遅れてきた届け物と夢の中の彼女7
ようやっと自宅の前へ辿り着き、これで解放されると思うと自然に顔がほころんだ。
「またな鈴子」
清々しい気分で鈴子を見送ろうと手を振る。
「うん、すぐに着替えて来るよ」
ん? 俺の聞き違いだろうか。鈴子の言うことが理解できない。今の台詞だとまるで、この後すぐに合流するかのように聞こえるが。
「……俊ちゃん、もしかして何も聞いていなかったのかい? まぁいい、とにかく制服に着替えてきなさい」
冗談で言っている雰囲気ではなかったのでとりあえず空気を読み、言われるがまま制服に着替え、鈴子に付いて行った。またバスに乗り、今朝とは別のルートを進んでいく。
そして、到着した場所は――。
「葬儀場?」
「今日は楓のお通夜だって、聞いていなかったのかい? てっきり昼間の挙動不審はここからきているものだと思ったのだが」
初耳だ。いや、きっと担任から連絡はあったはずなのだが、俺の耳には届いていなかったのだろう。
「私のお通夜? なにそれ私も知らなかったわよ」と、火野さんは能天気に笑った。
「俊ちゃん、君は楓とあまり親しくしていなかったが、最期のお別れくらいちゃんとしないと」
確かに鈴子の言う通りで、俺は火野さんと親しい仲ではなかった。でもそれは生前の話だけで、今では最期の挨拶どころか、毎朝叩き起こす、起こされる仲だ。だからと言って、葬式に出る出ないはまた別問題である。
「待った、俺、香典持って無い」
香典なんてのは方便で、俺は単純に葬式に出たく無かった。ただお金を持っていないのは事実で、俺の財布には帰りのバス賃で消えるほどの小銭しか入っていない。
「仕方が無いさ、まだ学生だからね。楓も大目に見てくれるだろう」
「えぇ、誰もあんたの香典になんて期待してないわよ」と、後ろで火野さんが笑う。
流石、鈴子である。水原さんとまではいかないが、火野さんのことを分かっていらっしゃる。
「私はちゃんと持ってきた。まぁ家を出られる状態ではないシズの分も合わせて二人分だが」
袱紗を取り出す鈴子に対し、「ほんと、抜け目ないなお前」と感心しながら呟く。
「常識だよ、常識。さて、楓に挨拶に行こうか」
そう言って鈴子は自分の襟を直し、ついでに「俊ちゃん、ちょっと上を向いて」と俺のネクタイの歪みを直した。
それではまるで、俺に常識が無いと言っているようじゃないかと反論したくなったが、鈴子はすたすたと歩いていってしまうので、とりあえず黙ってついて行くことに決めた。
葬儀場の中は――遠くでお経が聞こえてくる以外は――とても静かだった。俺は少し離れた所で鈴子が記帳を終えるのを待った。香典を持っていない俺は肩身が狭い思いだ。
「ねぇ、根本、あんたは名前書かないの?」
隣の仏様本人はこう言うが、どこか図々しいような感じがして、気が引ける。
「俺は、いいよ。俺が書いたってしょうがないでしょ?」
「そういうもんなのかしら。葬式なんて出たこと無いからわっかんないけど」
一応、この式の主役は火野さんなのだが、本人はつまらなそうに天井を仰ぎ見る。当然、自分の身体が焼かれてお骨になる前日にはしゃぐ人はいないと思うが、何も感じないということは無いだろう。
「俊ちゃん」と声がし、呼ばれた方向を見ると鈴子が手招きしている。
壁に寄りかかった身体を起こし、お焼香へと向かう。少し進んだところで、
「うぇ、私この臭い嫌い。ちょっと根本、やめさせてきなさい」
後ろの火野さんが鼻をつまんで言った。想定外のクレームだ。てっきり仏様にはフローラルな香りにでも感じるものだと思っていたが。いや、そちらでは無く、むしろ臭いを感じられることに驚いた。俺にも触れられているし、割と五感は正しく機能しているのだろうか。
「そんな無茶な、みんな良かれと思ってやってるのに」
「何よ、死んだ本人が言ってんのよ? 本人の意思は無視? 人権侵害よ」
果たして幽霊に人権は存在するのだろうか。
「あ、死んだから人権なんて無いだろって顔してる」
「そ、そんなこと無いよ、すぐにお焼香済ませて帰るから、少しの間我慢してよ」
まるで心の中を読まれてしまったようだ。恐ろしい。幽霊にはそんな特殊能力が備わっているのだろうか。
「俊ちゃん、何を一人ぶつぶつやっているんだい? 気が進まないなら無理強いはしないが」
待ちきれなくなったのか、鈴子が迎えに来た。
「いや、そうじゃないよ。ゴメン、行こうか」
「あぁ、それならいいのだが」
「しょうがないわね~、なるべく早く済ませなさいよ」
火野さんの言葉を背に、鈴子と共に歩みを進めた。
斎場内には、火野さんの遺影、大量の花、そして、彼女の身体が収めてある棺桶が存在感を醸し出していた。すでに読経は終えてしまっていたようで、火野家の親族と思われる人達が神妙な面持ちで喪主である火野さんの母親と思しき人物を囲っていた。
「あ! この写真、高校の生徒手帳のやつじゃない。もっと良い写真たくさんあるはずなのに~、どうせなら葵とのツーショットが良かった」
そんな事とはつゆ知らず、火野さんは自らの遺影を指差し大声で文句を言っている。水原さんと一緒の写真というのは、それはそれで問題だろう。でも確かに、こんな無表情の写真は誰だって嫌だと思う。そもそも生徒手帳の顔写真に満足する学生なんてこの世にいるのだろうか。
「俊ちゃん、火野のおばさまに挨拶するよ」
鈴子は一度大きく呼吸をしてから、緊張した面持ちで火野家の一団へと歩み寄る。
「あ……」と、火野さんが小さく息を漏らす。
顔面蒼白となっている自分の母親に、ようやく気がついたようだ。その小さな呟きに反応するように、火野さんのお母さんはこちらへ視線を向けた。周りの人達にお辞儀をすると、こちらへと向かってくる。
「あ、えっと、土田さんのところの……」
「はい、鈴子です」
「あぁ、鈴子ちゃん。良く来てくれたわね」
「いえ、この度は本当に、心からお悔やみ申し上げます。すみません、もっと早い時間に来ようと思ったんですが……」
鈴子がお辞儀するのに合わせ、俺も頭を下げる。
「いいえ、来てくれただけでも嬉しいわ。きっと楓もそう言ってると思うの」
言葉が段々と小さく、涙混じりへと変わって行く。娘を亡くしたばかりなのだから、無理も無い。
「そりゃまぁ嬉しいけど、本人がお通夜の日程も知らないってどうなってんのよこの業界」
火野さんが気抜けしたように言った。霊界の事情は知らないが、本人にお通夜の連絡が無いのは考えものだろう。
「あの、そちらは」と、火野母が俺に問いかけるような視線を注ぐ。鈴子に背中を押され、
「あの、根本って言います。火野さん、じゃなくて、か、楓さんと同じクラスの」
しどろもどろになりながら、なんとか自己紹介をした。どさくさ紛れに火野さんの下の名前を呼んでしまったところで鼓動が早くなるが、火野さん本人は大して気にしていないようだった。
「あ、根本さんのところの。ありがとうね、来てくれて」
「い、いえ」
「よかったら二人とも、お焼香あげていって」
「はい、そうさせてもらいます。俊ちゃん、お先にいいかい?」
「え? あぁ、どうぞ」
「それじゃあ」
鈴子はどこからか数珠を取り出していた。怖いほど抜け目のない女だ。
無難にお焼香を済まし、鈴子が一歩後退する。葬式のマナーなど知る由も無い俺は、鈴子と同じ動作を真似る。まず遺影に一礼し、焼香台の前へ。合掌し遺影を見つめ、抹香を掴み、二、三回香炉に香を落とす。再び遺影に一礼し、一歩下がる。とりあえず形だけは様になっていたと思う。火野さんも「なんかぎこちないわね」と笑ってくれているので良しとする。
「もしよかったら、顔、見ていってあげて」
お焼香を終えた俺と鈴子に、火野母が哀願するように言った。
やはりきたか。俺が葬式に出たくなかった理由は、これだ。
彼女の死因は知っている。事故だ。だからこそ、その肉体がどうなっているのかは、あまり考えたくはなかった。しかし、これを断るのはマナー違反なのだろう。
「はい」と、鈴子は小さく頷いて、「ね、俊ちゃん」と、俺の方を見る。そんな鈴子から目を背けるようにして火野さんの方へ目を向けると、
「見とけば? 別にいいじゃない、減るもんじゃないし」と、まるで他人事のご様子。
すっかり気が抜けてしまった。本人がそう言うので、俺も首を縦に振った。
棺の前に立ち、火野母の手によって小窓が開けられる。緊張の一瞬。中を見て、思わず、息を呑んだ。
「――綺麗だ……」
不謹慎なのは重々承知だが、思わず出た最初の感想が、これだった。まるで深い眠りに落ちた白雪姫のように、静かに横たわっていた。正直言うと、惚れ直した。
「ホントに、自分で言うのもなんだけど、綺麗よね~、私の死に顔」
火野さんはうっとりしたご様子。俺の言葉の真意を汲み取ってはいないらしい。助かった。それにしても、今俺の隣で元気に騒いでいる火野さんと、目の前で棺の中に収められている火野さん、一体どちらが本当の『火野楓』なのか分からなくなる。ただ、どちらも魅力的なのは変わりない。
「安らかな顔をして眠っているね。良かった」
ハンカチで口元を覆い、涙声になりながら鈴子が言う。
「事故だったからもっと悲惨かと思ってたけど、こればっかりは綺麗に轢いてくれた軽トラの運ちゃんに感謝ね」
火野さん本人は冗談のつもりなのだろうが、とても笑えるものではない。
棺の小窓が閉められ、火野母と向き直った。
「私はまだ離れられないけど、二人とも、二階のお座敷に食事が準備してあるからどうぞ上がっていって」
気丈に振舞おうと、ぎこちない笑みを浮かべていた。やはり親子だな、と俺は思った。
「いえ、すぐに帰りま――」と言いかけた俺を鈴子が制し、
「それじゃあ少しだけ、ご馳走になります」笑顔でそう返した。
「普通、遠慮するもんなんじゃないのか? 俺なんて香典持ってきてないし」
二階へと繋がる階段を登っている途中で、鈴子に疑問をぶつける。これではタダ飯喰らいではないか、みっともない。その辺の常識は持ち合わせているつもりだ。
「逆だよ俊ちゃん。こういう時は少しでも食事に手を付けておくんだ、それがマナーだからね」
「へぇ、そういうもんなのか」
勉強になった。鈴子が一緒にいて良かった。俺だったら全力で遠慮してバスに飛び乗っていたところだ。
二階の部屋へ入ると、高校の制服を着た生徒がちらほらと見られた。彼女の人望が窺い知ることができる。そのほとんどが女子なのだが、点々と男子の姿も見られた。その目的は、当然言うまでも無かろう。
「あ! 葵がいる! そうよ、葵が私の通夜に来てくれないわけがないのよ~」
火野さんの顔面の筋肉が全て緩む。その視線の先には男子達の目的である美少女が、部屋の隅で小さくなっていた。
その美少女は部屋に入ってきた我々に気が付くと、小さく手を振ってこちらへ駆け寄ってくる。その後ろに、一人の女の子がいることに気が付いた。俺は、心臓が止まりそうになった。
「スズちゃんは来てくれるってメールしてくれてたから知ってたけど、根本君まで来てくれるなんて」
「俊ちゃんは私が無理言って付いて来てもらったようなものでね。葵、元気そうで良かったよ。そして、焔ちゃんも」
鈴子は後ろの少女に話しかける。まるで火野さんが、生き返ったようだ。いや、火野さんより少し小さいので火野さん(小)とでも呼称しよう。
「はい、えっと、鈴子先輩ですよね? すみません、私、見分けがつかなくて……」
火野さん(小)はおどおどした様子で言った。外見は似ていても中身はだいぶ違うようだ。
「それはしょうがないね、実際、見分けがつくのは俊ちゃんくらいだし」
場を和ませるように空笑いする鈴子。
「いや、俺の目はそんなに優れてないよ。今も目の前の彼女が火野さんなんじゃないかと疑うくらいだからな」
つい、まじまじと顔を覗き込んで凝視してしまう。
「あれ、俊ちゃんは焔ちゃんのこと知らなかったかい?」
戸惑っている俺に、鈴子が言う。
「悲しいかな、私の愚妹よ。いっつもうじうじしてて、優柔不断で、そのくせ私には生意気で……あ~、思い出したらイライラしてきたわ」
火野さんの説明によって今、思い出した。『火野楓』には妹がいて、その名前は『火野焔』。姉の性格とは真逆で、目立たない女の子だ。俺達との歳は二つ違いなので、中学三年の時に一年にいたはずだが、全くと言っていいほど情報がなかったので記憶には残っていなかった。
そんな俺に気が付いたのか、火野さん妹はぺこりとお辞儀をした。
「スズちゃん、根本君も、あいてるところに座って、食事用意してあるから」
水原さんが俺達に席に付くよう促す。水原家と火野家は家族ぐるみで仲が良いので、水原さんは忙しい火野母の手伝いを買って出たのだろう。昨日までとは違い、どこか凛々しく振舞っている様子が分かった。妹さんの前だからだろうか、年上の意地というやつかもしれない。
「うん、いただくよ。座ろうか、俊ちゃん」
「あ、あぁ」
席に着くと、目の前には美味そうな料理が並んでいた。感嘆のため息を漏らし、思わず涎が垂れそうになる。そういえば、もう晩飯の時間だ。ちょうどいい、ここで晩飯済ませようと手当たり次第に料理を取ろうとすると、鈴子に足を踏まれた。
「痛! 何すんだよ」
「あまりはしたないことをするなよ、俊ちゃん。遠慮という日本人特有の奥ゆかしさが必要な場面だよ」
諭すような鈴子の言葉に、俺は甘エビの握り寿司を頬張りながら「うむ」と頷いた。




