遅れてきた届け物と夢の中の彼女6
「なぁ、飯を食いに行くんだよな?」
「何を今更。俊ちゃん、君だって言ってたじゃないか」
「じゃあなんで俺達、バスに乗ってんだ?」
てっきり近所の店に行くものだと思って油断していたが、俺の自転車が動けないままというのも重なって、こうしてバスで遠出することになってしまった。バス代とは予想外の出費だ。
「今はやたらと身体に悪そうなジャンクフードを食べたい気分なのでね」
「なら駅前でいいじゃないか」
「あそこは駄目だ。混んでる」
「まぁ確かに。ただ一つ言っとくが、一食分しか奢らないからな」
「ご心配無く。朝は食べてきた」
「抜け目ないなぁ、俺食べれてないぞ、お前があんなに早く来たもんだから。ん? てか朝飯食ったばっかなのになんで今から出発すんだよ?」
「せっかく町に繰り出すのだから、ご飯だけ食べて終わりなんて勿体無いだろう?」
「俺の財布が泣いてるぞ」
「覚悟を決めろ俊ちゃん、男だろ」
ざわざわと雑談をしながらバスに揺られる。火野さんは楽しそうに俺と鈴子の会話に聞き入っていた。車内は空いていて、乗客は俺達三人だけだった。いや、正確には二人か。
三十分も経つと、周りの風景が変わってくる。そこそこ背の高いビルが、そこそこ人通りの多い繁華街を見下ろしている。そんな地に、俺と鈴子、そして火野さんが降り立った。
時刻はまだ八時過ぎ。お昼まで単純計算で四時間ほど余裕がある。
「こんな早くに着いちまって、どうすんだ? 暇を潰そうにもどこも開いてないぞ」
「心配無用だよ俊ちゃん。この前シズに教えてもらったんだが、この辺りに二十四時間営業のカラオケボックスがあると聞いた」
「おい、まさか」
冷や汗が流れ、トラウマがフラッシュバックする。
「そのまさか、さ」
もの凄い力で無理矢理に俺の腕を引っ張る鈴子の笑顔は、俺にとっては鬼の形相に見えて仕方が無かった。
カラオケボックスとは個室でカラオケを楽しむための娯楽施設である。仲間や恋人と楽しく過ごしたり、飲み会の二次会で利用したり、日頃の鬱憤を大声に乗せて発散させたりするスポットである。決して、他人に五時間ぶっ続けリサイタルを聞かせて自己満足に浸る場所では無い。と俺は願いたい。
「いやぁ~、気持ちよかった」と、鈴子は汗ばみながら、非常に清々しい様子だ。
「そりゃ一人であんだけ歌えば気持ちいいだろうよ」
カウンターで支払いを済ませ、更に軽くなった財布をポケットに突っ込む。時刻は午後一時すぎ。すでに太陽が真上からほんの少しだけ西へ傾いている。
「いや、本音を言うとまだ歌い足りない」
自動ドアをくぐり、外の涼しい空気で肺を満たしながら、鈴子はハンカチで額の汗を拭う。
「お前なぁ、一体何曲歌ったと思ってんだ?」
「正直、憶えていない」
「だろうな。俺なんて三曲だぞ? 片手で数えられるわ! しかもそのうち二曲はお前とのデュエットだし。そのくせ料金は割り勘って、新手の詐欺か! カラオケ詐欺なんて斬新すぎて誰も真似しないぞ!」
ポケットの財布をさすりながら、噛みつくよう吠える。
「いいじゃない、スズが楽しんだんなら」
後ろの火野さんも晴れやかな表情だ。それもそのはず、歌っている鈴子に合わせて軽快に踊り回っていたので、さぞ楽しんだことだろう。真っ昼間のカラオケボックスでポルターガイストを起こすわけにはいかないので、マラカスやタンバリンを持ち出そうとしたのは流石に止めたが。幽霊というのは疲労を感じないようで、五時間ぶっ続けで騒いでも、ケロッとしている。
「……まぁしょうがないけどさ」
火野さんがそう言うなのら、俺は納得するしかない。
「おや、俊ちゃん、今日は随分物分かりがいいね。私はてっきりもっとぶうぶう文句を言われるものだと思っていたが」
「もういいから、本来の目的を果たしに行くぞ」
朝から何も食べていないので、無性に腹が減った。今すぐ何か食べたい。もっと言うと、今すぐ食事を済ませてすぐに帰りたい。帰って眠りたい。
「はて? なんだっけか」と、鈴子はこめかみに指を当て、わざとらしく首を傾げる。
「帰る」
くるりと踵を返し、バス停方向へと進路を変更する。
「冗談だよ冗談。私はハンバーガーだろうがフライドチキンだろうがなんだっていいぞ。なんなら焼き肉でもすき焼きでも文句は無いが」
鈴子に腕を引かれ、一つ大きなため息をついて歩きだす。なるべく安く済みそうな店を探してさ迷うしかなさそうだ。
しかしそんな体力も残っていない俺は結局、近場の大手チェーンハンバーガー店で昼食をとることになった。注文を済ませ商品を受け取り、四人掛けのテーブルに着く。俺と鈴子は向き合うように座り、その間に位置取るように火野さんが座る。
「注文しすぎだろ。遠慮という日本人特有の奥ゆかしさを知らんのか、お前は」
ハンバーガーにかぶり付く鈴子に言った。
「カラオケでエネルギーを使ってしまってね」と、鈴子はもぐもぐ美味しそうである。
「ふざけんな、カラオケで使ったカロリー分も支払うなんて聞いてないぞ。俺が支払うのは昼休みの穴埋め分だけだぞ」
「いいじゃないか、金欠だと嘆いていたわりには、君だって結構の量を頼んでいるようだし」
「俺のは朝昼二食分だ。腹が減ってんだよ、誰かのせいで朝飯食い損ねたからな」
「それはそれは、食べてくればよかったものを」
「お前が言うか」
苛立ちをハンバーガーにぶつけて頬張る。無理矢理に詰め込もうとしたために喉に詰まり、慌ててコーラで流し込んだ。
「俊ちゃん、落ち着きたまえよ。誰も盗りはしないから」
「うるせぇ」と、ポテトを噛み砕き、ぶっきらぼうに言い放つ。
「あんたらってホント面白いわよね~。夫婦漫才見てるみたいで飽きないわ」
目を細める火野さんに、思わずむせかける。直後、火野さんは何やらハッとした顔をして、
「――忘れてたッ!」と、威勢よく叫び、
「ちょっと根本、緊急事態! 話があるからすぐに来て!」
奥のトイレを指差して言うのであった。
「レディを一人残してトイレだなんて、無粋だね」と、愚痴をこぼす鈴子を無視して、男子トイレの個室に飛び込む。というか押し込まれた。
「あの、えと、なんすかね?」
便座に座らされ、監禁されているのではないかと錯覚する状況で口を開く。
「……私、一番大事なこと聞くの忘れてたわ」
気分が悪いのか、個室の壁によりかかり、額に手を当て、心なしか顔色が悪く見える。それもそのはず、血液が通っていないのだから。
「あんたさ、スズと付き合ってんの?」
「はい?」
「だって、もしそうなら葵と付き合えないじゃない」
「……」
あまりにも深刻そうな顔で言うので、笑いそうになってしまう。
「何で笑い堪えてんのよ」と、火野さんは苛立ちを隠さず睨みつける。
「い、いや、まさか、そんなことを心配してるのかと思って」
「じゃあ付き合ってないの?」の問いに、「もちろんです」即答である。
どこをどう見れば俺達が付き合っているなどと錯覚するのか、むしろ客観的に見てみたい。
「じゃあ好きな人はいるの?」
「うぇ?」
急に核心を突いた。心臓に悪いので勘弁してもらいたい。
「スズじゃないの?」
「ち、違いますよ、あいつとは大村という共通敵がいるってだけの腐れ縁みたいなもんだから」
変な誤解を解くには、こうやって詳しく説明していくのが一番だ。鈴子と俺は共同戦線を張る戦友みたいなものだ。
「……なーんかそれも可哀そうよね」
顎に手を添え、考え込むように言う火野さん。一体、貴女は誰の味方なのだろうか。
「だってスズってさ、あんたのこと大好きでしょ? 何かあれば俊ちゃん俊ちゃんってオウムみたいに繰り返して」
「え?」
前半はまだしも、後半部は初耳だ。
「昔っからそうなのよね。男なんて馬鹿ばっかって話してるといつも、『全面的には同意だが、俊ちゃんだけは違うぞ』って満面の笑みで語るんだもん。もう何度その話すれば気が済むのよって感じ」
火野さんはうんざりするように溜息を漏らす。そんなやり取りがされていたとは知らなかった。鈴子のやつめ、後でデザートでも奢ってやろうか。
「んー、でもきっと、恋愛対象とかそういうんじゃないよ」
「そういうもんなのかしらね。まぁスズのこと一番詳しそうなあんたがそう言うならそうなんでしょうね――」
一呼吸置いた後、
「――で、あんたは好きな人いるの?」と、話を戻されてしまった。
「え、えっと……、いるはいます、けど」
「え、誰よ? もしそうなら無理矢理に葵と付き合えなんて言えないじゃない」
「あの、えっと、その……」
こうなったら嘘を言ってもしょうがない。彼女の名前を言ってしまおうと、大きく息を吸い込んだ。トイレの空気で肺を満たすのはあまり喜ばしいことではないが、こうでもしないと十年近く積もりに積もった想いは吐き出せない。
「分かった! どうせ葵でしょ? あんたがスズ以外で好きになる女なんて葵しかいないもの」
満たした空気を吐き出すより先に、口を開いたのは彼女の方だった。
「だったら先に言いなさいよね~、私ってば一人勝手に暴走するところだったじゃない」
もうとっくに暴走しているものかと思っていた。今までが暴走でないのなら、火野さんにとってはまだ助走といったところなのだろうか。だとしたら、これから先が思いやられる。
「水臭いわねあんたも。ほら、もういいから、スズのとこに戻るわよ。あの子の言ってた通り、デート中にこんな場所に閉じこもるなんて、無粋以外の何物でもないわよ」
それだけ言って火野さんはするりと壁をすり抜け、姿を消してしまった。
こんな場所に引き込んだのは貴女だし、鈴子とのこれはデートじゃないし、そもそも俺の好きな人は水原さんではない。色々と言いたいことがあったが、火野さんの屈託の無い笑顔を見せられては、全て飲み込んで胃袋にくるんでおくしかないだろう。
「お帰り、随分と時間を要したね。すっきりしたかい?」
席に戻ると、鈴子はすでに食事を終え、ゴミをひとまとまりにして暇を持て余していた。
「鈴子、デザートでもどうだ?」
食べかけのハンバーガーに、再びかぶり付く。鈴子は目を丸くした。
「どういう風の吹きまわしだい? さては便所で汚物と一緒に財布の紐を流してしまったな」
「俺の腹よりは緩くなったのは確かだな。まぁ、日頃の感謝の印みたいなもんだよ」
「なんだいそれは? 後が怖くて素直にご馳走になる気にはならないね」
火野さんに色々良く言ってくれていたらしいから、そのお礼のつもりである。他意なんて微塵もない。
「疑り深いなお前は。そろそろマジで財布の底が見えてきてるから、あんま高いものは奢れないけどな」
「……そうだな、デザートはいいから、その代わりにこの後少し付き合ってもらいたいのだが」
鈴子は紙コップに付いた水滴をなぞった。
「ん、俺の財布へのダメージが極力安く済むなら」
若干思案した後、こう結論付けた。隣に座る火野さんも、「いい予行練習になりそうね」と満足げに頷いているので間違った選択ではなかったようだ。
「バス賃が残っていれば問題無いだろう?」
「今月俺は何も買わずに過ごせってか?」
「それも、大した問題ではないだろう」
白い歯を見せたのち、鈴子は立ち上がった。
疲労困憊の中、帰りのバスに揺られる。隣に座る鈴子は、あれだけ歩き回ったというのに疲れた様子は無い。
「今日の俊ちゃんはなにやら挙動不審だったね」
それは俺のせいではなく、火野さんの指令によるのもだ。やれ荷物を持ってあげろ、やれ車道側に立て、やれ手を繋いであげろと忙しない。
女の子なんて扱った経験の無い俺は、というより、鈴子を女の子扱いなど一度もしたことの無い俺は、その指令の一言一句に困惑し、耳元で囁かれる火野さんの声に浮足だってしまっていた。
「しょうがないだろ」
座席に身を預け、今にも深い眠りに落ちてしまいそうになる。鈴子が「そうだね、しょうがないね」と呟いた気がするが、瞼が重くて確認のしようが無い。
「なかなか手応えがあったんじゃないの? 今回の予行デート」
この人の元気の源は、幽霊になって疲労という概念が消えたからなのか、それとも生前に部活で鍛えていた賜物なのか、俺には判断がつかない。そして、これはデートじゃない。
朝一のカラオケから始まり、昼食を挟み、CDショップと本屋、服屋で買い物。締めにゲームセンターでツーショットプリクラ撮影、ってこれやっぱりデートじゃんと言われても、俺は断じてそうではないと言い切れる。言い切ってやる。