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現実疑似恋愛3

 時は進み翌日。時刻は放課後。


 いつもの帰り道とは違うルートを進んでいく。今日は、いや、昨日の午後から授業がやたら長く感じる。その上、隣の美少女が気になって内容はまるで頭に入らないし、大村には挙動不審だと笑われ、散々たるものだった。


 例の事故現場を通り過ぎ、向かっているのは火野さんの自宅。背に腹はかえられぬ。明日までに金銭をどうにかしないといけないので、心の準備を済ませないまま向かっている。


 ある程度場所は知っていたが、実際に赴くのは初めてである。後ろから指示を飛ばす火野さんの声に従い、自転車を漕ぎ進める。


 十分足らずで到着する。近くに自転車を停め、門の前で襟を正し、インターフォンを鳴らす。


 ややあって、「はーい」と、聞き覚えのある声がした。一昨日葬儀場で聞いたものだ。扉が開かれ、現れたのは、


「あ、根本さんのところの……」


 火野母だった。一礼し、手汗を制服のズボンで拭い、いよいよ意を決する時がきた。



「よかったらこっちきて座って、今お茶入れたから」


 仏壇に線香をあげ、手を合わせ終えると、ご好意に甘えお茶をいただくことにした。仏壇のそばには昨日持ち帰って来たばかりの骨壷が置いてあり、気持ちが落ち込む。


「根本さんの、確か、俊一君、だったわよね」


「はい。すみません、突然お邪魔してしまって」


 椅子の上で身を縮ませる。火野さんは久しぶりの自宅にはしゃぎ、色々物色していた。


「いいえ、うれしいわ。お通夜にも来てくれたわよね。私、楓に男の子のお友達がいるなんて知らなかったから驚いちゃった」


火野母は優しい声で言った。


「娘とは、どういう関係だったのかしら? もしかして、楓と付き合ってたり、とか?」


「つ、付き合うだなんてそんな! と、とんでもないですよ……」


 熱くなり、テーブルに置かれたお茶で喉を潤す。


「何照れてんのよ。本来の目的忘れてんじゃないでしょうね? 早く作戦始めなさいよ」


 いつの間にか隣に座っていた火野さんが呆れ声を出した。作戦の全貌は昨日聞かされていたが、そんなに上手くいくものなのか疑問である。


「あの、実は、今日参りましたのには理由がありまして……」


 昨夜書かされた作戦台本の一行目を、重い口を開いて発する。


「理由?」


「はい。その、実はか、楓さんに生前預けていたものがありまして……」


「そうだったの? あの子ったら、いい加減なんだから」


「す、すみません……」


 隣の火野さんの不機嫌な表情に、思わず謝罪の言葉がついて出た。


「俊一君が謝ること無いわよ。で、預けていたものって?」


「えっと、誠に申し上げにくいのですが、そのぉ、紙幣と言いますか、貨幣と言いますか、つまるところ現金というやつでして……」


「えぇ! お金? あの子ったらそんな大事な物を……」


「いえあの、違います! 僕の方からお願いしたんです。家に置いておくと勝手に使われちゃうからって……」


 昨日作戦を聞いた時、流石にこの理由は無理があるのではないかと火野さんに抗議したが、なら代案を出せと却下された。


「そうだったの、それじゃあ返さないといけないわね。お幾らほどからしら」


 火野母は自らの財布を取り出そうとしたので、慌ててそれを止めた。


「違います! あの、置いてある場所は分かってるんです。確か、クローゼットの衣装ケースの二段目の引き出しの奥にあると思うんですけど」


「あら、随分詳しいのね。それになんだか具体的」


「はい、その、実は隠す時に同席してたんですよ。だからこのお宅には一度お邪魔したことがありまして、お母さんが留守のときに」


「あら、そうだったの? やだ楓ったら、私の知らないところで男の子を連れ込んでたなんて」


 火野母は眼を細くした。それとは対照的に、火野さんの眼は吊り上がる。


「それじゃあちょっと待っててね。今見て来るから」


「お手数おかけします」


 火野母が席をはずし、火野さんの自室がある二階へと向かう。


「ちょっと、何勝手にアドリブ入れてんのよ」


「多分こう言った方が怪しまれないかなぁと思いまして」


「どうなっても知らないわよ」


 しばらくして戻ってきた火野母の手には茶封筒が握られていた。どうやら作戦は上手くいったようで、火野さんも満足げだ。


 ただ一つ不審な点は、火野母の顔がやたら紅潮していることだった。


「これで……いいのよね?」


「はい、ありがとうございます」


 封筒を受け取り、忘れないうちにとかばんにしまい込む。


「……あのね、俊一君。さっき、隠す時に一緒にいたって、言ってたわよね」


 どこか歯切れの悪い火野母。目を伏せてこちらを見ようとしない。


「はぁ、そうですけど……」


「それじゃあ、隠し場所も見ていたということ、よね?」


「えぇ、まぁ」


「娘とは、その、本当に特別な関係では無かったの?」


「え? えぇ、普通の友達ですけど……」


「その、私の考えが堅いだけなのかも知れないけど、女の子の下着入れの場所まで見ておいて、普通の友達って言えるのかしら……」


「し、下着!?」


 声が裏返った。さっきから火野母が目線を合わせてくれない理由はこれか。


「だから、どうなっても知らないって言ったでしょ」


 火野さんは呆れたように肩を竦める。それならそうと先に言ってくれればいいものを。


「確かに娘は、楓は、ずぼらで男勝りで全然女の子らしくは無かったけど、そのへんの恥らいとかはちゃんと教育してきたつもりだから。攻めてるわけじゃないのよ俊一君、もしあの子とそういう関係になっていたのならちゃんと話してほしいってだけで」


「ええぇっと、それはその……何と言いますか、その場にいて隠したのは確認したけど場所までと言いますか、その――」


 体中の汗腺から冷や汗と脂汗をだらだら垂れ流しながら、どうにかこうにか言い訳作りに悪戦苦闘していると、玄関の方から、


「ただいまー」と声がし、「あ、焔が帰ってきたみたい」と、火野母は玄関へと向かった。


 助かった。まさに渡りに船とはまさにこのこと。


「今お姉ちゃんにお線香あげにお客さん来てるから、挨拶して」


「え、うん」


 居間に姿を現した火野さん(小)は懐かしい中学の制服を着ていて、なんとも感慨深かった。


「あ、根本先輩……」


 火野さん(小)は小さくお辞儀し、俺も座礼で返した。


「えっと、妹さんも帰ってきましたし、俺そろそろ帰りますね」


 残ったお茶をこれ見よがしに飲み干す。


「ちょっと待って、もう少し楓の話を――」


「ご馳走様でした、それじゃあ失礼します」


 苦笑いを浮かべ、そそくさと退場しようと荷物をまとめる。


「あの、また今度楓の話、詳しく聞かせてくれないかしら?」


 娘を心配する母親の眼そのものであるが、火野母の眼光は鋭い。どうやら彼女はここから『破眼』を継承したようだ。


「はぁ、機会がありましたら」


 こう睨まれては、愛想笑いで誤魔化すしかないのだ。



「突然すみませんでした。お邪魔しました」


「また、来てくださいね。是非!」


 眼に鋭さが残る火野母に見送られ、火野家を後にする。少し歩き、停めておいた自転車の前で封筒の中身を確認する。こんな場所で改めるのはどうかと思ったが火野さんたっての希望だ。


「うぇ、結構入ってる」


「当然よ、それで葵とランデブー決め込もうと思ってたんだから」


 これだけあれば春休みの一万どころか、初詣の五千円を足してもお釣りがくる。新品のノートPCくらい買い換えることだって可能だ。


「ちょっと、これは葵とのデート費用だからね。あんた個人で使うことは許さないわよ」


「も、もちろんだよ」


 封筒をかばんに戻し、それを自転車のかごへ放り込む。鍵を外して発進させようとすると、後ろから、「あの……」と、蚊の羽音のような声がして振り返る。そこには、


「げっ、焔……。根本、無視して帰るわよ」


 申し訳なさそうに俺を呼び止めた火野さん(小)が、夕暮れの太陽に溶け込んでしまいそうなほど弱々しく佇んでいた。


「そういうわけにもいかないでしょ」


 妹さんに聞こえないよう、火野さんに耳打ちする。


「なら、あんたに任す。私、焔のこと苦手なのよね、面倒臭いったらありゃしない」


 火野さんはそっぽを向いてしまった。実の姉に任されてしまった以上、


「焔ちゃんだよね、火野さんの妹さんの」と、なるべく優しく問いかける。


「はい。えっと、根本先輩は、あの根本先輩、ですよね」


 この子の言う「あの」が何を示しているのか、皮肉にも分かってしまう自分がいる。嘆かわしいことに、どうやら俺の不幸体質は二学年下にも浸透していたようである。


「うん、多分その根本です」


「あの、えっと、あの私……」


 セーラー服の裾をもじもじと弄りながら、火野さん(小)は煮え切らない様子だ。それとは対照的に、


「あああもう! ほんっっっとにイライラするわねこの子は! 人をイラつかせる天才なんじゃないの?」


 お姉さんのほうは腸が煮え繰りかえっているご様子。


「これじゃ駄目、これじゃ駄目なの……」


 なにやら呟いてるようだが、俺に耳には届かない。火野さんも同じだったようで、


「はい時間の無駄。帰宅するわよ根本」


 自転車の荷台にふわりと腰を下ろす。その瞬間。


「――私! 根本先輩にお願いがあるんです!」


 急に決意を固めたように声を張り上げる。その急変ぶりに思わず火野さんも黙り、様子を窺う。


「えっと、何かな? 俺にできることなら」


「私を……」


 小刻みに震えているようにも見える。大丈夫かと声を掛けようと一歩近づく。するとセーラー服の裾をがっしりと握り締め、気合を入れたように、


「私を、私に、不幸を移してください!」


 怒号にも似た声で叫ぶのであった。


「……は?」


 豆鉄砲を食らった鳩である。火野さん(小)の叫び声は辺り一面に響き渡った。


「こういうこと平気で言うから、私は焔が嫌いなの」


 呆れた火野さんは、平然と溜息を付く。


「私が、私のせいなんです、お姉ちゃんが死んじゃったの……」


 妹ちゃんの目は、ほんの少しでも力を加えれば決壊しそうなダムのように涙を溜めている。


「……え? えっと、焔ちゃん?」


 まるで話が見えてこない。年下の女の子に泣かれそうになった経験など皆無な俺は、どうするべきか火野さんに助け舟を出してもらおうと思った。が、当の火野さんは興味なさげに道端の石ころを蹴飛ばして遊んでいた。


「と、とにかく、詳しい話を聞かせてよ」


「……はい」


 焔ちゃんはズルズルと鼻水をすすりながら、語り始めた。



 聞いた話から焔ちゃんの嗚咽としゃっくりと鼻水をすする音を消し、要約、簡易化するとこうである。


 ――火野さんが事故にあう前日のこと、焔ちゃんが帰宅すると、大事にとっておいて楽しみにしていたプリンを姉が美味しそうに食べている場面に出くわした。


「お姉ちゃん、それ私の!」


「ん、知らないわよそんなの。だったら名前書いときなさい」


「書いてあるよ! 蓋に!」


「蓋じゃ分かんないわよ。プリンのカラメルにでも刻んどきなさい」


「そんなのできるわけ無いでしょ! お姉ちゃんのバカ! 死ね!」


「あ? 死ねってのは命令形だって分かってんの? 焔、あんたいつから私に命令できるほど偉くなったのよ」


「ひっ、ごめんなさい……」


「ごめんで済んだら警察と裁判所は要らないのよ」


 ここで火野さんの空手チョップが焔ちゃんの脳天を直撃する。


「お姉ちゃんのバカ! 死んじゃえ!」


「バカっつったほうがバカで、死ねっつったほうが死ぬのよ」


 その夜、焔ちゃんは枕を濡らしながら姉の死を念じたという。この翌日、結果がどうなったかまでは言わなくてもいいだろう。



「――つまり、焔ちゃんはそれが原因だと思っていると」


 泣きじゃくって声にならない焔ちゃんは、頷くだけである。鼻水を制服の袖で拭おうとしていたので、ハンカチを差し出す。


「ね、面倒くさいでしょ? そんなんで人が死ぬかっての」


 なるほど、念じたから人が死ぬとか、その償いに他人の不幸を移してもらうとか、火野さんの一番嫌いなタイプの人間だということか。


 だとしても、世界にたった二人きりの姉妹なのに、死んでもなお関係がギクシャクするのは――兄弟のいない俺には分からないが、それはとっても悲しいことだと思う。


「そっか、焔ちゃん、本当はお姉さんのことが好きだったんだね」


 そんな二人の仲を仲裁できるのは、今となっては火野さんの言葉が聞こえる俺だけだ。だから、これは俺の役目だ。


「んなわけ無いでしょ、私に死ねっつった張本人よ。それに周囲からも仲の悪い姉妹で有名だったんだから」


 そう言う火野さんは気付いていないだけだ。「死ね」なんて軽い悪口を言ってしまったばっかりに、ここまで思い悩むなんて、相手のことを好きじゃなきゃできないことだと俺は思う。


「ふぇ? 私が、お姉ちゃんのことを……? そ、そんなことありません! だってお姉ちゃん私のこと嫌ってたし……私だってお姉ちゃんなんか……」


「じゃあ焔ちゃん、今どんな気持ち? お姉さんが死んじゃって、嬉しい? ざまぁみろって思ってる?」


「そ、そんなわけ無いじゃないですか!」


「そうだよね、そんなわけない。人間って馬鹿な生き物だからさ、大切な物を無くして初めて、それが大切だったって気が付くんだよ」と、ここまで言ってこっちが恥ずかしくなってきた。


「うへぇ、歯が浮くぅ~」と、他人事のように隣で茶化す火野さんの言う通りだ。


 こんな臭い台詞、よく吐けたものだと自分でも思う。でも焔ちゃんは真に受けてくれているようなので、更にたたみ掛ける。


「焔ちゃんが今感じてる悲しみとか、罪悪感とか、それがお姉さんのことを大切に思っていた証拠なんだよ」


「私、私は……」


「もっと簡単にしてみようか。焔ちゃん、お姉さんに戻ってきてほしい?」


「え?」


「もしそう思えるなら、君はお姉さんのことが好きだったってことだよ」


「……うん。プリン食べられても、ぶたれても、ケンカしてもいいから、戻ってきてほしい。戻ってきて欲しいよぉ、お姉ちゃん……」


 焔ちゃんの涙腺ダムが崩壊してしまった。妹の予期せぬ本音に、火野さんも困惑している。


「だったら、自分のせいでお姉さんが死んだとか、不幸を移してほしいとか、そんなこと言っちゃ駄目だ。君のお姉さんがそういう迷信じみたこと嫌いだって、知ってるでしょ?」


「……うん、うん」


「よし、偉いぞ。それでこそ火野楓の妹だ」


 頭を撫でてやる。こういう時は抱きしめるものだと火野さんに言われてしまいそうだが。


「それにね、こうやって、俺が誰かに触っても不幸が移るなんてことは無いんだ。ただの迷信だから、信じちゃ駄目だよ」


「うん。そんなの信じてたら、きっとお姉ちゃんに怒られちゃう」


 そう言って焔ちゃんは、素晴らしい笑顔を見せてくれた。



 自転車を押して帰路を進む。またパンクしたというわけではない。火野さんが「根本、ちょっと歩かない?」と提案したことから始まっている。


 妹さん相手に調子に乗って、怒らせてしまったのではないかと内心ビクビクしながら少し前を歩く火野さんに付いて行く。


「それにしても、よくもまぁあんな恥ずかしい台詞が出てくるもんよね」


 太陽が暮れかけ、辺りを闇が包み始めた頃、前を向いたままの火野さんが口を開く。


「え?」


「あの『人間は馬鹿な生き物だから~』ってくだりよ。どこぞの主人公かっての、あんたは」


「あぁあれ、全部ネットの受け売りだけど」


「なーんだ、なんか締まらないわねあんた」


「いやまぁ、返す言葉もありません」と、へらへらとした口調で言った。


 しばらくの沈黙の後、火野さんは右手に広がる沈みかけの太陽を見ながら、


「……根本、ありがとね」


 ポツリと言うのであった。


「ど、どうしたんすか、急に?」


 珍しくしおらしい彼女の様子に、驚きの声を上げずにはいられない。


「べ、別に、変な意味は無いわよ」


 火野さんの顔が赤くなっているような気がするが、それは辛うじて残っている夕日のせいなのかもしれない。


「死んでから分かることってあるだなぁって思ってね。それを教えてくれたお礼。焔が私のこと好きだったなんて、生きてる間じゃ絶対分からなかったもん」


「お役に立てたのなら、よかったです」


 火野さんが怒っているわけではないと分かって安心した。火野さんの背中を眺めながら歩みを進めていると、ふと思い出したように、


「あ、それともう一つ分かったことがある」


「え?」


「あんたの名前、『俊一』って言うのね。さっきうちの母親が呼んでるの聞いて初めて知った」


「そ、そんな、今まで知らなかったと?」


「うん。だって皆『俊』とか『俊ちゃん』って呼ぶじゃん。だからずっと『根本俊』がフルネームだと思ってた。ごめんね」


 言葉とは裏腹に、火野さんは悪びれる様子も無く笑った。


 名前すら覚えてもらって無かったとは。もし今一人になったのならば、さっきの焔ちゃんよりも涙を流せる自信がある。でも焔ちゃんにハンカチを貸してしまったままなので涙腺をきつく締めて堪える。


「何不貞腐れた顔してんのよ。さっさと帰ってテレビ見るわよ、俊一」


 涙目になっている俺を、火野さんは聞き慣れない呼び名で呼んだ。


「へ? 今、何て……?」


「何、嫌だった? 皆呼んでないし希少価値があっていいかなぁって思ったんだけど」


 滅相も無い。嫌なはずがないではないか、正直に暴露すると己の妄想の中でそう呼んでもらったことは一度や二度ではない。まさか、現実に起ころうとは。


「いや、親にもフルではあんま呼ばれないから、違和感があって」


「そう、まぁすぐ慣れるでしょ」


 先ほどまでとは違い、感涙と鼻水を堪えるので必死だった。

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