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現実疑似恋愛1

 月曜日というのは、毎回毎朝気分が重い。今日は気分だけでは無く自転車も重い。土日でパンクを直しておけばよかったものの、すっかり忘却の彼方へと旅立ってしまっていたために今朝は母親から借りたギア無しボロママチャリでの登校となっている。ならば徒歩通学というのも選択肢の内だが、この状況下で、


「ちょっと、もっとスピードでないの~?」


 彼女の手が両肩に乗せられているこの状況下で、それはできない相談である。


「しょうがないよ、オンボロなんだから」


 と、言いながらも、実はなるべくゆっくり、時間を掛けてこの至福のひと時を引き延ばそうと躍起になっていることは内緒だ。


「あんた、わざとゆっくり走ってるでしょ」


 内緒にしていても幽霊には隠し事はできないというのは周知の事実だ。


「別に私に気ぃ使わなくてもいいわよ。落ちても怪我しないし、そもそも落ちないし」


「はぁ」


 やむを得ず、ペダルを漕ぐ足に力を入れる。昨日街を歩き回ったせいか膝が痛むが、火野さんは流石幽霊といったところで体重を全く感じさせず二人乗りでも案外楽だった。でも、やっぱり自転車は重い。



「ちょっと何これ新手のイジメ!?」


 彼女にとっておよそ四日ぶりの学校での第一声がこれである。それは自らの座席に置いてある菊の花を見て発したものだった。


「って、新手じゃなくてもう使い古されたネタよね。今時菊の花って、逆に新しいからびっくりしちゃったわよ」


 正しく、俺が四日前に思ったことを全て火野さんが代弁してくれた。満足である。


「ちょっと根本! 何ニヤニヤしてんのよ、早く片付けなさいよこれ」


「いや、それは、水原さんになんて言われるか」


 何も花の手入れをしているのは水原さんだけではないだろうが、この名前を出しておけば一発で大人しくなる。


「え、葵が……? ならしょうがないわね。葵がやってくれたと思うとすごく綺麗に見えるし」


「うん、勉強なんてしなくてもいいんだし、机に何が乗ってようが気にしないほうがいいんじゃない?」


「そうね、どうせ試験も何にも無いし。……ってだから私は妖怪じゃないっつってんでしょ!」


 左太ももにキックを貰いながら、俺はなんだかこのノリツッコミには若干納得がいかなかった。俺の中で幽霊と妖怪の違いがまだ分かっていないし、そもそもどちらもお化けという一括りでいいのではないのか、という新たな疑問まで生まれてしまっていた。


「根本君、おはよう」


 太ももを擦っているうちに、後ろからとびきりの美声が響いてきた。


「あ、水原さん、おはよ――」「あーおーいー! おはよう!」


 火野さんがいくら大声を出そうが俺にしか聞こえないので、この耳鳴りに悩まされるのは俺だけで済みそうだ。


「ん? どうしたの根本君、お花、枯れちゃた?」


 軽やかな足取りで俺の隣まで歩み寄る水原さん。今の俺の状況、まさに両手に花である。


「いや、逆で、よく枯れないなぁって思ってさ」


「んっと、一応、毎日水変えて、茎切ったりしてるからかな?」


 照れくさそうに微笑む水原さんは恐ろしく反則的に可愛い。火野さんは卒倒しそうな勢いだ。


「え? 毎日ってことは土日も?」


「うん、土曜は部活あるから学校来るし、日曜も先生に言えば入れて貰えるし」


「葵~、あんたって子は、本当に憎たらしいほどに可愛いんだから~」


 火野さんは水原さんを抱きしめようと腕を回すが、綺麗にすり抜けてしまう。やはり俺以外の人間には触れられないようだ。


「すごいよ水原さん、俺には真似できない。素直に尊敬するよ」


「そんなこと無いよ、でも、ありがと」


 今更ながら気付いたが、俺にとって水原さんは恋敵ということになるのではないか。火野さんの言う通り、この笑顔も憎たらしく見えてしまう。でもそれ以上に、可愛い。



 火野さんの話では今日の作戦とやらは昼から始まるらしいので、それまでは一時の平安が保たれそうだった。が、授業中火野さんが、ただじっと座っているわけが無く、


「葵は勉強してる顔も可愛いわねぇ」


「こいつの数学は分かりにくいったらありゃしないわ。根本、文句言ってやりなさい」


「暇暇暇。暇すぎて死にそうよ。もう死ねないけどね……ちょっと、反応しなさいよ」


 ぶぅぶぅとうるさい。午前中は常にこんな感じだった。授業中は返事をすることができず、ノートの切れ端を使って筆談し、なんとかなだめるほかなかった。



 三時限目が終わると、鈴子が帰り支度をしているのに気付いた。


「お、鈴子ちゃん、サボりか」


 隣で俺と雑談をしていた大村が、嫌みっぽく呼び止めた。


「黙れ大村。これからクラス委員として友人の出発を見送りに行くだけだ」


 鈴子はこちらを見ずに答える。


「そっか、告別式だもんね」


 隣の席の水原さんが、独り言のように呟く。鈴子はそんな水原さんの前まで歩いてくると、


「安心してくれ葵、楓は私がしっかりと見送ってくる」


「うん、よろしくね、スズちゃん」


 寂しげな様子の女子二人に、大村はどこかバツが悪そうだった。



 さて、昼休み。問題の昼休みである。四時限目の授業が終わるなり、火野さんに急かされ、弁当箱を持ってある場所に向かっている。


 毎日使う中央の階段とは別の、廊下の突き当たりに備え付けられている非常階段を使って一階まで降り、校舎から中庭へと出て、体育倉庫の横を通り過ぎ、旧校舎へと辿り着く。普段の授業では使われておらず、文化系部活の部室などが入っており放課後以外に人が寄りつくことは少ない。


 そんな旧校舎へ入り今度はひたすら階段を登る。着いたのは屋上で、普通鍵が掛かっていて入ることはできないが、


「ここの鍵壊れてて、巧くドアノブ回すと開くようになってんのよね。これ、秘密よ」


 火野さんの言う通り独特の力でドアノブを回すと、ガチャリという音を立てて扉が開いた。


「何でこんなこと知ってんの?」


「ソフト部の先輩だった人がね、教えてくれて」


 屋上に出ると、とても気持ちが良かった。今日もいい天気で、風が少なく暖かい。


「やっぱ、ここに来るとすっきりするわね」


 火野さんはフェンス際まで近づくと、大きく伸びをする。俺もその横について、遠くに広がる眺望を楽しんだ。


 四階建ての旧校舎屋上からの景色は抜群で、周囲に広がる見慣れたはずのつまらない田園風景もテレビの上空撮影みたいで見栄えがいい。ここでお昼を食べればさぞ美味しかろう。


「ん、もしかしてここって――」


 言いかけると、扉の方から音がした。ガチャリという鍵が開けられる音だった。


「あれ? 根本君、どうしてここに……」


 もしかしなくても現れた人物を見るなり、ここがこの学校の生きとし生ける全ての男子の理想郷、シャングリラ、ユートピアだと理解した。いや、女神が現れたのだから天国、もしくはオリュンポスか。そんな秘境がこの旧校舎の屋上だったとは。


 驚き、困惑しながら女神様こと水原さんは続ける。


「ここ、ヒカちゃんと私しか知らないと思ってたのに……」


 水原さんの声色から察するに、あまり芳しく思っていないのではなかろうか。いくら火野さんの作戦とはいえ、この二人だけの秘密の地にずかずかと土足で入り込むような無粋な真似は流石に配慮が足らなかったように思える。ならば後悔の念と罪悪感を抱きながら潔く退場しようと思案するが、


「ちょっと、何逃げようとしてんのよ。ほら、なんか喋って、会話しなさいよ」


 こう逃げ道を断たれてしまっては、覚悟を決めるしかない。


「えっと、火野さんに教えてもらったことがあって、ここのこと」


 嘘は言っていない。実際教えてもらったのだ。ほんの数分前に。


「そう、だったんだ。知らなかったな私、ヒカちゃんと根本君がそんなに仲良しだったなんて。少しやきもち焼いちゃうなぁ」


 意外にも、水原さんの反応は悪くないものだった。


「だから言ってるでしょ、葵はあんたを特別視してるって。もしここにいたのが他の男子だったら、葵は何も言えずに逃げてるところよ」と、火野さんは自慢げである。


 そう言ってもらえると、俺も火野さんの友人を演ずるのに徹しようと欲が出てくる。


「昨日さ、火野さんの顔見たら、そういえば教えてもらったなぁって思い出しちゃって」


「そっか、昨日……」


 水原さんの表情が沈む。いきなりしくじった。昨日の通夜のを思い出させてしまったか。


「ちょっと覗いてみようと思っただけだから。邪魔してごめんね、俺、もう戻るから」


 逃げるが勝ちである。早々に退散を決める。


「あ、コラ、根本逃げんな」


 火野さんに引き止められようが、俺には学校のマドンナと昼休みを一緒に過ごす度胸も甲斐性も無い。出口の扉だけを見つめて足早に立ち去ろうとすると、


「あの、根本君」


 女神の一声で動きを止められる。もうここには来ないで、と言われれば素直に頷こうと思った。しかし、彼女から発せられた台詞は予想外のもので、


「その、よかったら、ここでお昼食べていったらどうかな? お弁当持ってきてるみたいだし、外で食べると気持ち良いし、その、今日はスズちゃんもいないし」


 俺は思わず振り返った。うつむき加減でそう言う水原さんの表情は、小中九年間で一度も見たことの無いものだった。確かに俺の右手には弁当を包んである巾着袋が握られている。鈴子はいてもいなくてもどちらでもいい。


「葵にこんな顔させるなんて、根本、私はあんたを過小評価していたかもしれないわね」


 火野さんは冷や汗を浮かべ、表情は口元だけが釣り上がり、目が笑っていない。なんだか恐ろしい。そして、幽霊も汗をかくことが判明した。


「その、ヒカちゃんのことでお話したいこともあるし、もし嫌じゃなければ、一緒に食べませんか?」


 こうなってしまっては、出口へと向かっていた俺の脚は自然と回れ右をし、椅子代わりの段差に腰を掛け、弁当を開くほかない。

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