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虎穴に入らずんで虎児を得た1

 翌日、高校生活二日目。そして、作戦実行日初日。俺は、大村が昨日の約束を丸ごとすっきり忘れてくれていることを神に祈りながら教室へと入った。


「うぃっす、今日からよろしく頼むぜ」


 そんな神への祈りは、俺の席を戦国武将のようにドッカリと陣取って待っていた大村によりポッキリとへし折られた。


「どけよ、座れんだろ……」


 これから自分が一週間かけて行おうとしていることへの恐ろしさで気を滅入らせながら、大村を椅子から弾き出した。


「おいおい随分暗いな。そんな調子で大丈夫なのか?」


「大丈夫じゃないって言ったら代わってくれるのか?」


 着席し、大村を見上げるついでに睨みつける。


「まさか、これはお前の使命だろ?」


 頼まれた憶えはあるが、使命にされた憶えは無い。大村は非常に血色の良い顔をしていた。俺の顔色と合わせると、まるで信号機だ。ここらには無いし、ちょうどいい。


「一応、検討してみるよ」


「そうか! じゃあ健闘を祈る」


 俺の台詞を都合の良いように解釈し、一仕事終えたかのような清々しい面持ちで自席へと戻っていく大村を睨みつけながら俺は、複雑な心境に揺れていた。


 やはり大村という男は食えないヤツだ。正直に言うと好きになれない。かといって何の縁も感じないわけではない。


 友達かと問われたらきっと、ただの腐れ縁だ、と答えるだろう。あいつも同じように答えるはずだ。ましてや親友なんて言える間柄ではない。かといって知り合い、クラスメイトなんて浅い関係でもなかろうと俺は思う。


 そんな曖昧で宙ぶらりんな絆を野郎と築きあげてしまった自分に対して、同情の念が絶えず押し寄せてくる。だがしかし、その中で一筋だけ誇りみたいな感情が存在していたのは間違いない。


 ジコチューでナルシストな上に面倒くさい大村との関係にうんざりしながらも俺は、イケメンで人気者な上にカリスマ性溢れるこの男と今もこうやって何かしらの縁で結ばれていることに誇りを感じてしまっていたわけである。


 今の大村との関係を一言で表すとするならば、『同類』ということになるだろう。きっとあいつは嫌がると思うが、何故かこれが一番しっくりきてしまうのだ。


 そんな『同類』からの頼みだ。聞くにやぶさかではない。何ならひと肌脱いでやってもいいとまで思った。


 しかしそれは、本当に思っただけなのであった。




「……で、何でもう一週間後の昼休みになっているのかを聞かせてもらおうか、俊?」


 この一週間で、俺の前の席で昼飯を食べることが日課になっている大村が、食べ物を摘む為の食器であるはずのお箸で俺を指しながら言った。行儀の悪いことである。子供に真似をさせてはいけない。


「俺に聞かれてもな、時間のことなら四次元の神様にでも聞いてくれ」


 俺は弁当を掻き込みながらそんな軽口を返した。確か時間の神様はクロノスと言ったか、ネットのどこかで見かけたその情報を、親切にも教えてやろうと咀嚼した食べ物を飲み込み、口を開きかけた。その時、大村が箸を机に叩きつけた。


「俺が聞きたいのは時間の流れる速さじゃなくて、なんでお前が今の今まで何もしてこなかったのかってことだよ!」


 この怒鳴り声にざわざわと視線が集まるが、二秒と経たないうちに視線は散開していく。この一週間で他中学から来た連中も、大村の声量の大きさに慣れてきたらしい。常に声がでかく、普通に話していても怒鳴っているのか分からない大村だが、今のこいつは俺の軽口にさえ熱く反論してしまうほどいきり立っているご様子。こうなってしまった人への一番の対処方法を俺は知っていた。


「……正直、スマンかった」


 謝罪。これが一番オフシャルなやり方である。問題を起こした政治家も、不祥事が発覚した会社の社長も、まずはこうやって頭を下げるのだ。たとえお詫びの念が無くとも、形だけでもしっかりしてれば問題は無い。


「はぁ~ぁ。でもまぁ、お前みたいなチキンにあの『盾』をどうにかしろってのが無謀だったってことだな」


 諦め、開き直った様子で背もたれにうな垂れる大村。


「しっかし、まさか一言も話しかけられないとはな。そんなにビビるほどの相手かよ、確かに水原が絡むと凶悪な女だけど、普段なら、そうだな、かなり性格のキツい女ってレベルだろ?」


 大村は彼女達二人が教室内にいないことをいいことに、ずいぶん好き勝手を言い始めた。


 どうやら彼女達は購買まで昼食を買いに行き、教室には戻らずそのままどこか二人で食べに出かけているらしい。昼休みというプライベートタイムを邪魔されたくないのだろう。これまで何人もの男子達が、『昼休み水原葵捜索隊』と銘打ち、無謀な冒険へと旅立ったが、その秘境を見つけ先駆者(パイオニア)となった者は未だ現れず。


「そういう問題じゃないんだよ」


 俺が火野さんに声を掛けられないのは、ただ恐怖だけが理由ではない。むしろそれだけだったのならば、どれだけ気が楽だろうか。


「それもそうだな、あの女に好きこのんで話しかけるなんて、どんな噂を立てられるか分かったもんじゃないしな」


 そんな理由でもない。だが、せっかく勘違いしてくれているのだからわざわざ訂正する必要も無い。大村は弁当の米を箸で豪快にすくい上げ、それを口へ放り込み、咀嚼しながら続ける。


「多分、ボロッカスに貶されて、周りからはワザと罵声を浴びせられに行ってるドM野郎とか言われるんだぜ、きっと」


 食いながら大口を開けガハハ、と汚く笑う大村。確かに、彼女の性格ならばそれも大いにあり得る。そこで俺は一つ引っかかった。


「待てよ、お前、俺がそうなる危険性を理解していた上であんな頼み事をしたのか?」


 疑惑と憎悪の眼で大村を見据える。


「え? いや、ほら、あくまでも可能性の話だから、多分そうなってたかもって話だから」


 明らかに動揺の素振りを見せる大村は、視線を外に逸らし、言い訳がましく言った。


 この男は、お願いと言いつつ友人を売りやがったわけだ。何が、彼女が欲しいか、だ。バカバカしい。俺が火野さんからご褒美、では無く、お叱りの罵倒を受け、周囲からはマゾの性癖に目覚めた変態と陰口を叩かれる間に自分は悠々と水原さんに近づこうという魂胆だ。この男ならやりかねない、いや、そうに違いない。


 「不幸の塊」「不運の権化」「ネクラの根本」等々、不名誉なあだ名を数多く付けられた我が身から、「ドM野郎」という新たな汚名を阻止した「チキン」というレッテルは、甘んじて受けることに決めた。


「でもあれだぞ、結局何も話しかけなかったんだから、おあいこだぜ?」


「お前、まだ言うか」


 この男は開き直り、言うに事欠いておあいこと抜かした。怒りを通り越した俺の精神は、呆れの境地へと辿り着く。この一週間、大村に躍らされることなく自我を貫いた過去の自分に賛美の言葉を投げ掛けに行きたい気分になった。時間の神様に頼めば叶えてくれるだろうか。


「別にいいだろ? どうせ六限目で席替えなんだから。もうチャラだよ、チャラ」


 そう吐き捨てると大村は空になった弁当箱をかばんに詰め込み、遊び飽きた玩具でも見るかの様な冷たい眼でこちらを一瞥すると、「じゃあな」と一言残して去っていった。


 こうして一人残された俺は、大村に対する憤りと、この先に待つ席替えへの不安感を目の前の弁当にぶつけることしかできなかった。



 俺の怒りの捌け口となった食べ物達が噛み砕かれ、全てが胃袋に入り、消化され始めた頃、大村がいなくなった空席に鈴子が座り込んできた。


「大村との策略はもう済んだのかい? 何やら葵にちょっかいを出そうとしていたようだが」


 鈴子とは入学式の日以来、ちょうど一週間振りに会話する。この一週間、俺は鈴子と折り合いの悪い大村と一緒に行動していたので、近づきがたかったのだろう。


「あぁ、俺はもうお払い箱だってよ」


「先ほどのやけ食いとその口振りから察するに、上手くはいかなかったようだね」


 鈴子は若干嬉しそうに、口元を緩めながら言った。鈴子も他人(大村)の不幸が嬉しいらしい。俺も嬉しい。


「俊ちゃん、もうあんな男の口車に乗せられては駄目だよ」


「あぁ、分かってるよ」


 数分前に、それは痛いほどよく分かった。


「そうか、それなら安心だな」


「別に俺はお前に心配してもらう義理なんてないんだけどな」


「まぁそういうな、こういう仲ではないか」


 どういう仲なのか、と聞くのは野暮というものだろう。


「それはそうと俊ちゃん、せっかく邪魔者が消えてくれたのだ、一緒にお昼を食べないか?」


「お前にはこれが見えないのか?」


 今し方、空にしたばかりの弁当箱を鈴子に見せつける。


「何も今日の今からとは言ってない、明日からでもどうかな、という意味合いだ」


「まぁそれなら、な」


「約束だよ」


 鈴子はそう言い残し、俺が昼前に買ってきたばかりのまだ二口しか飲んでいない野菜ジュースを手に取り、それをちゅうちゅう飲みながら去っていった。せめてそのジュース代をどこに請求すればいいのか教えてから立ち去って欲しいものだ。



 本日最後の授業、つまり六時限目のLHR(ロングホームルーム)は開始早々、異様な空気をクラス内にもたらしていた。否、教室の空気は先ほどの五時限目から殺伐としていた。担当の国語教師がその殺気に当てられ、何度も振り返ってはハンカチで汗を拭っていた。


「じゃあ先週の約束通り、席替えするぞ」


 担任のこの一言によって、クラス全体の一割の生徒(主に水原さんの回りの席の男子生徒)が安堵したような表情を見せ、三割の生徒は不満を漏らし、およそ五割の生徒、もとい、男子生徒の約九割は周りを威圧するかのような目で睨みつけ合いを始めた。さながら、某学園天国の歌詞通りの心境と言ったところか。


 残る一割は全くの無関心だ。その一割に入っている俺の心情は、大村に対する苛立ちただ一心だった。犠牲になった食べ物達と鈴子との会話のおかげで少しは気が紛れたものの、その怒りは簡単に消えるものではない。


 席替えの仕方というのは、古今東西決まってくじ引きである。芸の無い。俺がこの世で最も嫌悪し、この世から消え去ってほしいと心から願っているもの、それがくじ引きである。


 下手な鉄砲数撃ちゃ当たるとはよく言ったもので、この言葉を俺のくじ引きに当てはめると、きっと銃身が焼き尽くまで撃っても当たることは無いだろう。


 俺が心の中で毒づいている間も、席替えくじ引きはどんどん進行していく。まずは廊下側の列と窓側の列、それぞれ先頭の生徒同士がジャンケンをし、勝った方の列からくじを回すことになった。窓側の列代表は出席番号一番の相原さんである。そして廊下側の列代表は、そう、出席番号三十五番、水原さんだ。


 両者が教壇に上がりジャンケンを始めると、この時ばかりは睨みあっていた男子達が一時休戦という形で視線を前方の一点に集めた。ジャンケンという大役を任された上に、こう注目されてはさぞかしやりにくいだろう。相原さん水原さんのなんとも言えない苦笑がそれを物語っていた。


 結果は水原さんの勝利となった。決着が付いた瞬間、クラス内がどっと沸いた。それに驚いた水原さんの表情を見て、男子達の顔がほころぶ。が、火野さんのクラス内に響くほどの大きな舌打ちによって、ほとんどの男子が顔を強張らせた。


 水原さんから回り始めたくじ入りのクッキーの空き缶は、くじを吟味する者が多く出た為にかなり長い時間を掛け、最後まで行き渡った。くじ引きなんぞどれを取っても似たようなものなのだからさっさと回せばいいものを、合掌して念じたり、何かブツブツと呪文のようなものを唱えたりと、無駄な努力をしている奴らの姿はとても滑稽だった。


 そして各々がくじを開き、そこに記された番号と前の黒板に書かれている座席表とを見比べ、担任の「移動始め」の合図と同時に指定された席へと移動を開始した。


 

 机の脚と床のタイルがぶつかり擦れあう学校特有の不快音を耳にしながら、俺は自分の席の場所と思しきスペースまで辿りついた。そこは窓側の後ろから三つ目という、俺のくじ運にしては中々善戦したと言える所だ。今回放たれた弾丸は辛うじて目標を掠ったようだ。


 しかし俺は後方に目をやり、眉をひそめた。まだ主が入っていない机一つ分のスペースを空け、大村が腕を組んで座っているではないか。どうやらそのままの席で移動しなかったらしい。それはそれで羨ましいが、大村の表情は憮然としたものだった。


「また一文の得にもならない席だな」


 俺は身体を横向け、窓枠を背もたれ代わりにして椅子に腰掛けると、顔だけを大村に向けてご近所への挨拶とばかりに喜々とした笑顔で話しかける。


「俺を嵌めようとした罰が当たったんだ」


 腕を組んだまま黙り込み、俺を睨みつける大村。珍しく不機嫌を顔に出していた。それもそのはず、せっかくの席替えで一回休みを食らい、更に隣にはすでに水原さんではない別の女子が入っている。こうなると後は水原さんが前の席に来てくれることを祈るしかないのだが、そこは俺の後ろの席だ、当然期待はできまい。


「お前のくじ運も俺のくじ運も、大して変わらなかったってことだな」


 そう言って大村の貴重な仏頂面を堪能していると、その仏頂面が段々と驚愕のものへと変化していくのが見てとれた。視線の方向的に、何やら俺の隣の席を凝視し、固まっている。


 どうやら俺の隣にも誰かが入って来ているようだ。大村とのにらめっこに夢中になっていて気が付かなかった。


 顔を正面に向け直し、そのまま隣の人物を確認する。まず視界に入ってきたのはこの一週間でもうすっかり見慣れた女子の制服。そしてそのブレザーに掛かる黒髪ロングのストレートに、スカートからスラリと伸びる白く美しい太もも。ここまでくればこの人物が誰かなんてのは火を見るより明らかだ。やはりそこには、


「あ、根本君、よろしくね」


 重い机を運んできたばかりで少し息が上がりながらも、新しく隣の席になる俺への気遣いの言葉を忘れることなく、純粋無垢な笑顔を振りまく水原さんの姿があった。


 驚愕の表情を浮かべる大村に、愕然としたまま身動きの取れない俺。


「ん? 根本君?」


 硬直した俺を不思議そうな顔で見つめる水原さん。


「み、水原さん、こちらこそよろ――」


 とにかく何か言葉を発しなければ。この思いからとりあえず挨拶を返そうとした。


 その時だった。


「はいはーい、ちょっと通らせてもらうわよ」


 威勢の良い声が響き、移動中であると思われる何者かの机が俺と水原さんの間に勢い良く置かれ、俺達の会話はシャットアウトされた。


 もし仮に、俺がごくごく普通の男子高校生で、ごくごく普通に水原さんに好意を持っていたのならば、文句の一つでも言いたくなるようなこの状況。だが俺は思考回路を失ったロボットのように、機械的にその声の主の方に顔を向けることしかできなかった。


 そこには、予想通りの人物、そして俺が最も動向を気にしていた人物が、俺をまるで、我が子を誘拐しにきた悪党でも見るかのような目で睨みつけていた。


 虎穴に入らずんば虎児を得ずとは言うが、これでは虎児のほうからにゃあにゃあとひとりでに近付いてきたようなものだ。更にその背後からは牙をむき出しにした親虎のオマケ付きときた。しかし俺にとっては親虎のほうにこそ重大な価値があることは言うまでも無い。


 その親虎は俺を一瞥すると、すぐさま虎児と向き合い、ニコニコ恵比須顔へと変わる。


「葵、また近くになれたね」


「うん、良かったぁ」


 軽く会話を交わし、俺と大村の間にあるスペースに陣取り、席に着いたのはやはり、


「よろしくね、ヒカちゃん」


 火野楓。このお方だった。


 俺はこの世にくじ引きを創造したくじ引き神に感謝し、将来的には国会議員もこれで決めてしまえば良いのにとさえ思った。



「えぇと、後ろの席の奴ら、黒板が見えにくいとかは早めに言っとけよ。しばらくはこの席でやっていくからな」


 「え~」と野太い不満の声が教室内に響いた。この薄汚れた欲望まみれの批難によって万が一席替えが早まるようなことがあったのならば、訴訟も辞さない。


「文句を言うなよ、席替えなんてそう何回もできるもんじゃない」


 うだうだ文句を垂れる阿呆共を、担任が一喝した。この一週間で最も教師らしく見えた瞬間だった。今までただのペーペーだと思っていたが、その考えは改めなくてはならないようだ。


 阿呆共はまた不満を漏らし始めるが、その大半が諦めたような溜息ばかりで、ぶうぶう言ううちに空気の抜けた風船のように萎んでいった。


 阿呆の風船から抜け出した淀んだ空気は、あっという間に広がり、教室中の空気をそれは息苦しいものへと変えてしまうが、俺にとってそんなことは取るに足らない些細なことでしかない。


 誰が何と言おうと俺の後ろには、我が夢と希望と憧れが形を成して座っているようなものなのだから。


 そんな中で、


「センセー、俺目が悪いので根本君の席と変えてくださーい。後、根本君もっと目が悪いので一番前の席に変えてあげてくださーい。なんなら教卓のまん前がいいそうです」


 俺の二つ後ろの席に座る一人のド阿呆が、エゴと欲望と憎しみがパンパンに詰まった風船を破裂させた。夢と希望と憧れの後ろから発せられたその声は、ギリシャ神話もびっくりな逆パンドラの箱のようだった。


 すぐさま立ち上がって声の主を張り倒しにかかる勇気も行動力も無い俺は、せめて睨みつけてやろうかと身体を捻りかけるが、それもできないことに気が付き、諦めた。すぐ後ろの火野さんが最大の障害になっていることは言うまでもない。


「大村、それは流石にバレバレだ。じゃ、席替えはこれで終わりってことで。次は来週のLHRから始める進路希望調査のことだが――」


 担任は苦笑し、大村の提案を却下。そのまま業務連絡を始めた。またしても素晴らしい活躍を見せてくれた先生に対し、尊敬の念を抱かずにはいられない。周りの男子達も大村の抜け駆けが失敗に終わったことにホッと胸を撫で降ろしている様子だった。かつてこれほどまでに俺の味方になってくれた教師は存在しただろうか。いや、いなかった。そんな感動に浸っていると、


「根本君って目、悪かったの?」と、本気で疑問符を付けてきたのは俺の隣に座る美少女だ。


 はっきり言って返事をするかどうか迷った。背中にひしひしと殺気のようなものを感じているからだ。火野さんは水原さんが無暗やたらに男子と会話するのを嫌がるだろう。だが何も言ってこないところを鑑みるに、きっと「返事をしても良し」ということなのだろうと脳内で判断を下し、


「いや、そんなことないよ。大村が勝手に言ってるだけだから、気にしないで」


 薄く笑みを浮かべ、なるべく差し障りのないように返した。はずだったのだが、


「あ、そっか、冗談、だったんだ。なんかゴメンね、私空気読めなくて……」


 何故か彼女の表情が曇る。俺の心情は焦る。


「え、え? いや別にそんな気にするほどのことじゃ」


「ううん、いいの。自分でも自覚あったし。ゴメン、今度から気をつけるね」


 貴女は天界の女神なのです。ですから大村如きのくだらん冗談に耳を貸す必要などありません。気をつける必要など一切無いのでございます。と、決死のフォローを入れようと口をあたふた動かすものの、緊張によって声は出ず、周囲からは怒りの籠った鋭い視線、真後ろからはもの凄い威圧感を浴びせられるはめになった。


 担任は先ほどから淡々と業務連絡を続けている。六時限目ということもあり、このまま帰りのSHR(ショートホームルーム)も済ませてしまう気だろう。今気付いたが、俺は大村だけではなくこのクラスの大半を敵に回していたことになる。


 今日は何事も無く真っすぐ家へ帰れるだろうか。いや、帰れないかもしれない。

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