携帯をくっつかない程度近付かせ、赤外線を交わす。
「初めて男の子のアドレス登録しちゃった。アドレス帳に載った男子、根本君が初めてだよ?」
初めての男……水原さんの言葉に他意は無いのだろうが、俺は今の台詞に無暗やたらと興奮した。
「何赤くなってんのよ、このエロバカ」
火野さんにわき腹を小突かれ、気を引き締める。
「水原さんは今から火野さんの家だよね」
「うん、早く行ってあげないと、ヒカちゃん待ちくたびれちゃうかも」
「そうだね。……それじゃあ今日はここで。火野さんによろしく伝えておいてください」
「はい、わかりました。それじゃあ、また明日」
落ち行く夕日の中、水原さんを見送る。途中、彼女が振り返り、
「あのっ、また二人でお出かけしてくれますか?」
大きな声で言うので、俺も大きく頷いてから手を振って、彼女の姿が見えなくなるまで見送った。
「流石のあんたも、慣れてきたみたいね。女の子の扱い」
「流石に、ね」
最後まで見送り終えても、火野さんはその場を動こうとしない。つまり俺も動けない。
「あんたがキレ始めたときはどうしたもんかと思ったけど」
「あれはほんと俺、どうにかしてて、……すみません、返す言葉も無い」
「ふん、まぁいいわ……ここまでくれば、あと一歩って感じだしね」
隣の火野さんの顔を窺うと、達観したような、満足げな表情を浮かべていた。
「あと一歩って?」
「とぼけてんじゃないわよ、あんたと葵が付き合うまでに決まってんでしょ? 残すは告白だけなんだから。なんなら明日にでもちゃっちゃと済ませちゃいなさいよ」
「い、いくらなんでもそんな急には」
「……これはね、私の願いなのよ」
火野さんは薄く笑みを浮かべ、俺の眼を見据える。
「火野さん?」
「もう自分じゃ叶えられない、どうすることもできない私の願望。それをあんたに押し付けちゃってるかもしれない」
でもね、と火野さんは一歩進み出る。顔が近い。鼓動が速くなり、息が詰まりそうになる。
「俊一、あんたにしか頼めない。あんたじゃなかったら託して無かった。だから――」
風が、火野さんの髪の毛を揺らす。
「葵のこと、好きになってあげて、大切にしてあげて、あの子を悲しませるものから護ってあげて。よろしくお願いします」
火野さんはそう言って頭を下げた。
待て待て、ちょっと待て。好きになってあげて? 今そう言ったか? それじゃあまるで、
「俺が水原さんのことを好きではないみたいな言い方じゃないか」
「そうね、可笑しいわよね。でもね、一回ちゃんと言っとかないとって思ってたから」
顔を上げた火野さんは、いつも通り調子よく笑って誤魔化した。
「ずるいよ……」
俺は唇を噛んだ。貴女からのお願いを、俺が断れるわけがないじゃないか。そんなふうに言われたら、いくら不条理で不平等で不可解なお願いでも、俺は首を縦に振るほかない。
自らの想いを偽って、別の女性を好きになることくらい俺は――。
「……火野、さん?」
気のせいだろうか。彼女の身体がどことなく透けているように見える。幽霊なのだから当たり前だろう、と言うのはもっともなのだが、いつにも増して身体が透けているように見えるのだ。
「ん、どうしたの?」
火野さんは自分で気が付いていない。ということはやはり俺の気のせいか。この夕日のせいかもしれない。
「いや、その、うん、水原さんのことは、精一杯努力するよ。好きになって、大切にして、護ってあげるつもりだから」
「そっか、ありがとね」
火野さんは笑った。その笑顔を見て、胸が刺すように痛んだ。
今思えば、これが俺の人生初の失恋だったのだと思う。
第四章『現実疑似恋愛』終了です




