遅れてきた届け物と夢の中の彼女3
「あんたね、こういう大事なことは先に言いなさいよ」
しかめっ面のまま、俺が昨日飲み干した空き瓶をつまみ上げる火野さん。自分の部屋の中だというのに、今までの人生で最も緊張し、肩身を狭くさせる。
「全部飲み切っちゃてるじゃない。あーあ、葵に飲ませれば私のこと見えるようになったかもしれないのに」
落胆の表情を隠さない火野さんは、机に腰掛けスリムで綺麗な足を組みながら言った。やはり、女子のスカートは短いに越したことはない。
「その通販サイトも消えたまんま、住所が書いてあったであろう包装紙と中の書類は全部びりびりに破ってゴミ箱に突っ込んだ上に、今朝のゴミ収集に出しちゃうってあんた、手掛かりゼロじゃない」
「返す言葉もありません」
ふわり、と重力を感じさせずにベッドへ飛び移った火野さんは、仰向けになり溜息を漏らした。俺は、あの布団を最後に干したのはいつだったか、昨日の寝汗の臭いは大丈夫だろうか、そもそも幽霊は臭いを感じるのだろうか、と心が落ち着かない。
「で、本来何するつもりで買ったものなの? あんた、オカルト趣味でもあったの?」
火野さんは怪訝な顔で問う。本当のこと言うのはみっともないので勘弁してもらいたいが、彼女にオカルト野郎と誤解されるのは好ましくない。
「えっと、本来は、開運グッズだった、はず……」
自身の不幸体質には認めない方針を貫いている俺にとっては、あまり知られたくない事実だった。それは火野さんも察してくれたらしく、
「あー、あんた、あれ気にしてたんだ」
言いようのない恥ずかしさが俺の顔を紅潮させる。
「なんか、ゴメンね。うん、根本、気にすること無いわよ。私なんてほら、死んじゃってるし、生きてるだけでもいいと思わないと」
火野さんは俺の目を見ずに言った。幽霊に気を使われるとは、世にも奇妙な体験である。火野さんは話題を逸らそうと部屋を見回し、
「にしても、意外に普通ね。拍子抜けよ」と、つまらなそうに言った。
そんな彼女を尻目に、俺は未だに正座を崩せずにいた。
俺の部屋に女の子が入るなんて、鈴子静子の双子姉妹を除けば初のことだ。ただし、当人の生死は問わない。そう簡単に緊張が解けるほど、俺の度胸は据わっていない。
「でも部屋にテレビがあるのは羨ましいな。一人っ子だから? ずるい」
先ほどからバラエティ番組を垂れ流したままのテレビを指差して火野さんは言う。
火野さんがテレビっ子だという情報は、ごく最近に水原さんから仕入れた。そういえば、事故のあったあの日も、彼女は見たいドラマの再放送があると言って急いで帰っていた。まさかとは思うが、それが事故の原因なのだろうか。
「エロ本は? ベッドの下?」
幽霊の身体の利点を最大限に駆使し、ベッドの上から下へと上半身を貫通させながら火野さんは問う。あいにく、ベッドの下には綿埃しか転がっていない。
「そんな中学生みたいな場所には隠さないって」
俺がエロ本派ではなくエロ画像派だったことが功を奏した。パソコンの中を見られない限り、俺の名誉は保たれるだろう。
「つまんないの。つい最近まで中学生だったくせに」
身体を引っこ抜いた火野さんは、天井を仰ぎ見ながら落胆する。そんなにエロ本が見たかったのだろうか。
「あのさ、やっぱ、場所変えない? ここにはもう空き瓶しかないし。その、俺もできる限りついて行くから」
如何わしい物に限らず、ここには見られると色々恥ずかしいものがある。それらを彼女に見られるのは非常にまずい。しかし、これが火野さんの反感を買ってしまった。
「何よそれ、出てけってこと? だったらどこに行けって言うの? 外で一晩過ごす? 私は暑さも寒さも眠気も感じないからどこでもいいけど。あんたもそれにも付き合えるっての?」
物分かりの悪い子供を指導する教育ママのような口調で言うのであった。
「そういうわけじゃ……」
「なら諦めなさい。私だって、ずっとここに留まるわけじゃないし」
「え? そうなの?」
まるで他にどこか行く当てがあるかのような口振りに、思わず声が高くなる。
「そりゃそうよ。幽霊ってのはこの世の未練が無くなったら成仏するもんでしょ?」
そういう意味か。本人のためには成仏した方がいいのだろうけど、俺のわがままを言わせてもらうと、彼女が消えてしまうのは悲しい。ん? 待てよ?
「と、言うことは、何かこの世に未練があると?」
何気なく聞いたこの一言に、
「へ? ……そりゃ……あるわよ……未練の一つや二つ」
火野さんは頬を赤らめるという予想外の反応を見せた。そんな彼女の様子に、言い表せられない不安感を抱きつつ、
「な、何?」
短く一言だけ質問した。正直、答えはある程度予想はできるが想像はしたくない。
「それは、その、あれよ、おいしい物食べたり、あとバイトもしたかったなぁ、それでブランド品買ったり、おしゃれしたりしてさ。だって私まだ十五よ? 十五で死んじゃったのよ?」
何かを誤魔化すように早口になる火野さん。これはいくらなんでも怪しい。俺はただ黙って彼女を見据える。
「……分かったわよ。本当のこと言うわよ。本当は墓場まで持ってくつもりだったんだけど、死んでからじゃ墓場もクソも無いしね」
どうやら白状する気になったようで、火野さんはもじもじと身体を縮める。
「私ね、えっと、その……」
俺はゴクリと生唾を飲み込み、心の準備をする。
「――す、好きな人がいたのよ……」
聞いた瞬間、脳天に雷が落ち、全ての感情が麻痺した。心の準備なぞしても無駄だった。
やっぱり聞かなければよかった。俺の不安は的中してしまった。年頃の女子が頬を赤らめもじもじする話題など一つしか無いというものだ。
「別に付き合いたいって気持ちはないの、だって多分きっと、いや絶対無理だから」
その仕草、物言いの全てが、恋する乙女そのものだった。こんな火野さんは、見たくない。
すでに五感を麻痺させてしまっている俺には、「はぁ」と、空返事するのが精一杯だ。
「でもやっぱ、恋人みたいに過ごしてみたかったなぁ……」
もうやめてくれ。やめてください。これ以上は涙腺がもたない。
「それでね、笑った顔とか怒った顔とかもっといろんな顔が見たかった、って聞いてる?」
正座のまま落涙を堪える俺に火野さんは、睨むような視線を向けた。その威圧感たっぷりの視線と俺の涙目とが交錯した直後、火野さんはなにかを閃いたように唸った。
「んー、んん? ちょっと待ってちょっと待って。あんた、根本、よね?」
「へ?」
蛇に睨まれた蛙状態再び。俺は身体を硬直させたまま動けない。火野さんはそんな蛙を品定めするかのような眼で、舐めまわすように俺を観察する。ぐるりと一周した後、
「もしかしたら……よし、いける! 決めた! 考えようによってはベストかもしれないし!」
そう言った火野さんの顔には一点の曇りも無く、晴れやかなものだった。その切り替えの勢いたるや、大村を凌ぐものだった。
急な彼女の決断に、「な、何が?」と、ただただ混乱するばかりの俺。
「交換条件よ!」と、火野さんが俺の顔面を指差し、声高らかに宣言する。
「あんた、不幸で悩んでるって言ったわよね?」
「えぇ、はい」
嫌な予感がした。火野さんの表情は晴れやかながらも、大村の悪知恵に付き合わされる時と同じ感覚を身体が察知している。
「幽霊なんて一ミリたりとも信じて無かった私が言うのもなんだけどさ」
火野さんはこう前置きして、
「私、あんたの守護霊になって不幸から護ってあげる。その代わり、ある事に協力してもらうわよ!」
弾ける笑顔でこう言った。これは当然喜ぶべきことなのだろう。彼女の満面の笑みを見せられては反対する理由も無い。だが、
「ある事に、協力?」
その内容を聞いてから決めても遅くはなかろう。彼女の為なら何だってしてあげたい。というより彼女と一緒にいられるなら何だってやる。が、実現不可能な事を頼まれても困る。例えば、一週間で火野楓とくっつけ、だとか。
「そ。ある事ってのは――」と、火野さんはここで溜めて、
「私の好きな人と、付き合って欲しいの。あんたに。それで万事解決ってわけ」
満面の笑みでこう言った。
おおぅ、これはなかなかに無理難題を押し付けてくれる。
「付き、合う?」
「そう。あんたが私の好きな人と付き合って、私の言う通りに行動すれば、それは疑似恋愛してることになるでしょ?」
「いやいやいや、もしそうだとしても、そんなのでいいの? 火野さんは」
「まぁ、本当はよくはないけどね。でも死んじゃってるし、これが一番理想的な形かなって」
言葉は不満げだが、表情は満足そうである。と、ここで俺はこの理論のある重大な欠陥に気付く。
「……ちょっと待って。あ、これ無理だ。無理無理。絶対無理。少なくとも俺には絶対できない」
「えぇ? なんでよ」と、火野さんは口を尖らす。
「なんでって言われても無理なもんは無理だって」
「いいじゃない少しくらい。死人の頼みくらい聞いたってバチは当たらないわよ」
「そういうことじゃなくて、生理的というか、生物的に無理だって!」
「何よ! そこまで嫌がらなくてもいいじゃない!」
「だって俺、男と付き合うなんて絶対無理だもん!」
正座から急に立ち上がったため、足の痺れで無様に転倒した。そんな俺を指差し大笑いしている火野さん。何故だか今日は、火野さんと大村の姿が被って見えて嫌になる。だが、彼女の笑いは俺の情けない姿が原因ではないらしく、
「そっかそっか、私まだ言って無かったもんね」
彼女は生まれたての小鹿みたいになっている俺の前にしゃがみ、小声で囁く。
「私の好きな人ってのは――」
その名前を聞いた時俺は、ついつい納得してしまった。
翌日、土曜日。学校は休みだというのに、俺達は朝早くから例の事故現場へと来ていた。毎朝、必ずここにくるという火野さんの好きな人を待っているのである。
土曜なのに来るのだろうかという疑問は、彼女にとっては愚問だった。
「絶対来るに決まってるわ」
その自信がどこからきているのか俺には分からなかったが、協力すると約束してしまった手前、休日の睡眠時間を削ってまで同行しなければならないというものだ。
近くの塀にもたれ、先ほど自販機で購入した素直に美味しいとは言えない炭酸飲料を飲みながら、彼女の想い人――水原葵の到着を待った。