遅れてきた届け物と夢の中の彼女5
事故現場から自宅への帰り道、
「思ったんだけどあんた、結構根性あるわよね」
隣を歩く火野さんは俺の意外な部分を褒めた。そんなこと他人に一切言われたことはないし、自分でも根性なんてものは見たこともないし、そんな根っこは俺の土壌からはショベルカーを使っても掘り出すことは困難だと決めつけていた。
「そんなもの、持ち合わせてないよ」
「謙遜しなくたっていいじゃない。だって席替えの後、私の目の前で堂々と葵に話しかけたり」
謙遜でも何でもなく、それは貴女の気を惹くために行ったことだ。度胸や根性といった類のものではない。とはいっても、何の覚悟も無かったわけではないが。
「死んだはずの私を見つけてもなんも動揺しなかったり」
それはあらかじめ夢で見ていたからで、言うなれば一回予習していたことになる。あの時はどちらかというと、戸惑いや恐怖よりも喜びの感情の方が大きかった。というか、今この瞬間も、夢を見ているのでないかと疑ってしまう。こうして火野さんと肩を並べて歩いているなんて、夢で見ることすら恐れ多い。
「まぁ、つまりあんたを見直したってことよ」
火野さんはそう言うが、俺はそんな良く出来た人間ではない。でも、彼女がこう言ってくれるのなら、変わる努力をしてみようというのもやぶさかではない。
しかし、早速その根性が音を立てて折れそうになる事態が発生している。
「――で、結局大事なのは『起』『承』『転』『結』なわけよ」
長々と水原さんの魅力について熱弁を奮っていた火野さんが突如、核心を突くように言った。時刻は午後三時すぎ。彼女は午前中からずっと水原さんの魅力について語っている。
「ちょっと、聞いてんの?」
起床時間のせいでうつらうつらしていた俺の目前に、突如火野さんの顔が現れる。思わず息が止まり、後ろに飛び退いた。
「そんなに驚くことないじゃない」と、火野さんは腕を組み毒付く。
それは無理な相談だ。チキンな俺には相変わらずのチラ見のほうが性に合っている。
「う、うん、聞いてるよ。起承転結でしょ」
部屋の座布団に座りなおし、顔が紅潮していくのを感じながら言った。我ながら情けない。全く持って自分には根性の欠片も無いと自覚した。
「そう。今朝のファーストコンタクトが『起』ってわけよ」
彼女は咳払いして、教師のような口調で続ける。
「で、『承』は月曜日の出方次第で決まるとして、問題は残りの『転』『結』よね~。まぁ『結』はもちろんのこと告白で終わるから迷うことも無いんだけど――」
火野さんは一人ぶつぶつと何か唱えている。今日一日、どうやら話しを聞くだけで終わってしまいそうだ。せめて晩飯を摂る時間くらいは欲しいものだ。
その心配は見事に的中し、昨日寝たのは深夜二時過ぎ。眠りにつく直前まで火野楓の火野楓による水原葵のための演説を聞かされていた。なお、晩御飯には無事あり付けた。
ただ、今日は日曜日だ。睡眠不足に陥る心配は要らないだろう。と、高を括っていたのが間違いだった。昨日同様、火野さんに叩き起こされた。
「えぇ、今日は何もないはずじゃ」
寝ぼけ眼を擦りながら時計を確認する。時刻はまだ七時、テレビの戦隊モノ番組でも見ようとしなければ、まだ眠りについていてもおかしくない時間だ。
「違う。ほら、外見てみないさい」
促されるままカーテンを開き、窓の外を確認する。空を見上げると今日もいい天気で、朝日が眩しい。暖かな日差しが室内を照らす。視点を下げると、玄関の前に一人の少女が携帯電話を耳に当てて立っていた。どうやらどこかに電話をしているらしく、これ以上無いベストなタイミングで机の上に置かれた俺の携帯が鳴き声をあげる。ディスプレイに表示されたその名前は、
「鈴子か」
通話ボタンを押し、一つ欠伸をしてから話し始める。
「やぁ俊ちゃん、おはよう。今君の家の前にいてね」
「知ってるよ、上見てみろ」
鈴子は言われるがまま顔を上げ、俺の姿を確認すると、少し驚いた様子で手をひらひらと振った。
「まさか起きているとは思わなかったよ。インターフォンを鳴らそうと思ったのだけど、朝早くだから迷惑かと思ってね」
「そんな迷惑な朝早くから何の用だ?」
「嫌だな、もう忘れてしまったのかい? 私の昼休み半分を埋め合わせる、という約束」
確かに、そんなことを言った記憶がある。この数日間の激動ですっかり記憶の溝へ追いやっていた。
「あんた、スズと何か約束してたの?」
後ろで様子を見守っていた火野さんが尋ねる。そういえば、水原さんを含めたこの三人は中学時代から仲が良かったことを思い出した。
「えっと、大したことじゃないんだけど」
「む、私との約束が大したこと無いという意味かい?」
「違う、ちょっと待ってろ」
話しをややこしくしないでほしい。でも、この鈴子の反応を見るに、どうやら電話越しに火野さんの声が聞こえているということは無いようだ。電話なら幽霊の声を拾える等の都市伝説を聞いたことがあるが、所詮伝説は伝説か。
通話終了ボタンを押して、とりあえず急いで着替え始める。
「あんたさぁ、女の子を外で待たせるってどうなのよ?」
寝巻代わりのスウェットが首で絡まり、視界がゼロの中、火野さんの呆れたような声が耳に入ってきた。
「へ?」
なんとかスウェットを脱ぎ捨て、上半身半裸のまま彼女の説教を受ける羽目になった。
「鍵開けて玄関先で待っててもらうくらいできるでしょ? そんなんじゃ葵のこと任せられないわよ」
「すみません……」
反射的に謝罪の言葉が口をつく。火野さんは溜息を漏らして、
「謝ってる暇があったらとっとと着替えて迎えに行ってやりなさい」
着替えを催促すると、壁をするりと抜けて外へ出ていった。
着替えを済まし一階へ降りると、母親が起きだしていた。
「あんた、こんな時間から着替えてどうしたの?」
「うん、ちょっと」
そのまま玄関へと直行し、鍵を開け、外にいる人物を仲へ招き入れる。
「やぁ、俊ちゃんにしては意外と早かったね」「遅い、着替えんのにどんだけ時間かかんのよ」
何故か火野さんまで中に入ってくる。どうやら外で鈴子と一緒に待っていたようだ。一緒に、という表現が合っているかどうかは分からないが。
「あらあら、鈴子ちゃんじゃない。おはよう、久しぶりね~。随分おしゃれになっちゃって」
母親が鈴子を見て仰天の声をあげる。この髪型になった鈴子を見るのは初めてのはずだが、うちの母親は鈴子静子の違いを一目で見抜ける数少ない貴重な人材である。
とは言え、今日の鈴子静子の違いを見つけるのはそう難しくない。それは服装の問題で、妹静子がひらひらとした女の子っぽいスカートやワンピースを好むのに対し、姉の鈴子は男みたいなパンツルックを好む傾向にある。
本来ならば色気なんて微塵も感じさせないはずの格好なのだが、髪型による影響が大きいのか、今日の鈴子はボーイッシュという一つのジャンルとして確立していた。
「おはようございます、おばさま」
清々しいまでの鈴子の笑顔は、何か裏があるのではないかと勘ぐってしまうほどだ。
「ほら、そんなところに立ってないで、上がっていって」
「いえ、これから俊ちゃんとお出かけなので。また今度にお邪魔させていただきます」
そう言って鈴子はお辞儀をした後、
「俊ちゃん、顔を洗って寝癖を直す間くらいなら待ってあげるから、急ぐんだぞ?」
俺に向き直し、片目だけ瞬きをした。後で思うに、あれは慣れないウィンクだったのではないかと推測するが、真相は闇の中だ。
洗顔と歯磨きと寝ぐせ直しを同時に進行させ、一分弱で身だしなみを整える。一度自室へ戻り、軽い財布と携帯だけを持って再び玄関に戻ろうとすると、火野さんに引き止められる。
「スズと出かけんの?」
「うん、まぁ。たまにあるんだ、鈴子を怒らせたりするとこうやって飯奢って許してもらうことが」
決してデートなんて甘ったるいものでは無いと、さりげなく強調する。
「ふぅん、丁度いいかもね。葵との本番に備えてデートの予行演習ってのも」
しかし、見事にスルー。彼女には通じなかった。
「何すかそれ。って、もしかして付いてくる気じゃ」
「そりゃどこまでも憑いてくわよ。なんたってあんたの守護霊なんだから。何、嫌なの?」
火野さんはいぶかしむ目線を俺に注ぐ。正直、ずっと火野さんといられるのは嬉しい。嬉しくないわけがないのだが、いかんせん俺の緊張の糸が持たない。
「そ、そういうわけじゃ……ただ、てっきり朝は寝床でぐうぐうするものだと」
「それは妖怪だ! アホ!」
見事なローキックを左足に食らった。
妖怪と幽霊の違いを考えながら玄関先に戻ると、鈴子は母親と話しこんでいた。
「お、偉い偉い。本当にすぐ戻って来たね」
「急かされたからな」
靴を履きながら答える。母親からのいやらしい視線は全て無視することに決めた。
「へぇ、デートなんだ。やるじゃん。ちゃんと男らしくしなさいよ」
視線どころか口まで挟んできた。やかましいことこの上ない。思春期男子にとって母親は最凶の害悪という構図は、一体いつの時代から存在するのだろうか。
「面白い親御さんじゃない」と、火野さんはいつになく楽しそうだ。
「鈴子ちゃん、うちの息子をよろしくね」
「はい、おばさま。私に任せてください」
とん、と胸を叩く鈴子の腕を無理矢理引っ張り、とにかく外へ逃げることに決めた。
「ちょっと、俊ちゃん、そんな強く引っ張らなくても私はどこにも逃げないよ」
自宅玄関を少し出た所で、薄く笑みを浮かべながら鈴子は言う。俺は手を離し、鈴子と向き直る。
「お前な、こんなときに、何でよりによって今日なんだよ」
今日は睡眠不足の回収日と位置付けていただけに、その苛立ちは一入だ。そんな俺の怒りとは対照的に、鈴子の表情は陰る。
「こんなとき、だからだよ。一人でいると、どうも気が滅入ってしまってね」
無理して作られたような鈴子の笑顔は、とても痛々しいものだった。それもそのはずで、鈴子を始め多くの人にとって今は、一人の友人を亡くしてまだ間もないのだから。
「鈴子……その、悪かった。あの、静子はどうだ? 一人が辛いなら、あいつと一緒にいれば」
「シズはもっと駄目だよ。一人で泣き腫らして、今も部屋から出てこない。あの子は、意外と弱いからね。今はそっとしておくよ」
鈴子は自らを抱き寄せるようにして、小刻みに震えうつむいた。
「私、結構色んなとこで迷惑かけちゃってるみたいね」
後ろに立つ火野さんが苦笑する。彼女が殺されたわけでも、ましてや自ら死を選んだというわけでもないので、こればかりは誰を責めることもできない。だからこそその行き場の無い怒りが、悲しみへと変わってしまう。
「で、何であんたはただボーっと突っ立ってんの? 男ならがばっと抱き寄せるくらいの気兼ねを見せなさいよ」
一変、火野さんは声を荒げる。ぎょっとして振り返ると、腕を組んで仁王立ちし、今すぐに抱き寄せろと言わんばかりの形相だ。何度も言うが、俺にはそんな度胸も勇気もない人間だというのが、そろそろ分かってきてもらえた頃ではないかと思う。
「そっか、そうだな。じゃあ、気が紛れるかどうかは分かんないけど、一緒に飯でも食いに行こうぜ」
抱き寄せるまではないものの、せめて肩に手を置いて鈴子を励ます。見ためより、鈴子は震えていた。
「最初からそのつもりだ。奢ってもらうからな」
曇りの無い笑みを見せる鈴子。ただ、目が赤かったのが印象的だった。