遅れてきた届け物と夢の中の彼女8
葬儀場を後にした俺と鈴子は、バスに揺られ自宅へと戻って来た。今日二回目の帰宅である。
今度こそ解放される。結局、時間も遅いということもあって、通夜ぶるまいでは大した量を食べることができなかった。中途半端に食べ物を胃袋に入れたため、余計に腹が減る。
「またな鈴子」と、ぞんざいに手を振る。
「うん、すぐ着替えてくるよ」
ん?
「――お前、タイムリープしてね?」
「冗談だよ俊ちゃん。流石の私も、今日は疲れてしまったよ」
鈴子はカラカラと笑った。
「じゃあね俊ちゃん、また明日」
「おぅ、また」
鈴子が斜め向かいの自宅へと消えていくのを見守り、
「ま、及第点ね」
扉が完全に閉まるのを確認してから、火野さんがぼそりと言った。
「えっと、それは一応合格ってこと、すかね?」
「まぁね、でも葵は男とデートどころか手も繋いだことないから、もっと丁寧に優しくしてあげなきゃ駄目よ」
火野さんはこう言うが、彼女はなにか大事なことを抜かしている気がしてならない。そもそも、俺が水原さんとデートすることなんて可能なのだろうか? いくら親友の力を借りようとも、俺が水原さんと一緒に出かける姿など全く想像できない。
「大丈夫よ、そんな心配しなくても。他の男子はともかく、葵、あんたの印象は悪くないと思うから」
意表を突かれた。またしても思考を読まれてしまった。これでは不用意にイケない妄想に耽ることもできない。幽霊とはなんと便利な生き物か。いや、生きてないか。
「何で、そんなこと言えるの?」
水原さんのことならば隅から隅まで熟知している火野さんの言葉とはいえ、それを素直に受け止めて喜ぶことはできない。俺はそこまで能天気では無い。
「ん、んー、まぁこんなとこで立ち話もなんだし、中に入りましょうよ。私見たい番組あるし」
「はぁ、ですね」
それは本来俺の台詞なのだが、一ミリたりとも異論がないので従う。腹も減ったし、晩飯も食べなくてはならない。
後で聞いた話だが、母親も火野さんの通夜に参列していたらしい。俺と鈴子が一緒にいるのを見かけてあえて声を掛けなかったそうだ。忌々しい。なので、玄関に入ると問答無用で塩をまかれた。
生身の人間としては制服に塩が降りかかるだけで済むが、幽霊はどうなってしまうのかと火野さんの様子を窺うと、俺の制服に付いた塩をつまんで一舐めしていた。
「やっぱ味は感じないわね」と、余裕の表情を浮かべていた。
遅めの食事と入浴を終え、自室へ戻る。そこにはテレビを見ながらまるで自分の部屋のようにベッドでくつろぐ火野さんの姿があった。さっきのお焼香での会話を思い返すに、幽霊でも臭いは感じるらしい。となると、俺の布団では都合が悪い。
万年床とも言える俺のベッドには、色々と男臭い男汁が染み込んでいるのだ。火野さんが俺のベッドでごろごろしているその姿に心が躍るが、臭いを嗅がれてドン引きされてしまっては元も子もない。額に汗を浮かべながら、
「あの火野さん、さっきの話の続き聞かせてよ、こっちの椅子に座って」
ベッドから彼女を退けようと工作する。が、予想外の答えが帰ってきた。
「えぇー、このままでいいじゃない。私、これ好きなのよ」
「はぇ?」
好き、とな?
それはつまり実を言うと、平たく大雑把に分かりやすく言うと、両想いだとかいう甘くて酸っぱい幻の至宝なのではないか? 困った、今から幽霊との婚礼が認められている国を探す必要が出てくるでは無いか。自由の国アメリカならば、どこかの州法の端の方にこっそり書かれているのではなかろうか。
「このお日様の匂いっていうか、布団干したての匂い。今日いい天気だったからお母さんが干してくれたんじゃない? ん? 何であんたがお日様みたいに顔真っ赤なのよ」
「いえ、何でもありません」
とんだ赤っ恥だ。穴があったら入りたい。俺が今探さなくてはいけないのは国では無く穴だ。ともかく、母親に感謝しなくてはならない。今後、親孝行は計画的に実施していこうと思う。因みに、お日様の匂いはダニの死骸の匂いという噂があるが、これはデマである。あしからず。
「で、さっきの話の続きですけど」
話を戻し、彼女に問いかける。
「ん~、なんだっけ」
テレビにうつつを抜かし、うわの空になる火野さん。こんな彼女を呼び戻すには、
「水原さんが俺のことをどうのこうのってやつ」
この名前を出せば一撃である。思惑通り、火野さんはこちらへ顔を向ける。
「あぁ、はいはい。それね。あんた、スズに感謝しなくちゃ駄目よ」
「鈴子に?」
意外な人物の名が挙がる。今日だって飯を奢って、色々付き合ってやった。これ以上どうやって、何に感謝しろというのか。
「お昼にさ、スズが嫌になるくらいあんたの話をしてくるって言ったじゃん?」
無言で頷く。
「スズってば気持ち悪いくらいにあんたのことべた褒めするわけよ。で、葵ってば恐ろしいまでに純朴だから、そういうのホラでも信じちゃうのよ。せっかく私が苦労して『男子は全員ケダモノ』って教えてあげてるのに」
苦労を語るように言って火野さんは髪を掻き上げた。更に俺を指差し、続ける。
「そのせいで葵の中では、男子は全員危険人物、でも根本、あんただけは例外になってるわけ。なんか身に覚えあるじゃない?」
そう言われれば、入学式後の教室での会話、席替え直後のやけに親しそうな態度、なるほど納得である。俺がただ同じ小、中学校出身だからという理由だけではなく、鈴子の健気な努力が実を結んでいたというわけか。皮肉なものだ、全く。
「そういう意味を込めてベストって判断したのよ」
ここまで説明を終えると、火野さんは自慢げに鼻を鳴らした。
「そうか、他の男子だと好感度マイナスからスタートするのに対して、俺はむしろプラスからスタートすると」
この状況を恋愛シミュレーションゲーム、いわゆるギャルゲーに当てはめるとそうなる。なんとも分かりやすい状況だ。
「冴えてるじゃない。つまりはそういうことね」
ただ相変わらず、一つの疑問が頭の片隅から離れない。
「……あのさ、火野さんはそれでもいいの? その、もし、万が一だけど俺と水原さんが付き合うことになっても。好き、だったんでしょ?」
好きな人が別の男に盗られるどころか、それの手助けをしている彼女の心境が分からない。
「ねぇ、根本、あんた何か勘違いしてない? 私はそれを望んでるのよ?」
火野さんはズイっと顔を近付ける。
「葵が他のウジ虫に寄生されるくらいなら、根本、あんたのほうがマシってこと。今の、『ムシ』と『マシ』を掛けたんだけど、どうかな?」
そして火野さんは一人楽しそうに笑うのだ。
「分からないよ」
「え、分かんない? だからウジ虫の『ムシ』とあんたの方が『マシ』ってのを――」
「そうじゃなくてさ、もし俺が火野さんの立場だったら、俺を利用してでも水原さんに誰かが近付かないように護るとか、本当の自分の気持ちを代弁させるとかさ、いくらでも他にやりようがあると思うんだけど」
もし俺が死んで、好きな人が――火野さんが他の男に盗られるような事態が起きたら、俺はその相手を呪ってやるくらいの抵抗はするだろう。俺にも、好きな人がいるからこそ、火野さんの考えが理解できなかった。
「あんた、何にも分かって無いのね。それじゃ今までと何も変わらないじゃない」
低く唸るように言って、悲しそうにうつむく火野さん。
「え?」
「そりゃ私は、告白したかった。葵と付き合いたかった」
火野さんは顔を紅潮させながら、
「ぶっちゃけると、何ならエロいことだってしたかったわよ。キスしたり、それ以上のことしたり」
吐き捨てるように言い切る。その急なカミングアウトに、思わず気が緩む。
だけどね、と前置きして火野さんは真剣な面持ちへと変わり、俺もそれにつられる。
「葵には、私、というか、女の子を好きになってもらいたくないの。簡単に言うと、葵には『普通』に男を好きなって欲しい。あぁでも、どこの馬の骨ともわからない男は絶対に駄目だけどね」
火野さんは「ややこしいけど、私のわがままだから大目に見てね」と微笑んだ。
「私は葵をそういう目で見ちゃうけど、葵にはあくまで、親友ってラインを越えて欲しくないわけよ」
気丈に振舞おうと笑顔を作る火野さんの言葉を、俺はなんとか理解しようと脳内で噛み砕き、反芻する。
「――えっと、つまり、男のことを好きになる『普通』の水原さんが好きで、女を好きになる『百合』の水原さんはそうじゃないと?」
「そ。極論を言えばね。私は葵が好き。恋愛対象として。でもそれは『普通』の女の子である葵が好きなの。だから、葵には私のことを好きになって欲しくない。こちら側には来て欲しくない。それが理想なの。あ、でも友達として好きなってくれるのは別よ、それなら大歓迎!」
分からない。俺には、火野さんの気持ちが理解できなかった。その苛立ちから、
「それじゃあ、もし、生前に水原さんから告白されてたら断ってたってこと? 好きな人から告白されても断るの?」
自然と声に怒気が籠ってしまう。
「うん、多分、断っていたでしょうね。私は男が好きな葵と付き合いたいわけで、女が好きな葵とは付き合えないもの」
そんな俺の怒声も火野さんは、壁をすり抜けるが如くするするとかわしていってしまう。
「なら男に生まれていればよかったのか、って思うかも知れないけど、それは絶対嫌。だって男なんかに生まれるくらいなら、生まれないほうを選ぶもの」
火野さんの儚げな笑顔を見て、俺は、ただ絶句した。
――こんなの、残酷すぎる。
「それってつまり、絶対に成就しない恋ってことになるんじゃないのか……?」
火野さんは水原さんのことが好きである。恋愛対象として。ではその好きという気持ちを、水原さんに伝えたらどうなるか。
もし水原さんがその想いを受け止めてくれたとする。その瞬間、水原さんは火野さんの理想とする人では無くなる。何故なら、女性からの愛を受け止めてしまうのだから。
なら、もし断られたら。こちらはもっと悲惨だ。女性が好き、という火野さんの性癖を水原さんが嫌悪したら、二人の友情にまでひびが入る。
つまり告白しても、されても駄目。これでは手詰まりだ。火野さんの想いの行き着く果ては、失恋である。
「あぁ、やっと分かってくれたわね」と、火野さんは嘆息する。
だから彼女は、一生片思いをすることに決めたわけだ。
その為には、水原さんに相手がいては不都合となる。だから、水原さんを護る『盾』となり、男子を遠退けた。『ケダモノ』である男子共は水原さんを性的な目でしか見ないと決め付け、水原さんを守る為に。そして、自らが失恋しないように、告白を壊し続けた。
だが、そんな片思いが終息する事態が起こる。それは自らの死、ということともう一つ最大の理由があった。それはこの俺、根本俊一という男の出現。人間と幽霊という立場での邂逅だった。
「だから俺を使って……」
「そ、取引よ。私はあんたの守護霊になって不幸から身を守る。あんたは私の代弁者になって葵と付き合う」
これは彼女にとって、またとない好機だった。火野さんからしてみれば、他の『ケダモノ』とは違い、水原さんを任せるにはまだ『マシ』な男子。水原さんからしてみれば、話を聞く限り一番印象の良い男子。そんなびっくりするほど都合の良い男が、この俺だったというわけだ。
火野さんは今まで心の奥底に留めていた自らの想いを、俺を通して水原さんに伝えられる。つまり、今までしたくてもできなかった告白ができる。そして水原さんの返事が火野さんに戻ってくることは無い。俺に返ってくるのだから、当然だ。男であるこの俺に。
彼女からすれば願ったり叶ったりの状況と言えよう。自分は俺を通して、水原さんに恋をして、男に恋をする『普通』の水原さんを、少し高い所から見守ることができる。
それに、親友である火野さんの力を使えば、最終目標である『付き合う』というのはそう難しくないだろう。
これが彼女の魂胆の全貌というわけだ。
自分から愛することはあっても、見返りは求めない、求めたくない。なんて高尚な愛の形だろうか。俺には到底理解できない。できなくて当然だ。
告白したら、やっぱり返事は欲しいと思うし、相手にも好きになってもらいたい。独占欲が湧くのも当然だろう。男と女の違いだろうか、齢十五の俺には到底達することのできない境地なのだと思う。
では、もし俺と水原さんが付き合ったらどういうことになるのか。
周囲の男子から批判を食らい、しまいには暴力を振るわれる? 違う。
学校中の男共から憧れと嫉妬の視線を送られ、一目置かれる存在になる? 違う。
火野さんの未練が無くなって、彼女がこの世に存在する理由が無くなる。これだ。
俺にはそれが、何よりも怖かった。
でも、これはその火野さんの――好きな人の頼みだ。断れば嫌われてしまう危険性を孕んでいるため、無碍にはできない。それか、嫌われてまでも、断固拒否するべきなのだろうか。またこちらも、手詰まりだ。
「――なに黙りこくってるのよ」
「え、あ、いや、ゴメン、色々考えちゃって」
「今更、やめるなんて言い出さないでしょうね? 私、これに命賭けてんだから。まぁ賭ける命もないんだけどね」
火野さんの言葉の耳には入らず、俺は押し黙ってしまう。
「ちょっと、シラけないでよ、これ、一応笑うとこなんだから」
「……あぁ、ゴメン、寝不足で、意識がはっきりとしなくて」
寝不足というのは本当だが、意識がはっきりしないというのは嘘である。俺は、考え込んでしまっていた。
まさか、この問題がこんなにも複雑だとは思わなかった。それに、何故だか彼女に尊敬みたいなものまで感じてしまって、火野さんが遠く離れた存在に見えてしまう。あの世とこの世ほど離れているのだから当然ではあるが。
「まぁ無理も無いわね。私のせいで睡眠時間削っちゃってたし。いいわ、今日はオールナイト葵トークを中止にしてあげる。とっとと寝ちゃいなさい。明日からは『起』『承』『転』『結』の『承』が動き出すから、しっかり休養摂っときなさい」
俺を労わる火野さんの言葉が、何よりも俺の体力を回復させた。
第三章『遅れてきた届け物と夢の中の彼女』終了です




