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遅れてきた届け物と夢の中の彼女4

 昨夜、この名前を聞かされた時、火野さんの今までの行動が全て一つの線で繋がった。


 告白を全て破壊するのも、神話の『盾』の如く水原さんを守るのも、その名前を一切聞き洩らさない地獄耳になるのも、常に二人で一緒にいるのも、男子を汚物のように扱うのも、全ては水原さんに対する友情以上の感情が巻き起こしていたものであったのだと。


 しかし、ここで当然ある疑問が浮上する。


「えっとそれはつまり、れ、レズビアンとかいう類の?」


「あんたねぇ、そんな言い草無いでしょ?」


 火野さんは呆れ怒ったような声をだす。直接聞くのは流石に失礼だったか。


百合(ゆり)って言いなさいよ、百合(ゆり)って」


 この二つの言葉の意味が、似ているようで微妙に違うけど、やっぱりほとんど同じだと気付くのに数秒の時間を要した。


 火野さんが――俺の好きな人が、女の子のことが好きだと聞いた瞬間、つまり好きな男はいないと分かった瞬間、内心舞い上がった。だがそれはつまり、男である俺には可能性がゼロなのだという証明にもなり、舞い上がっていた俺の心は一気に叩き落とされた。倍以上の高さから落下した俺の傷心はちょっとやそっとのことでは癒されない。


「根本、あんたになら葵のこと任せても大丈夫って気がするの。他の男だったら絶対に嫌だけどね。前にも言ったけどあんたからは卑しい感じがしないしそれに、エロ本の一冊すら持っていないような安全パイだもんね」


 俺の心は更に傷つく。ここまで言われると、流石にポジティブには考えられない。


「あんたにもメリットしかないのよ? あの葵と付き合えるかもしれないんだから」


 火野さんはそう言うが、俺の心の傷は少しも回復しない。だって、それは俺にとってメリットでもなんでもないのだから。


 と言っても、火野さんからの頼みならば聞かないわけにはいかず、


「分かったよ、検討してみる」


 この曖昧な返事によって、


「そう! なら私はあんたの健闘を讃えるわ!」


 俺と火野さんの関係が決定した。クラスメイトから協力者と守護霊という立場にランクアップしたわけだ。果たして、生と死ほども差があるこの関係をクラスメイトより上だと判断して良いものかと疑問も残るが、火野さんと会話できる、というだけで議論の余地は無いだろう。



 最愛の水原さんと話せない鬱憤が溜まっていたのか、この日の火野さんはやたら饒舌で、ずっとテレビの深夜バラエティを見ながら喋り続けた。先ほど言っていた「眠気は感じない」というのはどうやら本当のことで、時刻が深夜になってもその饒舌が衰える様子は無い。


 うつらうつらしながらも我慢して聞いていた俺だったが、深夜三時を回ったところでギブアップ。ただでさえ非現実的な事の連続で疲労困憊している俺の脳みそがこれ以上活動していては、自転車同様パンクして中身が溢れ出てしまう。


 火野さんに「とりあえず今日はもう寝かせてくれ」と懇願し、就寝となった。


 が、朝の五時に火野さんに叩き起こされた。これは昨日発覚したことだが、俺から火野さんに触れることはできない。その反対に、火野さんから俺には触れられる。


 だから文字通り、叩いて起こされた。




「あ! ほらやっぱ来たわよ!」


 火野さんが指差す方向を見る。そこには確かに、水原さんの姿があった。土曜日だというのに学校の制服を着て、かばんとビニール袋を手にぶら下げている。


「おーい! あーおーいー」


 叫びながら手を振る火野さんの声は、俯き加減で歩いていてくる水原さんには届いていない。


「葵ってばぁ!」


 健気に手を振る火野さんを見て俺は、やはり彼女は死んでしまったのだと痛感する。もし彼女が生きてれば、水原さんはあんな表情をしなくて済むのに。


「やっぱ、駄目か。もう何回も声掛けてるんだけどね……」


 段々と火野さんの笑顔が消え、声も出なくなった頃、水原さんがこちらに気が付いた。驚いた表情を見せた後、弱々しい笑顔を見せながら小走りでこちらに駆けてくる。


 火野さんの顔を見ると、目があった。


「ほら、何やってんのよ、挨拶ぐらいしなさい」


 促されるまま「えっと、おはよう。水原さん」と、なるべく笑顔を作って挨拶をした。


「うん、おはよう。根本君」


 水原さんの目は、もう腫れてはいなかったが、今度はくっきりと刻まれた隈が、彼女の精神状態を暗示していた。


「根本君、ヒカちゃんのために来てくれたの?」


「えぇっと、まぁ、そんなところ」


 実は、そのヒカちゃんの指令で貴女のことを待っていました、とは言えるはずがない。


「男の子が来てくれるなんて、きっとヒカちゃんすごくびっくりしてると思うよ?」


「えぇそりゃもう、驚いたわよ。しかも姿が見えて話までしちゃうんだから」


 なんだか生きてる時の二人のやり取りを見ているみたいで、おかしくなってしまう。


「どうして笑ってるの?」「何笑ってんのよ?」


 二人同時に声がした。


「えっと、そんなに男子の友達がいなかったのかなぁ? って思って」


「余計なお世話よ」


「うん、残念だけどあんまりいなかったかな」と、水原さんは小さく含み笑いをして答えた。


「あれ? もしかしてそのジュース」 


 水原さんは、俺が手に持つホワイトソーダなる飲み物に気が付く。


「え? これ? さっき買ってきたやつだけど」


 春休み、あの通販での出費で懐が寂しい俺ではあったが、「お供え物の一つも持ってこないのはいかかがなものか」という火野さんの疑問に一理あり、ここに来る前に自動販売機に立ち寄って彼女に言われるがまま買わされた、もとい勧められたものだった。


 二本買ったうち一本はすでに供え、もう一本は自分で飲んでいた。その味は、米の研ぎ汁に炭酸水と甘味料をぶっ込んだような珍味だった。


「それ、ヒカちゃんが好きだったやつだよ?」


「えっ? あぁうん、そうだね」


 さっき知った。ほんの三十分ほど前に。彼女の趣味なのでとやかく言うつもりはないが、この商品を作った飲料メーカーの開発部には味覚が異常な人しかいないと思われる。


「えぇー、それ知ってるの私だけだと思ってたのに」


 水原さんは少し残念そうに言った。


「根本君って、ヒカちゃんと仲良かったの?」


「え?」


 急な質問に、どう答えたらいいのか分からず、火野さんに助けを求める。


「そういうことにしておきなさい」と、言うことなので、


「そういうことにしておいて」と、そのまま答えた。が、


「バカ! そのまま伝えるアホがどこにいんのよ!」


 火野さんに怒られてしまった。しかし、


「何それ、変なの~」


 水原さんはさっきより、いや、火野さんが死んでしまってから一番いい笑顔を見せてくれた。


「じゃあ、これは知ってる? ヒカちゃんが一番好きだったお菓子」


 そう言って水原さんがビニール袋から取り出したのは、ココアシガレットだった。


「ヒカちゃん、いつもこれでタバコ吹かすふりして遊んでたの」


 水原さんの無邪気なはにかみに対して、火野さんは恥ずかしそうにその暴露話を聞いていた。


「それは知らなかったなぁ。というか、全然想像できない」


 横目で火野さんを見ると、もの凄い剣幕でこちらを睨んでいたので思わず恐縮した。


「でしょ? ヒカちゃん、可愛いところいっぱいあるんだよ」


 水原さんは無垢な笑顔を無償で振りまく。勿体無いことである。俺一人では受け止めきれないこの無償の笑みは、隣の火野さんにおすそわけすることにした。すると、


「はぁん、やっぱ葵、可愛いわぁ」と身悶え、火野さんから発せられているとは思えないほどの、やたら妖艶な声で俺を興奮させた。


 俺と火野さんが発情している隣で水原さんはしゃがみ込み、ココアシガレットを供え、両の手を合わせて合掌した。


 その弱々しく痛々しい背中を見せられ、俺は思わず、


「水原さん、その、大丈夫?」と声をかけ、こんな言葉しかかけることのできない自分に嫌気がさした。


「うん、大丈夫。大丈夫なつもり。私が沈んでても、ヒカちゃんきっと喜ばないし、私が強くならないと、ヒカちゃんきっと悲しむから」


 だけどね、と水原さんは寂しそうに呟き、続ける。


「皆、今はこうやってお供え物持ってきてくれたり、手を合わせてくれるけど、少し経ったら事故のこととか忘れちゃうんだろうな」


 立ち上がり空を見上げ、投げやりな様子で言う水原さん。


「葵……」


 火野さんも居た堪れない様子で水原さんから目を逸らす。


「私ね、それが一番怖いの。皆が忘れちゃって、ヒカちゃんが元からいなかった人みたいに扱われるのが怖くて、ヒカちゃんを憶えている人が私しかいなくなっちゃうのが怖くて……」


 振り返った水原さんは唇を噛み、涙を堪えていた。


 まさか、水原さんがそんなことを考えていたとは。ただ悲しみに暮れるだけだった俺なんかとは大違いだ。だけど、それは杞憂なのではないかと俺は思う。


「それなら大丈夫。心配いらないよ」


 自分でも驚くほど明るい声が出た。聞きようによっては半笑いにも聞こえる声だ。


「どうしてそんなことが言えるの?」


 涙に潤んだ水原さんの瞳が俺を責め立てるように見つめてくる。


「だって俺は忘れないから、火野さんのこと。絶対に。友達、だったんだから」


 現在進行形で隣にいるということは置いといて、どういう結果であれ初恋の人というのは心に残るというものです。


「それに俺だけじゃない。鈴子だって他の奴らだって、そりゃたまには忘れることもあるかもしれないけどさ、最初からいない人になるわけないって」


 水原さんは口を真一文字に閉めたまま、俺の話に聞き入っている。


「それでたまには皆で思い出話に花を咲かせてさ、思い出しあえばいんじゃないかな?」


 言い終わると、しばらくの沈黙。しまった。一人で喋りすぎたか、水原さんはキョトンとしてしまっている。


「あ、ごめん、勝手に変な事口走って……」


「ううん、ちょっと驚いちゃった。まさか、根本君がそんなこと言ってくれるなんて思わなかったから」


 水原さんは目尻に溜まった涙を拭い、


「そうだよね、皆、ヒカちゃんと友達だったんだもんね。忘れるわけ、ないよね!」


 そう言って涙の後に見せた水原さんの笑顔は、雨上がりの虹の如く、思わずため息を漏らしてしまうほど美しかった。



「えっと、水原さんはこれからどこか行くの? 制服着てるけど」


 このままでは惚れてしまいそうなので、話題を切り替える。


「うん、部活。部活している間は何も考えなくていいから」


 一転、苦しそうな作り笑顔を見せる水原さん。火野さんがいなくなってしまったという現実が、やはり彼女の心に深い傷を残しているのだと痛感させられる。


「じゃあそろそろ、私行くね。部活遅れちゃうから」


 そう言って無理矢理に笑おうとする水原さんに、他に何か声を掛けるべきことは無いかと火野さんを窺う。彼女は俺の目を見て静かに頷いた。


「うん、じゃあまた、月曜日に」


「うん、またね」


 軽く手を振って去っていく水原さんの後ろ姿は、来た時よりも背筋が伸びて元気が出ているように見えた。俺の見間違えかもしれないが。火野さんも満足げで、


「いいわぁ、いいわよ。ファーストコンタクトとしては完璧ね」


 そんな彼女を見ていると、俺も少し救われたような気分になる。

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